無い(七一)に関する文面⑩ 神の帳面から、神の帖面となれば間違ひありません

日月神示、道の生み出し方について

引き続き、無い(七一)に関する文面⑩です。

今回は、ウミの巻の2つの文面です。
マンデラ・エフェクトは無いかな、と思っていましたが、微妙に変化がありました。

時節の仕組みは、善の地の先祖をご自身に向けて押し込めねば、抱く事、理解、体験ができないようになっているというものです。

これは、新たに生まれてきた文面です。

後、もう一つは、神の帳面が、神の帖面、となってゐるものが登場している事です。

これも、納得の内容です。その方の行に応じた文面が、帖面として現れるようになっているのです。
ですから、神の帖面は間違いないのですね。

新たな文面が現れるにしても、それが希望的文面が増えていたり、絶望的文面が消えていれば順調なのです。

また、逆の流れにならない事を祈りたいと思います。我が囚われ続けていますと、絶望的文面が増えていく事にもなりかねないのです。

また、神の帳面は、まだ全体で8カ所ありますが、神の帖面は、2カ所あり、いずれもウミの巻にあります。

ちなみに、ウミの巻は、|三の巻、と表記されています。
これは、三界を貫く事で、生み出される意味があると見ます。

それでは、神の帖面、を含む、ウミの巻の、無いに関する文面をお伝えします。 

1.|三の巻(ウミの巻) 第四帖 苦も結構ですが、いらん苦はいりません。苦のハタラキが楽で、喜びで、光となり、楽に岩戸が開けます。

Ⅰ.魂が抜けてゐるグニャグニャ細工に直面するようになっています。それに迷わないようにしてください。

出てきてから又同じ様なこと繰り返すぞ、今度は魂抜けてゐるからグニャグニャぞ、グニャグニャ細工しか出来んぞ、それに迷ふでないぞ。

出てきてから、又同じ様なこと繰り返します。
今度は、魂抜けてゐるからグニャグニャです。

それでは、グニャグニャ細工しかできません。
この状況が実は、此の道に進んでから、周囲に現れるようになっています。それは、生前のご自身でもあったと見ます。

この時の、御自身の我の改心を試されているのです。

ですが、それに迷わないようにしてください。
御自身の我の改心を第一に進めてください。

Ⅱ.ご神示が肚に入れば、何が起こって来ても結構となりますが、始めの内は、ちょっとの事で、迷いの雲が出て、悪のとりことなります。

神示が肚に入って血になると、何が起って来ても結構であるが、始の内は、ちょっとの事で迷いの雲が出て悪のとりことなって苦しむぞ、

ご神示が肚に入って血(千)になると、何が起こって来ても結構となります。
ですから、早う、千人力に進んでください。

ですが、始めの内は、ちょっとの事で迷いの雲が出て、悪のとりことなって苦しみます。

これは、当初程、迷いがちです。それは、どうしても、平面的善悪論に囚われる為です。
人の我は、11の囚われを大抵選択します。それ故に、悪のとりことなって苦しむ事が多いです。

Ⅲ.苦も結構ですが、いらん苦はいりません。

悪はないのであるが、無い悪を人民の心から生むのざぞ、悪のとりことなって苦しむが見へてゐるから、苦も結構なれど いらん苦はいらんぞ、

悪はないのですが、無い悪を人民の心から生むのです。
それは、次々、生み出します。6つのわれよし、からです。

これが、人の我ですし、それは、11の囚われ、を生みだします。

ですから、簡単には変わりません。
その原因が、また、われよし、慢心、わけへだて、にある事も中々気づけません。

それが故に、悪のとりこ、から中々外れる事ができないのです。

悪のとりことなって苦しむのが見へてゐるから、苦も結構ですが、いらん苦はいりません。

Ⅳ.苦のハタラキが楽で、喜びで、光となります。神人共にのまつりで、楽に岩戸が開けます。

神示よく読んで苦を楽とせよ、楽は喜びぞ、苦のハタラキが楽ぞ、楽は喜びぞ、光ぞ、神人共のまつりぞ、楽で岩戸開けるぞ、苦しんで開く岩戸は誠の岩戸でないぞ。

ご神示をよく読んで、苦を楽としてください。
楽は喜びです。

苦のハタラキが楽となります。

楽は喜びです。光です。神人共のまつり、でもあります。

楽で岩戸開けます。
苦しんで開く岩戸は誠の岩戸ではありません。

2.|三の巻(ウミの巻) 第十八帖

Ⅰ.我を捨てて、此の方について、素直にいたせば、楽に大峠越せます。

人民の我では通らん時となった位 判って居らうがな、早よ我捨ててこの方について参れよ、素直にいたせば楽に行けるのざぞ、大峠越せるのざぞ、

人民の我では通らない時となった位、判って居ると、お伝えされています。
ですから、早よ我捨てて、此(九)の方について参ればよいのです。

素直にいたせば、楽に行けるようになっています。

また、大峠越すにも、我捨てて、素直にいたす以外ありません。

Ⅱ.時節の仕組みは、善の地の先祖をご自身に向けて押し込めねば、抱く事、理解、体験ができないようになっています。

時節の仕組 中々人民には判るまいがな、悪抱き参らす為には我が子にまで天のトガをおはせ、善の地の先祖まで押し込めねば一応抱く事出来んのであるぞ、ここの秘密知るものは天の御先祖様と地の御先祖様より他には無いのであるぞ。

時節の仕組、中々人民には判るまいがな、とありますが、これもこの道に進みますと、その時節が無理なくやってくる、この事は、ひとまず、判ってきます。

悪抱き参らす為には、我が子にまで天のトガをおはせ、善の地の先祖まで、押し込めねば一応抱く事は出来んのであるぞ。
とあります。

この文面の、善の地の先祖まで、は以前無かったように思っています。
我が子にまで、しか無かったように思いますが、善の地の先祖を押し込めねば、ですが、これは、ご自身の中に押し込むのではないかと思います。

この時、地はチ(千)、なのか、クニ(九二)なのか、どちらも可能性ありそうですが、どちらも今の所体験しています。早う、千人力、くにつつみ、を起こしていけばよいのです。

ここ(九九)の秘密知るものは、天のご先祖様と地のご先祖様より他には無いのであるぞ。
とありますが、この千人力、くにつつみ、から起こる体験そのものから、天のご先祖様、地のご先祖様、共に、理解、体験していく流れになってゐるように思います。

Ⅲ.神には分けへだてありません。へだては人民の心にあります。

我が我がと早う出世したい様では、心変へんと人民は御用六ヶ敷いぞ。神に分けへだてなし、へだては人民の心にあるぞ。

我が我がと早う出世したい様では、心変へんと、人民は御用むつかしい、とあります。
神には、分けへだてありません。へだては、人民の心にあります。

これも、ここまで、様々試されてきましたが、人々の心は、へだて心を持つ所からつい始まりがちです。

分け隔ての心を抱きそうになるのであれば、まず、その相手が、何故、そのような状況、になったのか。
何故、私は、相手を分け隔てするのか、この事を理解しようとしていく事が大切です。

ですが、この意識でいますと、改心が進み、次々新たな世界が周囲に現れ始めます。

Ⅳ.神の帖面 間違ひないです。ご神示マンデラ・エフェクトは、その方の行に応じて起こります。

此の道は因縁なくしては判らん六ヶ敷い道であれど、此の道つらぬかねば、世界は一平にならんのぢゃ、縁ある人は勇んで行けるのぢゃ、神が守るからおかげ万倍ぢゃ、神の帖面 間違ひないぞ、

此の道は因縁なくしては判らん、難しい道ですが、此の道つらぬかねば、世界は一平にはならないようになっています。
ですが、因縁(いんねん)(一ん念)は、誰もが持てますし、念から始めようとする事、これが無い事には、判らないようになっています。それは、理解しようとする意識から始まります。

縁(円)ある人は勇んで行けるようになっています。
円のハタラキができる人は、勇んで行けます。

神様が守っているので、おかげ万倍となります。

神の帳面、のはずが、ここでは、神の帖面、となっていますね。
これも、マンデラ・エフェクト、と見ます。

それは間違ひないのです。
御自身の行に応じた文面が現れるようになってゐるからです。

神の帳面の意味もありますが、神の帖面、とはそういった事にあります。

また、帳面は今現在でも8カ所ありますが、帖面は、もう1カ所ありました。

権小道師から上は神の帖面につくのであるぞ、参道は仮ぞ。

なるほど、これは、判りやすいですね。
参道は、七つある段階の一番下です。それは仮です。
また、6つ目の段階、権小道師からは、帖面につくのです。

6つ目の段階に入ってきましたら、御神示はマンデラ・エフェクトを起こし始めます。

これは、確かに間違っていない、と見ます。

ですから、最低でも3回は読み(実際には10回以上で普通だと思いますが)、そして、行じ、省みる事で、新たな文面を次々生み出してください。それが、帖面として現れるのです。

実際、此の道に進んでいきますと、次々帖面に現れ始めますから、面白くて仕方なくなってくるところもあります。

Ⅴ.この世は、人民の心次第で良くも悪くも出てきます。悪く変わると気の毒ですから、くどう(九土ウ)申されています。

思ふ様にならぬのは、ならぬ時は我の心に聞いて見るがよいぞ、神の仕組は変らねど、此の世では、人民の心次第で良くも悪くも出て来るのぢゃ、仕事は変らねど出て来るのが変るのざ、悪く変ると気の毒なから くどう申してゐるのぢゃぞ。

思ふ様にならないのは、ならぬ時は我の心に聞いて見るがよい、とあります。
まだまだ、我の改心ができていません。

神の仕組みは変わらないのですが、此の世では、人民の心次第で良くも悪くも出てくるのです。

仕事は変わりませんが、出てくるのが変わってきます。悪く変わると気の毒ですから、くどう申してゐるのです。

ですから、最後まで、気は抜けませんし、油断はできません。

3.まとめ

神の帖面は、現在、2カ所で現れていますが、それだけでなく、御自身の神の帖面を次々生み出してください。

魂が抜けてゐるグニャグニャ細工に直面するようになっています。それに迷わないようにしてください。
この時の、御自身の我の改心を試されているのです。

ご神示が肚に入れば、何が起こって来ても結構となりますが、始めの内は、ちょっとの事で、迷いの雲が出て、悪のとりことなります。ですから、改心を進めていく事が大切です。

苦も結構ですが、いらん苦はいりません。
ですが、人は、11の囚われ、6つの慢心から、無い悪を生み出す傾向があります。

苦のハタラキが楽で、喜びで、光となります。神人共にのまつりで、楽に岩戸が開けます。
苦しんで開く岩戸は誠の岩戸ではありません。

人民の我では通らない時となった位、判って居ると、お伝えされています。
ですから、我を捨てて、此の方について、素直にいたせば、楽に大峠越せます。

時節の仕組みは、善の地の先祖をご自身に向けて押し込めねば、抱く事、理解、体験ができないようになっています。早う、千人力、くにつつみ、を起こしてください。

神には分けへだてありません。へだては人民の心にあります。

念から始めようとする事、これが無い事には、判らないようになっています。それは、理解しようとする意識から始まります。

縁(円)ある人は勇んで行けるようになっています。
円のハタラキができる人は、勇んで行けます。

此の道に進みますと、神様が守っているので、おかげ万倍となります。

神の帖面間違ひありません。

権小道師からは、帖面につきます。
7つある内の6つ目の段階に入ってきましたら、権小道師からは、帖面につき、御神示はマンデラ・エフェクトを起こし始めます。

この世は、人民の心次第で良くも悪くも出てきます。悪く変わると気の毒ですから、くどう(九土ウ)申されています。最後まで、気は抜けませんし、油断はできません。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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