ひふみ祝詞、の理解、体験から、いろは祝詞、の順に進んで下さい

日月神示の道① 祈り、礼拝について

今回は、ひふみ祝詞、いろは祝詞、について、様々詳しく御伝えしていきたいと思います。

1.かずたま基軸を常に意識して下さい

日月神示の原文は多くは数字です。
そして、他、カタカナ、ひらがな、特殊文字、といった感じです。

ですから、まず、数字。かずたま、を意識して読んで頂きたいのです。

Ⅰ.高度の霊人になる程に、一語が、数十、数百語となっていきます

霊人の一語は地上人の数十語、数百語に価する場合が多く、その霊人が高度の霊人であればあるだけに、その度を増してくるのである。

高度の霊人となる程に、一語で、数十語、数百語を伝えていく事になり、その霊人が高度の霊人であればあるだけに、その度を増して行きます。

Ⅱ.高度の霊界人の文字は、数字のみが使用されている場合があります

但し、高度の霊人となれば文字はない。ただ文字の元をなす・と〇と+があるのみ。また高度の霊界人の文字として、殆ど数字のみが使用されている場合もある。数字は、他の文字に比して多くの密意を蔵しているからである。しかし これは不変のものではなく、地上人に近づくに従って漸次変化し、地上人の文字に似てくるのである。

高度の霊人となれば文字が無い、・と〇と+があるのみ。
この文面は以前ありませんでしたが、文字の無い、・と〇と+、という段階が遂に現れた、と云ってもいいです。

以前では、高度の霊界人は、殆ど数字でやり取りする内容だったのが、今では、場合もある。となってきています。

つまり、高度の霊人は、文字が無い段階の者が存在し始めている、という事です。
裏を返せば、段階が高い者だけでなく、草木、キンといった辺りの中に、高度な者も現れ始めてゐる、とも言えそうです。

上下ヒックリ返る流れ、が愈々強まってきている、という事です。

そうは言っても、高度の霊界人は、数字を使う、と思っています。
何故なら、日月神示、原文のその多くは、やはり数字だからです。

数字は、他の文字に比して多くの密意を蔵している為です。
実際、数字のやり取りが早い、ですし、判る方には、数字を見る方が早い方もいるでしょう。

但し、その数字は、不変のものではなく、地上人に近づくに従って漸次変化し、地上人の文字に似てくることになってくるのです。

ですから、文字とは、数字から変性しているものと思って頂ければよいと思います。

Ⅲ.現在の数秘術は、三次元、平面世界に囚われたものが多い事に留意して下さい

例えば、今現在、日本では、四、九、は不吉な数字とされている事が多いです。
四については、死を意味していたり、九については、苦を意味している、といった感じです。
ですが、これは、三次元基軸、人間の我、基軸で囚われている為です。

死の意味も三次元的には、×〇、だったとしても、思念界からですと、しきまきや、が該当しますし、再生も意味します。永劫の世界に、終わりは無い為です。

九は苦として留まるのではなく、苦を苦で無くすことから新たな世界を生み出す、くにつつみ、が元来重要、であるのに、残念ながら、この三次元世界では、人は、苦を避けるだけ、逃げるだけ、理解を止めたり、分け隔てし続ける事で、より、平面世界で、有限となり、苦しみ続けている事になってしまっています。

Ⅳ.宇宙、立体の、数秘を意識して下さい。かずたま意識で読みやすくなります

私、が、このブログ内で御伝えしている数秘は、宇宙語、立体を基軸とした内容で、
多数意味ある中でも、極めてシンプル、誰にでも判りやすいものに限定しています。

ですから、同じような意味の内容を何度も伝えていますが、それでいて、日月神示は、かなりの解読が可能なのです。

数字には、他の文字に比べ、多くの密意を蔵していますから、実は、かなりの解釈が実際には可能ですので、御自身でも、数秘的にこう、と思えば、あながち、間違っていない事もよくあります。

ただ、我の改心がまだそれ程進んでいない間は、取違ひ、の危険性はありますが、それでも、此の道に進み、数秘の解読。特にこの三次元地球の理解をした上で、宇宙の数秘の理解を進めて下さい。

声を出してよめよ、というのは、実は、かずたま、の理解をまずして欲しい。という所にあります。

Ⅴ.二人で行を進めていきますと、宇宙、立体の、かずたま、の意味が判ってきます

そして、どのような苦境であっても、時間はかかっても、必ず解決の道は存在しています。

それは、前世ヒーリングの中なら、非常に再現しやすく、特に、一対一、二人で進めていきますと、マンデラ・エフェクトが最も起こりやすくあります。

一ヶ処(ひとところ)の御用 二人宛(づつ)でやりて呉れよ、結構な御用であるぞ、

足場なくては何も出来ん道理 人間にも判らうがな、何より足場第一ざぞ、世界の民の会二人でやれよ、一人でしてならんぞ、くどう気つけあらうがな。

二人でせよと申してあるのは裏表合せて一つぞ。二人で一人でせねばならん。統一ないところ力生れんぞ。

このように、二人でする重要性に関しては、幾つか現れてゐますし、一人でしてならんぞ。
とありますから、一対一、で、二人でも、御用を次々進めて下さい。

この事で、宇宙、立体に向けての、かずたま、の意味、また、ことたま、の意味も次々判る流れとなります。

2.あいう、ひふみ、いろは、言葉の並び方について

Ⅰ.あいう、と、ひふみ・いろは、との大きな違いにつきまして

あいう、は、十行×五段、です。
そして、六段目以下、存在していません。

実は、あいう、とは、六以降が無い事を意味しており、
それは、六(無)、七(もう一段上の無)、八(神)(無限)、九(くにつつみ)、十(神)
こういった存在を消してしまった、という事なのです。

つまり、無から生み出す世界を無くしてしまった為に、有限色が強まったのが、今の、あいう、五十音なのです。

ひふみ、は、三五七、三五七、三五九、とありますし、
いろは、は、三五七、三五七、三五十、です。

つまり、ひふみ、いろは、は、六、七、の色合いは強いですし、最後の最後で、八、九、が現れる、という流れです。このように、ひふみ、いろは、は無から生み出す色合いが強いのです。

ひふみ肚に入れよ、イロハ肚に入れよ、アイウエオ早ようたためよ、皆えらい取違ひして御座るぞ、

実は、この文面もそういった意味合いがあります。

ひふみ、いろは、肚に入りますと、六、七、の意識が強くなりますし、九行目で、九、十、を意識する流れとなり、最後は、コトになる、という意味合いが強いのです。

Ⅱ.「ん」、あいう、いろは、ではあるのに、ひふみには無い理由

日本の文法特有ですが、最後まで長々続き、最後に動詞が入ってようやく、結論が出ますが、
中々最後まで判らない、それは、無限に産み出し続けて行く型が、欧米の言葉に比べ強くあるのです。

その現れは、一応、あいう、にもあるにはあります。最後、が「ん」で終わるからです。
あいう、は、平面世界に閉じ込められた言語の所がありますが、それでも、生み出す、意識が強いのです。それが、十一行目、に「ん」があり、カミヒト、御三体の大神様を意味するところがあります。

いろは、でも、最後に「ん」があります。
九行目、十段目、にあります。
コト(九十)、が「ん」という事なのです。

ですが、何故、ひふみ、だけ、「ん」が無いかですね。

実は、生み出すという陰には、九の行が大切である事を伝えたいのだと思います。

ですから、九で留めているのです。十が、ひふみ、の世界にないのは、そういった事にあります。

ですが、ひふみ、に求めて欲しいのは、その無い「十」、無を意識して欲しい、という事なのでしょう。
ですから、黒鉄の巻 第三十九帖では、ひふみ祝詞を歌う際、拍手を、〇、で記載しています。

ひふみ、に「ん」が無いのは、無、から生み出す事と、十に囚われない、そういった意味があるのです。

ただ、書き換わりますと、ひょっとして、ひふみ、にも、「ん」が生まれてくるかもしれません。
それは、囚われを無くした世界にもう少し移行していく事が求められるでしょう。

Ⅲ.何故、ひふみ祝詞、いろは祝詞は、九行目は長いのか

ひふみ祝詞は、三五七、三五七、三五九、で、最後、九行目だけ九段あります。
いろは祝詞は、三五七、三五七、三五十、で、最後、九行目だけ十段あります。

これは、九段目が非常に重要という事で、九の行、つまり、くにつつみ、が大切、という事です。

最後の最後まで、九の行、くにつつみ、が大切、という事です。

そして、「ん」も最後の最後で現れる、という事になります。
ひふみ、の後の、いろは、が大切、という事です。

ちなみにですが、あいう、の「ん」は×0の意味合いが強く、いろは、の「ん」は÷0の意味合いが強くあります。
あいう、は、有限。いろは、は、無限、です。

3.ひふみ、が先、いろは、は後、の順です

Ⅰ.宇宙の順は、かずたま、ことたま、いろたま、の順です

世の中には順序あるぞ。それがカズタマ(数霊)、動くと音出るぞ。それがコトタマ(言霊)、ものには色あるぞ。それがイロタマ(色霊)。

このように、宇宙の順は、かずたま、が最初で、続いて、ことたま、最後は、いろたま、です。
以前ここでは、カタカナではなく、ひらがな、だった記憶があるのですが、愈々、カタカナ、裏側のハタラキを伝え始めている時節なのかもしれません。

Ⅱ.世の芸術は、ことたま、ひふみ、が抜けているものが殆どです

言葉は生れ出るものぢゃ。先づ言葉され、歌となり、文章となり、又絵画となり、彫刻となり、建築となり、又音楽となり、舞踊となり、あらゆる芸術の元となるのであるぞ。神に通ずればこそ、愛であり、真であり、善であり、美であり、喜びであるぞ、喜びなきものは芸術でないぞ。今の芸術は死の芸術、魔の芸術。

この文面にも、半ば、此の事を示唆していますが、先ず、言葉から始まります。
その後、歌、文章、絵画、彫刻、建築、音楽、舞踊、あらゆる芸術の元になります。

言葉の元は、キ、にあります。

そして、苦を苦で無くす事を、言葉で伝えていく事が大切なのです。
これが、くにつつみ、です。
それは、前世ヒーリング、で可能です。

今現在の芸術は、悲しみの愛、苦しみの愛。の芸術。
それも解決策の無い内容のものが殆どで、平面止まりのものが殆どです。

もう1つは、喜び、楽しい、いろはの芸術、といっても、ひふみ、あなはち、しきまきや、くにつつみ、が抜けている為、こちらも、平面止まりのものが殆どです。

いずれにしても、ことたま、ひふみ、の理解が抜けており、突き詰めますと、あなはち、しきまきや、くにつつみ、が抜けているのです。

故に、今の芸術は、死の芸術、魔の芸術、となってしまっているのです。

Ⅲ.日月神示で、ひふみ、が多く、いろは、が少ない理由

日月神示では、ひふみ、が131個、一二三、が97個あるのに対し、いろは、が22個です。
この事からも判りますが、日月神示では、やはり、いろは、より、まず、ひふみ、一二三が大切です。

ただ、いろは、だけでも、十人分程までは進む可能性はありますし、ある段階までの神様を掴める事も間違いありません。いろは、は、優しさから生み出す、優しい歌です。その優しさからのみでも、相応の世界を生み出します。

ですが、その芸術には、ひふみ、あなはち、しきまきや、特に、くにつつみ、が抜けているのです。
九の行、です。祓、がほぼありません。

ひふみ、は、新事、を起こして行くウタでもあり、荒っぽい事も起こりますし、実際、祓、の色合いが強いです。

そして、千人力を実現していくには、やはり、ひふみ、の理解、体験、が大切なのです。
そこには、必ず、あなはち、しきまきや、くにつつみ、を伴う事になります。

ですから、日々、行、と云っても、あなはち、しきまきや、くにつつみ、の理解、体験していく行が大切なのです。

日月神示で、いろは、よりも、ひふみ、が圧倒的に多いのは、ひふみ、ことたま、より、あなはち、しきまきや、くにつつみ、から、新たな世界を次々生みだす事が、まず、最初に大切だからなのです。

Ⅳ.ひふみ、を理解した上での、いろは、へと進んで下さい

このように、、ひふみ、から、あなはち、しきまきや、くにつつみ、からの理解、体験を、まず、次々繰り返して下さい。

いらぬ苦、取越し苦労はしなくていいのですが、苦への理解は大切です。それが、九の行です。
それが、楽を生み出すのです。この楽を生み出す体験が求められるのですが、それは、甲斐ある苦労なくして此の道は進めないようになっているのです。

悲しみの愛、苦しみの愛の芸術であれば、できましたら、その、悪や、苦への理解から、新たな世界を生み出して頂ければ、と思います。

それは、つまるところ、ひふみの理解体験を含んだ、いろは、になると見てゐます。

最後、いろは、では、ん、で終わりますが、やはり、最後新たな世界を生み出すのは、いろは、なのだと思います。

同じ、いろは、に進むにしても、まずは、ひふみ、から、九の行から、新たな世界を生み出す理解体験を進めて頂ければ、と思います。

4.ひふみ祝詞、いろは祝詞は、壁に貼り付けておいてください

この理由は、ひふみ祝詞、いろは祝詞を、かずたま、としての認識をしてほしい為です。
普段より、壁に貼り付けておきますと、どの文字が何行目、何段目、という事がすぐ判ります。

礼拝の際、壁に貼り付けておくのは、一つお勧めですが、
普段、机の傍ですとか、パソコンで、全文検索する際のそばに貼り付けておくのもお勧めです。

参考に下記のようにしてみて頂ければと思います。

【ひふみ祝詞】

【いろは祝詞】

5.祝詞は、かずたま、ことたま、いろたま、の理解、体験に応じて、力が加わります

このようにして、かずたま、ことたま、いろたま、の理解、体験に応じて、祝詞の力が加わります。

今の神主 宣(の)ってないぞ、口先ばかりぞ、祝詞も抜けてゐるぞ。あなはち、しきまきや、くにつ罪、みな抜けて読んでゐるではないか、臣民の心にはきたなく映るであろうが、それは心の鏡くもってゐるからぞ。

突き詰めますと、あなはち、しきまきや、くにつつみ、の理解、体験が必要なのです。

それに応じて、かずうた、ひふみ祝詞、いろは祝詞、の力がのるのです。

それは、日々の行、理解、体験に応じて、無限に変わっていきます。

ですが、まず、は日月神示を読むにあたり、かずたま、基軸で進めて下さい。
かずたま、で読みますと、かなり読めるようになってきます。

ついで、ことたま、の、あなはち、しきまきや、くにつつみ、の理解、体験です。

この体験をしていく事で、ひふみ祝詞、いろは祝詞、に力がのるようになります。

最終的には、死者を蘇えさせるような、千人力の力を持つようになっていきます。

6.まとめ

まず、祝詞は、かずたま基軸を常に意識して下さい。
原文が、数字だからです。

高度の霊人になる程に、一語が、数十、数百語となっていきますし、高度の霊界人の文字は、数字のみが使用されている場合があります。ですから、まずは、かずたま、の理解が大切です。

三次元的、平面世界の数秘の理解も大切ですが、宇宙、立体世界、の数秘の理解が大切です。
二人の行で進めていきますと、かずたま、ことたま、の理解が進む流れとなります。

あいう、ひふみ・いろは、の大きな違いは、六段目以降があるかないかです。
あいう、は平面色が強く、ひふみ・いろは、は、立体色が強くなります。

「ん」、あいう、いろは、ではあるのに、ひふみには無い理由は、
ひふみ、では、九の行の大切さを伝えている為です。

また、ひふみ祝詞、いろは祝詞、九行目が長い理由は、九の行、くにつつみ、が大切だからです。

ひふみ、が先、いろは、は後、の順です。
宇宙の順は、かずたま、ことたま、いろたま、の順だからです。

世の芸術は、ことたま、ひふみ、が抜けているものが殆どです。
突き詰めますと、あなはち、しきまきや、くにつつみ、が抜けている為、平面止まりとなっています。

日月神示で、いろは、よりも、ひふみ、が圧倒的に多いのは、ひふみ、ことたま、より、あなはち、しきまきや、くにつつみ、から、新たな世界を次々生みだす事が、まず、最初に大切だからなのです。

このようにして、ひふみ、を理解した上での、いろは、へと進んで下さい。
この流れから、立体への芸術へと進みます。

ひふみ祝詞、いろは祝詞は、壁に貼り付けておいてください。
かずたま、意識をしやすくなります。

祝詞は、かずたま、ことたま、いろたま、の理解、体験に応じて、力が加わります。
最終的には、祝詞は、千人力となっていきます。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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