弥栄、に関する文面23に進みます。
今回、は一火リの巻(ヒカリの巻)第三帖です。
今回は、大きなマンデラ・エフェクトはそれ程起こってゐませんが、細部で起こっています。
天にはいくらでも与えるものあるぞ、地にはいくらでも、どう(土ウ)にでもなる、人民に与へるものあるのざぞ、
というこの表現は以前、無かったと見ます。
天(・)には、いくらでも与えるものありますが、地にはいくらでも、どう(土ウ)にでもなる、人民には、与へる(あ十経る)ものは沢山あるのです。
まず、今回の文面では、与える、与へる、と結構に使い分けていますが、与へるは、与へる(あ、十、経る)として読んでみて下さい。
この事によって、弥栄へ、元に戻り、九二は富み、神徳満ちるようになります。
そして、今回の文面では、当初からありました、実現度が超難度の、
何もかも只、で与へよ。
暮しむきのものも只でとらせよ。
が登場します。
ですが、これも、此の道に進む事でやがて実現していくのだと見ますが、できる所から、与える、よりは、与へる(あ、十、経る)ところから始めていく事が求められると見ます。
それでは、弥栄、に関する文面23、を御伝えしていきますね。
- 1.一火リの巻(ヒカリの巻)第三帖 与へる(あ、十、経る)と弥栄へ、弥栄になって元に戻り、九二は富み、神徳満ちます。
- Ⅰ.神のやり方は与へ(あ、十、経)ぱなし、(ウズ)、まことです。今のやり方では世界は治まらんのは道理です。
- Ⅱ.おしみなく、くまなく与えて取らせ、与へる(あ、十、経る)と弥栄へ、弥栄になって元に戻り、九二は富み、神徳満ちます。この道理(土ウ理)は、此の道に進めば分かります。
- Ⅲ.ささげられたものだけがまことで、やがて、乗るもの只、田からも家からも税金、年貢取り立てず、何もかも只になります。
- Ⅳ.日(一一)の光を見て下さい。黄金(きん)はいらん、暮らしむきのもの只で与へる方法があります。
- Ⅴ.働かん者にもドシドシ与へて取らせる、与へる方法があります。
- Ⅵ.何もかも与へぱなしから、神の政治始まり、神の経済があります。
- Ⅶ.この方の申す様にやってみますと、お上は幸でうもれる流れとなります。この道理をまず判って下さい。
- Ⅷ.おしみなく与へるうちに人民 元の姿あらはれます。仕事(四五十)させて呉れ(九〇)と、人民 喜んで働き始めます。
- Ⅸ.むさぶると悪になって来ます。人民 神とあがめますと、神となります。元の元のキの臣民、地(くに)の日月の神様です。
- 2.まとめ
1.一火リの巻(ヒカリの巻)第三帖 与へる(あ、十、経る)と弥栄へ、弥栄になって元に戻り、九二は富み、神徳満ちます。
Ⅰ.神のやり方は与へ(あ、十、経)ぱなし、(ウズ)、まことです。今のやり方では世界は治まらんのは道理です。
●今の政治はむさぶる政治ぞ、神のやり方は与へぱなしざぞ、(ウズ)ぞ、マコトぞ。今のやり方では世界は治まらんぞ、道理ぢゃなあ。
今の政治は、むさぶる政治です。奪う政治ですね。
神のやり方は与へぱなしです。(ウズ)です。マコト(〇九十)です。
くにつつみ、から神々様を生み出す、弥栄の方法です。
与えるというよりは、まず、与へ(あ、十、経)から始めて下さい。
永劫の過去から神々様を経る事を継続して下さい。
ですから、今のやり方では、世界は治まりません。道理、なのは判ると思います。
元が、我れよし、から始まってゐるものが、非常に多いからです。
会社組織では、従業員はお金、給料の為に、神の御心から外れている事はよくあります。
また、経営者側もまた同様に利益の為で、その為に、神の御心から外れてしまう事がよくあります。
今の世では、徐々に、良くはなってきていますが、少なくとも、地震の巻、第十九帖のようにあらゆる者が礼拝し合う、あらゆる存在を礼拝する、そういった世界観の会社は殆ど無い、中々ない、と言ってよいでしょう。(こういった組織体が出てきます事は願ってゐますが)
多くの組織では、我よしの型がまだまだ強いですが、できる所からでいいので、与へぱなし、を型出ししていく事が求められます。
Ⅱ.おしみなく、くまなく与えて取らせ、与へる(あ、十、経る)と弥栄へ、弥栄になって元に戻り、九二は富み、神徳満ちます。この道理(土ウ理)は、此の道に進めば分かります。
●天にはいくらでも与えるものあるぞ、地にはいくらでも、どうにでもなる、人民に与へるものあるのざぞ、おしみなく、くまなく与えて取らせよ、与へると弥栄へるぞ、弥栄になって元に戻るのざ、国は富んで来るぞ、神徳 満ち満つのぢゃ、この道理判るであらうがな。
天(・)には、いくらでも与えるものあります。
神の真心、・、であれば、いくらでもあります。
地(くに)にはいくらでも、どう(土ウ)にでもなる、人民に与へるものあります。
カミヒトとなれば、生み出せるもの沢山あります。
おしみなく、くまなく、与えて取らして下さい。与へる(あ、十、経る)と弥栄へます。
弥栄になって元に戻ります。
その結果、国(九二)は富んできます。くにつつみ、二二の仕組みから生み出し続けるのです。
神徳満ち満つのです。
この道理(土ウ理)は判ると思います。
道(三千)を生み出していけばよいのです。
Ⅲ.ささげられたものだけがまことで、やがて、乗るもの只、田からも家からも税金、年貢取り立てず、何もかも只になります。
●取り上げたもの何にもならんのぢゃ、ささげられたものだけがまことじゃ、乗るものも只にせよ、田からも家からも税金とるでないぞ、年貢とりたてるでないぞ、何もかも只ぢゃ、
この文面は、当初からありましたが、実現高難度の内容の一つです。
取り上げたもの何にもなりません。
ささげられたものだけがまこと(〇九十)です。
まずは、くにつつみ、から生み出し、与えていくのがお勧めです。
自然界とのやり取りが一例です。
この辺りは、金いらん、と言えば要りません。
乗るものも只にせよ、田からも家からも税金とるでない。
年貢とりたてるでない。何もかも只、です。
最後までにはこの境地になるとは言え、この段階に進むには、中々が求められると見ます。時間、努力、相当かかりそうに思っています。
Ⅳ.日(一一)の光を見て下さい。黄金(きん)はいらん、暮らしむきのもの只で与へる方法があります。
●日の光見よ、と申してあらうが、黄金(きん)はいらんと申してあろが、暮しむきのものも只でとらせよ、只で与へる方法あるでないか、
日(一一)の光(一一、六七、理)見よと申してあろうが、とあります。
黄金(きん)はいらん、のです。
永劫の過去から、無から、もう一段上の無を生み出す道です。
暮らしむきのもの只でとらせよ、とあります。
只で与へる方法あるでないか。とあります。ここでは、与える、ではなく、与へる、となっているのが、その答えでもあります。
今は、ここだけは判っています。
思念界から変える行です。
それにより、まず周囲の現れが変わりますので、例えば食べ物から思念界から変えますと、向こうから飛び込んでくるようにもなりますし、無料で食べられる雑草も現れたりします。
乗り物はそう簡単に只にはならないと思いますが、ですが、いずれ、乗り物が只の道というのが存在はしているようです。
田から年貢を取らない、半ば実現している所もあるかもしれません。
ですが、家から税金を取らない、固定資産税を取らない、となるには、かなり時間がかかる、とは見てゐますが、それでも、実現の道は存在しているようです。
Ⅴ.働かん者にもドシドシ与へて取らせる、与へる方法があります。
●働かん者食ふべからずと申す事 理屈ぢゃ、理屈は悪ぢゃ、悪魔ぢゃ、働かん者にもドシドシ与へてとらせよ、与へる方法あるでないか、
働かん者食ふべからず、と申す事 理屈であり、その理屈は悪であり、悪魔、というのも、この道に進みますと、徐々に判ってきます。
ですから、働かん者にもドシドシ(土四土四)与へてとらせよ、としてください。
与へる方法はいくらでもあります。
一例は、日々の草木、自然界達とのやり取りがあります。
永劫の過去から、しきまきや、から、自然界から変える方法です。
与えるのではなく、与へる(あ、十、経る)事で世界を変えていけます。
Ⅵ.何もかも与へぱなしから、神の政治始まり、神の経済があります。
●働かんでも食べさせてやれよ、何もかも与へぱなしぢゃ、其処に神の政治始まるのぢゃぞ、神の経済あるのぢゃ。
働かんでも食べさせてやれよ、何もかも与へぱなし、とあります。
其処に神の政治始まるのです。神の経済あるのです。
食べさせる方法の一つに、キン、水、大気、この辺りを変性させていく事があります。
すると、普段の呼吸から、食べさせる事は可能です。
後は、先述した通り、食べられる雑草を生み出すとかですね。
何もかも与へぱなし、ですが、今のところ、思い付く方法はこのような所です。
ですが、其処(そ九)に神の政治が始まるのです。
神の経済があるのです。
ここから、この後、無限に拡大していく方法がありそうです。
Ⅶ.この方の申す様にやってみますと、お上は幸でうもれる流れとなります。この道理をまず判って下さい。
●やって見なされ、人民のそろばんでは木の葉一枚でも割出せないであらうが、この方の申す様にやって見なされ、お上は幸でうもれるのぢゃ、余る程与へて見なされ、お上も余るのぢゃ、此の道理判りたか。
やって見なされ、とあります。
確かに、人民のそろばんでは、木の葉一枚でも割り出せないです。
自然界マンデラ・エフェクト、とは確かにそのようなものです。
ですが、こ(九)の方の申す様にやって見て下さい。
お上は幸でうもれます。ハイヤーセルフさんですね。
余る程与へて見なされ、とあります。お上も余ります。
確かに、衣食住、満たされている流れとなります。
それも、無理なく、向こうから来る感じです。
この道理判りたか、とあります。
これらの事を実践し、体験しますと判ってきます。
ただ、まだ、此の世では、余る程与へる、とまでは実現していないですね。
そこで、ちょっと違う手法で、余る程与へる、ようにしたいと、次の段階の方法を試し始めてゐます。
Ⅷ.おしみなく与へるうちに人民 元の姿あらはれます。仕事(四五十)させて呉れ(九〇)と、人民 喜んで働き始めます。
●仕事させて呉れと申して、人民 喜んで働くぞ、遊ぶ者なくなるぞ、皆々神の子ぢゃ、神の魂うゑつけてあるのぢゃ、長い目で見てやれ、おしみなく与へるうちに人民 元の姿あらはれるぞ。
仕事させて呉れ(九〇)と申して、人民 喜んで働くようになり、遊ぶ者なくなります。
ですが、まだ、そんな世界観は現れてゐませんね。
現代では、嫌々働いてゐるか、遊んでばかり、どちらかの方が多いと思います。
ですが、喜んで働くとするならば、此の道に進む仕事をしていく事にあります。
御自身を仕事そのものとして下さい。
地震の巻、第十九帖の、礼拝生活が実現する、その世界に進むか、もしくは、見当たらないなら(こちらの方が圧倒的多数と思いますが)、自ら、その世界を生み出していく事が求められます。
皆々、神の子で、神の魂をうゑつけてあるので、長い目で見て下さい。
おしみなく与へるうちに、人民 元の姿あらはれます。
ですが、確かに徐々に現はれ始めていると思います。
これが、マンデラ・エフェクトの世であり、嬉しきビックリの世、神世、となります。
ですが、それは、実践した方の周囲から現れるようになっています。
Ⅸ.むさぶると悪になって来ます。人民 神とあがめますと、神となります。元の元のキの臣民、地(くに)の日月の神様です。
●むさぶると悪になって来るのぢゃ、今のさま見て改心結構ぞ、そろばん捨てよ、人民 神とあがめよ、神となるぞ、泥棒と見るキが泥棒つくるのぢゃ、元の元のキの臣民 地(くに)の日月の神ぢゃと申してあろがな。
むさぶると悪になって来ます。
今のさま見て改心結構です。
そろばん捨てて下さい。(これも結構難しいです。ですが、求められます。)
人民 神とあがめて下さい。
神となります。
泥棒と見るキが泥棒をつくります。
最後は、マンデラ・エフェクト文面かもしれません。
元の元のキの臣民 地(くに)の日月の神様なのです。
ここを目標にして下さい。
御自身もそうですし、周囲もそうであるように導いて下さい。
2.まとめ
神のやり方は、与へ(あ、十、経)ぱなし、(ウズ)、まことです。
今のやり方では世界は治まらんのは道理です。
おしみなく、くまなく与えて取らせ、与へる(あ、十、経る)と弥栄へ、弥栄になって元に戻り、九二は富み、神徳満ちます。この道理(土ウ理)は、此の道に進めば分かります。
ささげられたものだけがまことで、やがて、乗るもの只、田からも家からも税金、年貢取り立てず、何もかも只になります。
日(一一)の光を見て下さい。黄金(きん)はいらん、暮らしむきのもの只で与へる方法があります。
与える、ではなく、与へる(あ、十、経る)、となっているのが、その答えでもあります。
思念界から変える行です。これは、普段からもできます。
また、働かん者にもドシドシ与へて取らせる、与へる方法があります。
一例は、永劫の過去から、しきまきや、から、自然界から変える方法です。
働かんでも食べさせてやれよ、何もかも与へぱなし、する方法については、
食べさせる方法の一つに、キン、水、大気、この辺りを変性させていく事があります。
すると、普段の呼吸から、食べさせる事は可能です。
また、食べられる雑草を生み出す、もあります。
このように、何もかも与へぱなしから、神の政治始まり、神の経済があります。
この方の申す様にやってみますと、お上は幸でうもれる流れとなります。
確かに、衣食住、満たされている流れとなります。それも、無理なく、向こうから来る感じです。
この道理をまず判って下さい。これらの事を実践し、体験しますと判ってきます。
おしみなく与へるうちに人民 元の姿あらはれます。
仕事(四五十)させて呉れ(九〇)と、人民 喜んで働き始めます。
むさぶると悪になって来ます。
人民 神とあがめますと、神となります。
元の元のキの臣民、地(くに)の日月の神様です。
ここを目標にして下さい。
御自身もそうですし、周囲もそうであるように導いて下さい。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。