神の御用、に関しても、マンデラ・エフェクト文面が登場してきています。
そもそも、私も、どこからが仕事で、どこからが神の行、とよく判らない事がありましたが、
一つは有料、もう一つは無料、はありますが、それ以外の解釈もあるかもしれません。
ですが、どうも、最終的には、神の御用、人の御用、と和す流れとなっていくようです。
ですから、どのような仕事であっても、あらゆる存在と和す流れになっていく事が求められます。
今回は、神の御用に関する文面でも、和す流れになっていく内容のものを御伝えしていきたい、と思います。
1.神の御用の文面 その2 和す流れのものについて
Ⅰ.神の御用が人の御用、人の御用が神の御用となるのがまことの道であり、弥栄の道であり大歓喜です
●そなたの用意が足らんぞ。日々の人間の御用を、神の御用と和すように、神の御用が人の御用、人の御用が神の御用となるのがまことの道であり、弥栄の道であり大歓喜であるぞ。いつでも神かかれるように神かかってゐるように、神かかっていても、われにも他にも判らぬようになりて下されよ。
そなたの用意が足らない、とあります。
日々の人間の御用を、神の御用と和すように進めていく事が求められます。
神の御用が人の御用、人の御用が神の御用になるのが、まことの道であり、弥栄の道であり、大歓喜です。
このように、神の御用、人の御用が、和するようになる事が求められます。
いつでも神かかれるように、神かかってゐるように、神かかっていても、われにも、他にも判らぬようになりて下されよ。とありますが、この境地になってきていれば、順調です。
此の道に進んできますと、確かに、掴める神様と共に進めている実感はあるのですが、われにも、その未来は具体的には判らないですし、他にもそれが判らないようになってきます。
そして、嬉しきビックリが起こる事になります。
自身が描いていたシナリオの二段階位上の事が起こる事は、珍しくありません。
Ⅱ.因縁(一ん根ん)のある臣民でないと御用できません
●いくら金積んで神の御用さして呉れいと申しても、因縁のある臣民でないと御用出来んぞ。御用する人は、何んなに苦しくても心は勇むぞ。この神は小さい病直しや按摩の真似させんぞ、大き病を直すのぞ。神が開くから、人の考へで人を引張って呉れるなよ。
いくらお金積んで神の御用さしてくれい、と申されても、因縁(一ん根ん)(一一、ん、三七、ん)のある臣民でないと御用できません。
確かに因縁ある臣民でないとできない部分もあるかもしれませんが、何より、因縁(一ん根ん)(一一、ん、三七、ん)、があるかどうかです。
根から生み出す、永劫の過去から生み出す、元から生み出す、三が道を生み出す、もう一段上の無(七)を生み出す、それをしようと、思える臣民でないと御用できないのです。それが無ければ、いくら、お金を積んでも御用はできません。
ですから、御用(五四ウ)する人は、どんなに苦しくても心は勇みます。
しきまきや、から生み出して行く事で、周囲に次々、弥栄が実現していく為です。
此(九)の神様は、小さい病直しやあんまの真似はさせません。
一過性の病治し、は今でも、まだまだ世の主流に思いますが、心の元からの大きい病を直すのです。
それは、生前から囚われて来た御自身の我、11の囚われ。突き詰めますと、6つの慢心になります。
我良し、慢心、分け隔て、が筆頭で、取違ひ、疑い、の我。を直していくのです。
ですが、これが、簡単ではありません。
人の力によって、人の我を直して行くのは、限界があると見てゐます。
そこで、神が開きますので、人の考へで人で引っ張らないようにして下さい。
此の神様に任せ切れるようになり、着実に御自身の行を進めて下さい。
Ⅲ.神の御用と申して、自分の仕事をなまけてはなりません
●今から心配せずに神の御用なされよ、神の御用と申して自分の仕事をなまけてはならんぞ。
最近、切に思うのですが、人から、だけでは間に合わない、とどうしても思ってしまいます。
それは、2024年辺りから強く思うようになってきたのです。
これだけ、伝えても、遠回り、脇道なら、まだいいのですが、その大半は、後戻り、だからです。
そして、どう考えても、殆どの方々は、最終的には81の世界にしか行けないようにしか思えないのです。
まことの者は、此の道に進み出会う方には、三分、30%程居ると思っていましたが、実際には、2%です。
今から思えば、私も、まだまだ慢心していたと思います。
後戻りに関する詳細は、次回、御伝えしていきますが、今できる事から、心配せずに、神様の御用をなされよ(七三〇四)として下さい。
神様の御用と申して、行を進めるのはいいのですが、今現在の自分の仕事をなまけてはならないようになっています。
Ⅳ.御神示よめば、縁ある人集まってきて、神の御用するもの出来てきます
●世が唸るぞ。神示よめば縁ある人集まって来て、神の御用するもの出来て来る事わからんか。
四がうなり(有成り)ます。
神示よめば、縁ある人集まってきて、神の御用するもの出来て来る事となります。
確かに一段一段進んでくるようになります。
また、神の御用するものは、必ずしも、人だけでもなく、文明で現れたり(例えばAI)もあります。
神様の御用する人も勿論現れますが、他の存在、動物、物、草木、キン、も含むと見てゐます。
その際に、縁ある人が集まる、という流れになってきます。
Ⅴ.神の御用すれば、道に従へば、我身我家は心配なくなります
●此の世始まってない時ざから我身我家が可愛い様では神の御用つとまらんぞ。神の御用すれば、道に従へば、我身我家は心配なくなると云ふ道理判らんか。
我身我家が可愛い様では神の御用はつとまらん、とあります。
最初は他人の為として家族の為、も良いのですが、その家族を守ろうとするのであれば、
此の世、三千世界、全てを救う事が、間違いの無い道、という事も判ってきます。
そして、81の世界実現してしまっては、家族が助からない事も、慢心していなければ、判って来ると思います。
神の御用しますと、道に従へば、それこそ、我身我家は心配なくなります。
それは、道理(土ウ理)、から、五三体の大神様を日々生み出すからです。
ですが、多くの場合は、人の囚われ基軸の、我良し、となってしまっており、我身我家の為、と囚われますと、神の御用から外れ、81の世界に進んでしまう事になってくるのです。
中々、人の我ではこの事には気付けませんので、だからこそ、神様の申す通り、素直に行を進めていく事が求められます。
Ⅵ.見苦しき者には、これからは御用致させん事になります。故に、81の世界に進みます
●神の御用が人の御用ぞ、人の御用が神の御用であるなれど、今の臣民 神の御用するのと人の御用するのと二つに分けてゐるが、見苦しき者にはこれからは御用致させん事にきまりたから気付けておくぞ、何事も順正しくやりて下されよ、神は順であるぞ、順乱れた所には神の能(はたらき)現はれんぞ。何もせんでゐて、よき事許り待ちてゐると物事後戻りになるぞ、神の道には後戻りないと申してあろがな、心得なされよ、一(ハジメ)の火 消へてゐるでないか、まだ判らんか、都会へ都会へと人間の作った火に集まる蛾(が)の様な心では今度の御用出来はせんぞ、表面(うわつら)飾りてまことのない教への所へは人集まるなれど、誠の道伝へる所へは臣民なかなか集まらんぞ、見て御座れよ、幾ら人少なくても見事なこと致して御目にかけるぞ、縁ある者は一時に神が引寄せると申してあろがな、人間心で心配致して呉れるなよ。
神の御用が人の御用、人の御用が神の御用となるのですが、神の御用するのと人の御用するのと、二つに分けてゐるのですが、見苦しき者にはこれから御用致させん事にきまりたので、気付けて下さい。
11の囚われ、6つの慢心基軸ですと、御用そのものを致させんようになっていくのです。
御用しても、次の展開もありません。行き詰っているのであれば、省みる、事が求められます。
何事も、順正しくやりて下されよ。と伝えられています。
神は順ですので、順乱れた所には神のはたらき現れませんので、一段一段、順を正して、できるところより行を進めて下さい。
特に話しても伝わらない方は後廻しです。人の我とはそう簡単に変わらないのです。
大切な人でも、伝わらない場合、伝わる時になってから伝えて下さい。
それまでは、伝わる方から、順に伝えて下さい。
また、何もせんでゐて、よき事ばかり待ちていますと、物事後戻りになります。
神の道には、後戻りありません。ですが、後戻りの方、やはり多いです。
それ程、囚われを選択する方は多いですし、6つの慢心も強固なものなのです。
一(ハジメ)の火(一一)消へてゐます。
永劫の過去から生み出し続けよう、としているキが忘れられています。
都会、都会へと人間の作った火に集まる蛾の様な心では今度の御用できません。
ですから、都会に居る方は、地方に引っ越す意識を持つのもよいですし、人が沢山集まる所には、行かない事も大切です。行かないといけない事もありますが、確かに、人が沢山集まる所には、まことの者いません。
ここまで、例外はありませんでした。
それよりは、御神示の申す通り、素直の行を進めていく事が求められます。
表面(うわつら)飾って、まことない教の所へは人集まります。
それは、別に宗教に留まらず、スピリチュアル、占い、学校教育、社会、経済、政治、全てに言えます。
集まる程に、人の我、基軸です。そして、合わさざるを得ないのです。
ですが、まことの道、伝へる所へは臣民なかなか集まりません。
三千世界和合基軸の所は、人は集まりません。
弥栄実践、祓実践、まつり実践の所には、人は集まりません。
ただ、この文面からも思いますが、臣民は集まらない、とありますので、
人間以外の他の存在は集まってくる可能性はあります。無農薬野菜や、もの、ですね。
今現在、結構にこの境地の所はあります。
此の事で、千人力が実現していく所があります。
幾ら人少なくても、見事なこと致して御目にかける、と御伝えされています。
五十九人の仕組み。です。
ですから、最初の三人、七人、が大切です。
最初の七人、に道を伝えていく事。できる所より進めて下さい。
縁ある者は一時に神様が引寄せます。
人間心で心配しないようにして下さい。
Ⅶ.何と申しても、神程たよりになるものはありません
●一つでも半分でも神の御用つとめたらつとめ徳ざぞ、何と申しても神程たよりになるものはないと判らんのか、おかげ取り徳。
一つでも半分でも神様の御用つとめたらつとめ徳です。
また、この文面そのものがまたマンデラ・エフェクトのようです。
段階が進む程に判っていますが、何と申しても、神様程たよりになるものはないことが判ってきます。
それは、此の道を進む程に嬉しきビックリが実現していく為です。
此の神様と共に起こしてゐる事も判ってくるからです。
この事は、いくら予言能力の高い方でも、霊媒力の高い霊媒者でも、此の道に進んでゐなければ判りません。
それは、此の道進んでゐる者にも判りませんし、周囲の方も判らない事はここまで御伝えしてきた通りです。
判るには、千人力の体験をしないと判らないようになっています。
また、御神示の出来事を実現していく事で判ってきます。
ですから、まずは、此の道一本に絞り、神の御用を進めて下さい。
おかげ取り徳です。
できる所から、一つでも半分でも、神様の御用をつとめてください。
2.神の御用とは
このように、神の御用とは、御用(五四ウ)というだけで、具体的には記されている訳ではありません。
ですが、かずたまの理解で言えば、四から生み出しますので、しきまきや、が伴う、という事が一つあります。
もう一つは、無料の行の可能性が高いです。
仕事をした上で、其の上で、神の御用、だからです。
これらを満たし、思念界を変える行、をしていけば良いのです。
弥栄実践、祓実践、まつり実践、全て含んでいる状態です。
私の事例で言えば、思念界を伝えていく行は、前世ヒーリングですね。こちらは、有料の行の一つです。
ですが、それだけでなく、草木、無農薬野菜とのやり取りは、無料の行です。
また、セッションの中でも、直接此の道に進む為のやり取りは、無料でしています。
それでいて、思念界を変えるように心がけています。
神の御用とは、このように、神の御心に沿い、弥栄実践、祓実践、まつり実践、をしていく行です。
前世ヒーリングは一例ですが、あなはち、しきまきや、くにつつみ。全てを満たす行というのも、他には中々なく、今の所、前世ヒーリングが最善の道、と思っています。
また、前世ヒーリングに限らずですが、神の御用は、段階を追って、一段一段、次元が上がっているか、という事も重要な所です。
そして、最終的には、あらゆる御用、が神の御用となっていき、人の御用が神の御用、神の御用が人の御用となっていきます。
3.まとめ
神の御用が人の御用、人の御用が神の御用となるのがまことの道であり、弥栄の道であり大歓喜です。
それは、神かかっていても、われにも、他にも判らぬようになっています。
神の御用は、因縁(一ん根ん)のある臣民でないと御用できません。
根から生み出す、永劫の過去から生み出す、元から生み出す、三が道を生み出す、もう一段上の無(七)を生み出す、それをしようと、思える臣民でないと御用できないのです。それが無ければ、いくら、お金を積んでも御用はできません。
神の御用と申して、自分の仕事をなまけてはならないようになっています。
御神示よめば、縁ある人集まってきて、神の御用するもの出来てきます。
それは人だけでなく、文明、物、動物、草木、キン、様々あります。
神の御用すれば、道に従へば、我身我家は心配なくなります。
見苦しき者には、これからは御用致させん事になります。故に、81の世界に進みます。
順乱れた所には神の能(はたらき)現はれんようになっています。
また、何もせんでゐて、よき事許り待ちてゐると物事後戻りになります。
何と申しても、神程たよりになるものはありません。
これは、此の道に進み、嬉しきビックリを体験していくと判るようになっています。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。