そなた、に関する文面7 天(・)が上で、地(千)が下で、中に・あるのがミロクの世です

日月神示、道の生み出し方について

そなた、に関する文面7に進みます。

今回は、春の巻の2つの文面をお伝えします。

今回のマンデラ・エフェクト文面は、
1つ目の文面では、ものは、はなすからこそ摑める。固く握って戸しめていてはならない。扉あけておけと申してあろう、と伝えられています。扉をあけるように、という表現は初めてでは、と見ます。

また、裸になってブツカりましたら、神様も裸になってそなたを抱いてくださる、
という、特に、神様が裸になってそなたを抱いて頂ける、というのは初めて、と見てゐます。

2つ目の文面では、
天(・)が上で、地(千)が下で、中に・があります。それがミロクの世、というものです。

このような形のミロクの世の説明も初めて、とは見ますが、この解釈も、御自身の経験、理解、段階が進んでいくごとに、様々な理解ができますので、この文面は、何回読んでも、毎回違った意味に思える文面かもしれません。

それでは、そなた、に関する文面、春の巻の2つの文面をお伝えしていきます。

1.春の巻 第十帖 行き詰まりがありがたいのは、進んでいる為です。そして、省みる時、さとりの時、与えられます。

Ⅰ.一切のものは(ウズ)です。昨日と今日、昨年と今年は、同じであって違ってゐます。

一切のものは(ウズ)であるぞ。同じことくりかへしているように、人民には、世界が見えるであろうなれど、一段づつ進んでいるのであるぞ。木でも草でも同様ぞ。前の春と今年の春とは、同じであって違って居らうがな。

一切のものは(ウズ)です。
世界は、らせん状に進んでいきます。

同じことくりかへしているように、人民には、世界が見えますが、一段づつ進んでいるのです。
昨日と今日とでは、同じであって同じでないのです。

木でも草でも同様です。
前の春と今年の春とは、同じであっても違ってゐるのです。

それは、普段の御自身の心・口・行に応じた世界へと移行することとなります。

Ⅱ.行き詰まりがありがたいのは、進んでいる為です。そして、省みる時、さとりの時、与えられます。

行き詰りがありがたいのぢゃ。進んでいるからこそ、行きあたり行きつまるのぢゃ。省みる時あたえられるのぢゃ。さとりの時与えられるのぢゃ。

行き詰まりがありがたいのです。
進んでいるからこそ、行きあたり、行き詰まるのです。

この行き詰まりは此の道に進みますと、必ずあります。

私の場合は、大なり小なり、月1~2度ありました。
この時は、省みる時、さとりの時、が与えられるのです。

これが、新たな世界を生み出す元であり、三が道の元、マンデラ・エフェクト、の元なのです。

ですが、省み、さとり、の時を放置する方もまた多いです。
この場合は、同じ山、登ったり降りたりを、平面世界で永遠に繰り返す原因となります。

Ⅲ.ものは、はなすからこそ掴めます。扉はあけておいてください。

ものは、はなすからこそ摑めるのぢゃ。固く握って戸しめていてはならんのう。扉あけておけと申してあろうが。

この表現は、初めてではないかと見ます。
ものは、はなすからこそ掴めるのです。

固く握って戸しめていてはならんようになっています。
扉あけておいてください。

それには、まかせきる事のできる神様を掴むことが求められます。
それは、此の道を素直に進み、改心を進め、嬉しきビックリを起こし、一段一段進む事が求められます。
この体験が無い事には、まかせきるのは極めて困難です。

Ⅳ.裸になってブツカりましたら、神様も裸になってそなたを抱いてくださります。

着物ぬいで裸体となることつらいであろうなれど、ぬがねば新しい着物きられんぞ。裸になってブツカレよ。神様も裸になってそなたを抱いてくださるぞよ。

ここからは、以前からあった文面ですね。

着物ぬいで裸体となることつらいと思いますが、ぬがねば新しい着物着られません。
裸になってブツカレよ。とあります。囚われを次々無くし、いらぬものは捨てる事も大切です。

ただ、この後の文面は以前あったかな、と思います。

神様も裸になってそなたを抱いてくださるぞよ。です。
結構直接的な表現ですね。いつの間にこのように神様も、そなたを抱いてくださるようになったのかな、と思います。(笑)

ですが、一切の御自身を抱いて頂けるのは、段階が進む毎に分かってきます。
私の場合は、人間以外、草木、野菜、虫、自然界達から、そのような意識を感じますし、次々衣食住が向こうから飛び込んできますから、この境地を体感していく事ができます。

それは、次々、囚われを捨てて、此の道を進んで行きますと、判るようになります。

Ⅴ.重い石のせたタクアン(十、九、九四、ン)はうまいです。

重い石のせたタクアンはうまいのであるぞ。

重い石のせたタクアン(十、九、九四、ン)はうまいのです。

神様、くにつつみ、からしきまきや、を生み出しますと、それも、重いものほどに、大きなもの、大きな嬉しきビックリ、が生み出されるようになります。

2.春の巻 第二十九帖 天(・)が上で、地(千)が下で、中に・あるのがミロクの世です。

Ⅰ.神から出るものは、理(り)です。闇(八三)の浄化から、神に従う事で弥栄していきます。

神から出るものは理(リ)にきまってゐるぞ。この平凡の理(ミチ)の道理が何故に判らんのぢゃ。得心出来んのぢゃ。それに従へばこそ向上、弥栄するのぢゃ。

神から出るものは、理(リ)にきまってゐます。

此の道に進みますと、理(り)が次々現れます。
それは、御自身の心の内の改心が進む為です。すると、外の世界が変わっていく体験をします。
それが理(リ)です。

リ、は、八三、です。闇の浄化から始まります。

この平凡の理(ミチ)の道理が何故に判らんのぢゃ、得心出来んのぢゃ、とあります。
実際、前世ヒーリングを、この道基軸に真剣に求めますと、無理なく楽に、得心できます。

ですが、多くの方は、助けて貰う基軸ですとか、あらゆる所で、囚われの過ちの道に進んでしまっています。
治してもらう事が基軸になっている方が多く、御自身の改心が基軸、という事が殆どの方は判っていません。

実際には、それに従へばこそ向上、弥栄するのです。

Ⅱ.天狗となるから、慢心するから、理(みち)が無くなるから行き詰まります。

天狗ざから、慢心するから、理がなくなるから行き詰るのぢゃ。

天狗となるから、慢心するから、理がなくなるから行き詰まるのです。

裏を返せば、天狗だったから、平面世界に閉じ込められてきましたし、慢心していたからこそ、平面世界に閉じ込められてきたのです。

それは、御自身の我、が選択してきた事ですが、11の囚われ、6つの慢心に原因がある事には、中々気づくことができません。

ですから、天狗、慢心を無くしていく事が求められます。
当初程、反省的改心が多いですが、天狗、慢心に気づき、直していく行です。

何よりも、人の我、基軸ですと、人を助けていきません。我基軸で遊ぶのが普通でしょう。
まず、この慢心に気づく事が始まりと見ます。

ですが、この大切な部分を放置する方が多いです。
その結果、行き詰まっています。

Ⅲ.理に従う方がいるので、一応は世界一家のカタできますが、それ超えてねり直してマコトの一家と進むことが求められます。

一応は世界一家のカタ出来るのぢゃ。が、それではならん。それを越えて、ねり直してマコトの一家となるのぢゃ。

一応は、理に従う方がいるので、世界一家のカタ出来ます。
ですが、それでは成らんようになっています。

それを超えて、ねり直してマコトの一家となる事が求められています。

その為には、まず、七人に道を伝えていく事が求められます。
それには、相応の経験、行をしていかないと当然できません。

此の道一本に絞って、三年の行の体験がまず、必要と見ます。

Ⅳ.天(・)が上で、地(千)が下で、中に・あるのがミロクの世です。

天が上で地が下で、中に・あるのぢゃ。それがミロクの世ぢゃ。

天が上で、地が下で、中に・あります。

中はその中間もあるでしょうし、御自身の心の内もあるでしょう。
また、あらゆる存在の中に、・があります。

それがミロクの世です。

また、・が上で、千(千人力)が下、もあるでしょう

Ⅴ.気長にやりて下さい。三千年の行を意識し、此の世で出来終わらねば、あの世までもち続けてもよいです。

気長にやれと申してあろう。長い苦心なければ よいもの出来ん。この世で出来終らねば、あの世までもちつづけても やりつづけてもよいのぢゃ。そなた達はあまりにも気が短いぞ。それではならんのう。

気長にやりて下さい。
長い苦心なければよいもの出来ない、とあります。

此の世で出来終わらねば、あの世までもちつづけても、やりつづけてもよいのです。

実際、三千年間程する可能性がある、と見てゐます。
一日が百日、一年、百年、となる段階も来ると見ます。

ですから、そなた達は、あまりにも気が短いとあります。
それではならん、とあります。
三千年の行を意識して下さい。

実際、この道に進みますと、時間経過が遅く感じますが、その意味での三千年も経験するかもしれません。

Ⅵ.マコトの生活は永遠性をもってゐます。これがないものは宗道ではありません。

マコトの生活は永遠性もってゐるぞ。これないものは宗道でないぞ。

マコトの生活は永遠性をもってゐます。
これが無いものは宗道ではありません。

ですから、永劫性のあるものを常々意識してください。

死んでもっていけるのは、理解、体験だけです。

ですから、まずは、理解しよう、という所から始めて下さい。
その上で、体験した事は、死んでもって行けます。

理解、体験の二つの基軸で、進めて下さい。
この二つが永劫の喜びの鍵、です。

3.まとめ

一切のものは(ウズ)です。らせん上に進みます。
昨日と今日、昨年と今年は、同じであって違ってゐます。

行き詰まりがありがたいのは、進んでいる為です。
そして、省みる時、さとりの時、与えられます。

ものは、はなすからこそ掴めます。
それには、まかせきる事のできる神様を掴むことが求められます。
此の道を素直に進み、改心を進め、嬉しきビックリを起こし、一段一段進む事が求められます。
扉はあけておいてください。

裸になってブツカりましたら、神様も裸になってそなたを抱いてくださります。

重い石のせたタクアン(十、九、九四、ン)はうまいです。
くにつつみ、しきまきや、から大きな嬉しきビックリを生み出してください。

神から出るものは、理(り)です。闇(八三)の浄化から、神に従う事で弥栄していきます。

天狗となるから、慢心するから、理(みち)が無くなるから行き詰まります。
当初程、反省的改心が多いですが、天狗、慢心に気づき、直していく行が大切です。

何よりも、人の我、基軸ですと、人を助けていきません。我基軸で遊ぶのが普通でしょう。
まず、この慢心に気づく事が始まりと見ます。

理に従う方がいるので、一応は世界一家のカタできますが、それ超えてねり直してマコトの一家と進むことが求められます。

その為には、まず、七人に道を伝えていく事が求められます。
それには、相応の経験、行をしていかないと当然できません。
此の道一本に絞って、三年の行の体験がまず、必要と見ます。

天(・)が上で、地(千)が下で、中に・あるのがミロクの世です。

気長にやりて下さい。三千年の行を意識し、此の世で出来終わらねば、あの世までもち続けてもよいです。

マコトの生活は永遠性をもってゐます。これがないものは宗道ではありません。
死んでもっていけるのは、理解、体験、ですから、理解、体験の二つの基軸で、進めて下さい。
この二つが永劫の喜びの鍵、です。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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