続いて、神の心、に関する文面⑫ に入ります。
今回は、ア火ハの巻(アホバの巻)にあります、三つの文面です。
また、三つの文面、それぞれにマンデラ・エフェクトがありました。
1つ目は、
神の心告げる手だては、各々違ひ、心大きく早う洗濯致され、とらわれないようにして進める事。です。
一人一人、神の心告げる方法は違うのです。
2つ目は、
世界の説教をよく(四九)聞きてくれよ(九〇四)としてください。というものです。
しきまきや、くにつつみ、から生み出す以外ありません。
天(・)の教、地の導き、よく(四九)みみ(三三)すまして聞き(キキ)とれよ(取れよ)と、していく段階に入っています。新たな世界を生み出し、体験していく段階です。
3つ目は、
弥栄とは、次々に限りなく喜びをふやして養って行くこと(九十)です。
地震の巻第十九帖の事でもありますが、喜びをまた違った角度から伝えており、喜びとはお互ひに仲よくし、喜びは生きもの、形あるもの、色あるもの、声あるもの、と伝えられています。
それでは、ア火ハの巻(アホバの巻)の神の心に関する文面をお伝えしますね。
1.ア火ハの巻(アホバの巻)第八帖 神の心告げる手だては、各々違ひます。
Ⅰ.時節に従い、逆らはず、後の立つように、進めて下さい。
●時節には従って下されよ、逆らはず、後の立つ様致されよ、後のやり方、神示で知らしてあろがな。
時節には従って下されよ、として下さい。
逆らはず、後の立つ様致して下さい。
後のやり方、御神示で知らしてある通りです。
此の道に進み、無理なく一段一段、御自身の我の改心と共に、周囲の世界を変えていく事にあります。
Ⅱ.国々所々によって同じ集団(まどゐ)いくらでもあり、いずれも、我(が)を折って一つに集まる仕組みです。天狗禁物です。
●国々所々によって同じ集団(まどゐ)いくらでもつくりあるのぢゃ、何れも我(が)折って一つに集まる仕組ぢゃ、天狗禁物、いづれもそれぞれに尊い仕組ぞ、又とない集団(まどひ)ざぞ。
国々、所々によって同じ集団(まどゐ)いくらでもつくってあります。
いずれも、我(が)を折って一つに集まる仕組みです。
此の道の行を進めていきますと、この我を折って、一つにまとまる、和する行をする流れとなります。
それは、神学で、無理なくするようになっていきます。
実際、この事を此の道に進んでからは、何度も経験していきます。
ですから、天狗禁物、です。
ですが、この天狗を直せない方も多かったですね。
いづれも、それぞれに尊い仕組みです。
また、又とない集団(まどひ)です。
Ⅲ.神の心告げる手だては、各々違ひます。心大きく早う洗濯致され、とらわれないようにして下さい。
●神の心告げる手だても各々違ふのぢゃ、心大きく早う洗濯致されよ、とらわれるなよ、とらわれると悪となるぞ。
手出しがマンデラ・エフェクト文面と見ます。
神の心告げる手立てはも各々違ふのです。
私の場合は前世ヒーリングからですが、他の道で行く方もいるでしょう。
農業、芸術・・・他、神の御用、四五十、となるもの、いくらでもあります。
心大きく早う洗濯致されよ、とあります。
とらわれないようにしてください。
とれわれると、悪と成ります。
Ⅳ.一旦治ると言っても、後はコンニャクです。判らん仕組み、判らな成りません。
●一旦治るなれど、後はコンニャクぢゃ、判らん仕組、判らなならんのぢゃぞ、悪とは我(われ)よしのこと。
一旦治るのですが、後はコンニャクです。
これは、どの道も同じ事が言える、と見ます。
一旦は治っても、コンニャクになる方、相当に多いです。
ですから、行じ、省み、我の洗濯、掃除、改心を進め、真剣、命がけ、時間、手間かけ、金かけ、努力。
この繰り返しですが、気がゆるんで、後戻り選択をする方が殆どです。コンニャクは、後戻りの方、とも言えそうです。
判らん仕組み、判らなならんのです。
それは、上記の事を繰り返して、新たな世界を生み出し、またそこから行じ、省み、を繰り返す、ここから新たな世界が生み出される、という事です。
悪とは、我よしの事、という事が判ります。
これは、どのような方も必ずありますし、無い方はいないです。
そして、大きな我よしに昇華させていく事が大切です。
2.ア火ハの巻(アホバの巻)第十八帖 ひらとう(一一、〇、十、ウ)説かねば、判らんようになっています。
Ⅰ.世界中のアホ、中々なれない理由は、永劫の過去から新たな世界を生み出し続ける為です。
●改心とはアホになることざぞ、世界中のアホ中々ぢゃ、中々アホになれまいがな。
改心とは、アホ、になる事です。
永劫の過去から生み出す者に成る事です。
世界中のアホ中々です。
世界中の永劫の過去から、生み出すは中々です。
実際に、草木自然界のやり取りは、傍から見ますと、アホに見えると思います。
ですから、中々アホにはなれまい、とありますが、
此の道に進み、一段一段、世界を生み出し続ける先にしか、成らん世界が存在している為です。
Ⅱ.世界中の人民に云ふて聞かして改心さすでは、キリがないから、大変を致さな成らんようになっています。
●世界中の人民に云ふて聞かして改心さすのではキリがないから大変を致さなならんのざぞ。
世界中の人民に云ふて聞かして改心さすのではキリがないから、大変を致さな成らんようになっています。
私も、人の改心は遅いと思っていましたが、ここまで遅いとまで思っていなかった、という事もあります。
そういう訳で、前世ヒーリングのみ、江戸(穢土)の仕組み、のみでは確かに、間に合わん、という事だけは、よく判りました。江戸の仕組みでは結ばんようになっているのです。
●江戸の仕組 江戸で結ばんぞ。
ですから、違った大変をしないと成らない、という事だけが判ってきています。
そして、無理なく、神様が導いて、一段一段進めさせて下さいます。
Ⅲ.ひらとう(一一、〇、十、ウ)説かねば、判らんようになっています。
●六ヶ敷いこと申してゐるが平とう説かねば判らんぞ、世界の説教をよく聞きてくれよ、天の教、地の導き、よく耳すまして聞きとれよ、神の心 段々に判りて来るぞ。
六ヶ敷いこと申してゐるが平とう説かねば判らん、とありますが、
何より、体験しないと判らん、が一番だと思います。
ひらとう(一一、〇、十、ウ)説かねば、それは、
永劫の過去から神様を生み出す以外ありません。
この後は、マンデラ・エフェクト文面と見ます。
世界の説教をよく(四九)聞きてくれよ(九〇四)としてください。
これもまた、しきまきや、くにつつみ、から生み出す以外ありません。
天(・)の教、地の導き、よく(四九)みみ(三三)すまして聞き(キキ)とれよ(取れよ)としてください。
神様の心、段々に判りてきます。
今現在、・の教、それは、弥栄実践、祓実践、まつり実践ですが、この事により、地(千)の導き現れますので、よく三三すまして、キキ取れよ、としてください。
危機で言えば、一か月近いトカラ群発地震がありましたが、ここからも、地の導きをして頂けました。
ですが、此の道に進んでいきますと、このような事は頭の中に降りてくるようになってきます。
今迄の御自身の心・口・行、に応じるのです。このようにして、神の心が段々に分かってきます。
一足飛びでは判らんようになっていますので、一段一段進めて下さい。
そして、私の場合は、一か月に1回~2回、大きな飛躍が起こるタイミングがあります。
Ⅳ.此(九)の者は見込みないとなったら物云わなくなります。神示いやになったら、その守護神 可哀想になります。
●この者は見込ないとなったら物云わんぞ、もの聞けん様になったら、神示いやになったら其の守護神 可哀想になるのざぞ、見込なくなれば神は何も申さんぞ、今の内に神示肚に入れよ。
この者は見込ないとなったら、物云わんようになります。
もの聞けん様になったら、神示いやになったら、その守護神可哀想になるのです。
見込なくなれば、神は何も申さなくなります。
私も実際にそうなのですが、物云えなくなるのですね。
それは、薬が毒になる、のが一番の理由です。
毒を蒔くのは、囚われを蒔き、神の御心には反しますので、喜び基軸で無くなる為に、何も申せなくなるのです。
今の内に神示を肚(八〇)に入れ世(四)としてください。
御神示を神様の現れとしてください。
3.ア火ハの巻(アホバの巻)第二十一帖 弥栄とは、次々に限りなく喜びをふやして養って行くこと(九十)です。
Ⅰ.弥栄とは、次々に限りなく喜びをふやして養って行くこと(九十)です。
●神が引寄せるからと申して懐手してゐては道は拡まらんぞ、弥栄とは次々に限りなく喜びをふやして養って行くことざぞ、
神様が引き寄せるからと申して、懐手してゐては道は拡まらんようになっています。
弥栄とは、次々に限りなく喜びをふやして養って行く九十です。
養って行く九十、というのは初めてあらわれる文面と見ます。
養う、一番最初に簡単な所で言えば、水、大気、キン、辺りになるかもしれません。
Ⅱ.喜びとはお互ひに仲良くし、生きものであり、形(有)あるもの、色(一六)あるもの、声(九エ)あるもの、です。
●喜びとはお互ひに仲よくすることぞ、喜びは生きものぞ、形あるものぞ、色あるものぞ、声あるものぞ、判りたか。
この文面もマンデラ・エフェクト文面と見ます。
喜びとはお互ひに仲良くすることです。
あらゆる存在とです。
喜びは生きものです。
生きもの全てが喜びとするには、菜食から、周囲に喜びの存在ばかりと生み出す事にあります。
形(有)あるものです。形あるもの全てが喜びとしていく事です。
色(一六)あるものです。無から、㋰へと進むものです。
声(九エ)あるものです。九の行、くにつつみ、から、得る事ができるものです。
Ⅲ.神の心からはなれて人間心となったから、教会はワヤとなったのです。
●教会つくれと申しても今迄の様な教会ではならんぞ、今迄の教会も元はよいのであるぞ、いづれも取次役員がワヤにいたしたのぢゃ、神の心からはなれて人間心となったからぢゃ。
教会つくれと申しても、今迄の様な教会では成らんようになっています。
今迄の教会も元はよいのですが、いずれも、取次役員がワヤにしたのです。
神の心からはなれて人間心となったからです。
和することを忘れ、11の囚われを選択し、6つの慢心、が基軸となってしまったからです。
Ⅳ.アヤワ㋳㋻が㋻㋳となった境地とは、神は助けてくれるもの、という宗教と成り下がった境地の事です。
●神の動きは、アヤワ㋳㋻ざと申してあろが、それをヤワ㋳㋻となしワ㋳㋻と致し、㋳㋻となし㋻㋳にして分らんことにいたしたのぢゃ、
神の動きは、アヤワ㋳㋻、です。
それを、ヤワ㋳㋻となしたのです。まず、永劫の過去、一、アを無くしたのです。
そして、ワ㋳㋻、ヤ、三次元の神を無くし、それは、御自身の三次元の神を無くしたのです。
更には、もう一段上のワ、の神様、三次元での十、を無くしてしまい、
教えとしての㋳と㋻だけになってしまったのです。
更には、その教えも、㋳㋻、ではなく、㋻㋳、の順。
十の神様を祈り信心、にすることで、八、現在現れている神々様を救う、神とは助けるもの、という教えとなったのです。
神は助けるのではなく、神が助かる、は何度も御伝えしてきた通りです。
このようにして、人の我により分からん教えと順次進んでいく事となったのです。
Ⅴ.タマ無くなって、その上に上下、下ひっくり返ってゐるのです。
●タマなくなって その上に上下、下ひっくり返ってゐると申してあらうがな、分りたか。
さらには、タマ(十真)無くなっていますし、その上に上下、下ひっくり返ってゐるのです。
このようにして、人は苦しみ続けてきたのです。
4.まとめ
時節に従い、逆らはず、後の立つように、進めて下さい。
国々所々によって同じ集団(まどゐ)いくらでもあり、いずれも、我(が)を折って一つに集まる仕組みです。天狗禁物です。
神の心告げる手だては、各々違ひます。心大きく早う洗濯致され、とらわれないようにして下さい。
一旦治ると言っても、後は殆どがコンニャクです。判らん仕組み、判らな成りません。
悪とは、我よしの事、という事が判ります。
世界中のアホ、中々なれない理由は、永劫の過去から新たな世界を生み出し続ける為です。
世界中の人民に云ふて聞かして改心さすでは、キリがないから、大変を致さな成らんようになっています。
前世ヒーリングだけでは、無理がありました。
ですから、違った大変をしないと成らない、という事だけが判ってきています。
ひらとう(一一、〇、十、ウ)説かねば、判らんようになっています。
それは、永劫の過去から神様を生み出す以外ありません。
此(九)の者は見込みないとなったら物云わなくなります。神示いやになったら、その守護神 可哀想になります。
弥栄とは、次々に限りなく喜びをふやして養って行くこと(九十)です。
喜びとはお互ひに仲良くし、生きものであり、形(有)あるもの、色(一六)あるもの、声(九エ)あるもの、です。
神の心からはなれて人間心となったから、教会はワヤとなったのです。
アヤワ㋳㋻が㋻㋳となった境地とは、神は助けてくれるもの、という宗教と成り下がった境地の事です。
タマ無くなって、その上に上下、下ひっくり返ってゐるのです。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。