弥栄、に関する文面18 霊界と現実界の根本原理を体得、理解により、永遠弥栄の大歓喜に住します

日月神示、道の生み出し方について

弥栄、に関する文面18に進みます。

今回、は地震の巻  第十帖 です。

今回も、引き続き、全般的マンデラ・エフェクトが起こっていると見ます。

初めての単語としては、立体平等、立体差別、があります。
日月神示内では、そもそも、差別ある事が平等なのですが、これが合一し、立体平等、立体差別、と進むという内容にまで踏み込んでいます。

また、全般的内容としては、
霊界と現実界の差別、区別と合一、弥栄、大弥栄する根本原理を体得、理解し得たならば、神、幽、現、三界に通じての、永遠の弥栄する大歓喜に住することとなる、と伝えられています。

以前は、三界について、神界、幽界、現界と分かれているだけの説明だったのが、直近のマンデラ・エフェクトでは、三界和合の話がドンドンと増えてきています。

更には、霊人が地上人と和合し、弥栄するのは、立体平等、立体差別と弥栄するが為である、という内容であったり、もはや、平面世界だけの理解では、判らない段階となってきています。

立体平等、立体差別、の力と、神の歓喜なくしては、地上人なく、また霊人もなく、生成発展なく、神も歓喜せず、地上人は霊人と和せず、神に和すことはできず、生命しないようになっている、と伝えています。

ですから、思念界を変える行、が必要で、早くの五人分の行を超えていく事、そして、千人力の実現。立体に進む理解、体験を進めていく事が、次々と求められてきています。

それでは、弥栄に関する文面18、をお伝えしますね。

1.地震の巻  第十帖 霊界と現実界の差別、区別と合一、弥栄、大弥栄する根本原理を体得、理解し得たならば、神、幽、現、三界に通じての、永遠の弥栄する大歓喜に住することとなります。

Ⅰ.地上人が生前を知得するのは、生前の霊人を通じるが故であり、死後を知得するのも、また同様に通じる為です。

地上人は、内的に生前の霊人と通じ、また死後の霊人と通ずる。地上人が、生前を知得するのは、この霊人を通ずるが故であり、死後を知得するのも、また同様に通ずるからである。生前と死後は同一線上におかれているが同一ではない。

地上人は、内的に生前の霊人と通じ、また死後の霊人とも通じます。

地上人が生前を知得するのは、この霊人を通じるが故であり、死後を知得するのも、また同様に通じるからです。

生前と死後は同一線上におかれていますが、同一ではありません。
これは、地上世界を経由する事によって、変わっていく為、です。

Ⅱ.地上には物質的形式があり、霊界には霊的形式があります。その形式は歓喜の交叉から始まり、形式があるが故に、合一し、力し、弥栄し、大弥栄していきます。

地上には、物質的形式があり、霊界には霊的形式がある。その形式は歓喜の交叉し、発する処によって自ら成るものである。形式なくしては合一なく、力なく、形式あるが故にものが総てに合一し、弥栄し、力し、大弥栄するのである。

地上には、物質的形式があります。
霊界には、霊界的形式があります。

その形式は、歓喜の交叉し、発する処によって、自ら成るものです。

形式なくしては合一がなく、力なく、形式があるが故に、ものが総てに合一し、弥栄し、力し、大弥栄していきます。

Ⅲ.形式の中に和することは、その個々が差別されている為です。差別し、区分せられることは、その各々に共通する内質がある為です。

形式の中に和することは、その個々が、差別されているからである。差別し、区分せられることは、その各々に、各々が共通する内質をもつからである。共通性なきものは、差別し、区分することができない。

形式の中に和することは、その個々(九九)が、差別されているからです。

差別し、区分せられることは、その各々に、各々が共通する内質をもつからです。

共通性なきものは、差別し、区分することができません。

Ⅳ.霊界と現実界との関係はこのようにあるが故に、常に相応し、力し、力を生じ、相通じて力を生みゆきます。

霊界と現実界との関係はかかるものであるが故に、常に相応し、力し、力を生じ、また常に、相通じて力を生みゆく。

霊界と現実界の関係は、物質的形式、霊的形式、合一、弥栄するが故に、常に相応し、力し、力を生じ、また常に、相通じて、力を生みゆくようになっています。

Ⅴ.霊界と現実界の差別、区別と合一、弥栄、大弥栄する根本原理を体得、理解し得たならば、神、幽、現、三界に通じての、永遠の弥栄する大歓喜に住することとなります。

これは、平面的頭脳では、中々に理解しがたいのであるが、この根本原理を体得、理解し得たならば、神、幽、現、三界に通じ、永遠に弥栄する大歓喜に住するのである。

この事は、平面的頭脳では、中々に理解しがたいことではあります。

ですが、この根本原理を体得、理解し得たならば、
神、幽、現、三界に通じ、永遠に弥栄する大歓喜に住するのである、
とあります。

この境地は、前世ヒーリングによって、生前から囚われた前世や、苦しんでいる前世、の思念を浄化、合わせて、改心を進めていく事で、御自身の心もそれに応じ、日々、心・口・行、一致させていく事で、周囲の世界が変わっていく事で、理解、体験できます。

この事は、頭で考えても判らないようになっています。
実際に、我の改心と共に、体験していく以外に判らないようになっています。

Ⅵ.霊人が地上人と和合し、弥栄するのは、立体平等、立体差別と弥栄するが為であることを知らねばなりません。

されば差別は、平等と合一することによって立体の差別となり、平等は差別と合一することによって立体平等となり得る。霊人が地上人と和合し、また地上人が霊人と和合し、弥栄するのは、この立体平等と立体差別との弥栄ゆるが為であることを知らねばならぬ。

ですが、差別は、平等と合一することによって、立体の差別となります。
平等は、差別と合一する事によって、立体平等と成り得ます。

いずれにしても、和して生み出す事で、進んで行きます。

霊人が地上人と和合し、また、地上人が霊人と和合し、弥栄するのは、この立体平等と立体差別の弥栄ゆるが為である事を知らないとなりません。

Ⅶ.霊人、地上人を統一し、常に差別しつつ平等に導き、立体していく力こそ、神そのものの力であり、歓喜です。

この二つの相反するものを統一し、常に差別しつつ平等に導き、立体していく力こそ、神そのものの力であり、歓喜である。

この二つ、霊人、地上人、の相反するものを統一し、常に差別しつつ、平等に導き、立体していく力こそ、神そのものの力であり、歓喜となります。

Ⅷ.立体平等、立体差別、の力と、神の歓喜なくしては、地上人なく、また霊人もなく、生成発展なく、神も歓喜しません。

この二つの力と神の歓喜なくしては、地上人なく、また霊人もあり得ないのである。生成発展もなく神も歓喜し得ない。

この二つ(差別と平等)の力と、神の歓喜なくしては、地上人なく、また霊人もあり得ないのです。

生成発展もなく、神も歓喜しえないようになっています。

Ⅸ.立体平等、立体差別の力なくしては、地上人は霊人と和せず、神に和すことはできず、生命しないようになっています。

この力なくしては、地上人は霊人と和し、神に和し奉ることはできない。故に、生命しないのである。

また、この力なくしては、地上人は霊人と和し、神に和し奉ることはできない、ようになっています。
故に生命しないようになっています。

2.まとめ

地上人が生前を知得するのは、生前の霊人を通じるが故であり、死後を知得するのも、また同様に通じる為です。

地上には物質的形式があり、霊界には霊的形式があります。
その形式は歓喜の交叉から始まり、形式があるが故に、合一し、力し、弥栄し、大弥栄していきます。

形式の中に和することは、その個々が差別されている為です。
差別し、区分せられることは、その各々に共通する内質がある為です。

霊界と現実界との関係はこのようにあるが故に、常に相応し、力し、力を生じ、相通じて力を生みゆきます。

霊界と現実界の差別、区別と合一、弥栄、大弥栄する根本原理を体得、理解し得たならば、神、幽、現、三界に通じての、永遠の弥栄する大歓喜に住することとなります。

霊人が地上人と和合し、弥栄するのは、立体平等、立体差別と弥栄するが為であることを知らねばなりません。霊人、地上人を統一し、常に差別しつつ平等に導き、立体していく力こそ、神そのものの力であり、歓喜です。

立体平等、立体差別、の力と、神の歓喜なくしては、地上人なく、また霊人もなく、生成発展なく、神も歓喜しません。また、地上人は霊人と和せず、神に和すことはできず、生命しないようになっています。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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