まことに関する文面39に進みます。
今回の文面は、碧玉之巻 第五帖、第七帖、の二つの文面です。
今回のマンデラ・エフェクトは、それぞれに起こってゐます。
碧玉之巻 第五帖、では、
七は成り、八の隈(九真)から開き、〇と九と十との三が出てくる、これが宮であり、マコトです、とあります。
これは、古いマンデラ・エフェクト文面です。此の事で、西(二四)、東(ヒ我四)に宮建てる意味が判るであろう、とお伝えされています。
マコトの数を合わせると、五と五十です。中心に五があり、周辺が五十です。
三界和合の複立体の五。が基軸で、その周辺の五十が、複々立体の流れとなります。
これが根本の型、型の歌、型の数、摩邇(マニ)の宝珠(タマ)です。
摩邇(マニ)の宝珠(タマ)は2025年に現れましたが、型の歌、型の数、が更に追加されました。
五十は伊勢、五百は日本、五千は世界、です。この方五千の山、五万の川、五億(奥)の九二です。
とお伝えされています。これらは以前よりありましたが、五億のクニ、というカタカナに変わったマンデラ・エフェクトが起こってゐます。
碧玉之巻 第七帖、では、
始めの日は始めの日に過ぎん、始めの前にあるものが判らなければ、それは只の理屈にすぎません。マコトでありません。とお伝えされています。
始めの前にあるものが判らないとならない、とお伝えされ始めました。
原因の理解が求められます。
岩戸がひらけたので、教へではなく、道でなくてはならん、と伝えられてゐます。
道は永遠、〇から出て〇に至ります。とあります。
〇が、永遠の道でもある事。そして、〇から出て、〇に至る、というのも初めてです。
それでは、まことに関する文面39、をお伝えしますね。
1.碧玉之巻 第五帖 マコトの数を合わせると、五と五十です。中心に五があり、周辺が五十です。これが根本の型、型の歌、型の数、摩邇(マニ)の宝珠(タマ)です。
Ⅰ.七は成り、八の隈(九真)から開き、〇と九と十との三が出てくる、これが宮であり、マコトです。
●七は成り、八は開くと申してあろうが、八の隈(くま)からひらきかけるのであるぞ、ひらけると〇と九と十との三が出てくる、これを宮と申すのぞ、宮とはマコトのことであるぞ、西と東に宮建てよと申すこと、これでよく判るであろうが、
これは、2年~3年前、かなり以前に登場したマンデラ・エフェクト、です。
七は成り、です。もう一段上の無です。
八は開く、です。
八の隈(くま)からひらきかけるのです。
ひらけると、〇と九と十との三が出てきます。これが宮(三八)です。これをマコト(〇九十)ともうします。
西(二四)と東(ヒが四)に宮(三八)(〇九十)立てよ、と申すこと、これでよく判ると思います。
西は、二二の仕組み、しきまきや、であり、東は、永劫の過去から、我の改心すべく、しきまきや、を起こす意味があります。
Ⅱ.マコトの数を合わせると、五と五十です。中心に五があり、周辺が五十です。これが根本の型、型の歌、型の数、摩邇(マニ)の宝珠(タマ)です。
●マコトの数を合せると五と五十であるぞ。中心に五があり、その周辺が五十となるのであるぞ。これが根本の型であり、型の歌であり、型の数であるぞ、摩邇(マニ)の宝珠(タマ)であるぞ、
これも、新たなマンデラ・エフェクト、と見ます。
マコトの数を合わせますと、五と五十、です。
中心に五があり、その周辺が五十となるのです。
これが根本の型です。
三五の⦿です。これが中心、三界和合の複立体です。五ですね。
その周辺が五十、となるのです。
これが、根本の型です。
まずは、三、です。三界和合です。三人もあります。それが、複立体となり、五人となります。
型の歌(ウ多)です。
型の数です。
摩邇(マニ)の宝珠(タマ)です。
Ⅲ.五十は伊勢、五百は日本、五千は世界、です。この方五千の山、五万の川、五億(奥)の九二です。
●五十は伊勢であるぞ、五百は日本であるぞ、五千は世界であるぞ、このほう五千の山、五万の川、五億のクニであるぞと申してあろうがな。
五十は伊勢、です。まず、御自身の周囲、七七四十九人、御自身合わせて五十人の仕組みです。
また、五人と十人の五十人もあります。
五百は日本、です。
五千は世界、です。
このように拡がります。
こ(九)のほう、五千の山、五万の川、五億のクニです。
五千の山(八真)、五万の川、です。
この順ですと、クニは、国というより、九二の方が自然ですね。
また、五億のクニは、五奥の九二、とも言えます。
2.碧玉之巻 第七帖 始めの前にあるものが判らなければ、それは只の理屈にすぎません。マコトでありません。教へではなく、道でなくてはならん、ように成ってゐます。
Ⅰ.始めの日は始めの日に過ぎん、始めの前にあるものが判らなければ、それは只の理屈にすぎません。マコトでありません。
●始めの日は始めの日に過ぎん、始めの前にあるものが判らなければ、それは只の理屈に過ぎんぞ、マコトでないぞ、根から出たものではない、枝葉に過ぎん、
この文面は初めてと見ます。
始めの日は、始めの日に過ぎません。始めの前にあるものが判らなければ、それは只の理屈にすぎんと申されています。
マコトではないのです。
ですから、始めの前の原因となる始め、にあるものが判らないと成らないようになってゐます。
始めの前のものが判らなければ、根から出たものではない、枝葉にすぎません。
途中の事しか判らないのです。
Ⅱ.一つのものの表が男です。裏が女です。男から女をつくったと申すのは或る時期に於ける教えです。
●男から女は生れんぞ、奇数から偶数は生れんと申してあろうが、一つのものの表が男であるぞ、裏が女であるぞ、男から女をつくったと申すのは或る時期に於ける教ぢゃ、
男から女は生まれません。
奇数から偶数は生まれないのです。
一つのものの表が男です。裏が女です。
男から女をつくったと申すのは或る時期に於ける教えです。
ですから、男の身体は女の魂であり、女の身体は男の魂なのです。
Ⅲ.岩戸がひらけたので、教へではなく、道でなくてはならん、とお伝えされています。道は永遠、〇から出て〇に至ります。
●岩戸がひらけたのであるから教へではならん、道でなくてはならんと申してあるぞ、道は永遠ぢゃ、〇から出て〇に至るのぢゃ。
岩戸がひらけたのですから、教へではならん、ように成ってゐます。
道でなくてはならんようになってゐます。
この後がマンデラ・エフェクト、と見ます。
道は永遠です。〇から出て〇に至ります。
〇(零)(ま)(九二)から出て、〇(零)(ま)(九二)に至ります。
このことにより、〇(物)から〇(物)に至るようになります。
3.まとめ
七は成り、八の隈(九真)から開き、〇と九と十との三が出てくる。
これが宮(三八)です。これをマコト(〇九十)ともうします。
マコトの数を合わせると、五と五十です。中心に五があり、周辺が五十です。これが根本の型、型の歌、型の数、摩邇(マニ)の宝珠(タマ)です。
五十は伊勢、五百は日本、五千は世界、です。
この方五千の山、五万の川、五億(奥)の九二です。
奥は九二になります。
始めの日は始めの日に過ぎん、始めの前にあるものが判らなければ、それは只の理屈にすぎません。マコトでありません。
一つのものの表が男です。裏が女です。男から女をつくったと申すのは或る時期に於ける教へです。
岩戸がひらけたので、教へではなく、道でなくてはならん、とあります。
道は永遠、〇(零)(ま)(九二)から出て、〇(零)(ま)(九二)に至ります。
このことにより、〇(物)から〇(物)に至るようになります。
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