日月神示(ひふみ神示)と出会って7年目でやっと判った事(~2018年11月)

日月神示(ひふみ神示)と出会って、最初の7年間は非常に苦しい人生でした。
出会っていながら、我、で進んでしまった時期です。

1.日月神示(ひふみ神示)との出会い 2011年11月

私が、日月神示(ひふみ神示)と出会ったのは2011年11月の事でした。
とある大書店のスピリチュアルコーナーで立ち読みをしていた時の事でした。

この時、その内容の膨大さ、底知れぬ愛の深さ、読んでいる内に涙が止まらなくなったのでした。
書籍を読んでいる内に涙が止まらなくなった経験は、生まれて初めての事です。

実は、日月神示(ひふみ神示)との出会いの約半年前には、3.11がありました。
以降、私のカルマ解消を進めていく上では、3.11は非常に重要な意味があったのです。

その時に試された事とは、お金との向き合い方。
続いて、本当に此の道に進む覚悟があるのかどうか。
というこの2点です。

そして、その後、決断を迫られる時が来ます。

2.手の光を受けた不思議な体験 2012年1月

日月神示(ひふみ神示)と出会って、2ヵ月程の後の事ですが、手に暖かい光が発する時期がありました。
自分でも、驚きの体験でした。感覚的には、日月神示(ひふみ神示)から、神の道について。
此の事を問われている気がしました。

実は、その当時の家業の仕事(鳥の卸売業)、お茶の栽培の話と二択を迫られていたのです。

当時、他にも複数収入があったのですが、今から思いますと、お茶の栽培の道に進む事が、神の道だったのだと後から判った話でした。

ですが、この時、その大変そうな道には進まず、この時の自身の決断は、神の道に進まず、我欲の道を選んだのです。

その後、手の光が消えたのでした。

この時以降、長く苦しみの道を進む事となります。

その決断をした理由は、家族もいましたし、事業の継続の為、また、当時、不動産賃貸業もして、借金もありましたので、お金が必要、という決断をしました。そこで、本業、副業、投資、の3つで進めていく事になります。

また、この時、マンデラ・エフェクト、の事は、全く知りませんでしたし、まだ、この当時はそれ程起こっていなかった為に、頭で考えている世界、結局は、我欲、我良しで進む以外、判らなかったといった事もありました。

3.出会ってから、3年苦しみ、5年もがき、の時期について

その後、3年間苦しみ、5年間もがく時期になります。
これは、神の道と、生活、お金、全てに関わりました。

当時は、普段の収入、不動産賃貸業以外に、投資もしていましたが、投資に限っては、何度も書き換わる、失敗するようにさせられる、不思議な体験を繰り返しました。

当初は、投資には自信を持っていたのですが、既に仲の良い霊能者さんのアドバイスを参考にしますと、痛い目に遭う事となりました。

当時は、中々気付けませんでしたが、実は、投資をするにあたって、神一厘の世界が次々起こっており、これが神学の一つである事は中々判りませんでした。

どうも、日月神示(ひふみ神示)と出会いますと、投資では、原則、成功しないようになっているのかもしれません。この間、神学と人学の戦いをずっとしていたのです。

後述しますが、その後、2021年春まで、納得、あきらめが付く所まで、投資だけはずっと継続します。

特に最初の三年間は、大きな損失が2回。また、肝腎の時に利益が出ると判っている瞬間に書き換え、妨害現象が起こった為に、苦しむ流れとなりました。その後、投資で、試行錯誤し、五年間、ずっと、継続しましたが、結局、ずっと苦しむ流れとなります。

この間は、非常に苦しい時期だったのです。

4.全てを失う出来事 2016年

2016年、年始早々、親兄弟共にしてきました会社(本業)が廃業する事となります。日月神示(ひふみ神示)と出会って五年目の事です。

実は、2015年から、とある書籍と出会い、急に鳥の命を奪って生計を立てる仕事をしたくなくなっていました。
親兄弟と共に、鳥の卸売業は順調に経営拡大できていたのですが、順調に進む程に、多くの鳥の命を犠牲にしていく現実に、とても辛く思うようになったのです。

実際、2016年、会社が廃業する時は、親兄弟それぞれ、負の部分、カルマが、一気にまとまって表面化する事となりました。順調な業績とは裏腹に、内部告発によって、一気に廃業する流れとなったのです。

最終的には、残債を親兄弟で分ける話となりましたが、ここで、納得できない話となりました。
ここまでの、負の責任を自身に背負わせられた、その思いが強くなった為です。

ですが、後年、2023年の時に、この時の問題が、解決する流れになりました。
それは想定外の出来事だったのです。(後述します)

また、この時、メインの収入が途絶える事もあり、同時に、副業の不動産賃貸業も一旦全て終える決断をします。まだ、2億近い借金があった為です。

結果的には、この副業の、不動産賃貸は半分残しておけば、成功していた、はずなのですが、もし、持っていれば、恐らくながら、どうも、第三次世界大戦の並行宇宙へと巻き込まれていた為に、私の場合は売却する必要があったようです。

結局、どのような人でも、自身が選択した世界、特に行動に応じた世界に移行するようになっているのです。
特に重要なのは、元のキの部分です。

その為に、この時、一端、借銭を無しにする決断をしていきました。

これも、神の道なのだ、とどこか確信を持っていました。

5.ずっと苦しむ期間、2017年~2018年6月頃まで

2016年、会社の残務整理をした後、不動産も売却を終え、それなりの利益も出た為に、それなりの財産を手持ちにあった所から再スタートでしたが、その後、2年以上、思った以上に上手くいかない経験が続きます。

引き続き、投資は上手くいきません。
まず、投資詐欺に遭う事となりました。早くに、見抜けていれば良かったのですが、これも、生前からの問題からしますと、被害額もまだ、大難が小難で、少額で済んだかもしれません。

また、書き換え、も相変わらず起こり、上手くいきません。

これとは別に、自己啓発系の新たな事業も始めようとしますが、やはり上手くいきません。

この2年間は、どんどんと財産をすり減らします。

これも、今から思えば、人の我基軸で進んでゐた為、という事も、今となればよく分りました。
ここまでの人生とは、生前のライフレコードそのものでもあり、生前ではどういった事をしてきたか、向き合う時期だったとも言えます。

そして、我のお金を、一旦清算する流れになってきていた、という事も後から考えるとよく分かる事でした。

6.七年経ってようやく判った最初の出来事、前世ヒーリングに出会う 2018年11月

このように、廃業後も、2年間程、行き詰っていましたが、最初に変化が起こったのが、2018年7月の事でした。
とある占い館のチラシがたまたまポストに入っており、その事がきっかけで、占い館に出向く事となったのです。

丁度、この頃、本を読んでいて、オーリング、を学んでいた時期でもありました。
そして、この後、オーリングを元に、生前からご縁深い人と、次々、出会う流れとなったのです。

その中で10人目にお会いした方が、丁度、前世ヒーリングをしていた方です。
これが、ひふみ神示に出会って、丁度七年目、の出来事だったのです。2018年11月の事でした。

前世療法そのものには、興味あったものの、退行睡眠には抵抗があった事。他にはヘミシングもした事ありましたが、退行睡眠が絡む点で相性がイマイチ合わず、その中、前世ヒーリングは、普通に起きたままで、前世さんと普通にやり取りをして、浄化が進んで行く、かなり斬新な手法でした。

此の方は、前世と会話をやり取りする方で、また、霊聴もできる方でした。

そして、前世さんとのやり取りで、前世さんの浄化が進みますと、生前から苦しかった体の部位が、楽になっていく実感が明確にありました。一度目は、背中の右肩裏の肩凝りが無くなる、そういった感じでした。(ずっと生涯当たり前にあった凝りだったので、浄化の後で、初めて気付けたのですが)

この時、前世さんとのやり取りで、前世さんの苦しみ、心が動いていけば、自身の苦しみも無くなっていく事。この体験は、自身にとって、大きなものでした。

この体験については、後にブログに記していく事になります。

詳細はこちら
前世療法体験談-ゆう斎が受けた前世療法

その後、占い館では、次々、生前ご縁が深かった占い師さんとの、前世の関係性等調べていく事となり、オーリング能力、そして、霊的能力を身に付ける事となっていきます。

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