なく(七九)に関する文面⑥ 愈々、九【左渦】三(くるぞ)、となり、神のみこと知らします

日月神示、道の生み出し方について

今回のマンデラ・エフェクト文面は、(が当たり前になりつつあるので、面白いですが)、
愈々くるぞ。のくるぞ、が九【左渦】三、と変わっていました。

九の行、三が道、をウズのように、螺旋状に起こして下さい。とあります。

今回は、カゼの巻、長文の為、1つの文面のみになります。

苦から楽を生み出す事。
旅の苦を楽しんで欲しい事。

食べる時には、食べ、寝る時には寝るのが、神の道である事。

神の道は無理ない道で、我儘は、無理ではなく、逆行く事が無理と御伝えされています。

今現在、この境地を丁度歩んでいる事もありますが、段階が進みますと、この通りになりますし、実際、この境地に進まれている方もいると思います。

それでは、今回は、愈々、九【左渦】三(くるぞ)、に関する文面を御伝えします。

1.カゼの巻  第一帖 愈々、九【左渦】三(くるぞ)、となり、神のみこと知らすこととなります。

Ⅰ.愈々、九【左渦】三(くるぞ)、となり、神のみこと知らすこととなります。

用意なされよ。いよいよざぞ、愈々九(左渦)三(くるぞ)。神のみこと知らすぞ。知らすぞ、眼覚めたら起き上がるのざぞ。起きたらその日の命頂いたのざぞ。感謝せよ、大親に感謝、親に感謝せよ、感謝すればその日の仕事与へられるぞ。

用意(四ウ意)なされよ(七三〇四)とあります。

用意とは、しきまきや、から、生み出して行く事です。
それを、もう一段上の無から三が道、しきまきや、と共に進んで下さい。
という事ですね。

愈々来るぞ。とあります。
九の行、渦と共に、三が道で進みます。

くるぞ。の、「る」は、「左渦」で、ここでは表記できませんが、
くるぞ、九【左渦】三、と書くのは初めてと見ます。

神のみこと(三九十)(命)知らすことになります。
それは、行を進めて行くと現れます。

実際、私の周囲にも現れましたし、実際、三九十、知らされる事となります。
まことの者もあれば、人以外の存在もあります。それが、三が道から、九十(コト)が現れるのです。

ここまでが、マンデラ・エフェクト文面と見ます。

目覚めたら起き上がりて下さい。
起き上がれましたら、その日の命頂けるのです。

感謝して下さい。大親に感謝、親に感謝です。
感謝しましたら、その日の仕事与えられます。

Ⅱ.仕事を嘉事(よこと)(四九十)としますと、持ちきれぬ程の仕事与へらます

仕事とは嘉事(よこと)であるぞ、持ち切れぬ程の仕事与へられるぞ。仕事は命ざぞ。仕事喜んで仕へ奉れ。我出すと曇り出るぞ。曇ると仕事わからなくなるぞ。

仕事とは、嘉事(よこと)(四九十)です。持ち切れぬ程の仕事与へられます。
実際、此の道に進みますと、そのようになっていきます。

仕事(四九十)は命、です。

仕事、喜んで仕へ奉りて下さい。
我出しますと、曇りが出ます。

曇ると仕事判らなくなります。
曇りますと、行き詰り、となっていきます。

Ⅲ.腹減りましたら食べて下さい。一日一食、一日二食と進めて下さい。

腹へったらおせよ。二分は大親に臣民腹八分でよいぞ。人民食べるだけは与へてあるぞ。貪(むさぶ)るから足らなくなるのざぞ。減らんのに食べるでないぞ。食(おせ)よ。おせよ。一日一度からやり直せよ。ほんのしばらくでよいぞ。

腹へりましたら、食べて下さい。
まず、二分は大親に臣民腹八分で、始めて下さい。

人民食べるだけは与へてあります。
貪(むさぶ)ると、足らなくなります。
ですから、足らない、と思っているのであれば、御自身の我、が貪っている一面がある、という事です。
これを直すのは、結構大変なケースもありそうです。

また、腹減らんのに食べないようにして下さい。

食(おせ)よ。おせよ。一日一度からやり直せよ、とあります。
一日一度の食事です。

ほんのしばらく、でよいです。

私の場合、以前、一日一食の時期があった時、このまま不食に進むかと思いましたが、二食、に戻りました。
そして、三食に戻ってしまう日もありました。これは、繋がる世界にもよるでしょう。

ですが、一日一食にする事で判って来る事もあります。
如何に、囚われている自身であった事も判りますし、まだ、不純物を如何に普段接種しているかも分って来ます。

二食を目標に進めて下さい。
実際、御神示では、飲まず喰わずの行は、無くなりましたので、このように、一日二食でも、問題無く進む可能性がありそうです。

Ⅳ.神の道 無理はありません。水流れるように、楽し楽しで暮らせます。

神の道 無理ないと申してあろが。水流れる様に楽し楽しで暮せるのざぞ、どんな時どんな所でも楽に暮せるのざぞ。穴埋めるでないぞ、穴要るのざぞ。

神の道、無理ありません。

水流れる様に楽し楽しで暮せるようになります。
どんな時、どんな所でも楽に暮せるようになっています。

これは、体験していきますと、分かりますね。
そう言えば、嬉し嬉し、楽し楽しという文面も増えてきているように思えます。

嬉し嬉しは以前ありましたが、楽し楽しは、以前あったかな、と思われます。

ですが、今現在、その境地、楽し楽しで進んでゐる人もいるのでは、とも思います。

穴(一一、七)埋めないようにして下さい。
穴(一一、七)要るのです。

永劫の過去からもう一段上の無を生み出す為に、穴(あな)が存在しています。

Ⅴ.苦と楽 共にみてください。苦の動くのが楽になります。

苦しいという声 此の方嫌ひざ。苦と楽 共にみてよ、苦の動くのが楽ざぞ。生れ赤児みよ。

苦しいという声、此の方嫌ひとあります。
苦(九)と楽(〇九)、共に見て下さい。

苦の動くのが楽です。
苦を苦で無くしていく事をどんどん起こして下さい。
思念界から起こす事も大切です。

そして、生まれ赤子見て下さい。

Ⅵ.大きくなりましたら、旅にも出します。旅の苦 楽しんで下さい。

子見よ、神は親であるから人民守ってゐるのざぞ。大きなれば旅にも出すぞ、旅の苦 楽しめよ、楽しいものざぞ。

子見て下さい。
神様は親であるから人民守って頂けてゐます。

大きくなりましたら、旅にも出して頂けるのです。
その旅は楽しいです。(笑)

面白い事、楽しい事次々起こります。

ですから旅の苦楽しんで下さい。
楽しいもの、というのは、此の道に進んで行きますと、分かってきます。

Ⅶ.眠くなったら眠ってください。それが神の道です。

眠くなったら眠れよ、それが神の道ぞ。神のこときく道ざぞ。

眠くなりましたら、眠ってください。それが神様の道です。

此の道に進みますと、睡魔が襲う事は珍しくありません。
時空間移行をし始める為、それに身体が順応していく為です。

神のこときく道です。

Ⅷ.無理することは曲がる事です。我儘が無理ではなく、逆行くことが無理です。

無理することは曲ることざぞ。無理と申して我儘無理ではないぞ、逆行くこと無理と申すのざ。無理することは曲ることざ、曲っては神のミコト聞こへんぞ。素直になれ。

無理するのは、曲がることです。

無理と申して、わがまま無理ではありません。
逆行くことが無理、なのです。

無理することは曲がる事になります。
ですが、我、で進む間は、逆行く事が殆どです。

曲がってしまっては神のミコト聞えないのです。
ですから、素直になってください。

2.まとめ

愈々、九【左渦】三(くるぞ)、となり、神のみこと知らすこととなります。
まことの者もあれば、人以外の存在もあります。それが、三が道から、九十(コト)が現れるのです。

仕事を嘉事(よこと)(四九十)としますと、持ちきれぬ程の仕事与へらます。

腹減りましたら食べて下さい。
一日一食、一日二食と進めて下さい。

神の道 無理はありません。水流れるように、楽し楽しで暮らせます。

苦と楽 共にみてください。苦の動くのが楽になります。

大きくなりましたら、旅にも出します。旅の苦 楽しんで下さい。
面白い事、楽しい事次々起こります。

眠くなったら眠ってください。それが神の道です。

無理することは曲がる事です。我儘が無理ではなく、逆行くことが無理です。
ですが、我、で進む間は、逆行く事が殆どです。

曲がってしまっては神のミコト聞えないのです。
ですから、素直になってください。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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