よろこび、に関する文面② ㊉は現れの神様、よろこびであり、もとが⦿、キ、元の元の太元の神です

マンデラ・エフェクト文面(2025年6月24日~

よろこび、に関する文面②に進みます。

今回の文面は、春の巻 第四帖、第七帖、の二つの文面です。

今回のマンデラ・エフェクト文面ですが、
春の巻 第四帖、では、㊉について、お伝えされています。

それは、現れの神様であり、現れのよろこび、でもあります。

また、㊉のもとが⦿です。キです。元の元の太元の神です。

春の巻 第七帖、では、ほぼ全てがマンデラ・エフェクトと見ており、
人民の理(ミチ)歩みますと、何もかも嬉し嬉しとなる仕組みであり、
いつも楽し楽しの歌で暮せる仕組み、

と伝えられてゐます。

また、理(ミチ)しるべをつくりておきます。と、理しるべを伝えられて始め、

人民のいのちを正しく育てることが一番のよろこび、であり、
人民は、神の喜びの全き現れ、と伝えられています。

また、人民は、いくらけがれていても、元の神の根元神のキをうけてゐます。
と伝えられてゐます。

それでは、よろこび、に関する文面②をお伝えしますね。

1.春の巻 第四帖 よろこびは三つあり、表裏合わせて㊉です。㊉は神様ですが、現れの神であり、現れのよろこび、です。

Ⅰ.よろこびは三つあり、表裏合わせて㊉です。

がよろこびであるぞ。もよろこびであるぞ。よろこびにも三つあるぞ。は表、は裏、表裏合せて㊉ぞ。

どこかからか現れたマンデラ・エフェクト文面です。

がよろこびです。 もよろこびです。
よろこびにも三つあります。

は表、 は裏、表裏合わせて㊉です。

この三つのよろこびがあります。

Ⅱ.㊉は神様ですが、現れの神であり、現れのよろこび、です。

㊉は神であるぞ。神であるなれど現れの神であり、現れのよろこびであるぞ。

㊉は神様です。神ですが、現れの神であり、現れののよろこび、です。

現れの神、は初登場と見ます。

Ⅲ.㊉のもとが⦿です。キです。元の元の太元の神です。

㊉のもとが⦿であるぞ。キであるぞ。元の元の太元の神であるぞ。

㊉のもとが⦿です。キ、です。
元の元の太元の神様です。

Ⅳ.元の元の太元の神様は、(ム)です、(ム)から(ウ)生れ、(ウ)から(ム)生れるます。同じ名の神二つあります。

(ム)であるぞ。(ム)から(ウ)生れ、(ウ)から(ム)生れるぞ。同じ名の神二つあると申してあろうが。

元の元の太元の神様は、(ム)です、(ム)から(ウ)生まれ、(ウ)から(ム)生まれます。
同じ名の神二つあります。

裏表、と同じく、ウ、ム、と同じく、同じ名の神が二つあります。

霊界、と、現界、にそれぞれあります。

Ⅴ.表の喜びは、・、愛、真、善、美となり現れ、裏の喜びからは、〇、憎、偽、悪、醜、と現れます。

表の喜びが・、愛、真、善、美となり現れ、裏の喜びからは、〇、憎、偽、悪、醜が現れるのぢゃ。

表の喜びは、・、愛、真、善、美となり現れます。
裏の喜びからは、〇、憎、偽、悪、醜、と現れます。

Ⅵ.裏の喜びではなりません。今の人民の喜びは、裏の喜びです。悲しみを喜びととりちがへています。

喜びが神ぢゃと申して裏の喜びではならんぞ。今の人民の喜びと申すのは裏の喜びであるぞ。悲しみを喜びととり違へているぞ。

喜びが神、と申して、裏の喜びではならんようになってゐます。

今の人民の喜び、と申すのは裏の喜びです。
平面、の有限の喜びです。

悲しみを喜び、ととり違へてゐます。

Ⅶ.此の巻春の巻です。こまかに説いて判り易く説いてきかせて頂けます。判ればそれだけ小さくなります。

この巻、春の巻。こまかに説いて判り易く説いてきかすぞ。分ければそれだけ小さくなるなれど。

この文面もどこかからか現れたマンデラ・エフェクト文面です。

この巻、春の巻、です。
こまかに説いて判りやすく説いてきかして頂けます。

分ければそれだけ小さくなります。

2.春の巻 第七帖 人民の理(ミチ)歩みますと、何もかも嬉し嬉しとなる仕組みです。いつも楽し楽しの歌で暮せる仕組みです。

Ⅰ.人民の理(ミチ)歩みますと、何もかも嬉し嬉しとなる仕組みです。いつも楽し楽しの歌で暮せる仕組みです。

ことわけて書きおくから、迷はんように。人民の理(ミチ)歩んで呉れよ。何も彼も嬉し嬉しとなる仕組、人民に禍ないのぢゃ。不足ないのぢゃ。いつも楽し楽しの歌で暮せる仕組ぢゃぞ。

この文面は初めて、と見ます。

ことわけて書いておきますので、迷はんようにして下さい。

人民の理(ミチ)歩んで呉れよ(九〇四)としてください。

何も彼も、嬉し嬉し、となる仕組みです。
人民に渦ないのです。不足ありません。

いつも楽し楽しの歌で暮せる仕組みです。

Ⅱ.理(ミチ)しるべをつくりておきます。これ(九〇)がよろこびの理(ミチ)です。

と申しても、心で判っても、今の人民には判るまいから、更にこと分けて、こまかに説いてきかすぞ。理(ミチ)しるべをつくりおくぞ。これがよろこびの理(ミチ)ぢゃ。

と、申しても、心で判っても、今の人民には判らないので、更にこと(九十)分けて、こまかに説いてきかします。

理(ミチ)しるべ、をつくりおきます。

これ(九〇)がよろこびの理(ミチ)です。

Ⅲ.人民のいのちを正しく育てることが一番のよろこび、です。人民は、神の喜びの全き現れです。

人民のいのちを正しく育てることが一番のよろこび。人民と申すものは神の喜びの全き現れであるぞ。

人民のいのち、を正しく育てることが一番のよろこび、です。

人民と申すものは、神様の喜びの全き現れです。

Ⅳ.人民は、いくらけがれていても、元の神の根元神のキをうけてゐます。それを育て、導いて下さい。

いくらけがれても元の神の根元神のキをうけてゐるぞ。それを育てることぢゃ。導くことぢゃ。

元の神の根元神は、初登場ですね。

どのような人民もいくらけがれても、元の神の根元神のキをうけてゐます。

ですから、それを育てて下さい。導いて下さい。

元の神の根元の神は、それを育てる九十でもあり、導く九十、でもあります。

Ⅴ.元の神の根元神は、死なん(四七ん)とする人助けるのもその一つです。宿った子殺すことは、人民殺すことです。

死なんとする人助けるのもその一つぢゃ。宿った子殺すことは、人民殺すことぢゃ。

死なんとする人助けるのも、その一つです。

これは、自死だけでなく、四七ん、ですから、しきまきや、もう一段上の無を無きにする方もそうですし、
そこから、生み出す方々も助けてください。

宿った子、殺すことは、人民殺すことでもあります。
宿った九、殺すのも、人民殺すこととなります。

ですが、宿った九、殺している方、囚われを選択し、結構に多いかもしれません。

Ⅵ.今の人民 九分九厘は死んでいます。救へ(四九経)、として下さい。おかげは取りどくです。

今の人民 九分九厘は死んでいるぞ。救へ、救へ、救へ。おかげは取りどくぢゃ。

ですから、今の人民 九分九厘は死んでいます。

救へ、を三回繰り返すのは初めてです。

救へ(四九経)、救へ(四九経)、救へ(四九経)、

と、しきまきや、くにつつみ、を経て下さい。

三回繰り返すのは、三界和合を繰り返して行く意味もあると見ます。

神界、現界、幽界。過去、現在、未来。
他様々な三界和合です。

おかげは取りどくです。

Ⅶ.生かす理(ミチ)は神示よむことです。

生かせよ。生かせよ。生かす理(ミチ)は神示よむことぢゃ。

生かせよ。生かせよ。
とあります。

生かす理(ミチ)は神示よむことです。

3.まとめ

よろこびは三つあり、は表、 は裏、表裏合わせて㊉です。
表裏合わせて㊉です。

㊉は神様ですが、現れの神であり、現れのよろこび、です。

㊉のもとが⦿です。キです。元の元の太元の神です。

元の元の太元の神様は、(ム)です、(ム)から(ウ)生まれ、(ウ)から(ム)生まれます。
同じ名の神二つあります。

表の喜びは、・、愛、真、善、美となり現れ、
裏の喜びからは、〇、憎、偽、悪、醜、と現れます。

裏の喜びではなりません。今の人民の喜びは、裏の喜びです。悲しみを喜びととりちがへています。

此の巻春の巻です。こまかに説いて判り易く説いてきかせて頂けます。判ればそれだけ小さくなります。

人民の理(ミチ)歩みますと、何もかも嬉し嬉しとなる仕組みです。いつも楽し楽しの歌で暮せる仕組みです。

理(ミチ)しるべをつくりておきます。これ(九〇)がよろこびの理(ミチ)です。

人民のいのちを正しく育てることが一番のよろこび、です。人民は、神の喜びの全き現れです。
人民は、いくらけがれていても、元の神の根元神のキをうけてゐます。それを育て、導いて下さい。

元の神の根元神は、死なん(四七ん)とする人助けるのもその一つです。宿った子殺すことは、人民殺すことです。

今の人民 九分九厘は死んでいます。救へ(四九経)、として下さい。しきまきや、くにつつみ、を経て下さい。おかげは取りどくです。

生かす理(ミチ)は神示よむことです。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

<<前に戻る
>>次に進む
カテゴリートップへ戻る
トップに戻る