第十四帖は、霊界には時間が無い事(正確には常態の変化で終わりはあります。)について。
物質界の感覚と霊界の感覚の世界について。
第十五帖の大半は、霊人の衣食住についてお伝えされています。
第十七帖では、弥栄の仕組について。
意志のみでも力生まず、 理解のみでも進展せず、意志し理解する事で弥栄する事を伝えています。
愛とは関係ないという事で今回は、御伝えしませんが、総て重要ですし、
特に第十五帖では、食の在り方が、此の道の世界観を理解していくには、非常に重要ですし、前世ヒーリングをしていくに辺り第十七帖は、心構えで重要ですので、是非よく読んでおいてください。
今回は、第十五帖、第十六帖、第十八帖 についてお伝えします。
愛と信と信仰の関係性。
その身体の現れ方。特に重要なのが、心臓と肺臓について。
愛と信の結合、結婚について。それが、三が道であり、しきまきや、である事。
神との結婚の型でもある事。
このような事を御伝えしていきます。
1.地震の巻 愛に関する文面⑨ 第十五帖 永遠する生命は、・から流入する、愛、善は、信仰力となります。
Ⅰ.地上人と霊人が一体化した時、・は、意志からの流入は理解となり真理となり、愛からは善となり信仰力となります。
●地上人と、霊人と一体化したる場合は、神より直接に地上人にすべてが通じ、すべてのものの・が与えられると見えるものである。これを、直接内流と称し、この神よりの流入するものが、意志からするときは理解力となり、真理となる。また、愛より入るときは善となり、信仰力となって現われる。
地上人と霊人と一体化したる場合は、神様より直接に地上人に全てが通じ、すべてのものの・が与えられると見えるものです。
これを、直接流入と称するようです。
此の神様より流入するものが、意志からする時は、理解力となり、真理となります。
また、愛から入る時は、善となり、信仰力となって現れます。
Ⅱ.永遠する生命は、愛と離れ、真と離れ、信仰と離れては、あり得ないようになっています。
●そして、神と通ずる一大歓喜として永遠に生命する。故に、永遠する生命は愛と離れ、真と離れ、また信仰とはなれてはあり得ないのである。
神の流入するものが、意志から入る理解力、その真理。愛から入る善、その信仰力。
それは、神と通じる一大歓喜として、永遠に生命する事となります。
ですから、永遠する生命は愛と離れ、真と離れ、また、信仰とはなれて、はあり得ないようになっています。
2.地震の巻 愛に関する文面⑨ 第十六帖 歓喜は心臓として、肺臓は呼吸の関係です。
Ⅰ.大宇宙にも、身体の器官があり、内臓諸器官にも対応し、常に大歓喜しています。
●大宇宙にも、頭があり、胴があり、手足があり、目も、鼻も、口も、耳もあり、又内臓諸器官に対応するそれぞれの器官があって、常に大歓喜し、呼吸し、脈打っていることを知らねばならない。大歓喜は無限であり、且つ永遠に進展して行くのである。変化、進展、弥栄せぬものは歓喜ではない。
大宇宙にも、頭、胴、手足、目、鼻、口、耳があり、内臓諸器官に対応する器官があり、常に大呼吸し、脈打っています。
大歓喜は、無限に続き、かつ永遠に進展していくようになっています。
変化、進展、弥栄しないものは歓喜ではありません。
このように歓喜基軸で進みますと、無限に続き、永遠に進展していくようになるのです。
宇宙空間が、このような状況ですから、実は、御自身の身体も、そう成り得る、という事です。
これが、生き通しの境地になります。
常々、御自身の身体が歓喜となっているかどうかです。
Ⅱ.歓喜は心臓として、肺臓は呼吸として発展し、それは、あらゆる存在にあります。
●歓喜は心臓として脈打ち、肺臓として呼吸し発展する。故に、歓喜は肺臓と心臓とを有する。この二つは、あらゆるものに共通であって、植物にもあり、鉱物にすら存在するものである。
これは、以前無かった文面、と見ます。
歓喜は心臓として脈打ち、肺臓として呼吸し、発展します。
故に、歓喜は肺臓と心臓とを有する事になります。
この二つは、あらゆるものに共通しており、植物にもあり、鉱物にすら存在しています。
但し、現段階では、実際の植物、鉱物、には無い事になっています。
ですが、やがて並行宇宙には、植物、鉱物にも、心臓、肺臓、明確に現れる可能性もあるかもしれません。
突き詰めますと、原子にも心臓、肺臓は、有するので、原子の構造から変わっていくと見てゐます。
Ⅲ.人間の心臓と肺臓は、最奥の組織となり、深い広い愛、その呼吸が真理となります。
●人間の場合は、その最も高度にして精妙なる根本の心臓と肺臓に通ずる最奥の組織を有する。これはもはや心臓と表現するには あまりにも精妙にして、且つ深い広い愛であり、肺臓として呼吸するにはあまりにも高く精巧なる真理である。
人間の場合は、最も高度にして、精妙なる根本の心臓と肺臓に通じる、最奥の組織を有する事になります。
これは、もはや、心臓と表現するには、あまりにも、精妙にして、かつ深い広い愛、と御伝えされています。
肺臓として呼吸するにはあまりにも高く精巧なる真理でもあります。
このように、人間の心臓、肺臓には、愛と真理を無限に有している存在のようです。
・の現れ、とも言えます。
人が何故、イキをしているのかも分かってくると思います。
3.地震の巻 愛に関する文面⑨ 第十八帖 愛と信の結合、結婚とは、新しき生命を生み、歓喜する事です。
Ⅰ.神から出る真、善、美、愛の用に奉仕するのが霊人たちの生命であり、仕事であり、栄光であり、歓喜です。
●神から出る真、善、美、愛の用に奉仕するのが霊人たちの生命であり、仕事であり、栄光であり、歓喜である。故に、霊界における霊人たちの職業は、その各々の有する内分により、段階によって自ら定まる。
神様から出る、真、善、美、愛、のハタラキに奉仕するのが、霊人たちの生命であり、仕事であり、栄光であり、歓喜でもあります。
霊界における霊人たちの職業は、その各々の有する内分によって、段階によって自ら定まります。
現世もこれに対応している所がありますが、ただ、様々な事が原因して、三次元囚われ、我良し、慢心から、自ら逆立ちし、お役割が果たせていない現実もあります。
Ⅱ.愛と信の結合、結婚とは、新しき生命を生み、かつ歓喜する事です。三が道、しきまきや、でもあります。
●霊界に住む霊人たちも、両性に区別することができる。陽人と、陰人とである。陽人は、陰人のために存在し、陰人は、陽人の為に存在する。太陽は、太陰によりて弥栄え、太陰は太陽によりて生命し歓喜するのである。この二者は、絶えず結ばれ、また絶えず反している。故に、二は一となり、三を生み出すのである。これを愛と信の結合、または結婚とも称えられている。三を生むとは、新しき生命を生み、且つ歓喜することである。新しき生命とは新しき歓喜である。
霊界に住む霊人は、陽人と、陰人と大別できます。
この二者は、お互い、お互いの為に存在しており、太陽は太陰によって弥栄し、太陰は太陽によって生命し歓喜します。
この二者は、絶えず結ばれ、絶えず反しています。
ですから、二は一となり、三を生み出すこととなります。
和して、三が道を生み出すのです。
しきまきや、でもあります。
これを愛と信の結合、または、結婚とも称えられています。
三を生むとは、新しき生命を生み、且つ歓喜することです。
新しき生命とは、新しき歓喜、なのです。
このように、新たな世界を生み出す事が三が道と言い、しきまきや、とも言い、それは、和す事により生まれてきます。
悪を悪で無くす、苦を苦で無くす、事によって新たな世界が生み出される事となっていきます。
このようにして、立体へと進みます。
そして、これが、神との結婚の型でもある事が分かってくると思います。
4.まとめ
地上人と霊人が一体化した時、・は、意志からの流入は理解となり真理となり、愛からは善となり信仰力となります。
永遠する生命は、愛と離れ、真と離れ、信仰と離れては、あり得ないようになっています。
大宇宙にも、身体の器官があり、内臓諸器官にも対応し、常に大歓喜しています。
歓喜は心臓として、肺臓は呼吸として発展し、それは、あらゆる存在にあります。
人間の心臓と肺臓は、最奥の組織となり、深い広い愛、その呼吸が真理となります。
・の現れとも言えます。
神から出る真、善、美、愛の用に奉仕するのが霊人たちの生命であり、仕事であり、栄光であり、歓喜です。
ですが、現在、多くの方々は、囚われ、我良しから、自ら逆立ちし、お役割が果たせないようになっています。
愛と信の結合、結婚とは、新しき生命を生み、かつ歓喜する事です。
それが、三が道であり、しきまきや、でもあります。
これが、立体へと進む事となり、また、神との結婚の型である事も判ってきます。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。