そなた、に関する文面10 清富こそ、弥栄の道、神の道、大日月㊉大神のマコトの大道です

日月神示、道の生み出し方について

続いて、そなた、に関する文面10 に入ります。

今回は文が短めが多い為、4つ御伝えします。

その内、マンデラ・エフェクトを起こしている文面は、一番長い最後の文面です。

清富こそ、弥栄の道、神の道、大日月㊉大神のマコトの大道、というものです。

ですから、赤貧、清貧でなく、どちらかと言えば、金を拝んで下さい。と伝えられています。
金を拝めないイゴヂさは、そなたを貧しくする、というものです。

この時重要なのは、御自身においてのお金の在り方です。
喜びのお金へと変えていく事が大切です。お金のやり取り、循環でも、順序と区別が大切です。

また、同じ所に、天国、地獄、霊界、現実界、過去、未来、総て、中今にあります。
三界和合が大切です。

このようにして、三が道を進むことから、お金を喜びの存在としていく事ができますと、清富への道が始まり、清富と成るのです。

また、短い三つの文面は、マンデラ・エフェクトを起こしてゐませんが、この道を進みますと、改めて判ってくることもあります。同じ文面も同じ文面で無くなっていきます。

総て、今現在の御自身次第、それは、三界和合をしているかどうか、喜びを生み出せるかが、大きな鍵です。
それには、その日々の行の継続にあります。継続によって一段一段力は増し、終わりがありません。

それでは、御伝えしていきますね。

1.補巻 月光の巻 第十五帖 与えることは頂くと言っても、度を過ぎると、過ぎるものが生まれて御自身に返ってきます。

与えることは頂くことぢゃと申しても、度をすぎてはならん。過ぎると、過ぎるものが生れて、生んだそなたに迫って来るぞ。

与える事は頂くこと、と申しても、度をすぎては成らん、ようになっています。

度が過ぎますと、過ぎるものが生まれて、生んだそなったに迫ってくるぞ。
とあります。

度が過ぎますと、われよし、を増長させます。
神様は助けてくれるもの、という囚われの元になります。
場合によっては、生涯を狂わせたり、命を落とす事もあります。

よくあるのが、お金を貸す、あげる、といったものです。
度が過ぎますと、返って最後、命の危険性まであります。

ですから、与えることの度がすぎますと、過ぎるものが生まれて、生んだそなたに迫ってきます。

2.補巻 月光の巻 第十七帖 そなたの仕事は、神の御意志を頂かねば成就しません。判っただけでもダメで行じ、生活し、芸術しなければ成りません。

Ⅰ.そなたの仕事は、神の御意志を頂かねば成就しません。

そなたの仕事、思いつき結構であるが、神の御意志を頂かねば成就せん。神と申しても、そなたが勝手にきめた神や宗教で固めた制限された神ではないぞ。

そなた(そ、七、十)の仕事、思いつき結構ですが、神の御意志を頂かねば成就しません。
神と申しても、そなたが勝手にきめた神様や宗教で、固めた制限された神様ではないのです。

この制限を無くし続ける事が求められていくようです。

Ⅱ.分かっただけでは成就しません。行じねば成らん、生活しなければ成らん、芸術しなければ成らん、ようになっています。

判っただけでは駄目ぞ。行じねばならん。生活しなければならん。芸術しなければならん。

それは、判っただけではだめです。

神の御意志を頂いた仕事、
それを行じなくてはなりません。
生活しなければなりません。
芸術しなければなりません。

芸術は、一つ、嬉しきビックリ、千人力のことを指していると見ます。
これを神学芸術と言わずとして、と思わざるを得なくなります。

それには、行ずる所から始まります。
これらを実現していく事が求められます。

3.補巻 月光の巻 第二十二帖 産土さまによくお願いなされよ、として下さい。忘れては成りません。

Ⅰ.産土さまによくお願いなされよ、として下さい。忘れては成りません。

産土さまによくお願いなされよ。わすれてはならんぞ。宗教にこり固まって忘れる人が多いぞ。

御神示ですと、五柱十柱の神様、天の日月の大神様、地の日月の大神様、世の元の生き神様、が祈りで登場しますが、産土様も大切な神様です。

産土様は、世の元から生み出す生き神様も兼ねているところもあるでしょう。

産土様、は、あまり宗教的には登場しませんが、此の道では、重要な神様ですので、新たな世界を生み出す神様ですので、是非祈って下さい。

よく(四九)お願いなされよ(七三〇四)としてください、しきまきや、くにつつみより、もう一段上の無、三が道より新たな世を生み出してください。

Ⅱ.他の神を拝してならんと云ふ、そなたの信仰、早う卒業結構です。

他の神を拝してはならんと云う、そなたの信仰はそれだけのもの、早う卒業結構。

他の神様を拝してはならん、というそなたの信仰はそれだけのもの、とあります。
この境地は、早う卒業結構です。

神様は、無限に拡がりますし、無限に存在します。

4.補巻 月光の巻 第二十三帖 清富こそ、弥栄の道、神の道、大日月㊉大神のマコトの大道です。

Ⅰ.他の宗教に走ってはならんという宗教もそれだけのものです。

他の宗教に走ってはならんと云う宗教もそれだけのもの。判らんと申してもあまりであるぞ。

他の宗教に走っては成らんと云ふ宗教もそれだけのもの、なのです。

無限に生み出していくのが、此の道ですから、どのような宗教も、新たな世界を生み出せる元がありますし、何より、普段の生活が道である事、無限に生み出す宗教、芸術、である事を忘れてはなりません。弥栄実践、祓実践、まつり実践、していく事を示唆しているかが大きな違いです。

Ⅱ.同じ所に、天国、地獄、霊界、現実界、過去、未来、総て、中今にあります。

同じ所に天国もあり、地獄もあり、霊界もあり、現実界もあり、過去も未来も中今にあるのぞ。

この文面は、初めてではないか、と見ます。

この事を詳細に伝えますと、同じ所に、天国もあり、地獄もあり、霊界もあり、現実界もあり、過去も未来も中今にあるのです。

今現在の時空は、これら総てが含まれているのです。
天国とは、新たな世界を生み出す元、地獄とは、留まる、前の段階に戻される元。

それは、霊界でもあり、現実界でもある事。

そこには、過去も存在していますし、未来も存在しているのです。

中今、と云ふ解釈は、多くの方々には、今だけの世界に囚われている感覚があります。
未来、過去、全て和して新たな世界を生み出したものが、喜びの今、弥栄の今です。

同じく、天国、地獄と和し、霊界と、現実界を和していく事で、弥栄の今となるのです。

同じ今でも、今の世界は、その方の、この事の、理解、体験に応じて、如何様にでも変わるが実際の所です。

三界和合が、喜びの中今の元です。

Ⅲ.同じ部屋に他の神や仏をまつってはならん、と申す一方的宗教は、一方的世界に囚われた宗教の方が集まります。

同じ部屋に他の神や仏をまつってはならんと申す一方的なメクラ宗教にはメクラが集まるのぢゃ。

同じ部屋に他の神や仏をまつてはならん、と申す一方的なメクラ宗教には、メクラが集まります。
これは、大多数の宗教でよくある話です。

ちなみに、私は神棚に、御位牌を置いています。霊宮様も、神様の一つでもある為です。
御神示にはそのような感じで書いてますし、御神示通りにしますとこのようになっていくと思っています。

Ⅳ.出だしの嬉しきビックリのみをおかげと思っては成らんのです。大きい心、深い愛と真の世界を拝んで下さい。

病気が治ったり運がひらけたり、奇跡が起ったりするのみをおかげと思ってはならん。もちと大き心、深い愛と真の世界を拝めよ。とけ入れよ。浄化が第一。

病気が治ったり運がひらけたり、奇跡が起こったりするのみをおかげと思っては成らん。
とあります。

此の道一本に絞っての行を継続していきますと、確かにこのような事は最初の1年半まででそれなりに起こるでしょう。前世ヒーリングも判りやすいと思います。即座に起こる事も普通です。

ですが、それだけをおかげ、と思っては成らんようになっています。

奇跡を起こした後の話ですが、その後、その方が改心に進むケースは極めて稀で、かえって囚われになる可能性が高いです。おかげ信心、となりかねないのです。

もちと大きな心、深い愛と真の世界を拝んで下さい。

それには、とけ入り、浄化が第一です。

Ⅴ.金を拝む際には、区別と順序に注意してください。

金が好きなら金を拝んでもよいのぢゃ。区別と順序さへ心得て居れば何様を拝んでもよいぞ。

金が好きでしたら、金を拝んでもよいのです。
区別と順序さへ心得てゐれば、何様を拝んでもよいのです。

金を拝むのであれば、皆を生かす、和す元となる存在としていく事が大切です。

これまでは、われよし、方便の世では、お金を汚く映っていた方、多かったと思います。
それは、人の我の、われよし、が、そのままお金に反映されていた為です。

お金を拝む場合、気を付けるのは、そのお金に介在するエネルギーの在り方であり、皆を生かす、三が道、しきまきや、くにつつみ、が介在していけばよいのです。

すると、無限に弥栄の流れの存在と変わります。

この順を心得ていれば、お金も喜びの流れで入ってきます。

ただ、世の多くは、この順でなく、大抵、囚われエネルギーが基軸。
更に、その奥にあるのが、我よし、慢心、分け隔てエネルギーですから、このお金は、持てば持つほど、苦しくなる流れになっていくのです。より囚われたり、恐れの感情に成る事が多いです。

Ⅵ.金を拝(七二、我)めば、金が流れてきます。金を拝み得ぬイコヂさが、そなたを乏しくします。

金を拝めば金が流れてくるぞ。金を拝み得ぬイコヂさが そなたを乏しくしたのぢゃ。

このようにして金を拝めば金が流れてきます。

金を拝み得ぬイコヂさは、先述した通りです。汚れたお金を実際目にしているから、そう思うのも当然の所もありますが、そのお金を聖化できる、喜びの存在に変える事ができる、という事を忘れてゐる事が、そなたを乏しくした原因となってしまったのです。

ですから、おが(七二、我)めば、もう一段上の無を二二の仕組み、次々生み出せる我とすれば、喜びのお金が流れてきます。

その為には、まず、御自身が、喜びを生み出せる行をしていく事が求められます。

Ⅶ.清富こそ、弥栄の道、神の道、大日月㊉大神のマコトの大道です。

赤貧は自慢にならん。無神論も自慢にならん。清貧はまけおしみ、清富になれよと申してあろうが。清富こそ弥栄の道、神の道、大日月㊉大神のマコトの大道ぞ。

赤貧は自慢に成らん、のです。
お金の弥栄させていく方法を忘れてゐる為、また、その行に移していない為です。

無神論も自慢に成りません。われよし、である御自身に気づけてゐない為です。

清貧はまけおしみ、清富になれよ、と伝えられています。

清富こそ弥栄の道、神の道、大日月㊉大神のマコトの大道です。

最後の、大日月㊉大神のマコトの大道、は、マンデラ・エフェクト、と見ます。

5.まとめ

与えることは頂くと言っても、度を過ぎると、過ぎるものが生まれて御自身に返ってきます。
度が過ぎますと、われよし、を増長させます。
神様は助けてくれるもの、という囚われの元になります。

そなたの仕事は、思いつき結構ですが、神の御意志を頂かねば成就しません。
分かっただけでは成就しません。行じねば成らん、生活しなければ成らん、芸術しなければ成らん、ようになっています。

芸術は、一つ、嬉しきビックリ、千人力のことを指していると見ます。
総て、行ずる所から始まります。

産土さまによく(四九)お願いなされよ(七三〇四)、として下さい。忘れては成りません。
他の神を拝してならんと云ふ、そなたの信仰、早う卒業結構です。

神様は、無限に拡がりますし、無限に存在します。

他の宗教に走ってはならんという宗教もそれだけのものです。如何なる宗教も、新たに生み出す方法があります。の道は、弥栄実践、祓実践、まつり実践、実践していく事を示唆している事、多くの宗教と大きな違いです。

同じ所に、天国、地獄、霊界、現実界、過去、未来、総て、中今にあります。
三界和合が、喜びの中今の元です。

同じ部屋に他の神や仏をまつってはならん、と申す一方的宗教は、一方的世界に囚われた宗教の方が集まります。

出だしの嬉しきビックリのみをおかげと思っては成らんのです。大きい心、深い愛と真の世界を拝んで下さい。

金を拝む際には、区別と順序に注意してください。皆を生かす、三が道、しきまきや、くにつつみ、が介在していけばよいのです。

金を拝(七二、我)めば、金が流れてきます。金を拝み得ぬイコヂさが、そなたを乏しくします。
まず、御自身が、喜びを生み出せる行をしていく事が求められます。

赤貧は自慢に成らん、のです。
お金の弥栄させていく方法を忘れてゐる為、また、その行に移していない為です。

無神論も自慢に成りません。われよし、である御自身に気づけてゐない為です。

清富こそ、弥栄の道、神の道、大日月㊉大神のマコトの大道です。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

<<前に戻る
>>次に進む
カテゴリートップへ戻る
トップに戻る