そなた、に関する文面14に入ります。
今回は、補巻 月光の巻の二つの文面ですが、マンデラ・エフェクトは1つ目の文面に集中しています。
【方便】の世はすんで【ほうべん】の世となるは、以前あったのですが、
今回は、そのほうべんの世もやがて終るようになる、という事まで伝えています。
それには、理でなくてはならず、理とは三界を貫く道のことで、三界和合、宇宙にみちみつ(三満つ)あり方、法則、秩序、神の息吹、弥栄、喜び、であることを伝えられています。
もう一つは、ほぼ全て以前からあった通りですが、祈り、願ひ、だけでは、そ、五三体の大神様を無きものにしている事を伝えられています。実行が必ず必要というものです。
心・口・行、の一致が常々求められるのです。
それでは、そなた、に関する文面14をお伝えしていきます。
1.補巻 月光の巻 第四十三帖 【方便】の世はすんで【ほうべん】の世となり、そのほうべんの世もやがて終るようになります。
Ⅰ.方便の世は済んでゐます。方便の教とは、横の教、いろはの教、平面の教、です。
●そなたはまだ方便をつかってゐるが、方便の世はすんでゐるのぞ。方便の教とは横の教、いろはの教、平面の教のことぞ。
そなたは、まだ方便をつかってゐますが、方便の世は済んでゐるのです。
方便の教とは、横の教、いろはの教、平面の教のことです。
横の教え、は、そのまま平面、は判りますね。
いろはの教は、やさしさ、から伝える、やさしさの教ですが、これだけのみですと、神学は起こってもそれ程大きな変化はなく、平面止まりになる事が殆どです。ひふみ、が抜けている教だからです。
このように、方便の教は、平面の教え。です。
立体に進むなら、行じる、省みる、その上での祈り、です。ひふみ、です。
弥栄実践、祓実践、まつり実践、です。
それには、必ず、実践、が伴い、その理解、体験が伴います。
Ⅱ.仏教もキリスト教も回教、教はみな方便です。教ではどうにもならんのです。
●仏教もキリスト教も回教もみな方便でないか、教はみな方便ぢゃ。教ではどうにもならん。ぎりぎりの世となってゐるのぞ。
確かに仏教もキリスト教も回教もみな方便ですね。
教はみな方便です。
ですが、横、平面、やさしさ、のみの世界。ではどうにも成らんのです。
今、既にギリギリの世となってゐるのです。
Ⅲ.理(ミチ)でなくては成らん、ようになっています。【方便】の世はすんで【ほうべん】の世となり、そのほうべんの世もやがて終るようになります。
●理(ミチ)でなくてはならん。変らぬ太道でなくてはならんぞ、【方便】の世はすんで【ほうべん】の世となり、そのほうべんの世もやがて終るぞと知らしてあろうが。
それには、理ではなくては成らんのです。
変わらぬ太道です。
この後の文面が、マンデラ・エフェクトでは、と見ます。
【方便】の世はすんで【ほうべん】の世となり、そのほうべんの世もやがて終るぞと知らしてあろうが。
とありますが、
まず、方便は、教え、言葉で伝える段階。
ほうべん、は、悟る、体験、現象の世界。
ですが、そのほうべん。悟る、体験、現象、の世界も終わる時が来るのです。
実際に、いつまでも、マンデラ・エフェクトを起こし続けていく、そのような世界もずっとは続かないようです。
で、その後、どのような世になるかは、今のところよく分かりません。
ただ、五三体の大神様の型出しと関係すると見てゐます。
Ⅳ.理とは、三界を貫く道のことです。三界和合、宇宙にみちみつ(三満つ)あり方、法則、秩序、神の息吹、弥栄、喜びです。
●理とは三界を貫く道のことぞ。字宙にみちみつ のあり方ぞ。法則ぞ。秩序ぞ。神の息吹きぞ。弥栄ぞ。喜びぞ。判りたか。
理とは三界を貫く道のことです。
三界和合です。過去、現在、未来、が一番わかりやすいでしょう。
他にも、三界和合、を貫く道です。
宇宙にみちみつ(三満つ) のあり方、です。
間に、無、がありますが、㋰から生み出す三界和合です。
宇宙にみちみつ(三満つ)、法則、秩序、です。神の息吹きです。弥栄です。喜び、です。
判りたか、とありますが、三界和合をあらゆる所で実践している方には判ってきます。
2.補巻 月光の巻 第四十四帖 地上人は、物としての行動をしなければ、ならんようになっています。心・口・行、の一致です。
Ⅰ.此の道に入ってすぐの、病気、怪我は、大難を小難に、借銭済ましをさせられてゐるからです。
●この道に入ると損をしたり、病気になったり、怪我をすることがよくあるなれど、それは大難を小難にし、又めぐりが一時に出て来て、その借銭済しをさせられてゐるのぢゃ。
此の道に入りますと、損をしたり、病気になったり、怪我をすることがよくあります。
ですが、それは、大難を小難にし、又めぐりが一時的に出てきて、その借銭済しをさせられてゐるのです。
Ⅱ.借りたものは返さねばならん道理です。損もよい、病気もよい、のです。
●借りたものは返さねばならん道理ぢゃ。損もよい、病気もよいぞと申してあろうが。
借りたものは返さねばならん道理です。
損もよい、病気もよい、とあります。
実際、損、病気、もあるかもしれません。
これも、生前からのめぐりが出てきて、大難が小難になってゐるのです。
Ⅲ.ここの道理もわきまへず、理屈申す方、とても多いですが、そのような暇がなくなっているので、早う神心になって下されよ、としてください。
●此処の道理もわきまへず理屈申してゐるが、そんな人民の機嫌とりする暇はなくなったから、早う神心になって下されよ。
此処(ここ)の道理もわきまへず理屈申してゐる方も結構多いです。
目先の結果、に囚われている方です。
ですが、そんな人民の機嫌とりする暇はなくなったから、早う神心になって下されよ、と伝えられています。
理屈先行の方は、どこまでも理屈で、確かに納得しない方は、中々に納得しない所もありますから、伝わらない方は後回しにして下さい。
Ⅳ.祈りが足らん、というのは、実行が足らん、という事です。五三体の大神様を生み出す事が求められます。
●そなたは祈りが足らんぞ。祈りと申すのは心でゐのり願ふことでないそ。実行せねばならん。
そなたは祈りが足らん、とあります。
祈りと申すのは、心で祈り願ふことではないそ、とあります。
心で祈り願ふことは、そ、を無いものとしているのです。
五三体の大神様を無きものにしています。
この、【ないそ】は、マンデラ・エフェクトと見ます。
以前は、さすがにないぞ、でした。
また、祈り願ふだけでは、五三体の大神様は、出ない、とも言えます。
それには、実行せねばならんようになっています。
Ⅴ.地上人は、物としての行動をしなければ、ならんようになっています。心・口・行、の一致です。
●地上人は物としての行動をしなければならんぞ。口と心と行と三つ揃はねばと申してあること、忘れたか。
地上人は、物としての行動をしなければ成らん、とあります。
口と心と行と三つ揃はねば、と申してあること、忘れたか、と
ありますが、口と心と行、三つ揃うことが大切です。
3.まとめ
方便の世は済んでゐます。
方便の教とは、横の教、いろはの教、平面の教、です。
仏教もキリスト教も回教、教はみな方便です。教ではどうにもならんのです。
立体に進むなら、行じる、省みる、その上での祈り、です。ひふみ、です。
弥栄実践、祓実践、まつり実践、です。
それには、必ず、実践、が伴い、その理解、体験が伴います。
理(ミチ)でなくては成らん、ようになっています。
【方便】の世はすんで【ほうべん】の世となり、そのほうべんの世もやがて終るようになります。
理とは、三界を貫く道のことです。三界和合、宇宙にみちみつ(三満つ)あり方、法則、秩序、神の息吹、弥栄、喜びです。
此の道に入ってすぐの、病気、怪我は、大難を小難に、借銭済ましをさせられてゐるからです。
借りたものは返さねばならん道理です。損もよい、病気もよい、のです。
ここの道理もわきまへず、理屈申す方、とても多いですが、そのような暇がなくなっているので、早う神心になって下されよ、としてください。
祈りが足らん、というのは、実行が足らん、という事です。五三体の大神様を生み出す事が求められます。
地上人は、物としての行動をしなければ、ならんようになっています。
心・口・行、の一致です。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。
※昨日8月14日に、前世の法則を更新しましたが、8月15日18時15分頃に追加加筆しています。
ご確認して頂ければと思います。