引き続き、無い(七一)に関する文面です。
今回は、日の出の巻 第十三帖の一文だけですが、
それでも、マンデラ・エフェクトが結構にありました。
今度は、正味(せうまつ)の信仰、となる事。
まことの神の道、である事。
また、国土の事、国土のまことの神様を無いものにしているから世が治まらない、という表現も初めてと見ます。
それは、地の神様、忘れてゐる為です。
地に足(あ四)を付ける所からです。
永劫の過去からしきまきや、から生み出す事が求められます。
今回は、神々様についても、結構に改めて伝えられています。
それでは、日の出の巻 第十三帖をお伝えしますね。
- 1.日の出の巻 第十三帖 地の神様、忘れてゐます。地に足(あ四)つけて下さい。
- Ⅰ.今度は、正味(せうまつ)の信仰。神に真直(ますぐ)に向ふ、ものととなります。
- Ⅱ.神は真上に戴くのが神国のまことの御道です。真上(まうへ)に真すぐに神を戴いて呉れよ、として下さい。
- Ⅲ.今度は失敗する事できません。方便の世は済み、理屈は悪となるので、囚われを無くす事が求められます。
- Ⅳ.泥海のたうちは臣民堪(こば)られんから早う掃除して、神の申す通り、カミヒト、立体へと進んで下さい。
- Ⅴ.まことの神の道は、影ささない、悪でない悪なる道です。
- Ⅵ.神の真道(まみち)は影無いです。失敗(しくじり)無いです。洗濯、掃除せよ、と申されています。
- Ⅶ.天(・)にあるもの、地にも必ずあります。足元(あ四もと)気付いて下さい。
- Ⅷ.地の神様、忘れてゐます。地に足(あ四)つけて下さい。
- Ⅸ.地にも、あらゆる神様全て存在しています。国土のまことの神様を無いものにしてゐるから世が治まらんことになっています。
- Ⅹ.神々様、・、地、共に祀りて下さい。七人に道伝へて下さい。改心第一です。われよしは、ちょん、です。
- 2.まとめ
1.日の出の巻 第十三帖 地の神様、忘れてゐます。地に足(あ四)つけて下さい。
Ⅰ.今度は、正味(せうまつ)の信仰。神に真直(ますぐ)に向ふ、ものととなります。
●此れまでの仕組や信仰は方便のものでありたぞ。今度は正味(せうまつ)の信仰であるぞ、神に真直(ますぐ)に向ふのざぞ。日向(ひむか)と申してあろがな。
此れ迄の仕組、信仰は、方便のものでした。
実際、ここまでの私のブログや前世ヒーリングも、その一面があったと思います。
この段階も必ず必要です。
ですが、今度は、正味(せうまつ)の信仰になります。
それは、神に真直(ますぐ)に向ふものとなります。
それは、日向(ひ、むか)となります。永劫の過去に向かって進むのです。
正味(せうまつ)、の単語は後から出て来ましたが、正味(せうまつ)の信仰、という表現は初めてではないか、と見ます。
Ⅱ.神は真上に戴くのが神国のまことの御道です。真上(まうへ)に真すぐに神を戴いて呉れよ、として下さい。
●真上(まうへ)に真すぐに神を戴いて呉れよ、斜めに神戴いても光は戴けるのであるが、横からでもお光は戴けるのであるが、道は真すぐに、神は真上に戴くのが神国のまことの御道であるぞ。
真上(まうへ)に真すぐに神様を頂いて呉れよ(九〇四)として下さい。
斜めに神様戴いても、光は戴けるのですが、横からでも、お光は戴けますが、道は真っすぐに、神様は真上に戴くのが、神国のまことの御道、とあります。
真上に、キタ、から進んで下さい。
Ⅲ.今度は失敗する事できません。方便の世は済み、理屈は悪となるので、囚われを無くす事が求められます。
●方便の世は済みたと申してあろがな、理屈は悪ざと申して聞かしてあろが、今度は何うしても失敗(しくじる)こと出来んのざぞ。
方便の世は済んでいます。
最近は、この文面がかなり強調されています。
理屈は悪となります。
実際、理屈とは、今現在の価値観を元に作っている一面があり、それは、囚われの元となります。
無限に新たな世界を生み出す境地、立体では、今現在の価値観は、変わっていって普通ですので、確かに理屈は悪になります。
また、今度はどうしても、失敗することできませんので、囚われの元は無くしていく事が求められます。
方便、理屈は、此の道に進む程に、役に立たなくなっていきます。
Ⅳ.泥海のたうちは臣民堪(こば)られんから早う掃除して、神の申す通り、カミヒト、立体へと進んで下さい。
●神の経綸(しぐみ)には狂ひ無いなれど、臣民 愈々苦しまなならんのざぞ、泥海に臣民のたうち廻らなならんのざぞ、神も泥海にのたうつのざぞ、甲斐ある御苦労なら幾らでも苦労甲斐あるなれど、泥海のたうちは臣民には堪(こば)られんから早う掃除して神の申す事真すぐに肚に入れて呉れよ。
神様の経綸(しぐみ)には、狂ひありませんが、臣民、愈々苦しまなならないのです。
泥海に臣民のたうち廻らなならんのです。
その場合は、神も泥海にのたうつのです。
ですから、臣民のままではなく、カミヒトへと進んで下さい。
立体に進む、その連続以外、回避の道が無いのです。
甲斐ある御苦労なら、幾らでも苦労甲斐ありますが、泥海ののたうちは、臣民には、堪(こば)られんから早う掃除して神の申す事真すぐに肚に入れて呉れよ。と伝えられています。
甲斐ある御苦労(五九六ウ)は、苦を苦で無くしていく九の行になります。
この連続から周囲の世界を変え続けて下さい。
Ⅴ.まことの神の道は、影ささない、悪でない悪なる道です。
●斜めや横から戴くと光だけ影がさすのざぞ、影させば闇となるのざぞ、大きいものには大きい影がさすと臣民申して、止むを得ぬ事の様に思ふてゐるが、それはまことの神の道知らぬからぞ、影さしてはならんのざぞ、影はあるが、それは影でない様な影であるぞ、悪でない悪なると知らせてあろが。
光を、斜めや横から戴きますと、光だけ影がさすのです。
影させば闇となるのです。
大きいものには、大きい影がさすと臣民申して、止むを得ない事の様に思っています。
戦争、天変地異、がそうでしょう。
ですが、それは、まことの神の道知らないからです。
恐らくですが、【まことの神の道】もどこかから出て来たマンデラ・エフェクト単語です。
それには、影さしてはならんのです。
影はありますが、それは影でない様な影なのです。
悪でない悪なると知らせてある通りです。
ですから、あなはち、しきまきや、くにつつみ、から新たな世界を生み出す事が求められます。
Ⅵ.神の真道(まみち)は影無いです。失敗(しくじり)無いです。洗濯、掃除せよ、と申されています。
●真上に真すぐに神に向へば影はあれど、影無いのざぞ、闇ではないのざぞ。此の道理 会得るであろがな、神の真道(まみち)は影無いのざぞ、幾ら大きな樹でも真上に真すぐに光戴けば影無いのざぞ、失敗(しくじり)無いのざぞ、それで洗濯せよ掃除せよと申してゐるのぞ、神の真道(まみち)会得(わか)りたか。
真上に真っすぐに神に向へば影はあっても、影無いのです。
闇ではないのです。
此の道理、会得るであろがな、とあります。
神の真道(まみち)は影無いのです。
幾ら大きな樹であっても、真上に真っすぐに光戴けば、影無いのです。
失敗(しくじり)無いのです。
それで、洗濯せよ、掃除せよ、と申してゐるのです。
神の真道(まみち)会得(わか)りたか、とあります。
洗濯、掃除、を次々進めて下さい。
Ⅶ.天(・)にあるもの、地にも必ずあります。足元(あ四もと)気付いて下さい。
●天にあるもの地にも必ずあるのざぞ、天地合せ鏡と聞かしてあろがな、天に太陽様ある様に地にも太陽様(おひさま)あるのざぞ、天にお月様ある様に地にもお月様あるのざぞ。天にお星様ある様に地にもお星様あるのざぞ。天からい吹(ぶ)けば地からもい吹くのざぞ、天に悪神あれば地にも悪神あるのざぞ。足元気つけと申してあろがな。
天(・)あるもの、地にも必ずあるのです。
天地合わせ鏡です。
天に太陽あれば、地にもあります。お月様、お星様も同様です。
天から息吹けば、地からも息吹くのです。
天に悪神様あれば、地にも悪神様あるのです。
逆に言えば、地にあるものは、天(・)に必ずあるという事です。
ですから、足元(あ四もと)、気付け、と伝えられています。
地にあるものは、永劫の過去から、しきまきや、から生み出し続けてきたものばかり、という事です。
Ⅷ.地の神様、忘れてゐます。地に足(あ四)つけて下さい。
●今の臣民 上許り見て頭ばかりに登ってゐるから分らなくなるのざぞ、地に足つけよと申してあろが、地 拝(おろが)めと、地にまつろへと申してあろが、地の神様 忘れてゐるぞ。
今の臣民 上ばかり見て頭ばかりに登ってゐるから分からなくなっているのです。
地に足(あ四)つけよ、と伝えられています。
永劫の過去より、しきまきや、を起こし続けて下さい。という事です。
ですから、地 拝(おろが)め、と、地にまつろへ、と申しています。
地の神様、忘れてゐます。
地にあるもの、・、に必ずあるのです。
Ⅸ.地にも、あらゆる神様全て存在しています。国土のまことの神様を無いものにしてゐるから世が治まらんことになっています。
●下と申しても位の低い神様のことでないぞ、地の神様ぞ、地にも天照皇太神様、天照大神様、月読大神様、須佐鳴之大神様あるのざぞ、知らしてあること、神示克く読んで下されよ、国土の事、国土のまことの神を無いものにしてゐるから世が治まらんのざぞ。
下と申しても、位の低い神様ではなく、地の神様です。
地にも天照皇太神様、天照大神様、月読大神様、須佐鳴之大神様あるのです。
それは、千(ち)にもありますし、九二にもあります。
知らしてあること、御神示、ことごとく読んで下されよ、とあります。
この後の文面も初めてではないか、と見ます。
国土の事、国土のまことの神様を無いものにしているから世が治まらないのです。
国土のまことの神様は、御自身の心の内を、変えていく処からです。九十(こと)の行を進めて下さい。くにつつみ、しきまきや、です。その為には、日々の行も合わせて、まこと(〇九十)としていくことが求められます。
Ⅹ.神々様、・、地、共に祀りて下さい。七人に道伝へて下さい。改心第一です。われよしは、ちょん、です。
●神々祀れと申してあろがな、改心第一と申してあろがな、七人に伝へと申してあろがな、吾れ善しはちょんぞ。
神々を祀れ、と申されています。
それは、天(・)も地も、です。
ですから、改心第一です。
まず、七人に伝へと申してあろがな、とあります。
改めてですが、七人に道を伝えて下さい。
それには、立体に進む理解体験が求められます。
われよしは、ちょん、となります。
2.まとめ
今度は、正味(せうまつ)の信仰。神に真直(ますぐ)に向ふ、ものととなります。
神は真上に戴くのが神国のまことの御道です。
真上(まうへ)に真すぐに神を戴いて呉れよ、として下さい。
今度は失敗する事できません。方便の世は済み、理屈は悪となるので、囚われを無くす事が求められます。
泥海のたうちは臣民堪(こば)られん事になりますので、早う掃除して、神の申す通り、カミヒト、立体へと進んで下さい。
まことの神の道は、影ささない、悪でない悪なる道です。
神の真道(まみち)は影無いです。失敗(しくじり)無いです。そこで、洗濯、掃除せよ、と申されています。
天(・)にあるもの、地にも必ずあります。足元(あ四もと)気付いて下さい。
永劫の過去から、しきまきや、を起こして行きます。
地にも、あらゆる神様全て存在しています。国土のまことの神様を無いものにしてゐるから世が治まらんことになっています。
神々様、・、地、共に祀りて下さい。七人に道伝へて下さい。
改心第一です。われよしは、ちょん、となります。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。
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