今回は、人は、どうあっても、最終的に命懸けの道へと進む為に、泥海や、81の世界は、どうにも助かりません。
そして、今後、どのようなシナリオに進むにしても、いずれ、必ず、命懸けになっていきます。
此の道は、命懸け、には違いありませんが、此の道は、楽に進む事が可能です。
今回は、楽に、命懸けに進める方法についてお伝えしたいと思います。
1.どこに行っても、逃げ場所はありません
Ⅰ.逃げたら助かるのぞ、というのは我れ良しです
この後、どこへ逃げても逃げる所ないという文面は、日月神示の中には幾つかあります。
●どこへ逃げても逃げ所ないと申してあろがな、
●すり鉢に入れてコネ廻してゐるのざから一人逃れ様とてのがれる事出来んのざぞ、逃れようとするのは我れよしざぞ、
この地球に限らず、一切は大神様の中に、生きている為に、逃れ様としても逃れる事ができないようになっています。
そして、逃れようとするのは、我れよし、とありますが、中々、理解できないと思います。
ですが、此の道に進み、人類史からでもある程度判りますが、人がしてきた事の恐ろしさ、への理解を進めていきますと、我良し、である事も判ってきます。
その為には、まず、御自身と御自身を和していく事が求められます。
Ⅱ.何処に居ても救ふ者は救われます
●何処へ逃げたら助かるのぞと云ふ心 我れよしぞ。何処に居ても救ふ者は救ふと申してあろが。
このように、何処へ逃げたら、助かるのぞ。と云ふ心は、我良しである事は判ってくると思います。
ですが、何処に居ても、救ふ者は救ふのです。
それは、その人が、自ら人を助けていく、という事もありますし、また、人を助けていくから、神様も助けて下さる。というのがあります。
ですが、ここで助けるというのは、平面的な助け方ではなく、立体的な助け方を勧めている事が殆どです。
永劫の観点で助けていく事が大切ですので、人を助ける(十四ける)道に導く方から、その方が、此の道に進めるように伝えていく方から助かっていくのです。
十(カミ)をしきまきや、から産み出す助け方、が立体の助け方です。
それは、どこに居ても救われる、という事です。
救う(四九ウ)方は、どこに居ても救われます。それは、しきまきや、くにつつみ、から新たな世界を産み出すからです。
平面的助け方、救い方は、必ずしも助ける事ができない、救われない事はどこかお解りだと思います。
囚われ、有限から、新たな世界を産み出せていない為です。
これを、無理と云い、逆行く道でもあるのです。
此の神様は、無理を言いませんし、楽に進める道をお伝えされています。
Ⅲ.神の中から出る事はできない
●これほどことわけて申しても得心出来ないのならば、得心の行くまで思ふままにやりて見なされよ。そなたは神の中にゐるのであるから、いくらあばれ廻っても神の外には出られん。死んでも神の中にゐるのであるぞ。思ふさまやりて見て、早う得心改心いたされよ。回心して仕事嘉言と仕へまつれよ。結構ぢゃなあ。
どのような方々であっても、神様の中に居ますので、いくらあばれ廻っても神様の外に出る事はできないのです。
死んでも神様の中にいるのです。
得心できないのであれば、得心の行くまで、思ふままにやりてみてください。
私も、どちらかと言えば、このように、我で進んでいた事がありましたが、我の改心ができない間は、非常に苦しみます。
思ふままやりて、早う得心改心いたされよ。とありますし、回心して仕事嘉言と仕へまつれよ。とありますが、
あまり時間が残されていませんし、改心が進まない間は、非常に苦しみます。
少しでも早く、改心をして、仕事嘉言と仕へまつられる段階に進んで下さい。
2.真剣で進むと、楽に進められます
笑ひが無くなったり、戒律になるのは、囚われになりがちですが、楽に進もうと思いましたら、真剣で進むのが一番です。(笑ひ、が無くなったり、喜びが無くなる訳ではありません)
Ⅰ.真剣で進むと真剣さずかります
●真理を理解して居れば心配いらん。失敗も財産ぞ。真剣で求めると真剣さずかるぞ。
真理を理解して居れば心配いらん。とありますが、その真理については、この後の文面にあります。(黄金の巻第百帖)この文面が、真理の八割方伝えています。詳細は、長くなりますので、また後日お伝えします。
ですが、真理に進むには、まず、真剣に求める事が大切です。
真剣であれば、失敗は財産になります。
失敗しますと、何かが足りない、間違ってゐるので、こうする事が間違い、という認識ができるようになるのです。
修正ができるのです。そこから新たな世界を産み出せるのです。
ですから、失敗の体験も、大切です。実際、失敗しない人はいないです。
ですが、省みる事から、新たな世界を産み出せる、この重要性を軽く見てゐる方、やっぱり多いと思います。
真剣で求めると、真剣(四ん気ん)さずかるようになっているのは、真剣で進んでいきますと、判ってきます。
しきまきや、から産み出す、気、が産み出す、この事が判ってくるのです。
キ、から、二二の仕組みで新たな世界を産み出せるのです。
Ⅱ.神様を真剣に求めれば、神様は人間様を真剣に導いてくださいます
●神様を真剣に求めれば、神様は人間様を真剣に導いて下さるぞ。結構に導いて下さるぞ。
これも、神様を真剣に求めますと、神様は、人間様を真剣に導いて下さいます。
結構に導いてくださるのです。
それは、此の道一本に入ってから、急速に進んだ所があります。
苦を苦でなくす行です。
この事を基軸にしますと、此の道を楽に進めるようになりますから、まず、此の道一本に絞る事が最初でしょう。
それは、仕事を止める、増える、変える、という所ではなく、苦を苦で無くす、思念界を変えて行く事基軸、という事です。ですから、くにつつみ、あなはち、しきまきや、を基軸に進めていく、という事です。
但し、この時、我の改心ができませんと、ここに到達するまでに、大抵は一年半までで挫折します。
ですが、改心と共に、此の道に進みますと、周囲の世界が、嬉しき世界が拡がり始め、嬉しきビックリも起こっていくようになっていきます。
Ⅲ.真剣(四んケん)なければ、百年たっても同じところウヨウヨ。一歩も進まないようになっています
●真剣なければ百年たっても同じ所ウヨウヨぢゃ。一歩も進まん。進まんことはおくれていることぞ。真剣なれば失敗してもよいと申してあろうが。省みることによって更に数倍することが得られるのであるぞ。いい加減が一旦成功しても土台ないからウタカタぢゃ。下座の行、大切。
真剣なければ、百年たっても同じ所ウヨウヨ、とあります。
一歩も進めないようになっています。
どのような道からでもいいのですが、真剣が無いと、四んケん、が現れないのです。
しきまきや、から産み出す事ができないのです。
そういえば、真剣って、物凄い、キ、はありますよね。
真剣は、知らず知らずの内に、しきまきや、起こしてゐる可能性もあります。
また、しきまきや、が無いのであれば、それは人の我、基軸となります。
すると、人の我の平面世界に囚われていく流れとなります。
このように、真剣がなければ、確かに、進まないようになっています。
進まんことは、遅れていることになるのです。
真剣でしたら、失敗してもよいと申されていますが、それは、その失敗から省みる事で学べるためです。
この時、省みなければ、同じ事の繰り返しで、一向に進む事はありません。
また、何故、過去が、あるかと言えば、過去から修正をしていく事で、新たな世界を産み出せるようになるからです。
ですから、省みることによって更に数倍することが得られる、ようになるのです。
いい加減が、仮に一旦成功しても土台ないので、崩れてしまったら、そこまでです。
実は、此の道に進んでも、千人力になっても、下座の行、はあります。
下座の行の積み重ねが、過去を変えていけますし、また、今を産み出すので、非常に重要なのです。
下座の行、を軽く見てゐるから、苦しむ流れになっている方も結構多いです。
3.まとめ
この世は、平面基軸ですと、81の世界、泥海に近づいていますが、どこに行っても逃げ場所ありません。
それは、大神様の中に居る為です。
そして、死んでも大神様の中から出る事ができません。
どこ行けば、助かるのぞ。は我良しですが、救ふ人は、何処に居ても救われれるようになっています。
真剣で求めていきますと、真剣に神様は導いて頂けますし、真剣を授けて下さいます。
ます、真剣なければ、同じところウヨウヨ、進展がありません。
それは、真剣ですと、四んケん、しきまきや、から、キを産み出し、新たな世界を産み出す為です。
真剣ですと、失敗しても、省みる事で、新たな道を産み出せます。それは、財産になります。