引き続き、くにつつみ、に関して、九二に関する文面その2です。
九二に関する文面については、厳しめの事が、今回も書かれています。
今回は、もう甘くできない時に来てゐますから、これからキチリキチリ、神の規則通りに行う事について。
もう1つは、九二十九十千(クニトコタチ)の大神様の御実体につきまして、の文面です。
いずれも、九二に関する長い文面ですが、それぞれお3つずつに分けて、合計6つで御伝えしていきます。
1.くにつつみ 九二に関する文面について その2
Ⅰ.もう甘く出来ませんから、これからはキチリキチリと神の規則通り行ひます
●ひかる誠の行をさしたら、皆 逃げて了ふから、ここまで甘くして引張って来たなれど、もう甘く出来んから、これからはキチリキチリと神の規則通りに行ふから、御手柄結構に、褌しめて下されよ。この世は神の国の移しであるのに、幽界から移りて来たものの自由にせられて、今の体裁、この世は幽界同様になってゐるぞ。
ひかる誠の行をさしたら、皆 逃げてしまふから、ここまでは甘くして引っ張ってきた成れど(七〇土)、もう甘くは出来んから、これからはキチリキチリ(キ、千、理、キ、千、理)と神の規則通りに行ふから、御手柄結構に、褌しめて下されよ(九、裏十、三、〇、四)、
と伝えられています。
実際、いきなり、ひかる誠の行をさしたら、皆、逃げ出してしまいます。
私の今の行を、三年前、五年前の自分にいきなりさしますと、逃げる以外ないと思います。
一段一段、我の改心と共に進めていくからこそ、できるようになっていますし、実際、嬉しきビックリ、此の神様と日月神示と共にでない事には、無理です。
実際、段階が進むに連れ、嬉しきビックリ、次々満たされていきますし、御手柄結構にさせて頂く事も度々ありますが、確かに、多くの方からは、手柄であったかどうかも判らないような感じです。
ですが、嬉しきビックリ、とは、そういったもので、平和すぎる、小難、無難で済まさせて頂いてゐるのですが、だからこそ、ビックリ、という事もあります。
ですが、その事に対し、人の我、が我良しのままですと、嬉しきビックリとは思う事もできません。人がしたもの、自身がしたもの、と思い込む事も多いです。人の我、とは、そういったもの、とは思っています。
ですから、改心、が求められますし、何より、御自身が行をしていく事で、改心が進むのですが、実際には我で進む方は、逆行する方が殆どです。お手柄は自分したものと思う傾向が強く、させて頂いている、という感覚が薄いです。
此の後、キチリキチリ(キ、千、理、キ、千、理)と神様の規則通りに行われているので、その御手柄と共に、褌(二、ん、土、四)しめて下されよ(九、裏十、三、〇、四)、と伝えられています。此の道に進み、千人力によって、道を進まないと判らない内容です。
神の規則の最初のものとして、
●人を助けずに我を助けてくれと申しても、それは無理と申すもの。神にも道はまげられんぞ。
ここは、忘れずにいてください。
そして、神の申す通り、素直に弥栄実践、祓実践、まつり実践、から、行じ、省み、我の洗濯、掃除、改心を進め、百日、半年、一年、そして、一年半を過ぎますと、やがて千人力へと進む事になります。
それは、一人ではできない行です。一対一、二人で進めて下さい。
お手柄と共にですから、まず、嬉しきビックリ、お手柄をしていく段階が求められます。
まず千人力からです。此の道に進んで、1年半~3年の間に起こっていきます。
ですが、我の改心が伴い、心・口・行、一致しませんと、大抵1年半までで挫折します。その場合、出直しになりますし、ここまでの方の方が圧倒的多数です。
命がけでないと、実現しない事も忘れないで下さい。
此(九)の世は神様の国の移しであるのに、幽界から移りてきたものの自由にさせられて、今の体裁、此の世は、幽界同様になってしまっていますので、簡単ではありません。
ですが、日月神示と共に、此の道に進みますと、無理なく楽に進めるようになっています。
御自身の我に騙されず、我の改心と共に進んで下さい。
Ⅱ.地は九二(クニ)のやり方せねば治まりませんので、早う気付いた方から、救ひの舟を出してくだされよ。としてください
●地は九二(クニ)のやり方せねば治まらん。早う気付いた人民から、救ひの舟を出して下されよ。これと信じたらまかせ切れよ。損もよいぞ。病気もよいぞ。怪我もよいぞ。それによって めぐり取っていただくのぞ。めぐりなくなれば日本晴れぞ。今がその借銭済しぞ。世界のめぐり大きいぞ。
地は九二(クニ)のやり方(八理かた)せねば治まらないようになっています。
早う(八四ウ)気付いた人民から、救ひの舟を出して下されよ(九、裏十、三、〇、四)。と伝えられています。
これと信じたらまかせ切れよ(キ、〇、四)と御伝えされます。
これも、必ず試されますが、多くの方は、中々まかせ切れません。
実際には、千人力の境地を体験するあたりから、ようやく、まかせ切れるようになります。
ですが、殆どの方々は11の囚われを取りますので、その為にも、まず、しきまきや、を起こし続けていく事がお勧めです。最初の一年半が、正念場の方多いです。そして、出直し、が多いです。
損もよいぞ。病気もよいぞ。怪我もよいぞ。
と伝えられています。
それによって めぐり取って頂いているのです。
この体験もしないと、此の道に進んでゐる実感は持てないですが、そのめぐりに対し、腹を立て、すぐ去る方も多いです。それは、近欲だからですが、突き詰めますと、五三体の大神様の背負われている苦に対して、あまりに慢心しているのですが、その事に気付くのも、御神示読まないと判りません。
この辺りも、此の道に進んでゐますと、無理なく進みます。
めぐりなくなれば日本晴れです。
今がその借銭済ましの段階です。
世界のめぐり大きいです。
此の道の仕事はいくらでもあります。お陰取り徳です。
御自身のできる所より進めて下さい。
Ⅲ.真理は霊(〇)、芸術は体、です。正し芸術から神の理(ミチ)に入るのもよいです
●真理は霊、芸術は体であるぞ。正し芸術から神の理(ミチ)に入るのもよいぞ。説くのもよいぞ。芸術の行き詰りは真理がないからぞ。芸術は調和。七つの花が八つに咲くぞ。
真理は霊(〇)、芸術は体(〇)です。
正しい芸術から、神様の理(ミチ)に入るのもよいです。
説く(十九)のもよいです。
芸術の行き詰まりは、真理(四ん理)がないからです。
しきまきや、から、新たな道を生み出してないからです。
その為には、苦を苦で無くす、くにつつみ、を次々進める事がお勧めです。
いろは、のみの芸術はそれなりに多いですが、ひふみの理解のないものが多く、このため、十人分止まりになる事も多いです。もしくは、悲しみの愛の芸術ですが、こちらも理解から、苦を苦で無くす、解決から新たな世界を生み出す作品、芸術は中々にありません。
ひふみ、と共に、苦を苦で無くす、しきまきや、くにつつみ、千人力、を理解体験してからの、いろは、がお勧めです。
ただ、ひふみ、と、いろは、は、ひふみの方が圧倒的多く記載されている事は、日月神示を読まれるとお解りだと思います。ですから、まずは、ひふみ、から、の行をしていく事が求められるのです。
芸術は調和。七つの花(八七)が八つに咲きます。これも、七つから、もう一段上の八に咲くという事になりますが、しきまきや、くにつつみ、要るのだと思います。
また、段階が進みますと、まず、道を七人に伝えていく事で、八つ(神様)に咲く(三九)という事もあります。
Ⅳ.九二十九十千(クニトコタチ)の大神様の御実体につきまして
●心の洗濯 早ういたして 太(オオヒツキ)太神様に、殊に育ての、生みの親さま 九二十九十千(クニトコタチ)の大神様の御実体を理解せねば、自分でいくら頑張っても やりそこないぢゃ。われがわれがと思ふてゐるなれど、皆このほうがかげからさしてゐるのに気づかんのか。
心(九九六)の洗濯 早う(八四ウ)いたして、オオヒツキ太神様に、マコトに育ての、生みの親様、九二十九十千(クニトコタチ)の大神様の御実体(五十十一)を理解せねば、自分でいくら頑張っても やりそこないぢゃ。と伝えられています。
九二十九十千、はそのままですが、苦を苦で無くす二二の仕組から、神を生み出していくコト、千人力によって進んで行く神様、です。
これを体験していく事が求められるのですが、それは、御実体(五十十一)、五十名のカミヒト達と共に進んで行く者、という事でしょうか。
ですから、道を七人に伝えられる、事がまず最初で、七七四十九人と、御自身合わせて、五十名のカミヒトと共に和して進む流れ、と見てゐます。この文面から読み取れる、九二十九十千(クニトコタチ)の大神様の御実体(五十十一)です。
その七人も中々です。
その七人が、また、七人に道を伝えられる事が求められるからです。
ですから、われが、われが、と思ふてゐるなれど、皆、こ(九)のほうが、かげからさしてゐる。
この事に気付ける事がまず、求められるのです。
そういえば、千人力とは、確かに自分の力は一人分なのですが、目に見えない何かによって、千人分を起こさせて頂いている状態です。
ですから、千人力の境地を、伝えられるようになるだけの行を、まず、進めていく事が求められます。
これは、此の神様と共にですと、無理なく進めるようになっています。
Ⅴ.そんな悪い事した覚えない、と思われて普通だと思いますが、その思いが強い程、囚われています
●おわびせよ。と申せば、そんな悪いことした覚えないと申すが、何処迄くもったのぢゃ。
これは、誰もが思うと思います。
私自身も、「そこまで悪いことしましたでしょうか。」と、ここまで来るまで何十回も聞きました。
ですが、即答で「ハイ、其の通りです。」毎度毎度返って来ます。
その度に「人ってやっぱり悪い事、周りが皆良いと言えば、してしまうよなあ・・・。」
と何度も思っています。
周囲とは生前からの御自身でもあり、今のままですと、未来も同じになります。
ですから、どうやっても81の世界にしか行けない、という事は容易に想像つきますし、ここだけは、全く揺らぐ事もなく、昔から中学生位から、ずっと其の通り、だと思ってきています。
ですから、これだけ平穏で移行させて頂いてゐる事自体、がまずビックリです。
特に第二次世界大戦以降、マンデラ・エフェクトの連続で今に至ってゐます。
第二次世界大戦前までの人類の価値観からしますと、今の平和すぎる世、が嘘としか思えません。
こういった平和な世界が実現してしまっている事もあるので、今の世の有様が御自身に応じているという思い込みあるでしょうから、より、そんな悪いことした覚えない、と思ってしまうのも仕方ありません。
ですが、大多数による囚われ、11の囚われ、から目を醒ます事だけでもかなり大変ですし、其の元が、慢心である事まで気付くには、実感するまでかなりかかります。
この文面の重みを意識、理解するまで、実際には相当時間がかかると思って下さい。
その為には、多くの九、アク、を理解していく事にあります。
此の世から、戦争、殺人事件、自殺。が無くなる並行宇宙が実現するまでは、まだまだ、と思って下さい。全人類が、菜食する事と同じ位、簡単ではありません。
Ⅵ.神にささげるには、自分に与へられたものの中からささげる事で弥栄えます。おかげ万倍間違いひありません
●神にささげるには、自分に与へられたものの中から ささげねばならんぞ。むさぶり取ったり横取りしたり、自分のものでないもの、もうけたカスを神にささげて威張ってゐるが、それはささげ物にならん。神は受け給わんぞ。泥棒のお残りちょうだいは真平ぢゃ。自分のもの先づささげるから弥栄えるのぞ。おかげ万倍間違ひなし。
神様にささげるには、自分に与へ(あ、十、経)られたものの中から、ささげねば、成ら(七〇)ないようになっています。御自身が、永劫の過去より、神様から経て、生み出したものの中からささげて下さい。
人の手柄をむさぶり取ったり、横取りしたり、自分のものでないもの、もうけたカスを神様にささげて威張ってゐる方も多いのですが、それでは、ささげ物にはなりません。
神様は、受け給わん、と御伝えされています。
泥棒の御残りちょうだいは、真っ平と伝えられていますが、これも、通常、誰もが通る道です。
自分のもの、先ずささげるからこそ弥栄えるのです。
そして、これ以外、此の道に進む事もない、という事です。
御自身のもの、先ずささげていく事が最初の行です。
そして、それは、時間もかかり、手数もかかり、お金もかかり、努力も要ります。
ですが、この事をしていくからこそ、おかげ万倍間違ひなくなっていくのです。
2.まとめ
ひかる誠の行をさしたら、皆 逃げてしまふから、ここまでは甘くして引っ張ってきたなれど、もう甘くできませんので、これからはキチリキチリと神の規則通り行いますから、御手柄結構に、千人力の境地まで早く来て、褌しめて下されよ。と伝えられています。
地は九二(クニ)のやり方せねば治まりませんので、早う気付いた方から、救ひの舟を出してくだされよ。としてください。
真理は霊(〇)、芸術は体、です。正し芸術から神の理(ミチ)に入るのもよいです。
ひふみの理解のないいろはか、新たな世界を生み出していない悲しみの愛の芸術が多いので、
ひふみ、から生み出した、いろは、で進んで下さい。
九二十九十千(クニトコタチ)の大神様の御実体(五十十一)を理解せねば、自分でいくら頑張っても やりそこないぢゃ。と伝えられています。
苦を苦で無くすくにつつみ、から千人力を起こす事がまず大前提ですが、最終的には、五十人のカミヒトと共に進む仕組です。この方が陰からさせて頂いてゐる事に気付けてない方、多いです。
そんな悪い事した覚えない、と思われて普通だと思いますが、その思いが強い程、囚われています。
この事を気付くには、行と共に、かなりの時間を伴います。
神にささげるには、自分に与へ(あ、十、経)られたものの中からささげる事で弥栄えます。御自身が、永劫の過去より、神様から経て、生み出したものの中からささげて下さい。おかげ万倍間違ひありません。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。