今回は、喜び、に関する文面④に進みます。
今回は、黒鉄の巻(クロガネの巻)、の第二十二帖、第三十二帖、です。
今回もマンデラ・エフェクトは結構に起こってゐます。
第二十二帖、では、
自分の心の中には、又心があり、又中の心があり、その心は神界にある、とお伝えされています。
霊界や神界のものを肉体の自分で掴もうとしても中々で、掴むには、身と魂と一つに和せねばならない、とお伝えされています。(ですから、心・口・行の一致を常々御伝えされています)
・から愛と智が生れ、智と愛と・の和合によって、・が又生まれ、・は喜びであり、無限に続く事を
伝えられてゐます。今回は、・は一つであり、また、無限に分かれてもいく事、をお伝えされています。
また、神様は、額から入って顔全体に至り、全身に及ぶ事、を伝えられています。
第三十二帖、では、
祈りとは、意が乗ること、は以前からありましたが、新たに、
祈りとは、霊の霊の霊と体と合流して一つの生命となること、また、実力、とお伝えされています。
想念は魂であり、魂は霊であり、霊の世界に属す事、を伝えられてゐます。
更に霊の霊は、霊につけられたものであり、真の生命は霊であり、生命のもとの喜びは、霊の霊にあり、霊の霊が主である事、を伝えられてゐます。
その上で、奥の奥の奥の・は、大神様に通ずる・で、喜びである事を伝えられてゐます。
また、他のいきものにも・はありますが、外の・である事、を伝えられてゐます。
このように今回は、ほぼ全面的に変わっています。
それでは、喜び、に関する文面④をお伝えしますね。
1.黒鉄の巻(クロガネの巻) 第二十二帖 ・から愛と智が生れ、智と愛と・の和合によって、・が又生まれます。・は喜びであり、無限に続きます。
Ⅰ.今現在、皆、顔まで変わり、病気になってゐるのに未だ気づかんのか、とお伝えされています。早い改心結構です。
●顔まで変ってゐるのに未だ気づかんのか。病気に皆がなってゐるのに未だ気づかんのか。何事も早い改心結構。
顔まで変わってゐるのに未だ気づかんのか。とあります。
実は、今現在の、世界全ての人を指している可能性があります。
それは、病気に皆がなってゐる為です。
大多数の人の価値観による囚われの病から中々目覚める事は難しくあります。
何事も早い改心結構です。
Ⅱ.自分の心の中には、又心があり、又中の心があります。心は神界にあり、掴むには、身と魂と一つに和せねばなりません。
●自分で自分の心の中は中々につかめんものであらうがな。その中に又心あり、又中に心があるのぢゃ。心は神界ぞ。霊界や神界のものを肉体の自分で掴まうとしても中々ぢゃ。うなぎつかみと申してあらうが。ヌラリクラリと掴んだ筈が掴んでないぞえ。掴むには身と魂と一つに和せねばならん。
この表現は初めてと見ます。
自分で自分の心の中は、中々つかめないもの、とお伝えされています。
それは、御自身の心の中に、又心があり、その又中に心がある為です。
心は神界です。
霊界や神界のものを肉体の自分で掴もうとしても中々です。
うなぎつかみと申してありますが、ヌラリクラリと掴んだはずが掴めていない、とお伝えされています。
掴むには、身と魂と一つに和せねばならんようになっています。
Ⅲ.・から愛と智が生れ、智と愛と・の和合によって、・が又生まれます。・は喜びであり、無限に続きます。
●・から愛と智とが生れると申してあらうが。智と愛と・の和合によって・が又生れるのぢゃ。・は喜びであるぞ。・の別の・であるぞ。その・から又別の愛と智が生れ、又別の・が喜びとなり、その喜びの愛と智の喜びと結んで、又喜びの・生れるのぢゃ。
・から愛と智とが生れるのです。
智と愛と・の和合によって、・が又生まれます。
・は喜びです。
・の別の・です。
その・から又別の愛と智が生れ、又別の・が喜びとなり、その喜びの愛と智の喜びと結んで、又喜びの・生まれます。
この事から、・とは、一つであり、無限に分かれて行く、とも捉えられます。これが弥栄です。
Ⅳ.神様は、額から入って顔全体に至り、全身に及びます。
●神は額から入って顔全体に至り、全身に及ぶものであるぞ。
これも初めてと見ます。
神様は、額から入って顔全体に至り、全身に及ぶもの、とお伝えされています。
ですから、顔の相、全身は、御自身に応じた神様と共に変わっていきます。
2.黒鉄の巻(クロガネの巻) 第三十二帖 生命のもとの喜びは、霊の霊です。霊の霊が主です。奥の奥の奥の・は、大神様に通ずる・です。喜びです。
Ⅰ.祈りとは、意が乗ること、霊の霊の霊と体と合流して一つの生命となることです。実力です。
●祈りとは意が乗ることぞ。霊の霊と霊と体と合流して一つの生命となることぞ。実力であるぞ。
祈りとは、意が乗ることです。
この後が初めての文面ですね。
祈りとは、霊の霊と霊と体と合流して一つの生命となることです。
また、祈りとは、実力、の事です。
祈りとは、実力、と伝え始められています。
Ⅱ.想念は魂です。魂は霊であり、霊の世界に属します。霊の霊は、霊につけられたものです。
●想念は魂。魂は霊であり、霊の世界に属し、霊に生きるのであるぞ。ものは霊につけられたもの、霊の霊は、霊につけられたものであるぞ。
この表現もマンデラ・エフェクト、と見ます。
想念は魂です。
魂は霊であり、霊の世界に属し、霊に生きるのです。
ものは霊につけられたもの、霊の霊は、霊につけられたものです。
霊にも、又その霊があります。
Ⅲ.真の生命は霊であり、生命のもとの喜びは、霊の霊です。霊の霊が主です。
●ものにはものの生命しかない。真の生命は霊であるぞ。生命のもとの喜びは霊の霊であるぞ。霊の霊が主ざと申してあらう。
ものには、ものの生命しかありません。
真の生命は霊にあります。
生命のもとの喜びは、霊の霊にあります。
霊の霊が主です。
Ⅳ.奥の奥の奥の・は、大神様に通ずる・です。喜びです。
●奥の奥の奥の・は大神に通ずる・であるぞ。喜びであるぞ。・ある為に人間となり、人間なるが故に神となり、神なるが故に喜びであるぞ。
この文面も初めて、です。
奥の奥の奥の・は、大神様に通ずる・、です。
喜びがあります。
・がある為に人間となり、人間なるが故に神となります。
人間は、神となるが故に喜びです。
Ⅴ.他のいきものにも・はありますが、外の・です。
●他のいきものにも・はあれど、外の・であるぞ。
他のいきものにも、・はありますが、外の・です。
外の・、とは、また別の・と言えます。
3.まとめ
今現在、皆、顔まで変わり、病気になってゐるのに未だ気づかんのか、とお伝えされています。
実は、全ての方々が顔まで変わり、病気になってゐるようです。
何事も早い改心結構です。
自分の心の中には、又心があり、又中の心があります。
心は神界にあるので、霊界や神界のものを肉体の自分で掴もうとしても中々です。
掴むには、身と魂と一つに和せねばなりません。
・から愛と智が生れ、智と愛と・の和合によって、・が又生まれます。
・は喜びであり、無限に続きます。
神様は、額から入って顔全体に至り、全身に及びます。
祈りとは、意が乗ること、霊の霊の霊と体と合流して一つの生命となることです。実力です。
想念は魂です。魂は霊であり、霊の世界に属します。霊の霊は、霊につけられたものです。
真の生命は霊であり、生命のもとの喜びは、霊の霊です。霊の霊が主です。
奥の奥の奥の・は、大神様に通ずる・です。喜びです。
・がある為に人間となり、人間なるが故に神となります。
人間は、神となるが故に喜びです。
他のいきものにも・はありますが、外の・です。
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