時節到来の文面(2025年4月7日~)

時節到来の文面(2025年4月7日~)

地震の巻 愛に関する文面⑧ 第十三帖 地上人と霊人の交流の仕方について

下級霊人との交流は、危険な一面はあっても、半面においては、極めて尊いものとなります。霊人と地上人との交流のみでは向上しません。改心が大切です。戒律によっても、向上しません。歓喜が大切です。このように、神様の歓喜には、強いる事はありません。
時節到来の文面(2025年4月7日~)

地震の巻 愛に関する文面⑦ 第十一帖 霊人の言葉、音楽、律の特徴 愛型と智型の違い

愛の霊人は、善的で柔らかく連続的、消極的で曲線的、O、U、が主、五五七の律、が多いです。智の霊人は、智的で、清く非連続的、積極的で直線的、E、I、が主、三五七の律、が多いです。A音が統一、要約します。地上人は、これらを感得できない一面があります。
時節到来の文面(2025年4月7日~)

地震の巻 愛に関する文面⑥ 第七帖 悪を浄化し、必要悪として生かす事が、神の御心です

大神様の秩序、法則、統一は、一応完成していますが、次の完成へと弥栄し続け、終わりがありません。悪を浄化して、悪を必要悪として生かす事我、神の御心になります。本来、悪は無く、闇も無く、地獄もありません。全て、新たな世界を生み出せる歓喜の元だからです。
時節到来の文面(2025年4月7日~)

地震の巻 愛に関する文面➄ 第六帖 霊人の弥栄に向け、地上人の対処の仕方について

霊界人が向いている方向の北は、中心であり、歓喜の中の歓喜であり、・であり、額で、身体全身を集約し捉えます。ですが、霊界人には、その世界しか知らず、地上人は、交叉混交を和する能力があり、これが、地上人の特別の道、使命であり、そこに自由が生まれます。
時節到来の文面(2025年4月7日~)

地震の巻 愛に関する文面④ 第五帖 生前、現在、死後、の仕組について

生前の行為が、生後審判され、転生しますが、大難が小難になって現れるのは、大神様の大歓喜が故です。人の生後、地上人の生活は、生前の生活の延長であり、また死後の生活にそのままにして、進みゆきます。生前の呼吸は、生後(現世)、死後に通じます。
時節到来の文面(2025年4月7日~)

地震の巻 愛に関する文面③ 第四帖その2 歓喜とは、愛の悪を愛の善としていく事です

歓喜なき所に真実の愛はありません。歓喜の愛が愛の善、歓喜なき愛が愛の悪、です。愛の悪が世には沢山ありますが、これを愛の善としていくには、悪を抱き参らせ、御用の悪として育てることで可能です。霊人には難しいですが、地上人には可能です。
時節到来の文面(2025年4月7日~)

地震の巻 愛に関する文面② 第四帖その1 出会いの仕組について

最初から話さなくても通じる人がいる理由は、生前からの同気同一線上での関係性が深い為です。但し、地上人としては、時間と空間に制限されるが故に、会えなかったり、話せない事があります。ですが、その打開策として、近年ではインターネット、SNS、ズーム等あります。
時節到来の文面(2025年4月7日~)

地震の巻 愛に関する文面① 第一帖~三帖 愛、真、はハタラキです

全ての本体は無です。存在は、絶えず弥栄するのは、⦿が大歓喜の本体であり、(ウズ)のハタラキによります。個が、その個性を完全に弥栄すれば全体は益々その次を弥栄し、個と全体、愛と真との差が益々明らかとなり、結合が益々強固となるのが、神律です。
時節到来の文面(2025年4月7日~)

ハタラキの無い真、愛は、罪、穢れ、となります。・無ければ悪となります。

愛のみ、真のみ、でも存在はし得るのですが、ハタラキがない為に、力が出ず、喜びとなりません。喜びが無いと亡び、・が入らないと悪となり、ハタラキなきもの罪、穢れ、となります。愛は真と和して愛と生き、真は愛と和し、愛によって真の力現はれます。
時節到来の文面(2025年4月7日~)

真の愛とは、お互いに喜びが出づる事です。喜びが理で、道なき理です。

お互に喜びの湧き出づることでなければ真の愛ではなく、理(ミチ)ではありません。天国の理は、御自身で現界に生み出して行く事にあります。まことの天国とは、喜びが理で、道なき理です。やがて、喜びにとけいり、生も死もなくなる段階が来ます。
時節到来の文面(2025年4月7日~)

大宇宙は、愛、真、と、御自身の内にある元の・で弥栄します

宇宙とは、愛と真が善と智と現はれ、喜びとなってはたらき、・が加わって弥栄えた生命です。愛には真かくれ、真には愛かくれ、その奥に・があります。必ず、・の力が加わって、其処にヨロコビが出て道となり、なりなりて、真実が現れ、それが弥栄で、神の心です。