今回は、地震の巻にあります、愛に関係する文面について、御伝えしていきたい、と思います。
そもそも、私自身、地震の巻は苦手でした。
哲学的だけでなく、何が伝えたいか、よく分らなかった為でした。
ですが、段階が進むにつれて、長文化のマンデラ・エフェクトだけでなく、かなり具体的に分かりやすい内容になってきています。
そういった意味では、地震の巻では、立体の此の世界の事を、平面的に分かりやすく伝えている所もある、といえます。と、同時に、平面のこの世界の事、も詳しく伝えています。
もし、段階が進んで来ましたら、地震の巻をゆっくり読んで頂いても・・・と思いますが、返って、地震の巻の方が分かりやすい、という方もいるのでは、と思います。
ただ、一文が長文の傾向もあり、これを判りやすく伝えていくのも、また難しくあります。
そこでですが、絞って、比較的短めの文面で、御伝えしていきたいと思います。
1.地震の巻 愛に関する文面① 第一帖~三帖 愛、真、はハタラキです
Ⅰ.存在の仕方について。その前なるものが必ずあるから、生命し、存在し、弥栄します。全ての本体は、無、です。
●何ものも、それ自らは存在しない。弥栄しない。必ず、その前なるものによって呼吸し、脈うち、生命し、存在し、弥栄する。また、総てのものの本体は、無なるが故に永遠に存在する。
この文面は、存在の仕方、そのものについてお伝えされています。
これはさすがに以前無かったなあ、と思っています。
何ものであっても、それ自らは存在しません。弥栄しません。
必ず、その前なるものによって呼吸し、脈うち、生命し、存在し、弥栄します。
また、
全てのものの本体は、無です。
故に永遠に存在する事になります。
この文面も以前は無かったと思います。全てのものの本体は、無・・・ですよ。
このように、実は、周囲の存在全ては、存在している訳ではないのですが、その前なるものによって、呼吸し、脈打ち、生命しているからこそ、存在し、弥栄するのです。
この文面は判りやすいですが、そういえば、御自身も存在していないと言えばしていないようです。ですが、存在しているのは、その前なるものによって存在しているのです。
これも考えにくいですが、実は、御自身が存在している理由は、大神様があり、元の神様があった為です。故に、永遠に大神様、元の神様を超える事ができない、という事のようです。
ですから、全てのものの本体は無なるが故に永遠に存在しているのです。
Ⅱ.宇宙は神の中に生み出されます。ハタラキが愛、真で、また存在せず、只大歓喜のみが脈打ち、呼吸し、生長します。
●宇宙は、神の中に生み出され、神と共に生長し、更に常に神と共に永遠に生れつつあ る。その用は愛と現われ、真と見ゆるも、愛と云うものはなく、また、真なるものも存在しない。只大歓喜のみが脈うち、呼吸し、生長し、存在に存在しつつ弥栄するのであ る。
愛と云うものはなく、また、真なるものも存在しない。
このような書き方も以前無かったと思います。
宇宙は、神の中に生み出され、神様と共に生長し、更に常に神様と共に永遠に生れつつあ る。のです。
あ、と、る、の間に空白がありますが、無から生み出している、と意味しています。
そのハタラキは、愛と現れ、真と見ゆるも、愛と云うものはなく、また、真なるものも存在しない、のです。
ただ、大歓喜のみが脈うち、呼吸し、生長し、存在に存在しつつ弥栄するのです。
愛も、真も、ハタラキとしての現れであって、存在はしていないといえばしていないのです。
ですが、大歓喜の中に、脈打ち、呼吸し、生長するからこそ、存在に存在しつつ弥栄していくのです。
Ⅲ.存在は、絶えず弥栄するのは、⦿が大歓喜の本体であり、(ウズ)のハタラキによります。
●存在は千変万化する形に於て、絶えず弥栄する。それは⦿であり、(ウズ)なるが故である。⦿は大歓喜の本体であり、(ウズ)はその用である。それは、善でもなく悪でもない。真でもなく偽でもない。美でもなく醜でもない。また愛でもなく憎でもない。プラスでもなければマイナスでもない。しかし、善の因と真の因とが結合し、悪の因と偽の因とが結合し、美の因と愛の因とが結合し、醜の因と憎の因とが結合して、二義的には現われ、働き、存在として、またはたらく。
存在は千変万化する形において、絶えず弥栄していきます。
それは、⦿であり、(ウズ)なるが故です。
⦿は大歓喜の本体でもあり、(ウズ)はそのハタラキです。
それは、善でもなく悪でもありません。真でもなく偽でもありません。
美でもなく醜でもありません。愛でもなく憎でもありません。
プラスでもなければ、マイナスでもありません。
ですが、善の因と真の因が結合し、悪の因と偽の因が結合し、美の因と愛の因とが結合し、醜の因と憎の因とが結合して、二義的には現われ、働き、存在として、またはたらく。ようになっています。
善、悪、真、偽、美、愛、醜、憎。
これらは、因の結合によって、二義的に現れ、それがハタラキ、であり、その存在が、また、ハタラキ、となっていきます。
Ⅳ.個と全体、愛と真との差が益々明らかとなり、結合が益々強固となるのが、神律です。
●愛の影には真があり、真の影には愛がはたらく。地上人の内的背後には霊人があり、霊人の外的足場として、地上人が存在する。地上人のみの地上人は存在せず、霊人のみの霊人は呼吸しない。地上人は常に霊界により弥栄する。弥栄は順序、法則、形式によりて成る。故に、順序を追わず、法則なく、形式なき所に弥栄なく、生れ出て呼吸するものはあり得ない。個の弥栄は、全体の弥栄である。個が、その個性を完全に弥栄すれば全体は益々その次を弥栄する。個と全体、愛と真との差が益々明らかになれば、その結合は益々強固となるのが神律である。霊界と物質界は、かくの如き関係におかれている。其処にこそ、大生命があり、大歓喜が生れ、栄えゆくのである。
愛の影には、真があります。
真の影には、愛がはたらきます。
愛、真、共に存在する事で、そのハタラキが進みます。
地上人の内的背後には、霊人があり、霊人の外的足場として、地上人が存在しています。
霊人と地上人は、お互いに関わっている事で存在しています。
ですから、地上人のみの地上人は存在せず、霊人のみの霊人は呼吸しないようになっています。
地上人は、常に霊界によって弥栄するのです。
弥栄は、順序、法則、型式によりて成るので、かずたま、ことたま、いろたま、の順はもとより、和することで新たな世界を生み出すその法則によって弥栄していきます。
ですが、この型式なき所には、弥栄なく、生れ出て呼吸するものはあり得ないのです。
型式ないという事は、逆行し、別世界に移行し、捉われの世界、地獄の世界、81の世界、となっていきます。
個(九)の弥栄は、全体の弥栄でもあります。
個が、その個性を完全に弥栄すれば、その全体は、益々その次を弥栄する事になります。
ですから、先ずは、個々の世界の弥栄から始めていく事にあるのです。
個と全体、愛と真との差が益々明らかになりますと、その結合は、益々強固となるのが、神律です。
ですから、大きな差異を和する事ができますと、神律がより強固になっていくのです。
神律、というのも、新たに見る単語です。
霊界と物質界は、かくの如きの関係におかれています。
そこにこそ、大生命があり、大歓喜が生れ、弥栄していくようになっているのです。
2.まとめ
しかしながら驚きです。
あらゆる存在は、その本体とは、無なのです。
周囲だけでなく、御自身もです。
存在している理由は、その前がある為であって、その事で、生命し、存在し、弥栄します。
更には、御自身が存在しているのは、大神様があり、元の神様があった為です。
ですから、全てのものの本体は無なるが故に永遠に存在しているのです。
宇宙は、神の中に生み出され、神様と共に生長し、更に常に神様と共に永遠に生れつつあ る。のです。
ただ、大歓喜のみが脈うち、呼吸し、生長し、存在に存在しつつ弥栄するのです。
存在は、絶えず弥栄するのは、⦿が大歓喜の本体であり、(ウズ)のハタラキによるものです。
善、悪、真、偽、美、愛、醜、憎。
これらは、因の結合によって、二義的に現れ、それがハタラキ、であり、その存在が、また、ハタラキ、となっていきます。
弥栄は順序、法則、形式によりて成り立ちます。
個が、その個性を完全に弥栄すれば全体は益々その次を弥栄する事になります。
個と全体、愛と真との差が益々明らかとなり、結合が益々強固となるのが、神律です。
霊界と物質界は、かくの如き関係におかれています。
其処にこそ、大生命があり、大歓喜が生れ、弥栄していく事になります。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。