誠に関する文面6、に進みます。
今回の文面は、キの巻 第十五帖、松の巻 第四帖、松の巻 第五帖の三つの文面です。
今回のマンデラ・エフェクト文面は、
キの巻 第十五帖では、余り起こってはいませんが、
一人一人、同じ様で裁く訳(わけ)にはいかないので、一家揃ふて、天国身魂となって下さい。国皆揃ふて神国となる様つとめて呉れよ、とお伝えされています。
天明、役員が、代わりて詫びをするケースがあります。ですが、役員は一人一人代わる代わるでお詫びする可能性がある、とお伝えされています。
このようにして、あななひ、元津神々人の世ひらき和し、悉くの神人みつ道、となり、
勇み出でて総てはひふみひふみとなり、和し勇む大道となります。とお伝えされています。
松の巻 第四帖、では、
神の気概に叶はん人民は地の下になります。
とお伝えされています。
松の巻 第五帖、では、文面そのものは、マンデラ・エフェクトはありませんが、文面の繋がりがマンデラ・エフェクト、を起こしてゐます。
この先どうしたらよいか、については、九九(ここ)より他 分からんので、改心して訪ねて下さい。
とお伝えされています。
それでは、誠に関する文面6、をお伝えしますね。
1.キの巻 第十五帖 一家揃ふて、天国身魂となり、国皆揃ふて神国となる様つとめて呉れよ、として下さい。
Ⅰ.誠申すと、耳(御身)に逆らうのは、我れに判らんメグリある為です。その耳(御身)取り替へてしまいます。
●誠申すと耳に逆らうであろが、其の耳 取り替へて了ふぞ、我れに判らんメグリあるぞ、
誠申すと耳に逆らうと思います。
それは、我れに判らんメグリ、がある為です。
ですが、その耳もそうですが、御身(みみ) 取り替えてしまふぞとあります。
まず、御身(みみ)、御自身を変えていく所から始まります。
それには、我の、洗濯、掃除、改心を進めていく事にあります。
Ⅱ.一人一人、同じ様に裁く訳(わけ)にはいかないので、一家揃ふて、天国身魂となって下さい。
●今度は親子でも夫婦でも同じ様に裁く訳(わけ)には行かんのざ、子が天国で親地獄と云ふ様にならん様にして呉れよ、一家揃ふて天国身魂となって呉れよ、
今度は、親子でも夫婦でも同じ様に裁く訳(わけ)には行かんのです。
子が天国、親地獄と云ふ様にならん様にして呉れよ(九〇四)、とあります。
くにつつみ、しきまきや、を進めて下さい。
一家揃ふて天国身魂、となって呉れよ(九〇四)、として下さい。
天国身魂、と云ふ表現が、初めて、と見ますが、天国に進む身魂、という段階に入っていますし、
そういった事が実現が可能の世界が近づいてゐます。
それは、思念界から変えていく行の連続にあります。
ですが、簡単には進まないようになってゐます。
Ⅲ.国皆揃ふて神国となる様つとめて呉れよ、として下さい。
●国皆揃ふて神国となる様つとめて呉れよ、メグリは一家分け合って、国中分け合って借金なしにして下されよ、
出だしの、国皆揃ふて神国となる様つとめて呉れよ(九〇四)、
は初めての文面です。
国、皆揃ふて神国となる様つとめて呉れよ(九〇四)として下さい。
とありますが、これは簡単ではありません。
その為には、メグリは一家分け合って、国中分け合って、借金無しにして下されよ(三〇四)とあります。
メグリを一家分け合う、というのも実は結構難しいです。
私が見てきた限り、家族のメグリを一人で背負ってゐるケースが多々あります。
中々、実現が難しい内容の一つです。
Ⅳ.天明代りに詫(わび)してくれよ、として下さい。役員代りて詫びして呉れよ、として下さい。
●天明代りに詫(わび)してくれよ、役員代りて詫びして呉れよ、
天明代りに詫(わび)してくれよ(九〇四)、役員代りて詫びして呉れよ(九〇四)、とあります。
先述の話の流れでもありますが、家族の一人、天明、役員が、代りて詫びをするケースがあります。
それは、大抵一人で背負っています。
ですが、その一人が、くれよ(九〇四)、くにつつみ、しきまきや、を起こす所から世界が変わっていきます。
また、役員のお詫びは、一人一人代わる代わる、お詫びする可能性もありそうです。
Ⅴ.この神示 肚に入れておれば、どんな事が出て来ても、胴(どう)すわるので心配いりません。
●この神示 肚に入れておれば何んな事が出て来ても胴(どう)すわるから心配ないぞ、
この神示 肚に入れておれば、どんな事が出て来ても、胴(どう)すわるから心配はありません。
それは、体験と共に、理解していく事で、進む為です。
そして、書いてある事も実現していきますし、また、実行してきた事が、新たにマンデラ・エフェクト文面で現れる事もあります。
如何なる大変な事があっても、その小さな型出しが出て来るので、心配要らないのです。
Ⅵ.あななひ、元津神々、人の世ひらき和し、悉くの神人みつ道です。勇み出でて総てはひふみひふみとなり、和し勇む大道となります。
●あななひ、元津神々人の世ひらき和し、悉くの神人みつ道、勇み出で、総てはひふみひふみとなり、和し勇む大道。
歌が最後にありますが、これも後から生まれて来た歌と見ます。
あななひ、元津神々、人の世ひらき和します。
これは、元津神々が、というより、元津神々となった人が、世をひらき和すと見ます。
ことごとくの神人、みつ道となります。
勇み出で、総てはひふみひふみとなり、和し勇大道、となります。
2.松の巻 第四帖 神の気概に叶はん人民は地の下になります。
Ⅰ.誠の所へは人民なかなか集まりませんが、今度の御用は臣民 沢山要りません。
●幾ら誠申してもまことは咽喉へつかへて呑み込めぬから、誠の所へは人民なかなか集まらんなれど、今度の御用は臣民 沢山は要らんぞ。
幾ら誠申しても、まことは咽喉へつかへて呑込む事ができません。
ですから、誠の所へは人民なかなか集まらんのですが、今度の御用は臣民 沢山要らんのです。
Ⅱ.神の気概に叶はん人民は地の下になります。
●何もかも神が仕組みてゐるのざから、人民仕様とて何も出来はせんぞ、神の気概に叶はん人民は地の下になるのざぞ。
何もかも神様が仕組みてゐるので、人民仕様とて、何も出来ないようになってゐます。
神の気概に叶はん人民は地の下になるのです。
地の下になる、というのは、どこかか、現れたマンデラ・エフェクト文面ですが、
神の気概に叶はん人民、懐手の人民は、地の下になるのです。
それは、並行宇宙から消える、と言えるかもしれません。
実際には、小宇宙となり、地と変っているかもしれません。
チリヂリバラバラもこのようにしてなる可能性もあります。
Ⅲ.神示判なければ、一度、捨(四)てて見ると判ります。
●神示わからねば一度捨てて見るとわかるのざぞ。
これも、この表現かだったか判りませんが、
捨(四)てて見ると判るようになります。
しきまきや、から新たに生み出した後、見ると判るようになります。
何事も、実際、一段一段、理解、体験していかない事には判らないようになってゐます。
3.松の巻 第五帖 この先どうしたらよいか、については、九九(ここ)より他 分からんので、改心して訪ねて下さい。
この文面では、文面そのものは以前からあったと思いますが、繋がりがマンデラ・エフェクト、のように思います。
Ⅰ.この先どうしたらよいか、については、九九(ここ)より他 分からんので、改心して訪ねて下さい。
●この先どうしたらよいかと云ふ事は、世界中 金(かね)の草鞋(わらじ)で捜しても九九(ここ)より他 分からんのざから、改心して訪ねて御座れ。手取りてよき方に廻してやるぞ。
この先どうしたらよいか、と云ふ事は、世界中 金(かね)の草鞋(わらじ)で探しても、九九(ここ)より他 分からんので、改心して訪ねて御座れ(五、裏三、〇)、とあります。
ですが、改心して訪ねてくる人は中々居ないようになってゐます。
五三体の大神様を、三が道を裏から生み出す事で、分かってきます。
手取りて、よき方に廻して頂けます。
Ⅱ.神の国の政治は、もの活かせば、経済も政治も要りません。
●神の国の政治は、もの活かす政治と申してあろが、もの活かせば、経済も政治も要らんぞ。
神の国の政治は、もの生かす政治です。
もの活かせば、経済も政治も要らんのです。
まだまだ、世は、政治、経済に囚われてゐる人、とても多いです。
Ⅲ.金もの云ふ時から、物もの云ふ時、誠もの云う時、石もの云ふ時が来ます。
●金もの云ふ時から、物もの云ふ時来るぞ。誠もの云う時来るぞ。石もの云ふ時来るぞ。
金もの云ふ時から、物もの云ふ時が来ます。
誠(〇九十)もの云ふ時が来ます。
石(意志)(一四)もの云ふ時が来ます。
以前は、確か、地つ巻より以前にあったと思いますが、今では、松の巻に文面が移動した、と見ます。
松(真通)の世へと進んできてゐるとも言えます。
4.まとめ
誠申すと、耳(御身)に逆らうのは、我れに判らんメグリある為です。
その耳(御身)取り替へてしまいます。
一人一人、同じ様に裁く訳(わけ)にはいかないので、一家揃ふて、天国身魂となって下さい。
国皆揃ふて神国となる様つとめて呉れよ、として下さい。
メグリは一家分け合って、国中分け合って、借金無しにして下されよ(三〇四)、として下さい。
天明代りに詫(わび)してくれよ、として下さい。役員代わりて詫びして呉れよ、として下さい。
ですが、メグリを一家分け合う、というのも実は結構難しいです。
家族のメグリを背負った一人が、くれよ(九〇四)、くにつつみ、しきまきや、を起こす所から世界が変わっていきます。また、役員のお詫びは、一人一人代わる代わる、お詫びする可能性もありそうです。
この神示 肚に入れておれば、どんな事が出て来ても、胴(どう)すわるので心配いりません。
このようにして、あななひ、元津神々、人の世ひらき和し、悉くの神人みつ道、となります。
勇み出でて総てはひふみひふみとなり、和し勇む大道となります。
誠の所へは人民なかなか集まりませんが、今度の御用は臣民 沢山要りません。
神の気概に叶はん人民は地の下になります。
神示判なければ、一度、捨(四)てて見ると判ります。
この先どうしたらよいか、については、九九(ここ)より他 分からんので、改心して訪ねて下さい。
神の国の政治は、もの活かせば、経済も政治も要りません。
金もの云ふ時から、物もの云ふ時、誠(〇九十)もの云う時、石(一四)もの云ふ時が来ます。
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