愛に関する文面、三回目です。
引き続き、白銀の巻を進めていきます。
今回は、第四帖です。
また、愛のある文面では、白銀の巻では最後になります。
相変わらず、第四帖でも、マンデラ・エフェクトは起こっています。
今回は、愛でも、ハタラキの重要性についてお伝えしていきます。
1.白銀の巻 第四帖 ハタラキがあってこその愛、・なければ悪となります。
Ⅰ.凸凹(デコボコ)あるから力あらはれます。故に、偽善者でも、真を語り、真を伝え、愛を云ひ得ます。
●凸凹(デコボコ)あるから力あらはれるのぞ。凸凹あるため、善のみでも呼吸し、又真(シン)のみでも呼吸(イキ)するのであるぞ。偽善者も真を語り、真を伝へ得るのであるぞ。愛を云ひ得るのであるぞ。幽界と申すのは凸凹のうつしの国と申してあらうがな。地獄ではないのざ。仙人は幽界に属してゐるのざと聞かしてあらうが。取違ひして御座るぞ。
凸凹(デコボコ)ありますから、力があらはれるようになっています。
凸凹(デコボコ)あるため、善のみでも呼吸し、又、真(シン)のみでも呼吸(イキ)するのです。
偽善者も真を語り、真を伝へ得るのです。
愛を伝ひ得るのです。
幽界と申すのは、凸凹(デコボコ)のうつしの国、なのです。
地獄ではありません。
ですから、幽界では、まず、喜び基軸で動く事が大切で、その中での凸凹がある為に、新たな世界を生み出せるのです。
仙人は幽界に属してゐるのです。これも囚われですが、ですが、新たな世界を生み出す元がある、との事です。
取違ひしていらっしゃるとあります。
Ⅱ.愛のみ、真のみ、ですとハタラキ、喜びが無く、罪、穢れ、となります。・入らねば悪となります。
●愛は真と和して愛と生き、真は愛と和し、愛によって真の力現はれるなれど、愛のみでも愛であるぞ。真のみでも真であるぞ。只はたらき無いのざ。能(ハタラキ)ないもの力ないぞ。喜びないぞ。喜びないもの亡びるのざ。・入らねば悪となるぞ。能(ハタラキ)なきもの罪ぞ。穢れぞ。
愛は真と和して愛と行き、真は愛と和し、愛によって真の力現はれるのです。
ですが、愛のみでも愛で存在しえますす。
真のみでも真で存在しえます。
ですが、はたらきないのです。
ハタラキないもの力ないのです。喜びないのです。
喜びないもの亡びるのです。
・入らねば、悪となります。
また、ハタラキなきもの罪、穢れ、となります。
Ⅲ.善と悪の二道かけては喜びありません。喜びないものは亡びます。
●善と悪と二道かけてならんぞ。理(ミチ)は一本と申してあらう。悪は悪として御役あるぞ。悪と偽りの中に悪の喜びあるぞ。善と悪の二道の中には、二道かけては喜びないぞ。喜びないもの亡びるのざ。
善と悪と二道かけてはならんようになっています。
理は一本です。善として進む一本です。新たな世界を生み出す連続です。
悪は悪として御役があります。
悪と偽りの中に悪の喜びがあるのです。
その悪と和す事が求められるのです。
そして、悪と和すことで新たな世界を生み出す事。それそのものが善なのです。
ですから、悪への理解、が求められます。悪の喜びへの理解です。
でなければ、和す事ができない為です。
まことの善が、悪に似ている、悪に見えるのはそういった事です。
善と悪の二道の中には、二道かけては喜びがないのです。
喜びがないものは亡びます。
ですから、理、一本、喜び基軸で、生み出す事が求められます。
悪と和する事が喜びなのです。
Ⅳ.御役の悪とは偽りの悪です。
●御役の悪とは悪と偽りの悪であるぞ。悪と善との二道かけての悪でないぞ。心せよ。
御役の悪、という単語はマンデラ・エフェクトですね。
御役の悪とは、悪と偽りの悪です。
これらは、御役ですので、和する事で、善と転化していくのです。
悪と善との二道かけての悪はありません。
必ず、和する道が存在しているのです。
故に道は一本なのです。心して下さい。
Ⅴ.善に向かって働いても、善はビクともしない理由。無の中、・の中にある為です。
●悪は悪にのみ働きかけ得るのであるぞ。善に向って働いても、善はビクともせんのぢゃ、ビクつくのは、悪に引込まれるのは、己に悪あるからぞ。合せ鏡と申してあらうが。
悪は悪にのみハタラキかけ得るのです。
善に向かって働いても、善はビクともせんのです。
その理由の一つは、悪から見ますと、善は無の中、・の中にある為です。
その為、悪にビクつくのは、悪に引き込まれるのは、御自身に悪あるからです。
それが、合わせ鏡、です。
御自身の中に、その悪について、どれだけ解決して、改心しているかが試されるのです。
ビクつくのは、悪を悪で無くす、解決策が判ってゐない為です。
この状況の方は非常に多いです。
悪への理解を止めてしまっている事が殆どで、分け隔ては、ここから生まれます。
分け隔ては、新たな世界を生み出せる事を忘れる元となります。
ですから、悪への理解、が大切です。
悪への理解が無い事には、悪を悪で無くし、新たな世界を生み出せない為です。
Ⅵ.悪あればこそ向上します。
●悪の気断ちて下されと申しておらう。心の鏡の凸凹なくなれば悪うつらないのざ。悪はなきものぞ。無きとは力無きことぞ。悪あればこそ向上するのであるぞ。悔い改め得て弥栄するのであるぞ。人間の能(ハタラキ)あるのざぞ。・を忘れてはならん。
悪のキ断ちて下され、と申されています。
心の鏡の凸凹なくなれば、悪うつらないのです。
つまり、悪を悪で無くせるように、解決していければよいのです。
悪はなきものです。
無きとは力無き事です。
それは、理解をしないから、力なきものとできないのです。
これが、悪抱き参らせるです。
このようにして、悪を悪で無くしていく事で新たな世界が次々生まれていくのです。
このように、悪あればこそ向上するのです。
悪の理解から、それは、御自身のしてきた事でもあるので、この理解から、悔い改め得て、弥栄するのです。
人間のハタラキはそこにあります。
・を忘れてはならんようになっています。
ちなみにですが、悪とは、この三次元世界でも、人間特有のもの、という事の理解が大切です。
他の存在達、草木、大気、菌、土、には、殆ど見受けられません。(動物がややありますが、人間程はありません)
2.まとめ
凸凹(デコボコ)あるから力あらはれます。
故に、偽善者でも、真を語り、真を伝え、愛を云ひ得ます。
幽界とは、凸凹のうつしの国で、地獄ではありません。
愛は真と和して愛と生き、真は愛と和し、愛によって真の力現はれます。
ですが、愛のみ、真のみ、でも存在はし得るのですが、ハタラキがない為に、力が出ず、喜びとならないのです。
喜びが無い為に亡びるのです。このように、・が入らないと悪になります。
ハタラキなきもの罪、穢れ、となります。
善と悪の二道かけては喜びありません。
善は一本道であり、悪と和する事で、一本道となります。
その為には、悪と偽りの悪の喜びの理解が大切です。
その喜びないものは亡びます。
御役の悪とは、悪と偽りの悪、です。
御役ですので、和する事で、善と転化していくのです。
善に向って働いても、善はビクともしません。それは、善は無の中にあり、・の中にある為です。
悪にビクつくのは、悪への理解をせず、分け隔てをしている為で、悪を悪で無くし、新たな世界を生み出せる事を忘れている為です。
悪を悪で無くし抱き参らせれば、心の鏡の凸凹なくなれば、悪うつらなくなります。
このように、悪あればこそ向上します。悔い改めて弥栄するのです。
人間のハタラキは、この悪への理解、悪を悪で無くしていく事にあります。
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