第四帖の後半です。
愛の悪、という単語は、他の章であった記憶がありますが、いつの間にやら、地震の巻でも存在していました。
それも、よく分かるように書かれています。
新たな世界を生み出す元が歓喜であり、歓喜が無いところには、真実の愛は無い、とまで伝えられています。
故に、歓喜なき愛、これが愛の悪、です。
一方で、歓喜の愛が、愛の善、です。
全てを、歓喜の愛、愛の善、としていくには、歓喜として生み出し続ける事が求められます。
それが、・であり、⦿として弥栄していく事にあります。
霊人の世界では、その思念、情態のままなので、中々その状況を変えられませんが、地上人では、それが変える事ができる旨を伝えられています。それが、悪抱き参らせる。です。
悪を悪で無くす、苦を苦で無くす。事をしていけばよいのです。
今回は、愛の悪、愛の善。そして、その悪との向き合い方から、大歓喜の生み出し方まで伝えられている内容を御伝えしていきます。
- 1.地震の巻 愛に関する文面③ 第四帖その2 愛の悪を愛の善としていく仕組について
- Ⅰ.御用の悪とは、⦿の〇であることを知らなければなりません。道を乱し、それは、善人悪人にも移写されます。
- Ⅱ.歓喜の愛が愛の善、歓喜なき愛が愛の悪、です。
- Ⅲ.歓喜の中に歓喜があり真があり、⦿となり・となり、⦿を生じ、・と弥栄していきます。
- Ⅳ.大神様は、千変万化、常に弥栄し、大歓喜の呼吸をされています。
- Ⅴ.地上人は、時間、距離がある為に、善悪両面に生活することとなり、尊きかなしさがあります。
- Ⅵ.善悪両面の呼吸は霊人、地上共に継続できませんが、悪を抱き参らせ、悪を御用の悪として育てることは地上人は可能です。
- Ⅶ.悪と偽に入るのは、弥栄し進展する為に一応の必要悪、必要偽として許されます。
- Ⅷ.霊人も子を生みますが、生むのは歓喜です。
- 2.まとめ
1.地震の巻 愛に関する文面③ 第四帖その2 愛の悪を愛の善としていく仕組について
Ⅰ.御用の悪とは、⦿の〇であることを知らなければなりません。道を乱し、それは、善人悪人にも移写されます。
●生前界では、悪を意志して悪を行なうことは、御用の悪として自ら許されている。許されているから存在し行為し現われているのである。この場合の悪は、悪にあらずして⦿の〇であることを知らねばならない。即ち、道を乱すが故である。地上人の悪人にも善人にも、それは強く移写される。
生前界では、悪を意志して悪を行うことは、御用の悪として自ら許されている。のです。
許されているからこそ、存在、行為し現れてゐるのです。
ただ、これは、過去全てを指しているとも言え、現世の過去も含まれる可能性があります。
それは、その史実そのものが、書き換わって消える可能性がある事は、ここまで、マンデラ・エフェクトで体験している為です。
ですが、生前界とは一応書いてありますので、ひとまず、前世の世界でよいでしょう。
この御用の悪、前世における悪とは、悪にあらずして、⦿の〇であることを知らねばならない、とあります。
道を乱すが故です。その道を乱している理由とは、・、が抜けている為です。
それは、地上人の悪人にも善人にも、それは強く移写されるのです。
この中での善人は、此の道に進む千人力の者も含む、と見てゐます。
ですから、全ての方々が、前世の悪とは、⦿の〇であることを知る事が大切です。
・が抜けている事の理解が大切です。
ですから、誰もが、この道を生み出す事は可能です。
Ⅱ.歓喜の愛が愛の善、歓喜なき愛が愛の悪、です。
●愛は真により、真は愛により向上し、弥栄する。その根底力をなすは歓喜である。故に、歓喜なき所に真実の愛はない。歓喜の愛は、これを愛の善と云う、歓喜なき愛を、愛の悪と云うのである。
愛は真、により、真は愛により向上し、弥栄していきます。
その根底力をなすは歓喜にあります。
それ故に、歓喜なき所に真実の愛はありません。
歓喜の愛は、これを、愛の善、と言います。
歓喜なき愛を、愛の悪、と言います。
目先の囚われの為、11の囚われの為に、歓喜なき愛、愛の悪を選択して苦しんでゐる方が多いのは、ここまで御伝えした通りです。
Ⅲ.歓喜の中に歓喜があり真があり、⦿となり・となり、⦿を生じ、・と弥栄していきます。
●その歓喜の中に、また歓喜があり、真があり、真の真と顕われ、⦿となり、・と集約され、その集約の・の中に⦿を生じ、更に尚・と弥栄ゆる。
その歓喜の中に、また歓喜があり、真があり、真の真と顕れ、⦿となり、・と集約され、その集約の・の中に⦿を生じ、更に尚・と弥栄、していきます。
このように、歓喜とは、その歓喜の中に歓喜があり、真があります。
その真の中に、真の真と顕れ、⦿となり⇒・と集約⇒その中に⦿を生じる⇒・と弥栄。
といった流れになります。
これは、体験していくと分かります。
確実に歓喜とするには、苦を苦で無くす。悪を悪で無くす。体験です。
ですから、前世ヒーリングがお勧めです。
その道中、二人の行が途中必ず必要ですし、前世ヒーリングはそれがピッタリ当てはまるのです。
悪を悪で無くす行、苦を苦で無くす行を二人でしていく事により、この展開となります。
真が真の真へと進み、⦿となり、その・を元に日々行を進め、更にその・の中に⦿を生じ、更に尚・と弥栄していくようになります。
Ⅳ.大神様は、千変万化、常に弥栄し、大歓喜の呼吸をされています。
●生前の世界、死後の世界を通じて、一貫せる大神の大歓喜の流れ行く姿がそれである。大神は常に流れ行きて、一定不変ではない。千変万化、常に弥栄する姿であり、大歓喜である。完成より大完成へ向い進む大歓喜の呼吸である。
生前の世界、死後の世界を通じて、一貫せる大神様の大歓喜の流れ行く姿がそれです。
大神様は、常に流れ行きて、一定不変ではありません。
道中、千変万化、常に弥栄する姿であり、大歓喜、です。
完成より大完成へ、向かい進む大歓喜の呼吸、をしていきます。
Ⅴ.地上人は、時間、距離がある為に、善悪両面に生活することとなり、尊きかなしさがあります。
●されど、地上人に於ては、地上的物質に制限され、物質の約束に従わねばならぬ。其処に時間を生じ、距離を生じ、これを破ることはできない。故に同時に、善と悪との両面に通じ、両面に生活することとなるのである。其処に、地上人としての尊きかなしさが生じてくる。
これは以前無かったように思っている文面です。
ですが、地上人においては、地上的物質に制限され、物質の約束に従わないとなりません。
また、そこに時間を生じ、距離を生じ、これを破る事ができません。
故に、同時に、善と悪の両面に通じ、両面に生活することになり、そこに、地上人としての尊きかなしさ、が生じてきます。
ですが、この善と悪の両面に通じるが故にできる事があるのです。
Ⅵ.善悪両面の呼吸は霊人、地上共に継続できませんが、悪を抱き参らせ、悪を御用の悪として育てることは地上人は可能です。
●霊人に於ては、善悪の両面に住することは、原則として許されない。一時的には仮面をかむり得るが、それは長くつづかず、自分自身 耐え得ぬこととなる。地上人と雖(いえど)も、本質的には善悪両面に呼吸することは許されていない。しかし、悪を抱き参らせて、悪を御用の悪として育て給わんがために課せられたる地上人の光栄ある大使命なることを自覚しなければならない。
霊人においては、善悪の両面に住することは、原則としては許されません。
一時的には、仮面をかむり得ますが、それは長くつづかず、自分自身、耐えられなくなります。
地上人といえども、本質的には、善悪両面に呼吸することは許されていません。
ですから、霊人色が強い方は、此の世に生きる事に苦しむ方もいらっしゃいます。
しかし、悪を抱き参らせ、悪を御用の悪として、育て給わんが為、課せられたる地上人の光栄ある大使命であることを自覚しなければならない。とありますが、そう簡単に自覚する事、普通できません。
徐々に、理解、体験と共に進めていく以外ないのです。
善悪両面に呼吸することができないとしても、この悪と和する事は可能なのです。
実際、智の中に悪を取り込む事は可能なのです。また、その余裕が無ければ、マコト成就しません。
●【智の中に悪をとり入れるゆとりの出来んやうではマコト成就せんぞ。智の中には総てを取入れて理解出来るやうに】なってゐるのであるぞ。愛の中に悪入れてはならんぞ。
このように、智の中には、悪は何でも取り入れる事は可能です。
それが、理解、です。
理解は、無限に継続、また発展する事が可能です。
人の智の中には、総べてを取り入れて理解できるようになっているのです。
但し、愛の中に悪を入れてはなりません。
愛のハタラキの中に悪を入れると、単に逆戻り、となります。
この事から、悪を抱き参らせる事が可能となっていきます。
全て悪の理解から始まります。そして、悪への呼吸が、善に生まれ変わる流れとなるのです。
ですから、まずは、悪の理解。そして、悪の智を取り入れて解決策を生み出す事が求められます。
Ⅶ.悪と偽に入るのは、弥栄し進展する為に一応の必要悪、必要偽として許されます。
●悪と偽に、同時にはいることは、一応の必要悪、必要偽として許される。何故ならば、それがあるために弥栄し、進展するからである。悪を殺すことは、善をも殺し、神を殺し、歓喜を殺し、総てを殺す結果となるからである。
悪と偽に、同時に入ることは、一応の必要悪、必要偽として許されます。
何故ならば、それがある為に、弥栄し、進展する為です。
悪を殺すことは、善をも殺し、神を殺し、歓喜を殺し、全てを殺す結果となるからです。
ですが、今の人の世は、この悪を殺す、断罪する、また、分け隔てする。の色合いがまだまだ強くあります。
この為に行き詰まり、平面世界に囚われ、苦しむ元となります。
Ⅷ.霊人も子を生みますが、生むのは歓喜です。
●霊物のみにて神は歓喜せず、物質あり、物質と霊物との調和ありて、始めて力し、歓喜し、弥栄するからである。霊は絶えず物を求め、物は絶えず霊を求めて止まぬ。生長、呼吸、弥栄は、そこに歓喜となり、神と現われ給うのである。霊人も子を生むが、その子は歓喜である。歓喜を生むのである。
霊物のみにて神は歓喜しません。
物質あり、物質と霊物の調和があって、初めて力し、歓喜し、弥栄するのです。
霊は絶えず物を求め、物は絶えず霊を求めて止まらない状況が続きます。
生長、呼吸、弥栄は、そこに歓喜となり、神様と現わることになります。
霊人も子を生むのですが、その子は歓喜です。
歓喜を生みだすからです。
2.まとめ
生前界では、悪を意志して悪を行うことは、御用の悪として自ら許されていますが、御用の悪とは、⦿の〇であることを知らなければなりません。
・が抜けている為に、道を乱し、それは、善人悪人にも移写されます。
ですが、・を理解しますと、誰もが、此の道を生み出す事は可能となります。
愛は真により、真は愛により向上し、弥栄します。
その根底力をなすは歓喜、にあります。
ですから、歓喜なき所に真実の愛はありません。
歓喜の愛が愛の善、
歓喜なき愛が愛の悪、です。
歓喜の中に歓喜があり真があり、⦿となり・となり、⦿を生じ、・と弥栄していきます。
大神様は、生前の世界、死後の世界を通じ、千変万化、常に弥栄し、大歓喜の呼吸をされています。
ですが、地上人においては、時間、距離がある為に、制限され、善悪両面に生活することとなり、尊きかなしさがあります。
善悪両面の呼吸は霊人、地上共に継続できませんが、悪を抱き参らせ、悪を御用の悪として育てることは地上人は可能です。
悪と偽に入るのは、弥栄し進展する為に一応の必要悪、必要偽として許されます。
悪を殺すことは、善をも殺し、神を殺し、歓喜を殺し、総てを殺す結果となる為です。
霊は絶えず物を求め、物は絶えず霊を求めて、継続します。
そこにおける生長、呼吸、弥栄は、歓喜となり、神様と現れます。
霊人も子を生みますが、その子は歓喜です。
それは、この三次元世界、地上人から、思念界を変えて行く事で、悪を抱き参らせる事によって、新たな歓喜を生み出す事が可能です。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。