千人力を超える体験と、続出する嬉しきビックリ(~2023年12月)

1.騙しの岩戸開きに後から気付く 2022年10月

2021年10月に続き、二度目の岩戸開きを起こしていきましたが、今となれば、まだまだ、騙しの岩戸開きである事がよく分りました。

確かに、ズーム開始より仕事量も増加しましたし、日月神示(ひふみ神示)がマンデラ・エフェクトを起こし始めましたから、気持ちが早るのも判るのですが、まだまだ騙されてゐる自身の我、が残っていた事がよく分りました。

お詑びすれば誰によらん、許してよき方に廻してやるぞ、口先ばかりでなく心からのお詑び結構いたしくれよ。ダマシタ岩戸からはダマシタ神お出でましぞ、と申してくどう知らしてあろがな、ダマシて無理に引張り出して無理するのが無理ぞと申すのぞ、無理はヤミとなるのざぞ、それでウソの世ヤミの世となって、続いてこの世の苦しみとなって来たのざぞ、こうなることは此の世の始から判ってゐての仕組、心配せずに、此の方に任せおけ任せおけ。

実は、この文面も、新たにマンデラ・エフェクトが起こったものですが、この文面が、この時の出来事を示唆していました。確かに、この通りの事でしたし、無理の道でもあり、その後、無理、ヤミ、となる展開を自ら進んでゐる・・・。そういった実感を受けたのでした。

この時重要なのは、心の底からのお詫びでした。
ここまでの、ズーム、から、岩戸開きまでの展開まで、これは、生前から繰り返してきた事。それを省みる事にありました。

ただ、この時には、初めての礼拝から、丸1年経過する事となり、一通り、全ての祝詞は上げるようになります。

2.離婚 2023年1月

この流れを引き継ぎ、2023年1月には離婚となりました。
丁度、1月12日が離婚の日で、毎日のブログ継続した日から丁度三年後の事だったのです。

これが、三年の苦しみの元であった事。も、今となれば実感できます。

家内和合出来ん様では、この道の取次とは申されんぞ、

こういった文面もありましたから、それまでは、離婚は絶対にしてはならない、と思っていたのです。
ですが、今となれば判るのですが、和合する事が大切なのであって、離婚、結婚は、そこが重要ではないのです。

そういった意味では、離婚する事で、囚われが一つ無くなるきっかけとなりました。

うごきは必要であれど、皮むくぞ。次も駄目、次も駄目、その次の次がまことの一家ぢゃ。

この点からも、この後、もう何度か、皮をむいていく必要があるようです。

ただ、離婚した事によりまして、此の道への活動に集中してできる事もあって、この点は非常に感謝しています。

その後、更に、様々な出来事が加速していく事になります。

3.初めて千人力を超えたきっかけは、礼拝から 2023年3月

この時、試してみる事から始まりましたが、日々の祝詞を女性の神様、自身、男性の神様、の三名で輪唱していく事としました。

三名で歌う事により、ひふみ三回、いろは三回を間違えにくくなる事。さらには、パートがそれぞれ役割を持つ事で、祝詞を覚えられやすくなり、また、祝詞と一体化できる一面もありました。

また、この声については、その都度、状況に応じて出てくる声が違います。
ですから、その現れにも全て意味があります。

そして、丁度この時より、一日千人分の行を、礼拝時に超えていく事となりました。
私の場合は、まず日々の礼拝の継続から、そこから千人力の型出しが始まったのです。

この当時は、半身半疑でしたが、この後、起こる出来事によって、それは確信していく事となります。

この段階で、此の道一本に絞って、丸二年が経過していました。

4.母の死の後、ビックリが続出し始める 2023年8月~12月

Ⅰ.許す、事ができるようになった、書き換え現象

2023年4月には、右肩の五十肩が始まりましたが、どうも、今となれば、母の死を予兆していた所があったようです。

右肩でしたので、男性の前世の問題でしたが、2023年8月に母が亡くなった辺りから、右の五十肩が更に酷くなったのでした。

この事を期に、再度、親兄弟、再会の時が来たのですが、何よりも驚いたのは、2016年の一家離散時の記憶が、兄弟の中で書き換わっていた事です。・・・というより、家族一同で書き換わっていたようでした。

そこまで酷い事をしていた史実が消えていたので、この時、初めて、許せない問題をどう許せるようになるのか。その一端が見える事になりました。

これが、七年かけてやっと判る、「許す」という問題です。
これが、2023年11月の事でした。本当に丁度丸七年なのです。

世には許せない問題は多々あるかと思います。戦争、殺人、・・・その他、被害者側となりますと、許せない問題はいくらでもあると思いますが、無理なく、許せるようになる方法の一つが、この過去の史実そのものを書き換えてしまうという事です。

ただ、これは、狙って浄化したから起こったというよりは、ここまで日々、毎日の行の継続から、起こった現象のようです。

他にもですが、兄弟と、無理なく、此の道の話が、少しでもできるようになっていた事も、かなりのビックリでした。思念界を変えていく行をしていきますと、同じ人が同じで無くなっていく現象があるのですが、兄弟で現れるとは思いもよりませんでした。

Ⅱ.相続財産が、次々増える不思議

その他、ビックリなのは、相続財産が、後から後から出てきた点ですとか。

母の相続財産の殆どは、株式でしたが、何か、後から後から、出て来るようになっていたのです。
ただ、母は、果たしてそんなに多く相続財産を持ってゐたのか、ここがかなり疑問でした。

どう考えても、後から書き換わったようにしか思えなかったのです。

そして、その相続財産によって、私は、無理なく、引っ越しを進めるようになっていました。

ここまでの出来事の、順、全てが、この後に向けての準備である事も今となれば全て分かりますが、神学の凄さ、ビックリ、無理なく進むのが、神の道、という事も改めて自覚させられます。

なお、余談ですが、母が亡くなった実感が1年以上経過してもあまりなく、最終的には、母親も、此の道に導こうという思いは、今でも持っています。

Ⅲ.父親の所有不動産が、想定外の高値で売れる話が出て来る

父親の所有不動産が、想定外の高値で売れる話が、2023年10月頃に出てきます。
これは、立ち退きに関するもので、事業者さんが、相場の倍近い価格で買い取る話があったのです。

ただ、この話は、延期になってしまっていますが・・・。これは、一重に、父親の我による問題で、この事に向き合う事に現在なっています。

ただ、この話が出てきた時、私に囚われの事故が一つあり、同じ日に、父親も事故があり、この話が出てきた所が、我良しに向き合う、その型出しであった事も、よく判る事となりました。ちなみに、事故では、怪我は無かったものの、結構なお金を使わさせられる事となります。

まだまだ、慢心を直す行、改心が求められる段階には違いありませんでした。

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