第十二帖についても、愛に関する文面ではありませんが、霊媒の仕方そのものが書かれています。
前世ヒーリングする際でも、実は、御自身が霊人と和しているから、だからこそ繋がれるのです。
同様に神様とも同じで、御自身の心の内に応じて、和した存在と繋がる流れです。
ですから、今の自分以上の神様と繋がれないのは、まだ、その段階に御自身が進んでいない為です。
・・・と面白い文面がありますので、読んでみてください。
今回は第十三帖です。
第十二帖の流れもありますが、地上人と霊人の交流の仕方が書かれています。
善、美、真、愛、段階が進みますと必ずしもそうでなくなっていく事。
それは、無限に弥栄していく為です。
故に、悪の存在、偽の必然性の意味が判ってきます。
地上人と霊人の交流の仕方も御伝えされており、
霊界の文字について。
高次になると文字が無くなる事。
また、高次の霊人は、数字でのやり取りが多い事。
このような事を御伝えされています。
それでは、御伝えしていきますね。
- 1.地震の巻 愛に関する文面⑧ 第十三帖 地上人と霊人の交流の仕方について
- Ⅰ.地上界も、霊界も、無限の想念の段階があり、常に弥栄しています。
- Ⅱ.善、美、真、愛、段階が進みますと、必ずしもそうではなく、醜、憎、となったり、善、真と現れなくなる事もあります。
- Ⅲ.+(真善)米(真善美愛)米(歓喜)●(大歓喜)と現われる事で、悪の存在、偽の必然性が判ってきます。
- Ⅳ.下級霊人との交流は、危険な一面はあっても、半面においては、極めて尊いものとなります。
- Ⅴ.無き地獄を作り出すのは、下級霊人と感応し合い、御自身の我によって囚われを作った為です。
- Ⅵ.地獄的下級霊の現れの一つに、奇跡主義があります。奇跡主義では、霊人も地上人も向上せず、多くの方々が囚われ、過ちを繰り返してきています。
- Ⅶ.霊人と地上人との交流のみでは向上しません。改心が大切です。戒律によっても、向上しません。歓喜が大切です。
- Ⅷ.神様の歓喜には、強いる事はありません。
- Ⅸ.戒律あるところ必ず影が生じ、闇を生みます。
- Ⅹ.中心に座す太神様のお言葉は、順を経て霊人に至り地上人に伝えられますが、霊界の文字となって伝えられます。
- ⅩⅠ.霊界の文字。直線的なものは、月の霊人が用い、曲線的な文字は太陽の霊人が用います。
- ⅩⅡ.高度の霊人となりますと、文字はありません。・と〇と+があるのみです。
- ⅩⅢ.高度の霊人は、数字が多用されます。それは、数字が、多くの密意を蔵している為です。
- 2.まとめ
1.地震の巻 愛に関する文面⑧ 第十三帖 地上人と霊人の交流の仕方について
Ⅰ.地上界も、霊界も、無限の想念の段階があり、常に弥栄しています。
●地上人が、限りなき程の想念的段階をもち、各々の世界をつくり出している如く、霊界にも無限の段階があり、その各々に、同一想念をもつ霊人が住んでおり、常に弥栄しつつある。
地上人が、限りなき想念的段階を持ち、それぞれの世界をつくり出しているのと同じく、
霊界にも、無限の段階があり、それぞれに同一想念を持つ霊人が住んでおり、常に弥栄しつつあります。
このように、地上界、霊界と、無限の想念の世界は双方弥栄しつつあります。
Ⅱ.善、美、真、愛、段階が進みますと、必ずしもそうではなく、醜、憎、となったり、善、真と現れなくなる事もあります。
●下級段階で正なりとし、善を思い、美を感じ、真なりと信じ、愛なりと思う、その想念も上級霊界に於ては必ずしもそうではない。美も醜となり、愛も憎となり、善も真も そのままにして善となり、真と現われ得ない場合がある。其処に偉大にして、はかり知られざる弥栄の御神意がある。
ですが、下級段階で、正なりとし、善を思い、美を感じ、真なりと信じ、愛なり、と思っている。
その想念も、上級霊界においては必ずしもそうではありません。
美も醜となり、愛も憎となる事もあります。
これも、段階が進む程に、前の段階が悪と感じるようになるからです。
ですから、善も真も、そのままにして善となり、真と現れ得ない場合があるのです。
その時の最善も、今現在では悪となることもよくあり、故に、真も変わっていくのです。
其処に、大神様の、偉大にして、はかり知られざる弥栄の御神意があります。
Ⅲ.+(真善)米(真善美愛)米(歓喜)●(大歓喜)と現われる事で、悪の存在、偽の必然性が判ってきます。
●と同時に、+(真善)米(真善美愛)米(歓喜)●(大歓喜)と現われる神秘なる弥栄があり、悪の存在、偽の必然性などが判明するのである。
と同時に、+(真善)米(真善美愛)米(歓喜)●(大歓喜)、と現われる神秘なる弥栄があります。
悪の存在、偽の必然性などがこの時に分かっていくのです。
+(真善)米(真善美愛)米(歓喜)●(大歓喜)と現わすには、
一段一段の思念界を変えていく過程、そして行を継続していく過程が必要、という事が分かってくるからです。
それは、悪から、悪を無くしていく事で、新たな世界が生み出せるという事が分かってきますし、
偽の必然性は、その新たな世界を生み出して行く事で、前の段階が偽、となりうる必然性が判ってきます。
云わば、偽、とは、マンデラ・エフェクトも含みます。それは、弥栄でもあります。
常々、今は変わっていくのです。
それが大きく変わるには、段階を進め、より大きな悪、や、苦を変えていく事にあります。
Ⅳ.下級霊人との交流は、危険な一面はあっても、半面においては、極めて尊いものとなります。
●故に、下級霊人との交流は、地上人にとっても、霊人にとっても、極めて危険極まりないものではあるが、半面に於ては、極めて尊いものとなるのである。
下級霊人との交流は、地上人にとっても、霊人にとっても、極めて危険極まりないものではあるのです、
理解と共に進みませんと、手に負えない事になったり、場合によっては、命を落としたり、もあり得るのです。
人の我、基軸ですと、極めて危険な一面、確かにあります。
霊媒系の方では、我、囚われで進みますと、どうしてもこのような体験をしていくのです。
半面においては、極めて尊いものとなります。
霊に向けて、敬意を持って、愛を持って理解しようと接する事に、最初は徹することが求められます。
下級霊人の思念が変わっていには、悪を悪で無くす、苦を苦で無くす、負の想念を無くす、といった事が、間違いのない弥栄、という事が分かってきます。
この事が、新たな世界を生み出す元となる為です。
ちなみに、祓、ことたま、ひふみ、を伴う事で、大きく千人力に進む事になります。
やさしさだけ、いろは、だけですと、十人分止まりとなります。
Ⅴ.無き地獄を作り出すのは、下級霊人と感応し合い、御自身の我によって囚われを作った為です。
●下級霊人自身が(善)なりと信じて行為することが、地上人には(悪)と現われることが多いのである。何故ならば、かかる下級霊と相通じ、感応し合う内的波調をもつ地上人は、それと同一線上にある空想家であり、極めて狭い世界のカラの中にしか住み得ぬ性をもち、他の世界を知らないからである。それがため、感応してくる下級霊の感応を、全面的に信じ、唯一絶対の大神の御旨なるが如くに独断し、遂には、自身自らが神の代行者なり、と信ずるようになるからである。所謂(いわゆる)、無き地獄をつくり出すからである。
これは、多くの所で起こる珍しくない現象です。
下級霊人自身が善なりと信じて行為する事が、地上人には悪と現れることが多くあります。
それは、その世界しか知らず、特に、新たな世界を生み出せる事を知らないが為に、どうしても、カラに閉じこもり、囚われの世界に進みがちです。
それしか知らないが故に、下級霊の感応を全面的に信じ、唯一絶対の大神様の御旨になるがごとく、御自身が独断し、神の代行者とい信じる事となってくるからです。
それは、救世主型の思念と似て来る事となります。
弥栄実践、祓実践、まつり実践と遠のきがちですし、宗教となりやすくあります。
それが、いわゆる無き地獄です。
ですが、此の世には、このタイプの無き地獄、宗教地獄は多くにあります。
その宗教とは、金、学、人愛、智恵、名誉、地位、権威、世間体、王統、宗教、戒律(法律)。
と多岐に渡ります。11の囚われ、です。
囚われから無き地獄を作り出しているのです。
それが人間であり、平面世界、と我によって、狭い世界へと閉じ込めてしまったのです。
その原因とは、何度も御伝えしてきましたが、御自身の、我良し、慢心、分け隔て、にあります。
ですが、大多数価値観の為に、この事に中々気付けません。
このように、霊人とは、どうしても囚われ、という一面もありますが、合わせてそのような霊人が殆どとなってしまった原因は、人の我、捉われ、慢心、我良し、分け隔て、にあります。
Ⅵ.地獄的下級霊の現れの一つに、奇跡主義があります。奇跡主義では、霊人も地上人も向上せず、多くの方々が囚われ、過ちを繰り返してきています。
●地獄的下級霊の現われには、多くの奇跡的なものをふくむ。奇跡とは大いなる動きに逆行する動きの現われであることを知らねばならない。かかる奇跡によりては、霊人も地上人も向上し得ない。浄化し、改心し得ないものである。
地獄的下級霊の現れには、多くの奇跡的なものを含みます。
これは、前世ヒーリング、占い、霊媒、宗教でも、同じです。
前世ヒーリングでも、浄化手法は、ヒーリングする側の改心の度合いに応じていきます。
ですから、どうしても、奇跡を頼ろうとしている段階では、奇跡を頼ったヒーリングになります。
占い、霊媒、宗教も同じです。
奇跡とは、大いなる動きに逆行する動きの現れなのです。
それは、俗に言われる聖人の方々も、このような動きをしてしまった方、結構います。
ですが、それを恒常的に、当たり前かのようにしていきますと、
人は、助けて頂いて当たり前、といった価値観となっていきます。
助けすぎますと、その人が御自身で助かる因を奪う元となるのです。
それは、その方が、新たな世界を生みだせる、その元を奪っている事と同じです。
ですから、この奇跡によっては、霊人も地上人も向上し得ません。
浄化し、改心し得ない、という事も判ると思います。
むしろ悪化していく元である事も気付く必要があります。
そして、この御自身で和せるように導く、行を自ら進めていくという事は、簡単そうで、非常に難しいです。自分で自分を和していく事、が大切ですし、ヒーリングの際にも、そのように導く事が求められます。
Ⅶ.霊人と地上人との交流のみでは向上しません。改心が大切です。戒律によっても、向上しません。歓喜が大切です。
●また、霊人と地上人との交流によるのみでは向上し得ない。脅迫や、賞罰のみによっても向上し得ない。総て戒律的の何ものによっても、霊人も地上人も何等の向上も弥栄も歓喜もあり得ない。
霊人と地上人との交流のみでは向上はありません。
それができるのは、地上人側です。
地上人から、霊人を意志し理解し、理解できる所から伝えていく事で、和していく事。意識を変えていく事が大切です。
特に、合わなかった者同士、が和する事が大切です。
それは、三つの実践主義から、この三次元に生み出し続けていく事が大切なのです。
また、脅迫や、賞罰のみでも向上しません。
喜びを奪っている為です。
戒律的の何物によっても、霊人も地上人も、何らの向上も弥栄も歓喜もあり得ないのです。
Ⅷ.神様の歓喜には、強いる事はありません。
●半面、向上の如くに見ゆる面があるとも、半面に於て同様の退歩が必然的に起ってくる。それは強(シ)いるが為である。神の歓喜には、強いることなく、戒律する何ものもあり得ない。
半面、向上の如くに見える面があっても、反面に於いて同様の退歩が必然的に起こってきます。
それは、強いるが為です。
神様の歓喜は、強いることなく、戒律するもの何物もあり得ないのです。
Ⅸ.戒律あるところ必ず影が生じ、闇を生みます。
●戒律あるところ必ず影生じ、闇を生み出し、カスが残るものである。それは、大神の内流によって弥栄する世界ではなく、影の世界である。
戒律あるところ必ず影が生じます。
また、闇を生み出し、カスが残るようになっています。
それは、大神様の内流によって、弥栄する世界ではなく、影の世界なのです。
Ⅹ.中心に座す太神様のお言葉は、順を経て霊人に至り地上人に伝えられますが、霊界の文字となって伝えられます。
●中心に座す太神のお言葉は、順を経て霊人に至り、地上人に伝えられるのであるが、それはまた霊界の文字となって伝えられる。
中心に座す太神様のお言葉は、順を経て霊人に至って、地上人に伝えられますが、それは、また、霊界の
文字となって伝えられます。
ⅩⅠ.霊界の文字。直線的なものは、月の霊人が用い、曲線的な文字は太陽の霊人が用います。
●霊界の文字は、主として直線的文字と曲線的文字の二つから成る。直線的なものは、月の霊人が用い、曲線的な文字は、太陽の霊人が使用している。
霊界の文字は、主として直線的文字と曲線的文字の二つから成ります。
直線的なものは、月の霊人が用い、智の色合いが強く、
曲線的な文字は太陽の霊人が用い、愛の色合いが強くあります。
ⅩⅡ.高度の霊人となりますと、文字はありません。・と〇と+があるのみです。
●但し、高度の霊人となれば文字はない。ただ文字の元をなす・と〇と+があるのみ。
この文面は以前無かったと見てゐます。
高度の霊人となれば文字がありません。ただ、文字の元をなす、・と〇と+があるのみです。
この状況は、実は、草木達、あらゆる存在にも、共通することとなります。
ⅩⅢ.高度の霊人は、数字が多用されます。それは、数字が、多くの密意を蔵している為です。
●また高度の霊界人の文字として、殆ど数字のみが使用されている場合もある。数字は、他の文字に比して多くの密意を蔵しているからである。しかし これは不変のものではなく、地上人に近づくに従って漸次変化し、地上人の文字に似てくるのである。
また、高度の霊界人の文字としては、殆ど数字のみが使用される事もあります。
数字は、他の文字に比して、多くの密意を蔵している為です。
しかし、不変のものではなく、地上人に近づくに従って、徐々に変化し、地上人の文字に似てきます。
2.まとめ
地上界も、霊界も、無限の想念の段階があり、常に弥栄しています。
但し、善、美、真、愛。段階が進みますと、必ずしもそのようになる訳ではなく、
醜、憎、となったり、善、真と現れなくなる事もあります。
と同時に、+(真善)米(真善美愛)米(歓喜)●(大歓喜)と現われる事で、悪の存在、偽の必然性が判ってきます。
その事は、下級霊人との交流からも判ります。前世ヒーリングはその一つの手法です。
下級霊人との交流は、危険な一面はあっても、半面においては、極めて尊いものとなります。
無き地獄を作り出すのは、下級霊人と感応し合い、御自身の我によって囚われを作った為です。
それが11の囚われです。その原因は、我良し、慢心、分け隔て、が主な所です。
地獄的下級霊の現れの一つに、奇跡主義があります。
奇跡主義では、霊人も地上人も向上せず、多くの方々が囚われ、過ちを繰り返してきています。
自ら助けていく、その事によって新たな世界を生み出す。その因を奪うためです。
霊人と地上人との交流のみでは向上しません。改心が大切です。
戒律によっても、向上しません。歓喜が大切です。
このように、神様の歓喜には、強いる事はありません。
戒律あるところ必ず影が生じ、闇を生みます。
中心に座す太神様のお言葉は、順を経て霊人に至り地上人に伝えられますが、霊界の文字となって伝えられます。
霊界の文字。直線的なものは、月の霊人が用い、曲線的な文字は太陽の霊人が用います。
高度の霊人となりますと、文字はありません。・と〇と+があるのみです。
高度の霊人は、数字が多用されます。それは、数字が、多くの密意を蔵している為です。
しかし、不変のものではなく、地上人に近づくに従って、徐々に変化し、地上人の文字に似てきます。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。