日月神示における、悪の一つに、前の段階、前の段階に留まる、が悪、という解釈があります。
これが、立体基軸における善悪、と思って頂ければ判ると思います。
多くの方々が、思われます善悪とは、この世で相対的に決められたもので、判りやすいのが、多数で決めた事は善、それに従わないものが、悪、というものです。
ですから、これが、善、これが、悪、と分けられてしまう傾向があります。
これが、三次元世界、平面世界での、善、悪、です。
ですが、立体の世界では、前の段階、また、前の段階に留まる事。平面世界に留まる事。弥栄を止める事が、悪、になります。
故に、多くの方が、善と思っている事は、立体世界では、悪となっていく事が多々、あるという事です。
今回は、此の事についてお伝えしていきたい、と思います。
1.立体の善悪に関して、判りやすく伝えている文面
Ⅰ.弥栄しゆく悪は悪でなく、動かざる善は善でない
地震の巻では、善、悪について様々書かれています。
地震の巻は長文化マンデラ・エフェクトが起こっている一方で、以前に比べ、かなり詳しく、判りやすい内容へと変わってきています。
善悪に関する内容は沢山含まれており、その最初には次のように伝えられています。
●浄化し弥栄しゆく悪は悪でなく、偽は偽でない。動かざる善は善でなく、進展せぬ真は真でない。更に善を善とし、悪を悪として、それぞれに生かし弥栄するのを歓喜と云う。歓喜は神であり、神は歓喜である。
浄化し弥栄しゆく悪は悪ではありません。
つまり、この事から、どのような悪であっても、浄化すれば悪で無くなり、弥栄していく。という事が言えます。
同じく、偽は偽で無くなっていきます。
一方で、動かざる善は善ではなく、これが、悪的、と日月神示では伝えています。
この動かざる善に囚われている事が、これまでの人類史では、非常に多いですし、今も多くに当てはまります。
それが、囚われ、にあたります。
法律、戒律、宗教、人愛、人学、辺りには、善悪に関して、かなり強固に囚われを作ってしまっています。
参考:次元上昇のきっかけ205 此の道に進む上で、弊害になる11の我の問題について
他には、金、人の智恵、世間体、権威、地位、名誉、も強固な囚われ、です。
その結果、進展せぬ真をわざわざ、産み出してしまっている所まであります。
善を善として、悪を悪として、それぞれ生かし、弥栄するのを歓喜と云います。
歓喜は神様であり、神様は歓喜なのです。
神様は、この歓喜を次々生みだす事を望まれています。
Ⅱ.無限に生みなす事は、歓喜の現れの一つ
●一から一を生み、二を生み、三を生み、無限を生みなすことも、みなこれ歓喜する歓喜の現われの一つである。生み出したものなればこそ、生んだものと同じ性をもって弥栄える。故に本質的には善悪のないことが知られるであろう。
一から一を生み、二を生み、三を生み、無限に生みなすことは、みなこれ(九〇)歓喜する歓喜の現れの一つです。
更には、生みだした者(物)なればこそ、生んだ者(物)と同じ性をもって弥栄える。というようになり、このようにして、周囲が、その弥栄の存在達によって囲まれていく、という流れへと進んでいきます。
故に、本質的には、あらゆるものには、善悪がない、という事になります。
Ⅲ.今現在の、正、善、美、真、愛、とは、上級霊界では必ずしもそうではない
●下級段階で正なりとし、善を思い、美を感じ、真なりと信じ、愛なりと思う、その想念も上級霊界に於ては必ずしもそうではない。
下級段階で正だったとして、善を思い、美を感じ、真なりと信じ、愛なりと思う。その想念も、上級霊界に於いては、必ずしもそうではありません。
この道は、弥栄し続ける為に、前の段階は、悪になっていく可能性が高いのです。
故に、上級霊界では、今、私達の、正、善、美、真、愛、は必ずしも、そうではない事を意識しておく事が大切です。
そして、此の道に進みますと、無限に此の流れが進み、書き換わり無限に進む流れとなります。
実は、此の道を進み、マンデラ・エフェクトが普通の事のようになってきますと、この境地もよく分ってくる事になります。
Ⅳ.善人の境地について。千人力の人が善人
●我がなくてはならん、我があってはならず、よくこの神示(ふで)よめと申すのぞ。悪はあるが無いのざぞ、善はあるのざが無いのざぞ、この道理分りたらそれが善人だぞ。千人力の人が善人であるぞ、お人よしではならんぞ、それは善人ではないのざぞ、神の臣民ではないぞ、
この文面の境地が判ってきましたら、善人です。
我があってもならないのは人の我、です。囚われ、慢心基軸の間は、此の道の善人が判りません。
ですが、立体の理解、体験、している方。
また、此の道を産み出して行きたい、といった方。
弥栄実践、祓実践、まつり実践。をしていく方が善人なのです。
此の道を三年継続していれば、この事は判ってきます。
そして、あらゆる存在を上に見立てる事ができ、三つの実践をしていける段階となれば、継続的千人力の元ともなっていきます。
悪はあるのですが無いのです。
それは、悪を悪で無くす事は、思念界から、理解していく事から可能の為です。
このように、悪を悪で無くす事は、日月神示では、善です。
また、善はあるのですが常に無いのです。
何故なら、今はすぐに過去となるからです。過去となりましたら、いくら最善を尽くしても、それは、前の段階、となっていきます。ですから、善はあるのですが、無いのです。常に今しかないからです。
この道理(土ウ理)を判るには、此の道一本絞って、三年行をしていけば判ります。
前の段階が悪、という境地が判ります。
新たな世界、を産み出し続けていく人、この事の理解、そして体験、実現できる人が善人です。
お人よしの方は善人で無い、という事はこの事から判ってくるでしょう。
この境地を実現していない方が殆どですし、お人よしでは、確かに此の道の三年継続はまずできません。
ですが、お人よしの方は、かなり多いです。
そして、お人よしの方は、神の臣民でもない、とお伝えされています。
Ⅴ.苦を楽として行く事が、善悪の囚われを無くし、新たな世界を生み出すきっかけ
●苦を楽として行かねばならん。苦と心するから苦しくなるのぢゃ。楽と心すれば楽と出てくるのぢゃ。ちょっとの心の向け方、霊線のつなぎ方ぞ。そなたは悪人は悪人ぢゃ、神として拝めとは無理ぢゃと申してゐるが、一枚の紙にも裏表あるぞ。そなたはいつも裏ばかり見てゐるから、そんなことになるのぢゃ。相手を神として拝めば神となるのぢゃ。この世は皆神の一面の現われであるぞ。
苦を楽として進めて下さい。
それは、苦の理解から、何としても変えたい、という強い気持ちから、解決策が生まれます。
楽とすれば、楽と生まれるようになっています。
ちょっとの心の向け方、霊線のつなぎ方で、この世界は変える事ができます。
時間かかるケースもありますが、ですが、確かに、霊線のつながる瞬間、一瞬で変わる事も多いです。
悪人は悪人、神として拝むのは無理、と申されてゐますが、裏表あり、その一面でしか見ないので、苦しむ流れとなってしまうのです。理解が一面しかできていない、という事です。有限、囚われ、です。
相手を神として拝みますと、神になるのです。
この世は、皆、神様の一面の現れなので、その神様に繋がる方法は、いくつかありますが、重要なのは、「理解」していく事にあります。そして、「順番」です。「一対一」の世界から生まれます。
2.まとめ
弥栄しゆく悪は悪でなく、偽は偽で無くなっていきます。
一方で、動かざる善は善でなく、進展しない真は真ではありません。
それぞれに生かし弥栄するのを歓喜と云います。
歓喜は神様であり、神様は歓喜、です。
そして、無限に産み出す事は、歓喜の現れの一つです。
この事から本質的に善悪は無く、元に戻りますが、弥栄実践、祓実践、まつり実践の三つが大切です。
故に、今現在の、正、善、美、真、愛、とは、上級霊界では必ずしもそうではありません。
日月神示における善人とは、この歓喜を実現していく人であり、千人力の人がそうです。
それは、弥栄実践、祓実践、まつり実践を、日々、継続していく方になります。
此の道三年継続してれば、此の事が判ります。
その為には、苦を楽としていく行、が求められます。
此の事が、善悪の囚われを無くし、弥栄の新たな世界に進むきっかけ、となります。