そなた、に関する文面16 に入ります。
今回は、補巻 月光の巻 1つの文面です。
今回は、少し短めですが、今回の文面は、今現在において非常に重要の為、という事もあります。
今回のマンデラ・エフェクト文面は、
神の御用が人の御用、人の御用が神の御用となるのが、まことの道であり、弥栄の道であり、大歓喜、である。
というものです。
此の道に進んで行きますと、神の御用をしていきますが、それが人の御用と成る事が望ましくあります。
その人の御用が、神の御用と成るのです。
これが、まことの道、弥栄の道、大歓喜、なのです。
それでは、そなたに関する文面16をお伝えしますね。
1.補巻 月光の巻第四十九帖 神の御用が人の御用、人の御用が神の御用となるのが、まことの道であり、弥栄の道であり、大歓喜です。
Ⅰ.神の御用が人の御用、人の御用が神の御用となるのが、まことの道であり、弥栄の道であり、大歓喜です。
●そなたの用意が足らんぞ。日々の人間の御用を、神の御用と和すように、神の御用が人の御用、人の御用が神の御用となるのがまことの道であり、弥栄の道であり大歓喜であるぞ。
そなたの用意が足らない、と伝えられています。
この後の文面がマンデラ・エフェクトと見ます。
日々の人間の御用を、神の御用と和すように、神の御用が人の御用、人の御用が神の御用となるのが、まことの道、弥栄の道、大歓喜、です。
ですから、神の御用と、人の御用と和していく事が求められます。
その用意が足らない、と言っていると見ます。
Ⅱ.神かかっていても、われにも他にも判らぬようになりて下さい。
●いつでも神かかれるように神かかってゐるように、神かかっていても、われにも他にも判らぬようになりて下されよ。鍬とる百性が己をわすれ、大地をわすれ、鍬をわすれてゐる境地が、まことのみたましづめであり、神かかりであるぞ。
いつでも神かかれるように、神かかってゐるように、神かかっていても、われにも他にも判らぬようになりて下されよ。と伝えられています。
鋤とる百姓が己をわすれ、大地をわすれてゐる境地が、まことのみたましづめであり、神かかり、です。
ですが、此の道に進んで行きますと、確かにこの境地になっていくようです。
思うこと、考えること、為すこと、が一段一段神の御心に近づいていきます。
それには、真剣に、日々の行の継続。また、省み、我の掃除、洗濯、改心、と共に、一段一段、進めていく事が大切です。百日、半年、一年、三年、の区切りで省みて下さい。
Ⅲ.そこらでなさる行も、それに至る一つの道ですが、それのみでは成らん、ようになっています。
●そこらでなさる行も、それに到る一つの道ではあるが、それのみではならんぞ。気つけ合ってよきに進んで下されよ。
そこらでなさる行も、それに至る一つの道ではありますが、それのみでは成らんようになっています。
単に、普段の仕事のみ、では、それのみでは中々成らんのは判ってゐると思います。
今の仕事の五人分、十人分もして、その上で神の御用をしていく事が求められているのです。
今の仕事も、神の御用も次々進めて下さい。
そして、道を七人に伝えて下さい。
気つけ合ってよきに進んで下されよ、とあります。
ですから、世界民の会、二人で進める事が大切です。
Ⅳ.そなたの力で、そなた自身の苦労で、人を助けねば成らんようになってゐます。
●そなたが歩むのぢゃ。道は自分で歩まねばならんぞ。他人におんぶしたり、他人が歩かしてくれるのではないぞ。そなたの力で、そなた自身の苦労で人を助けねばならんぞ。
そなた、が歩むのです。
道は、自分で歩まねば成らんようになっています。
他人におんぶしたり、他人があるかしてくれるのではありません。
そなたの力で、そなた自身の苦労で人を助けねばならんようになっています。
Ⅴ.人を助ければ、その人は神様が助けます。
●人を助ければその人は神が助けるのであるぞ。この道理なぜに判らんのぢゃ。
この文面は、何度も御伝えしてきました。
人を助けますと、その人は神が助けるのです。
それは、助ける人も、神が助けてくれますし、また、その助けた相手も神様が助けてくれるのです。
(ただ、その相手は必ずしも、神様の助けに応じるとは決まっていませんが。)
この道理、なぜに判らんのぢゃ、と伝えられています。
Ⅵ.人を助けずに我を助けてくれ、と申しても、それは無理です。
●人を助けずに我を助けてくれと申しても、それは無理と申すもの。神にも道はまげられんぞ。
人を助けずに、我を助けてくれ、と申しても、それは無理なのです。
神にも道は曲げられない、とあります。
ですから、人を助けずして助けて下さい。と伝えられても、こちらとしても助けるには限度があるのです。
そして、心の病についてですが、
結局、御自身の我の囚われ、われよしに応じて、御自身の我のシナリオに戻されていくのです。
御自身の事は、御自身で直す以外ありません。
真剣に御自身を直そうと思わないと、御自身が助かることもないのです。
それには、人を助けることから、御自身が助かる道が生まれるのです。
これは、神にも道は曲げられない事なのです。
忘れないでほしいのですが、
御自身の心の内は、やはり御自身で直す以外ありません。
それには、我の改心を進めていく以外ありません。
ですが、それは、一人だけで進めていく事もできません。自分だけでは気づけない我の慢心があるのです。
そして、改心にも時節、はあり、順序もあるので、段階が進まないとできない改心、というものもあります。
世界民の会、二人でしていく事は求められます。
人を助けていかない事には、我は助かる事が無い事は、忘れないで進めて下さい。
2.まとめ
日々の人間の御用を、神の御用と和すように、神の御用が人の御用、人の御用が神の御用となるのが、まことの道、弥栄の道、大歓喜、です。
ですから、神の御用と、人の御用と和していく事が求められます。
その用意が足らない、と言っていると見ます。
いつでも神かかれるように、神かかってゐるように、神かかっていても、われにも他にも判らぬようになりて下されよ。と伝えられています。
鋤とる百姓が己をわすれ、大地をわすれてゐる境地が、まことのみたましづめであり、神かかり、です。
ですが、此の道に進んで行きますと、確かにこの境地になっていくようです。
思うこと、考えること、為すこと、が一段一段神の御心に近づいていきます。
そこらでなさる行も、それに至る一つの道ですが、それのみでは成らん、ようになっています。
今の仕事の五人分、十人分もして、その上で神の御用をしていく事が求められているのです。
今の仕事も、神の御用も次々進めて下さい。
世界民の会、二人で気つけ合ってよきに進んで下さい。
そなたの力で、そなた自身の苦労で、人を助けねば成らんようになってゐます。
人を助ければ、その人は神様が助けます。
それは、助ける人も、神が助けてくれますし、また、その助けた相手も神様が助けてくれるのです。
(ただ、その相手は必ずしも、神様の助けに応じるとは決まっていませんが)
人を助けずに我を助けてくれ、と申しても、それは無理です。神にもそれは曲げられません。
御自身の心の内は、やはり御自身で直す以外ありません。
それには、我の改心を進めていく以外ありません。
ですが、それは、一人だけで進めていく事もできません。自分だけでは気づけない我の慢心があるのです。
そして、改心にも時節、はあり、順序もあるので、段階が進まないとできない改心、というものもあります。
世界民の会、二人でしていく事は求められます。
人を助けていかない事には、我は助かる事が無い事は、忘れないで進めて下さい。
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