弥栄、に関する文面9 死後、内分の御自身に進み、生前の心・口・行に応じた世界に移行します

日月神示、道の生み出し方について

弥栄に関する文面9、です。

地震の巻 第二帖 その3に進みます。

今回のマンデラ・エフェクト文面は、殆ど無いと思いますが、最後がマンデラ・エフェクトでは、と見てゐます。

諸霊人は最後の状態に入り、善霊は善霊のみ、悪霊は悪霊のみ、中間霊は中間霊のみの世界に住み、善霊は善霊のみの、悪霊は悪霊のみのことを考え、且つ行為することになる。そして、それは、その時の各々にとっては、その時の真実であり、歓喜である。

特に最後ですね。
その時の各々にとっては、その時の真実であり、歓喜である。事。

善霊は善霊の世界が、その時の真実であり歓喜である事。
悪霊は悪霊の世界が、その時の真実であり歓喜である事。

ですね。

悪は悪で弥栄していく、というのが、この世界観は以前には無かったので、ここだけは、どうしてもそのように思うのです。

今回の内容は、死後とは、最終的には、御自身の内分に応じた世界に進むとあり、
それは、生前の時偽りが無かったなら、死後の内分自由自在の状態におかれて、始めて真の自分を発見し、天国的光明の扉を開く、いうものです。

一方で、偽りの生活にあった霊人は、この状態に入った時は、地獄的暗黒に自分自身で向かうようになっています。ですが、やはりこちらに行く方の方が多いでしょう。

それでは、地震の巻 第二帖 その3をお伝えしますね。

1.地震の巻 第二帖 その3 死後、内分の御自身に進み、生前の、心・口・行に応じた世界に移行します。

Ⅰ.死後の世界に入った最初の状態は、生存時と殆ど変化がありません。

死後の世界に入った最初の状態は生存時と殆ど変化がない。先に霊人となっている親近者や知人と会し、共に生活することもできる。夫婦の場合は、生存時と同様な夫婦愛を再びくりかえすことができるのである。

死後の世界に入った最初の状態は、生存時と殆ど変化がありません。

先に霊人となっている親近者や知人と会い、共に生活することもできるようです。

この後の状況は以前と変わった感があります。

特に、夫婦の場合は、生存時と同様な夫婦愛を再びくりかえす、ですね。
以前は夫婦として、位だったのが、生存時と同様な夫婦愛、ですから。

何かこれは、愈々の世、が近づいている感があります。
弥栄していく夫婦、弥栄しない夫婦、様々あります。

弥栄しない夫婦は、この後愈々の動きになる可能性があります。

Ⅱ.霊界は、想念の世界ですから、次第に死後の世界は変わっていき長くは続かないようになります。

霊界は、想念の世界であるから、時間なく、空間なく、想念のままになるのである。しかし、かくの如き死後の最初の状態は長くはつづかない。何故ならば、想念の相違は、その住む世界を相違させ、その世界以外は想念の対象とならないからである。

霊界は、想念の世界でありますから、時間なく、空間なく、想念のままになります。

しかし、かくの如き、死後最初の状態は長くは続きません。

それは、想念の相違は、その住む世界を相違させ、その世界以外の想念の対象とならない為です。
ですから、御自身の思念、に応じた世界へと移行します。

Ⅲ.死後の最初は、外部の自分にふさわさしい環境におかれるところから、内分の状態に入っていきます。

而して、最初の状態は、生存時の想念、情動がそのままにつづいているから、外部的のもののみが強く打ち出される。故に、外部の自分に、ふさわしい環境におかれるが、次の段階に入っていくと、外部的のものは漸次うすれて、内分の状態に入っていくのである。

最初の状態は、生存時の想念、情動がそのままにつづいていますから、外部的なもののみが強く打ち出されます。

故に、死後の世界に入った当初は、外部の自分に、ふさわしい環境におかれますが、
次の段階に入っていきますと、外部的なものは漸次うすれて、内分の状態に入っていきます。

Ⅳ.内分の御自身とは、本来の御自身です。この状態に入って、はじめて本来の御自身にかえります。

内分と外分とは、互に相反するが、霊人の本態は内分にあるのであるから、この段階に入って始めて本来の自分にかえるのである。

内分と外分とは、互いに相反しますが、霊人の本態は、内分にありますから、
この段階に入って始めて本来の自分にかえることとなります。

Ⅴ.生存時に偽りのなかった霊人は、死後の内分自由自在の状態におかれて、始めて真の自分を発見し、天国的光明の扉を開きます。

生存時に於ては、地上的な時、所、位に応じて語り、行為するが為に、限られたる範囲外には出られないが、内分の自分となれば、自由自在の状態におかれる。生存時に偽りのなかった霊人は、この状態に入って始めて真の自分を発見し、天国的光明の扉をひらくのである。

生存時においては、地上的な、時、場所、位に応じて語り、行為するがために、限られたる範囲外には出られないようになっていますが、内分の自分となりましたら、自由自在の状態におかれます。

生存時に偽りのなかった霊人は、この状態に入って、始めて真の自分を発見することとなり、天国的、光明の扉を開きます。

Ⅵ.生存時に偽りの生活にあった霊人は、死後の内分の世界で、地獄的暗黒に自分自身で向かいます。 御自身の生前時、心・口・行に応じた世界に移行します。

偽りの生活にあった霊人は、この状態に入った時は、地獄的暗黒に自分自身で向かうのである。かくすることによって、生存時に於ける、あらゆる行為が清算されるのである。

偽りの生活にあった霊人は、この状態に入った時は、地獄的暗黒に自分自身で向かいます。

ですから、生存時の心・口・行の一致度合によるのです。偽りが多いと死後苦しみます。

かくすることによって、生存時における、あらゆる行為が清算されます。

Ⅶ.死後、内分の自分に入った時、悪的なものは、益々悪的なものを発揮し、善的なものは善的な力を益々発揮します。

この状態に入ったならば、悪的なものは益々悪的なものを発揮し、善的なものは善的な力を益々発揮する。

この状態に入りますと、悪的なものは益々悪的なものを発揮し、善的なものはますます善的な力を発揮します。

Ⅷ.諸霊人は、善霊は善霊のみ、悪霊は悪霊のみ、の世界に住み、考え、行為するようになります。

故に、同一の環境には住み得ないのである。かくして、諸霊人は最後の状態に入り、善霊は善霊のみ、悪霊は悪霊のみ、中間霊は中間霊のみの世界に住み、善霊は善霊のみの、悪霊は悪霊のみのことを考え、且つ行為することになる。

ですから、死後、内分の状況に置かれますと、同一の環境には住み得ないようになっています。

かくして、諸霊人は、最後の状態に入り、善霊は善霊のみ、悪霊は悪霊のみ、中間霊は中間霊のみの世界に住み、善霊は善霊のみの、悪霊は悪霊のみのことを考え、かつ行為することになります。

これが、それぞれの世界の弥栄となります。

Ⅸ.それぞれ、善霊は善霊で歓喜し、悪霊は悪霊で歓喜し、それがその時の真実の世界となります。

そして、それは、その時の各々にとっては、その時の真実であり、歓喜である。

そして、それは、その時の各々にとっては、その時の真実であり、歓喜でもあります。

善霊は善霊的世界が御自身の中の真実であり、歓喜となります。
悪霊は悪霊的世界が、御自身の中の真実となり、歓喜となるのです。

ですから、死んでからでは間に合わない、というのはこういった事にあります。
生きてゐる内に、心の改心が進まないと、死んでからでは改心難しいのです。

死後とは、思念、想念の世界で、その世界からでは比較が難しい為(できない為)、同じ世界に留まらざるを得ない為です。

ですから、生きてゐる内に天国を生み出す必要があるのです。この事で死後も天国に入れる、という事になります。

2.まとめ

死後の世界に入った最初の状態は、生存時と殆ど変化がありません。
ですが、霊界は、想念の世界ですから、次第に死後の世界は変わっていき長くは続かないようになります。

死後の最初は、外部の自分にふさわさしい環境におかれるところから、漸次内分の状態に入っていきます。

内分の御自身とは、本来の御自身です。この状態に入って、はじめて本来の御自身にかえります。

生存時に偽りのなかった霊人は、死後の内分自由自在の状態におかれて、始めて真の自分を発見し、天国的光明の扉を開きます。

生存時に偽りの生活にあった霊人は、死後の内分の世界で、地獄的暗黒に自分自身で向かいます。
御自身の生前時、心・口・行に応じた世界に移行します。

死後、内分の自分に入った時、悪的なものは、益々悪的なものを発揮し、善的なものは善的な力を益々発揮します。

諸霊人は、善霊は善霊のみ、悪霊は悪霊のみ、の世界に住み、考え、行為するようになります。

それぞれ、善霊は善霊達で歓喜し、悪霊は悪霊で歓喜し、それがその時の真実の世界となります。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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