無い(七一)に関する文面⑬ 三千世界、よくみよ、としますと、総てが一二三、となります

日月神示、道の生み出し方について

引き続き、無い(七一)に関する文面⑬です。

今回の文面は、黒鉄の巻の2つの文面です。

今回のマンデラ・エフェクトは、三千世界、よく見よ(四九三四)、としますと、総てが一二三、というものです。その前にあります文面から、そうだったかもしれませんが、神心には、始めも終わりもないのです。

そこで、神の御心(・)とつながって行き、三千世界、四九三四、としますと、総てが一二三という事が判ってくるのです。

もう1つの文面にも、マンデラ・エフェクトがありまして、

心は、草、木、石、星にもある、というものです。薄いか厚いかの違い、という事です。

あらゆる存在には、心(九九六)がありますから、ここから変えていくのも、道の一つです。
2024年5月より、私は、自然界とのやり取りを日々継続して以来、継続的千人力へと進まさせて頂く事となりましたが、私自身の世界からは、以降、私から見る御神示のマンデラ・エフェクトは、草木や、自然界から変えていく、そういった意図の文面が増えてきている感覚があります。

道の進み方は、一人一人違っていると思いますが、その方の進み方に応じて、御神示は、現れるものが変わっていくと見ます。

それでは、今回は、三千世界、総てが一二三の文面、また、総ての存在には、心がある、という文面。
についてお伝えしていきます。

1.黒鉄の巻(クロガネの巻) 第九帖 三千世界、よくみよ(四九三四)、としますと、総てが一二三、です。

Ⅰ.三千世界、総てが一二三、です。

神心には始めも終りも無いのぢゃ。総てがあるのであるぞ。世界見よ。三千世界よく見よ。総てが秘文ぢゃ。

神心には、始めも終わりも無いのです。
神心は、総てにおいてあります。

世界を見よ(三四)とあります。
世界を、三が道、しきまきや、と進めていけばよいのです。

更に、この後の文面がマンデラ・エフェクトと見ます。

三千世界よく見よ(四九三四)とあります。
四の行、九の行から、三が道、しきまきや、
です。
この事で、三千世界がよく判ります。

すると、総てが一二三(秘文)である事が判ってきます。
総て、三が道を生み出せる元、である事が判ってきます。

三千世界は、三が道、四の行、九の行から判ってくる事になります。

Ⅱ.他力の中に自力あります。自分ばかりでは成就しないようになっています。

他力の中に自力あるのぞ。自分ばかりでは成就せんぞ。足ふみばかり。

他力の中に自力があります。
御自身の力の源は、他力の中にあるのです。

自分ばかりでは成就しません。

足ふみばかり、とあります。

ですが、この事を理解した上で、更に、神の・、を理解、体験していき、四五十をしていく事、神の御用をしていく事が求められます。それは、御神示と共にですと、無理なく、楽に進められます。

そして、自力の中に他力と和していく事が求められます。

Ⅲ.愛と真は、まつり合わせ入れて、さらに、愛となり真となります。

愛は愛のみでは愛でないぞ。真は真のみでは真でないぞと申してあらうが。まつり合せて入れて愛となり真となるのぞ。

愛は、愛のみでは愛でなくなります。囚われとなります。

真は、真のみでは真では無くなります。こちらも囚われとなります。

まつり合わせて、それぞれ、悪、真を入れて、愛となり、真となります。

Ⅳ.愛のみでは悪、真のみですと偽となることあります。

愛のみ出ると悪となり、真のみ出ると偽(ギ)となることあるぞ。偽(イツワ)りと悪とまつりて善の働きすることあるぞ。心せよ。

愛のみ出ますと、悪となることがあります。
人の我、基軸ですと、囚われとなる為です。それが悪となる事はよくあります。

真のみ出ますと、偽(ギ)となることあります。
こちらは、愛が無い場合です。この場合、偽、と成り下がる事があります。

いずれにしても、われよし、慢心、分け隔て、から始まっています。

ですが、偽りと、悪とまつりて、善のハタラキする事があります。

心(九九六)し(四)てください。

2.黒鉄の巻(クロガネの巻) 第二十五帖 心は、草、木、石、星にもあります。薄いか厚いかの違いです。

Ⅰ.心は、草、木、石、星にもあります。薄いか厚いかの違いです。

心は草にも木にも石にもあるぞ。天にまたたく星にもあるぞ。ただ薄いか厚いかの相違であるぞ。

この文面も初めてと思います。

心は草にも木にも石にもあります。
天にまたたく星にもあります。

ただ、薄いか厚いかの相違です。

薄いか厚いか、の相違、という表現は初めてではないか、と見ます。

ですから、伝わり方も、違っています。

Ⅱ.人間の自由、発展、弥栄は、智の中に悪も善も入る所にあります。

・の中の・に悪は入れんのであるぞ。外の・の中に、外の智の中に悪が入るのぢゃ。人間の智の中には悪も善も入るぞ。入るからこそ、これは善ぢゃ、これは悪ぢゃと判るのぢゃ。人間の自由は其処にあるのぢゃ。自由なければ発展ないぞ。弥栄ないぞ。霊を信ずる者は霊と語り、肉を信ずる者は肉と語り得るのぢゃ。人間そのものから湧き出づる喜びは無いぞ。よく心得なされよ。

・の中の・に悪は入れないのです。

外の・の中に、外の地の中に悪が入るのです。

人間の智の中には、悪も善も入ります。
入るからこそ、これは善、これは悪、と判るのです。
人間の自由はそこにあります。

自由なければ発展ありません。弥栄ありません。

霊を信ずる者は霊と語ります。
肉を信ずる者は肉と語りえます。

この事から、人間の自由、弥栄、発展があります。

ですから、人間そのものから湧き出づる喜びは無い、とあります。

よく(四九)心得(九九六得)なされ(七三〇)とあります。

しきまきや、くにつつみ、から、㋰を得て下さい。
そして、もう一段上の㋰、三を得て下さい。

2.まとめ

神心には、始めも終わりも無いのです。
神心は、総てにおいてあります。

世界を見よ(三四)、三千世界よく見よ(四九三四)、としてください。
四の行、九の行から、三が道、しきまきや、です。

この事で、三千世界がよく判ります。
すると、総てが一二三(秘文)である事が判ってきます。

他力の中に自力あります。自分ばかりでは成就しないようになっています。
自力の中に他力と和していく事が求められます。

愛と真は、まつり合わせ入れて、さらに、愛となり真となります。

愛のみでは悪、真のみですと偽となることあります。
それは、われよし、慢心、分け隔て、から始まっています。

ですが、偽りと、悪とまつりて、善のハタラキする事があります。

心(九九六)し(四)てください。

心は、草、木、石、星にもあります。薄いか厚いかの違いです。

人間の自由、発展、弥栄は、智の中に悪も善も入る所にあります。
ですから、これが善、これが悪と、理解し体験して進む所があり、そこに、人の自由、発展、弥栄があります。

くにつつみ、から、㋰を得て下さい。
そして、もう一段上の㋰、三が道を得て下さい。

 

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