夜明けの巻~秋の巻 油断に関する文面 油断せずに進みますと、まこと愛に進みます

日月神示、道の生み出し方について

油断に関する文面2つ目です。

前回は、油断、の文面は戒めのものが多くありましたが、引き続き、その内容についても御伝えされていますが、後半では、善き世、万倍の世となって返ってきたり、まこと愛の境地について。

まこと愛とは、一切が御自身であり、一切が喜びの境地です。
最後は、神界と人民界の和していく重要性まで御伝えされています。

それでは、油断に関する文面の二つ目を御伝えします。

1.第十二巻 夜明けの巻 第二帖 油断せずに、皆を喜ばして下さい。万倍となって返ってきます。

Ⅰ.神の国は、いざとなれば、土、草、木、全て人民の食物となります。なるようにせんからなりません。

神の国は神の肉体ぞと申してあるが、いざとなれば、お土も、草も、木も、何でも人民の食物となる様に出来てゐるのざぞ。何でも肉体となるのざぞ。なるようにせんからならんのざぞ。

神様の国(九二)は神様の肉体です。

いざとなりましたら、お土も、草も、木も、何でも人民の食物となる様に出来てゐるのです。

これは、ここまで、食物マンデラ・エフェクトを体験している方には判る話だと思います。
田んぼに生えるコナギ、という雑草は、現世界では食べられるようになっています。

その他、野草類でも、徐々に増えてくると見ます。

土も珪藻土が食べられる物がある話は、日本に限らず、海外でもあります。
いつのまにやら。です。

ですが、それは、思念界から、皆を助けていく行を拡げていった為です。
この日々の継続が大切です。していった方々によって、世界が日々変わっていきます。

このように、いざとなりましたら、お土も、草も、木も、何でも人民の食物となる様にできてゐるのです。
木は、樹液や、樹皮が食べられるものいくつかありますが、もっと増えるかもしれません。

そして、食べられる、という事は、身体に取り込めるのですから、何でも肉体、となっていきます。

このようにならないのは、成る(七流)よう(四ウ)にせんからならんのです。
もう一段上の無を生む為に、しきまきや、から生み出して行けばいいのです。

Ⅱ.何もかも、神の国向かって集まるようになってゐます。

それで外国の悪神が神の国が慾しくてならんのざ。神の国より広い肥えた国 幾らでもあるのに、神の国が欲しいは、誠の元の国、根の国、物のなる国、元の気の元の国、力の元の国、光の国、真中(まなか)の国であるからぞ、何も彼も、神の国に向って集まる様になってゐるのざぞ。

それで、外国の悪神様は、神の国が慾しくてならないのです。

神様の国より広い肥えた国 幾らでもあるのに、神の国が欲しいのは、
(〇九十)の元(⦿)の国、根(ね)(三七)の国、物のなる(七流)国、元(⦿)のキの元の国、光(一一、六六、八三)の国、真中の国、だからです。

それにしても、以前、神の国が欲しい理由は、こんなに種類が無かったと思います。
少なくとも、物のなる国、力の元の国、は無かったと思いますし、ここでは、根の国、も無かったキがします。倍くらいに増えているような・・・。

それは、何も彼も、神(十)の国(九二)に向かって集まる様になってゐる為です。

Ⅲ.北(キ田)よくなります。神の国はどこからでもおろがめます。自然と頭が下がります。

神の昔の世は、そうなってゐたのざぞ。磁石も神の国に向く様になるぞ。北よくなるぞ。神の国おろがむ様になるのざぞ。どこからでもおろがめるのざぞ。おのづから頭さがるのざぞ。

神様の昔の世は、そうなってゐたのです。
磁石も神(十)の国(九二)に向く様になります。

北(キ田)よく(四九)なるぞ。
とあります。

以前は、北から来るぞ。だけだったはずですが、今や、北よく(四九)なる(成る)ぞ。ですからね。

それは、神の国(九二)おろがむ様になるのです。

神(十)の国(九二)は、どこからでもおろがめます。
ご自宅、で十分でしょうし、今おられる所が、神の国です。

神の国とは、御自身の心の内次第、です。

それは、神の国としますと、おのづから頭さがるのです。

ですから、あらゆる存在に向けて頭下げて頂ければ、と思います。
この事が、継続的千人力の境地です。

ですから、日々、我を洗濯、掃除、改心、を進めていく事が求められます。

Ⅳ.産みの水(三⦿)がシメです。三界バラバラから神を締めて、人民は、罪犯していたのです。

海の水がシメであるぞ。鳥居であるぞと申してあろうが、シメて神を押し込めてゐたのであるぞ。人民 知らず知らずに罪犯してゐたのざぞ。毎日、日日(ひにち)お詫(わび)せよと申してあらうが、シメて島国日本としてゐたのざぞ、

海(産み)の水(三⦿)がシメ、です。

三界和合、それぞれの千人力、⦿が、シメ、です。
特に、過去、現在、未来、の三界が判りやすいと思います。

鳥居(十理一)であるぞ、と申してあろうが、とあります。
それは、神、十柱を、一つの御自身としていく事です。
十柱と御自身が一体化の道です。それが、一八十の仕組です。
御自身が、三界和合、三つが一つとなる事が求められるのです。

更には、七人に道を伝えていくのです。三界和合した御自身で、です。それが、また、一八十の仕組です。

ですが、人は、我により、我良しから、神様を鳥居でシメてしまっていたのです。

人民知らず知らずの内に、罪犯していたのは、実はこの事が原因です。

過去、現在、未来、バラバラにしてしまい、我基軸になってしまったのです。

他は、神界、幽界、現界、の三界は無きもの分け隔てとなりましたし、
男性、女性、和合者(その手前を含めすと、LGBTQ)、を分け隔て、としていったのです。

この事により、我良し、慢心、分け隔て、で如何に多くの存在を苦しめてきたか分かると思います。

ですから、毎日、日々、お詫びせよ、と御伝えされているのです。

シメて島国日本としてゐたのです。
随分と長く、島国日本を次元低下させて過ごしてきたのです

Ⅴ.善(四)き世となると、身体も大きくなり、命も長くなります。今しばらくの辛抱ですから、食物心配せず、油断せずに進んで下さい。

よき世となったら、身体(からだ)も大きくなるぞ。命も長くなるぞ。今しばらくざから、辛抱してくれよ。食物心配するでないぞ。油断するでないぞ。

よ(四)キ世となりましたら、身体(からだ)も大きくなります。
そう言えば、私は40代に入ってから2cm大きくなりましたね。20代、30代は、延びていません。
これでも驚きですが、この後、もっと伸びるかもしれません。(笑)

命も長くなります。
今しばらくですが、辛抱して下さい。

食物心配しないで下さい。油断しないで下さい。

Ⅵ.皆の者を喜ばせますと、天地のキとなって、御自身に万倍となって返ってきます。

皆の者喜ばせよ。その喜びは、喜事(よろこびごと)となって天地のキとなって、そなたに万倍となって返って来るのざぞ。よろこびいくらでも生まれるぞ。

皆の者喜ばせて下さい。
これも、様々な手法があると思います。

その喜びは、喜事(よろこびごと)となって、天地のキ、となって、御自身に万倍となって返って来るのです。

そのよろこびは、いくらでも生まれます。
思念界を変えていく事によって、相手の思念を変える事により、周囲の世界は次々、変わっていくのです。

2.黄金の巻(コガネの巻) 第四十帖 浮島から油断を超え、一切が御自身のマコト愛へと進むには。

Ⅰ.この世は浮島ですので、油断禁物です。悪化のマンデラ・エフェクトもあります。

何うにも斯うにも手つけられまい。この世は浮島ぞ。人民の心も浮島ぞ。油断禁物。

どうにもこうにも、手つけられまい。という事は、此の道に進んできますと判ってきます。

人の我、基軸ではなく、神の⦿の心基軸から、人々の思念を変えていく事で世界は変わっていく為です。

この世は浮島、という事も当初はピンときませんが、この世を此(九)の世(四)としていきますと、くにつつみ、しきまきや、から生み出す事の連続で成立している事が判ってきます。

それが、ウキシマ(産キ四真)です。
しきまきや、から、キから生み出すのです。

そして、人民の心も浮島。です。

油断だけが禁物です。
油断しますと、人の我の基軸となり、平面に戻されたり、場合によっては、悪化のマンデラ・エフェクトに進む事になります。

Ⅱ.ひふみの食べ方から、天国の食べ方へと進めて下さい。

ひふみの食べ方 心得たら、今度は気分ゆるやかに嬉しウレシで食べよ。天国の食べ方ぞ。

ひふみの食べ方が、このようなポジションにあったかな。と思います。
ひふみの食べ方を心得たなら、今度は気分ゆるやかに嬉しウレシ(ウ〇四)で食べて下さい。
天国の食べ方です。

うれしうれし、が、嬉しウレシ、という書かれ方も初めて、と見ます。
嬉しは、ウ〇四、から生み出して下さい。という事です。

Ⅲ.一切は自分のものとなるのは、一切は、御自身だからです。そこにまこと愛生まれます。

一切は自分のものと申してあらう。上も下も右も左も皆自分のものぞ。自分ぞ。其処にまこと愛生れるぞ。

一切は、御自身のものです。
上も下も右も左も、皆御自身のものです。

そして、それは、御自身です。

周囲は御自身という意味合いの文面も随分増えて来たかな、と思います。

この境地となりますと、其処にまこと愛生まれます。

3.秋の巻 第十三帖 人民のうそ、囚われが上手なので、油断できません。

Ⅰ.人民、うそが上手になったので、囚われ上手なので、油断できません。下々の神々様も同じです。

人民、うそが上手になったから中々油断ならんぞ。下々の神さまも、うそ上手になったなぁ。

人民、うそが上手になりましたから中々油断なりません。

広い意味では、理屈もうそになりますからね。
囚われも、うそになっていきます。

ですから、下々の神々様も、うそ上手になったなぁと御伝えされています。

囚われから、固定された苦しい世界では、うそ、が上手になってしまう、恐い一面があります。

Ⅱ.人民の善は、そのまま霊人の善ではありません。霊人の悪でもありません。

善ぢゃ悪ぢゃと申してゐるが、人民の善はそのまま霊人の善でないぞ。そのまま霊人の悪でないぞ。心して呉れ。

善と悪と申されても、人民の善とは、そのまま霊人の善にはなりません。
時代が変わっているという事もありますし、また、霊人には、中々生み出す事が難しくあります。

また、同様に、人民の善とは、必ずしも、霊人の悪、という訳ではありません。

心して下さい。と御伝えされています。

4.秋の巻 第二十七帖 神様から命令されたミタマでも油断できません。油断しますと、代りのミタマと入れ替わります。

Ⅰ.型にはまる、固まる段階も必要ですが、型外して、カタ(六六、十)作らねばなりません。

型にはまることをカタマルと申すのぢゃ。こり固まっては動きとれん。固まらねば型出来んで、人民には判らんし、型外して、型をつくらねばならん。法律つくらねばならんが、つくってもならんぞ。

型にはまることをカタマルと申します。
こり固まっては動きが取れません。

固まらないと型も出来ませんが、そうでなければ、人民には判らない所ありますが、
その型を外して、新たなカタをつくらねばなりません。

法律つくらないとなりませんが、つくってもなりません。
つくるとすれば、境界線を無くす、囚われを無くす、分け隔てを無くす、といったものが望ましいと思います。

Ⅱ.神様から命令されたミタマでも油断はできません。曇りましたら、すぐ代りのミタマと入れ替わります。

神から命令されたミタマでも油断は出来ん。曇りたらすぐ代りのミタマと入れ替えるのであるぞ。

神様から命令されたミタマでも油断はできません。
人の我、慢心、とは、千人力になっても残ってゐる為です。

曇りましたら、すぐ代りのミタマと入れ替わります。

Ⅲ.コリ固まりがケガレであり、型をしては、祓ひをして、進めていく繰り返しが求められます。

コリ固まったものがケガレぢゃ。ケガレはらさねばならん。絶えず払って払って払ひつつ、又固まらねばならんし、人民には判らんし、肉体あるから固まらねばならんし、常に払ひせねばならん。総てをこんなもんぢゃときめてはならんぞ。枯れることをケガレと申すのぢゃ。判りたか。

コリ固まったものがケガレです。ケガレはらさねばなりません。
放置しますと、悪となります。

絶えずはらってはらって払ひつつ、又固まらねばなりませんし、そうでなければ、人民には判りませんし、肉体ありますから、固まらないとなりませんし、常に払ひせねばなりません。ですが、この祓ひ、によって、世界は次々変わっていくのです。

総てをこんなものと決めてはなりません。

常々、新たな文明も生まれますし、喜びの現れは、無限にあるのです。

枯れることをケガレと申します。
前の段階で無くなりつつあるもの、ケガレとなっていきます。

判りましたでしょうか。とお聞きされています。

Ⅳ.神界の立替を、人民界の立替へと移して下さい。

神界の立替ばかりでは立替出来ん。人民界の立替なかなかぢゃナア。

神界の立替ばかりでは立替出来ません。
人民界に移して行く事が求められるのです。

人民界の立替なかなかぢゃナア。とあります。

そもそも、人民界、という単語が初めてと見ますが、
それだけに、人民界にも愈々変性変異が、本格的になりそうにも思っています。

5.まとめ

神の国は、いざとなれば、土、草、木、全て人民の食物となります。なるようにせんからなりません。

悪神が、神様の国より広い肥えた国 幾らでもあるのに、神の国が欲しいのは、
誠(〇九十)の元(⦿)の国、根(ね)(三七)の国、物のなる(七流)国、元(⦿)のキの元の国、光(一一、六六、八三)の国、真中の国、だからです。

何もかも、神の国向かって集まるようになってゐます。神の昔の世はそうでした。

北(キ田)よくなります。神の国はどこからでもおろがめます。自然と頭が下がります。

産みの水(三⦿)がシメです。三界バラバラから神を締めて、人民は、罪犯していたのです。

善(四)き世となると、身体も大きくなり、命も長くなります。今しばらくの辛抱ですから、食物心配せず、油断せずに進んで下さい。

皆の者を喜ばせますと、天地のキとなって、御自身に万倍となって返ってきます。

この世は浮島ですので、油断禁物です。
悪化のマンデラ・エフェクトもあります。

ひふみの食べ方から、天国の食べ方へと進めて下さい。
一切は自分のものとなるのは、一切は、御自身だからです。そこにまこと愛生まれます。

人民、うそが上手になったので、囚われ上手なので、油断できません。下々の神々様も同じです。
人民の善は、そのまま霊人の善ではありません。霊人の悪でもありません。

型にはまる、固まる段階も必要ですが、型外して、カタ(六六、十)作らねばなりません。

神様から命令されたミタマでも油断はできません。曇りましたら、すぐ代りのミタマと入れ替わります。
コリ固まりがケガレであり、型をしては、祓ひをして、進めていく繰り返しが求められます。

神界の立替を、人民界の立替へと移して下さい。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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