引き続き、そなた、に関する文面21に入ります。
今回も、補巻 月光の巻の文面1つになります。
今回のマンデラ・エフェクト文面は、1つ目は、
長くかかってもよいから、根の音(ね)からの改心結構ぞ。
というものです。
これは、ねのね、元の元とも取れますし、御自身の中のウシトラコンジンさんの改心まで求められる所があります。
2つ目は、
手、足、頭、あらゆる御役割、存在、上下貴賤ないこと、そなたには判ってゐるはずなのに、早う得心してください。
というものです。
あらゆる御役割、存在、上下貴賤ないことの、得心、の段階に入って来てゐます。
3つ目は、
一方と申しても、霊界の一方と現界に一方とは、一方が違います。
というものです。
霊界の一方とは、思念の弥栄です。
現界の一方とは、三次元の弥栄です。
双方、和して、霊肉共の境地、三界和合、が求められます。
それでは、そなたに関する文面21をお伝えしますね。
1.補巻 月光の巻 第五十五帖 前編 あらゆる御役割、存在、上下貴賤ないこと早う得心してください。
Ⅰ.肚がたつのは慢心からです。改心がまだまだ進んでいません。
●そなたはよく肚をたてるが、肚がたつのは慢心からであるぞ。よく心得なされよ。
そなたはよく肚をたてるが、肚がたつのは慢心から、です。
肚がたつのは慢心からですが、これはどのような方も結構にあります。
肚がたつのは、我の改心が進んでいない裏返しです。
改心が進んでいない最初程、肚立つ事が多いでしょう。
よく(四九)心得なされよ(七三〇四)として下さい。
しきまきや、くにつつみ、三が道、もう一段上の無、と次々生み出していく事が求められます。
Ⅱ.怒りにも清い怒り、澄んだ怒りあります。それは、下肚からこみあげてくる怒りです。
●下肚からこみあげてくる怒りは大きな怒りであるから、怒ってよいのであるなれど、怒りの現わし方を出来るだけ小さく、出来るだけ清く、出来るだけ短かくして下されよ。怒りに清い怒りはないと、そなたは思案して御座るなれど、怒りにも清い怒り、澄んだ怒りあるぞ。三月三日。
下肚からこみあげてくる怒りは大きな怒りであるから、怒ってよい、とあります。
その場合、怒りの現わし方を出来るだけ小さく、出来るだけ清く、出来るだけ短くして下されよ(九、裏十、三、〇、四)とあります。
怒りに清い怒りはないと、そなたは思案して御座るなれど、怒りにも清い怒り、澄んだ怒り、あります。
ただ、下肚からこみあげてくる怒りは滅多にありません。
私は生涯でまだ、一度、二度位です。
殆どが、頭に来る怒りです。これは、我から来ています。
改心が必要な怒りです。
ここだけ三月三日が入るのが、何故だかちょっとよく判りませんが、それだけ、三月三日は、重要な日である事をお伝えされています。
Ⅲ.御自身の役に不足申すくせ、早う直して下さい。根のね、からの改心結構です。
●そなたはいつも自分の役に不足申すくせがあるぞ。そのくせ直して下されよ。長くかかってもよいから、根の音(ね)からの改心結構ぞ。
そなたはいつも自分の役に不足申すくせ、があります。
そのくせを直して下されよ、とあります。
この後の文面は初めて見るものがあります。
長くかかってもよいですから、根の音(ね)からの改心結構ぞ、とあります。
ねのね、音(ね)だけでなく、根もあるでしょう。ウシトラコンジン様のイワト開きが根でもあります。
元の元からの改心して下さい、とも取れます。
ねのね、からの改心は、相当長くかかるようです。
Ⅳ.手、足、頭、それぞれの御役貴賤ないこと、早う得心してくれよ(九〇四)として下さい。
●手は手の役、足は足、頭は頭の役、それぞれに結構ぞ。上下貴賎ないこと、そなたには判ってゐる筈なのに、早う得心して下されよ。
手は手の役、足は足、頭は頭の役、それぞれに結構です。
上下貴賤ないこと、そなたには判ってゐるはずなのに、早う得心してください。
とあります。
確かこの文面、後半が早う得心して下されよ、では無かったと見ます。
最近、得心、の文言が目立ってきています。
あらゆる御役割、存在、貴賤ないことを早う得心をして下さい。
Ⅴ.そなたはこの神ときわめて深い縁があります。今度の御用は、真理(ふじ)に苦(九)の花(八七)咲かすことです。
●そなたはこの神ときわめて深い縁があるのぢゃ。縁あればこそ引きよせて苦労さしてゐるのぢゃ。今度の御用は苦の花咲かすことぢゃ。真理に苦の花さくのであるぞ。
そなたは、この神様ときわめて深い縁があるのです。
縁あればこそ、引きよせて、苦労さしてゐるのです。
今度の御用は、苦(九)の花(八七)、咲(三)かすこと(九十)にあります。
真理(ふじ)に苦の花さくのです。
くにつつみから、もう一段上の無から、神様を、三が道から生み出して下さい。
Ⅵ.因縁のそなたは、一聞いたなら十が判ります。云われん先に判って下さい。今度の御用は千人力、十人並では間に合わん、ことになります。
●因縁のそなたぢゃ、一聞いたなら十がわかるのぢゃ。云われんさきに判ってもらわねばならんぞ。知らしてからでは味ないぞ。十人並ぞ。今度の御用は千人力、十人並では間に合わんぞ。
因縁のそなた、です。
一聞いたらなら、十がわかるのです。
それは、一(はじめ)を聞けば十(かみ)がわかる、とも言えます。
云われんさきに判ってもらわねば成らんようになっています。
知らしてからでは味ありません。それでは、十人並です。
今度の御用は千人力、です。十人並では間に合わん、ことになります。
2.補巻 月光の巻 第五十五帖 後編 一方と申しても、霊界の一方と現界に一方とは、一方が違います。
Ⅰ.人間の目は一方しか見えません。
●人間の目は一方しか見えん。表なら表、右なら右しか見えん。表には必ず裏があり、左があるから右があるのぢゃ。
人間の目は一方しか見えん、ようになっています。
表なら表、右なら右しか見えん、ようになっています。
表には、必ず裏があり、左があるから、右があります。
それは、三次元的平面的な見え方です。
Ⅱ.人間の目は、三次元の平面、一方的真実しか見えません。
●自分の目で見たのだから間違いないと、そなたは我を張って居るなれど、それは只一方的の真実であるぞ。独断は役に立たんぞと申してあろうが。
自分の目で見たのだから間違いないと、そなたは我を張って居るなれど、それは、只一方的の真実であるのです。と申されています。
独断は役に立たん、と申してあります。
Ⅲ.見(三)極めた上にも、見(三)極めねば成りません。霊の目も一方しか見えません。
●見極めた上にも見極めねばならんぞ。霊の目も一方しか見えんぞ。霊人には何でも判ってゐると思ふと、大変な間違ひ起るぞ。
見(三)極めた上も、見(三)(身)極めねば成らんようになっています。
霊の目も一方しか見えん、のです。
霊人には、何でも判ってゐると思ふと、大変な間違ひ起こります。
Ⅳ.一方と申しても、霊界の一方と現界に一方とは、一方が違います。
●一方と申しても霊界の一方と現界の一方とは、一方が違ふぞ。
この文面は初めて、と見ます。
一方と申しても、霊界の一方と現界の一方とは、一方が違ふのです。
霊界の一方とは、思念の弥栄、になります。
霊界からは、三次元の弥栄が判りません。
三次元の一方とは、三次元の弥栄になります。ですから、三次元から、現界からでは、霊界の一方が判りにくくあります。
霊界、現界、双方弥栄していくのが、霊肉共にの境地です。
三界和合の元にもなります。
それには、御自身の我の改心。
囚われを無くしていくことにあります。
Ⅴ.理屈はあわの如きもの、そなたの財産にはなりません。体験の財産は死んでからも役に立ちます。
●そなたは中々に立派な理屈を申すが、理屈も必要ではあるが、あわの如きもの、そなたの財産にはならんぞ。体験の財産は死んでからも役にたつ。
そなたは中々に立派な理屈を申しますが、理屈も必要ですが、あわの如きもの、です。
理屈は、そなたの財産には成らんようになっています。
思念界の変化を起こしますと、マンデラ・エフェクトが起こり、前提から変わりますから、理屈が役には立たなくなるのです。(その役に立たないもの、という理解の体験は役に立ちますが)
体験の財産は、死んでからも役にたちます。
死んで持っていけるのは、理解、体験です。
体験は、理解を伴いますし、理解でも、体験を伴ったもの方が力があります。
体験無しの理解ですと、どうしても理屈になりがちになります。
Ⅵ.人の前でざんげしては成らんようになっています。神の前にのみざんげしてください。
●ざんげせよと申しても、人の前にざんげしてはならんぞ。人の前で出来るざんげは割引したざんげ。割引したざんげは神をだまし、己をだますこととなるぞ。
ざんげせよ、と申しても、人の前にざんげしては成らんようになっています。
人の前で出来るざんげは、割引したざんげ、なのです。
割引したざんげは神様をだまし、己をだますこととなります。
ざんげをする際には、神様の前でざんげをして下さい。
なお、人が神様、と思えるのであれば、その人の前では、ざんげしてよい、と見ます。
割引が無いからです。ただ、これは、段階が進まないとできない境地です。
Ⅶ.悔ひ、恥ぢ、おそれ、改め、深く省みて下さい。段階が進むほどあります。
●悔ひ改めて下され。深く省みて下され。深く恥ぢおそれよ。心して慎しんで下されよ。
悔ひ改めて下され、と伝えられています。
悔ひ、の理解、体験がやはり必要、となります。
また、深く省みて下され、と伝ええられています。
深く省みる、理解、体験、必ずしていきます。
深く恥ぢ、おそれよ、とあります。
これも段階が進むごとにあり、平面に囚われていた御自身、われよし、の御自身が判ってくるようになります。それを恥ぢる気持ちが出てきます。
これらは、全て体験していきます。
当初から、入れる方は、かなり段階が進んでいるとみますが、段階が進んでも、体験していきますので、むしろ、段階が進む程、悔ひ、恥ぢ、おそれる、感情も強まる一面もあります。
心して慎んで下されよ、と伝えられています。
Ⅷ.心して慎めば、直ちによき神界との霊線がつながります。その霊線につながれば、その日その時からよくなってきます。
●直ちによき神界との霊線がつながるぞ。霊線つながれば、その日その時からよくなってくるぞ。気持が曲ったら霊線が切り替えられる。
心して慎みますと、直ちによき神界との霊線とつながります。
その霊線につながれば、その日その時からよくなってきます。
気持が曲がりますと、霊線が切り替えられてしまいます。
我基軸、御神示無しでは、必ずそのようになっていきます。
3.まとめ
肚がたつのは慢心からです。改心がまだまだ進んでいません。
怒りにも清い怒り、澄んだ怒りあります。それは、下肚からこみあげてくる怒りです。
ただ、下肚からこみあげてくる怒りは滅多にありません。
殆どが、頭に来る怒りです。これは、我から来ています。改心が必要な怒りです。
御自身の役に不足申すくせ、早う直して下さい。
長くかかってもよいですから、根の音(ね)からの改心結構です。
手、足、頭、それぞれの御役貴賤ないこと、早う得心してくれよ(九〇四)として下さい。
そなたはこの神ときわめて深い縁があります。
今度の御用は、真理(ふじ)に苦(九)の花(八七)咲かすことです。
因縁のそなたは、一聞いたなら十が判ります。云われん先に判って下さい。今度の御用は千人力、十人並では間に合わん、ことになります。
人間の目は一方しか見えません。人間の目は、三次元の平面、一方的真実しか見えません。
見(三)極めた上にも、見(三)極めねば成りません。
霊の目も一方しか見えません。
霊人には、何でも判ってゐると思ふと、大変な間違ひ起こります。
一方と申しても、霊界の一方と現界に一方とは、一方が違います。
理屈はあわの如きもの、そなたの財産にはなりません。体験の財産は死んでからも役に立ちます。
人の前でざんげしては成らんようになっています。人の前でできるざんげは割引ざんげです。
神の前にのみざんげしてください。
悔ひ、恥ぢ、おそれ、改め、深く省みて下さい。段階が進むほどあります。
心して慎めば、直ちによき神界との霊線がつながります。
その霊線につながれば、その日その時からよくなってきます。
気持が曲がりますと、霊線が切り替えられてしまいます。
我基軸、御神示無しでは、必ずそのようになっていきます。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。