第五帖では、生前、現在、死後の世界観、その仕組、について御伝えします。
これも、以前に比べ、かなり詳細になってきており、相変わらず、マンデラ・エフェクトが起こっていると見ます。
その上での愛の現れ方、がどのようになっているのか、また、どのように捉えればよいのか、も合わせてお伝えします。
1.地震の巻 愛に関する文面④ 第五帖 生前、現在、死後、の仕組について
Ⅰ.生前の行為が生後審判されますが、一切は、弥栄、歓喜の為として現れます。
●生前の世界は有なるが故に善であり、死後の世界も同様である。生前の自分の行為が地上人たる自分に結果して来ている。生前の行為が生後審判され、酬いられているのではあるが、それは、悪因縁的には現われない。そこに、神の大いなる愛の現われがあり、喜びがある。悪因縁が悪として、また善因縁は善として、生後の地上人に現われるのではない。何故ならば、大神は大歓喜であり、三千世界は、大歓喜の現われなるが故にである。地上人的に制限されたる感覚の範囲に於ては、悪と感覚し、偽と感覚し得る結果を来す場合もあるが、それは何れもが弥栄である。
生前の世界は有なるが故に善であり、死後の世界も同様、です。
ここでの善は、弥栄、歓喜、です。
その、生前の自分の行為が、現世の地上人たる御自身に結果してきています。
ですから、生前の行為が、生後審判され、酬いらているのですが、
それは、悪因縁的には現れないようになっています。
ただ、大難が小難になって現れてゐるので、結果、としては、小さく現れてゐます。
そこに、神様の大いなる愛の現れがあり、喜びがあります。
実際には大難が小難になり、その喜びを生み出す事を体験、理解させられるようになります。
ですから、悪因縁が悪として、また、善因縁は善として、生後の地上人に現れるのではありません。
それは、大神様は大歓喜であり、三千世界は、大歓喜の現れなるが故です。
弥栄、の為に現れるのです。
地上人的にも、制限されたる感覚の範囲においては、悪と感覚し、偽と感覚し得る結果をきたす場合もありますが、それはいずれも弥栄の為に現れます。
ちなみにですが、大難は小難にはなる事はあるのですが、無くすることはできません。
●大難は小難にすること出来るのであるが、無くすることは出来んぞ。
ビックリする位までの小難はあるのですが、完全な無難、というのは無いようです。
ですから、その現れは、小難にはなってゐるのですが、悪と感覚し、偽と感覚し得る。
事は結構あります。
今の世界は、相当に大難が小難になっている事、を忘れずにゐて下さい。
Ⅱ.天国や極楽があると思念することは、地獄を自ら作り出し、生み出す因です。ですが、それは弥栄、歓喜の元でもあります。
●しかし、天国や極楽があると思念することは既に無き地獄を自らつくり出し、生み出す因である。本来なきものをつくり出し、一を二にわける。だが、分けることによって力を生み弥栄する。地獄なきところに天国はない。天国を思念する処に地獄を生ずるのである。善を思念するが故に、悪を生み出すのである。
天国や極楽があると思念することは、既に無き地獄を自ら作り出し、生み出す因になります。
本来なきものをつくり出し、一を二にわける行為になるのです。
ですが、わけることによって、力を生み出し、弥栄することとなります。
地獄なきところに天国はありません。
天国を思念する処に地獄を生ずるのです。
このようにして、善を思念するが故に、悪を生み出します。
ですが、此の事が、今の世の基本的な所もあり、それが、また新たな世界を生み出す元となります。
天国、極楽あるという思念は、無き地獄を作る因ではあるものの、
弥栄の元、歓喜の元でもあるのです。
Ⅲ.生前、生後、死後、その全ては〇であり、(ウズ)であり、⦿であり、・と集約される事で、立体、弥栄する歓喜させる事ができます。
●一あり二と分け、はなれてまた、三と栄ゆるが故に歓喜が生れる。即ち、一は二にして、二は三である。生前であり、生後であり、死後であり、尚それらの総ては〇である。〇は(ウズ)であり⦿であり、・と集約される。故に、これらの総ては無にして有である。
一あり、二と分け、はなれてまた、三と栄えるが故に歓喜が生まれます。
一は二にして、二は三です。
生前、生後、死後であり、全て、〇、から始まります。
〇は、(ウズ)であり、⦿であり、・と集約され、歓喜、弥栄、新たな世界を生み出す元となります。
また、これらは、全て、無にして有、です。
このように、生前、生後(現在)、死後における全ては、〇、(ウズ)、⦿、・と集約され、歓喜、弥栄、新たな世界を生み出し続ける事ができます。
Ⅳ.人の生後、地上人の生活は、生前の生活の延長であり、また死後の生活にそのままにして、進みゆきます。
●人の生後、即ち地上人の生活は、生前の生活の延長であり、また死後の生活に、そのままにして進み行く、立体となり、立々体と進み、弥栄する処につきざる歓喜があり、善悪美醜の呼吸が入り乱れつつ調和して、一の段階より二の段階へ、更に三の段階へと弥栄浄化する。浄化、弥栄することにより、善悪美醜のことごとくは歓喜となる。故に、神の中に神として総てが弥栄するのである。
このような文面は以前無かったと思います。
人の生後、地上人の生活は、生前の生活の延長であって、また死後の生活にそのままにして進み行く流れとなります。
つまり、今現在の世界、生活とは、生前からずっと続き、そして、今後も続く、という事なのです。
その永劫の転生には、立体、立立体、弥栄する処に尽きない歓喜があります。
善悪美醜の呼吸が入り乱れつつ、それを調和していく事によって、一の段階から、二の段階、三の段階へと弥栄していき、それは浄化と共に進みます。
浄化、弥栄する事によって、善悪美醜のことごとくが歓喜となります。
故に神様の中に神として、全てが弥栄していくのです。
ですから、必ずしもですが、長生きすれば良い、という訳ではなく、常々弥栄していく事が大切という事です。
その為には、歓喜を次々生み出して行く事にあります。
その為、特に現世であれば、81の世界実現だけはやはり回避していかなければなりません。
このむごい世界だけは、目の前にかなり迫ってきていますが、なんとしてでも回避しないとならないのです。
その原因は、人類による環境破壊、突き詰めますと、我良しです。
そして、早く亡くなったからと云っても、環境破壊のカルマが無くなってゐる訳ではありませんので、
やはり、今のこの惨状を変えていく事が大切です。
この我良しから、人類が生み出した、地獄的世界。即ち、囚われ、を無くしていき、皆が生かされる世界を生み出さないと、天地の御三体の大神様には、申し訳が立たない、と思います。
Ⅴ.生前の呼吸は、生後(現世)、死後に通じます。
●故に地上世界の悉くは生前世界にあり、且つ死後の世界に存在し、これらの三は極めて密接なる関係にあり、その根本の大呼吸は一つである。生前の呼吸はそのまま生後、死後に通ずる。
地上世界のことごとくは生前世界にあり、かつ死後の世界に存在しています。
これらの三(現界、生前界、死後の世界)は極めて密接なる関係にあり、その根本の大呼吸は一つです。
また、生前の呼吸はそのまま、生後(現界)、死後に通じます。
ですから、生前の苦しみが浄化できますと、生後、死後、全ての世界で、その苦しみが無くなります。
特に、恨みの思念につきましては、生前、生後、死後、全てに通じますから、今、恨みの思念があれば、それは、発する側、受ける側、双方に言えますが、生前、生後、残ってゐる為に、ずっと苦しいのです。
このように、生まれつき、苦しみのある病の原因は、生前に原因がある事が分かってくるのです。
突き詰めますと、その苦しみの因、負の想念の浄化ができていない為です。
恨みの思念は、受ける、発する、いずれも、早めに和するのがよい思念ですが、それに限らず、11の囚われの感情、思念は、それを助長している事に気付ないとなりません。
多くの方々が、悪いと思いながら、改心できていない所が、肉食、環境破壊、にあるでしょう。
更に、心・口・行の一致です。
これらを気付いた所から治して行く事が求められます。
Ⅵ.現界から見た、生前、死後の世界は映像の感覚です。生前、死後の世界からですと、現界は映像です。
●地上人、地上生活を中心とすれば、生前、死後は映像の如く感覚されるものである。しかし、生前よりすれば、地上生活、物質生活は、その映像に過ぎないことを知らねばならぬ。時、所、位による美醜、善悪、また過去、現在、未来、時間、空間の悉くを知らんとすれば、以上述べたる三界の真実を知らねばならぬ。
地上人、地上生活を中心としますと、生前、死後は映像の如くの感覚されるものです。
ですが、生前の世界からしますと、現在の地上生活、物質生活は、映像にすぎません。
これが、前世ヒーリングでの双方の見え方、である事が分かると思います。
現世からの前世の世界。前世の世界からの現世。同じです。
このように、映像でしかありませんが、三界の真実を知るには、それぞれ、時、所、位に美醜、善悪。
また、過去、現在、未来、時間、空間。
ことごとくを理解したいのであれば、まず、この映像の如くに写る関係性の理解が大切です。
2.まとめ
生前の行為が、生後審判され、酬いらているのですが、それは、悪因縁的には現れないようになっています。大難が小難になって現れてゐるので、結果、としては、小さく現れてゐます。
そこに、神様の大いなる愛の現れがあり、喜びがあります。
大神様は大歓喜であり、三千世界は、大歓喜の現れなるが故です。弥栄、歓喜の為に現れるのです。
天国や極楽があると思念することは、地獄を自ら作り出し、生み出す因です。
ですが、それは弥栄、歓喜の元でもあります。
生前、生後、死後、その全ては〇であり、(ウズ)であり、⦿であり、・と集約される事で、立体、弥栄する歓喜させる事ができます。
人の生後、地上人の生活は、生前の生活の延長であり、また死後の生活にそのままにして、進みゆきます。
生前の呼吸は、生後(現世)、死後に通じます。
ですから、どこかで、改心を進めていけば、苦を苦で無くした世界を生み出す事が可能です。前世ヒーリングはその手法の一つです。
現界から見た、生前、死後の世界は映像の感覚です。生前、死後の世界からですと、現界は映像です。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。