愛の文面続いて行きます。
何処で何してゐても、道さへふんで居れば、弥栄していきます。
世界民の会、二人で進めていく事ができ、行じ省み、改心し、其の上で、行を進めている方は、大丈夫です。
ですが、行き詰っていましたら、省みて下さい。
神様から伸びた智と愛でないと、必ず行き詰ります。
人民の智や学や愛ではすぐペシャンコになります。
それには、我の改心が必要です。
特に、人の我、は生前から騙されている所、多々ありますから、中々一人では改心ができません。
そして、我の囚われに気付かず、此の道から外れる方。結構多いです。
神様に愛させて頂くと弥栄していきますが、我の改心ができていませんと、祈らず我よしとなったり、祈っていても、愛させて頂くではなく、愛してやる、愛している。と我が出る。こう言った我良しになっていきます。
愛させて頂く、という境地の段階に進むと弥栄していくのですが、それには、行じ、省み、嬉しきビックリ体験していく段階まできませんと、中々できません。
ですから、改心が何よりも大切なのです。
また、段階が進んでゐても、愛させて頂く、事が出来なかった自身に向き合う流れとなっていきます。
それ程、人の我とは、謙虚、敬虔になれないものだと思います。
実は直近では、人の我の愛、とは如何に我良しなのか、を自ら体験していく事にもなり、人の愛の恐ろしさ、また、我の恐ろしさ、を改めて体験していく事になりました。
今回は、我良し愛、人愛、我、で進みますと、ペシャンコ、大変な流れになる文面を中心に御伝えしたいと思います。
- 1.人愛、自分愛、我良し、我、で進むと大変になっていく文面について
- Ⅰ.神から伸びた智と愛でないと、人民の智や学や愛はすぐペシャンコになります。
- Ⅱ.神に祈って愛させて頂くようにしますと弥栄します。我のままですと、本と絶つのでわれよし自分愛になります。
- Ⅲ.獣の浄化、が最も大変ですが、それが、天国に行く鍵です。智慧と愛が主の座になります。ウムのは愛、成るは智からです。
- Ⅳ.喜びは神から流れ、愛から流れますが、それは生命であり、キであり、その時のまことの姿です。
- Ⅴ.愛の人間は深く、智の人間は広く進みます。この世に生まれて、此(九)の世の行しませんと、生れた時より悪くなります。
- Ⅵ.ひつくの民は神の光を愛の中に受け、みつくの民は智の中に受けます。二つの民の流れがあります。
- Ⅶ.その時、その人間のキに相応した神様しか拝めません。悪いキならば悪神感応し、正しき愛、善き念なら、善き神様現れます。
- 2.まとめ
1.人愛、自分愛、我良し、我、で進むと大変になっていく文面について
Ⅰ.神から伸びた智と愛でないと、人民の智や学や愛はすぐペシャンコになります。
●何処で何してゐても道さへふんで居れば弥栄えるぞ。行き詰ったら省みよ。己の心の狂ひ、判って来るぞ。神から伸びた智と愛でないと、人民の智や学や愛はすぐペシャンコ。やりてみよれ。
どこで何してゐても、道さへふんで居れば、弥栄えます。
此の道一本基軸とは、苦を苦で無くしていく行をしていくという事もありますが、道中、必ず、省みる過程があります。改心、が伴っているかどうか、です。
それは、行をしていく事も必要ですし、
また、二人でないと、まず、我の改心はできません。
ハイヤーセルフさん、騙されていない人は居ないと云っても過言ではありません。
行き詰ったら省みて下さい。
御自身の心の狂ひ、判ってきます。
そういった局面では、省み、を試される事が多いです。
ですが、省みないどころか、11の囚われ、その執着を選択する方、やはり多いです。
その原因となっています、我良し、慢心、分け隔て。に気付き、改心しないと次の立体世界に進まないのですが、中々気付けない方多いですし、また、分かっていても改心ができない事も珍しくありません。
ですから、気付け合い、が大切です。
ですが、これもできない方も多いです。それは、我良し、慢心。している為です。
●世界の民の会二人でやれよ、一人でしてならんぞ、くどう気つけあらうがな。
と云っても、一人でしようとする方、とても多いです。
それ位、11の囚われ、6つの慢心は強固ですし、道をふむとは、簡単ではないのです。
一人でできない道理は、改心を進めていくごとに痛感します。
ですから、神様から伸びた智と愛でないと、人民の智や学や愛はすぐペシャンコ、となります。
やってみますと分かりますが、それでも、ペシャンコを選択する方多いです。
御神示にもあります通り、一番恐ろしいのは、御自身の心に巣くっている悪のみたま、です。
御神示の主旨は、我の改心、と云っても良いほど、改心が重要な事を忘れてはなりません。
Ⅱ.神に祈って愛させて頂くようにしますと弥栄します。我のままですと、本と絶つのでわれよし自分愛になります。
●人の心がまことにならんと、まことの神の力 現はれんぞ。みたまみがきとは善いと感じたこと直ちに行ふことぞ。愛は神から出てゐるのであるから、神に祈って愛さして戴くやうにすると弥栄えるぞ。祈らずに自分でするから、本を絶つから、われよしに、自分愛になるのぞ。自分 拝(オロガ)むのは肉愛でないぞ。
人の心がまことになりませんと、まことの神様の力が現れません。
みたまみがき、とは、善いと感じたこと、直ちに行う事です。
ですが、折角の機会が来ているのに、後廻しする方も多いです。
愛は神様から出ていますので、神様に祈って愛させて頂くようにしますと、弥栄していきます。
祈らずに自分でしますから、本を絶つから、われよし、自分愛になります。
自分拝むのは、肉愛ではありません。
自分の元の・を拝むことにあります。
(と云っても、肉愛を完全に否定している訳でもなさそうです。スコタン(四九十ン)四の行、九の行、から神様を生み出す事、聖化していく事が大切と見てゐます。ただ、時間、努力、手間はとてもかかります。)
Ⅲ.獣の浄化、が最も大変ですが、それが、天国に行く鍵です。智慧と愛が主の座になります。ウムのは愛、成るは智からです。
●そなたの心の中にゐる獣(ケダモノ)、言向けねばならん。善きに導かねばならん。一生かかってもよいぞ。それが天国に行く鍵であるぞ。マコトの改心であるぞ。智慧と、愛が主の座に居らねばならん。物は愛から生れるぞ。ウムものがもとぢゃ。生まれるものはナルのぢゃ。ナルには智慧でなるのぢゃぞ。
御自身の心の中に居ます、獣(ケダモノ)、コト向けねばならんようになっています。
善き(四キ)に導かねばならんようになっています。
これが、そう簡単ではないのです。
概ね、食べる事と、性に関する問題の二つです。
一生かかってもよい、とありますが、それ位、深刻な二大問題です。
分かっていても、改心が難しい問題でもあります。
ですが、この事が、天国に行く鍵です。
この二つの問題を改心をする事が、マコトの改心でもあります。
智慧と、愛が、主の座に居らねばなりません。
物は愛から生まれます。理解からです。キ、からです。
ウムものがもとです。
生れるものはナルようになっています。
ナルには智慧でなるのです。
智慧には悪を取り込む事ができます。
悪を悪で無くす、です。
また、悪が無ければ、成る事はない、ようです。
ですから、悪の理解をしていく事は、成るには必ず通る道です。
ですから、智恵と愛は、与へぱなしとしていきますと、無理なく受ける、流れが強まっていきます。
Ⅳ.喜びは神から流れ、愛から流れますが、それは生命であり、キであり、その時のまことの姿です。
●喜びは神から流れ、愛から流れ出るのであるが、愛そのもの、善そのものではない。生命であるぞ。生命であるが生命の本体ではないぞ。天地には天地のキ、民族には民族のキあるぞ。そのキは時代によって変って来る。その時のキが、その時のまことの姿であるぞ。それに合はんものは亡んで了ふぞ。火の洗礼、水の洗礼、ぶったり、たたいたり、カ、ミの洗礼なくては銘刀は出来ん道理ぢゃ。
喜びは、神様から流れ、愛から流れますが、愛そのもの、善そのものではありません。
喜びとは、生命です。
生命ですが、生命の本体ではありません。
天地には天地のキ、民族には民族のキ、があります。
そのキは、時代によって変わってきます。
その時のキが、その時のまことの姿です。
それに、合わんものは、亡んでもらうぞ。とありますが、
確かにマンデラ・エフェクトで消えてしまいますね。
前世界から思念が変わりますと、現世が変わっていく体験。ここまで、何度も起こってきています。そして、前の世界に居た方々は、いつの間にか居ないという事もよくあります。
火の洗礼、水の洗礼、ぶったり、たたいたり、カ、ミの洗礼なくては、銘刀はできないようになっているとありますが、実際、此の道を進んでいくには、様々な体験をしていく事になります。
Ⅴ.愛の人間は深く、智の人間は広く進みます。この世に生まれて、此(九)の世の行しませんと、生れた時より悪くなります。
●愛の人間は深く、智の人間は広く進むぞ。経(タテ)と緯(ヨコ)であるぞ。二つが織りなされて、結んで弥栄える仕組。経のみでならん。緯のみでならん。この世に生れてはこの世の御用、この世の行せねばならん道理。この世に生れて、この世の行せねば、生れた時より悪くなるぞ。草木より役に立たんものとなるぞ。草木に変へると申してあらう。神が変へるのでない。自分でなり下がるのであるぞ。判りたか。
愛の人間は深く、智の人間は広く進みます。
経(タテ)と緯(ヨコ)です。
二つが織りなされて、結んで弥栄える仕組です。
経(愛)(広さ)と緯(智)(深さ)です。
この世に生まれては、此(九)の世の御用、此(九)の世の行せねばならん道理、です。
この世に生まれて、此(九)の世の行をしませんと、生まれた時より悪くなります。
その理由は、御自身は、此の神様だった所から、此(九)の世(四)の行をしない事で、どんどんと離れてしまうからです。
人が、此の道から外れてしまいますと、草木より役に立たんものとなります。
そもそも、人類は、この地球上のあらゆる存在に犠牲を強いている現実、をどうしても、忘れてしまいがちです。その罪悪感がある方の方がおかしい、位が今の世界かもしれません。
そういう私もそうですが、少しでも減らす、というだけでなく、人の平面世界ではどうにもならない現実が判っているから、だからこそ、立体に進むべく、千人力、あらゆる存在を助けていく行が必要なのです。
草木に変へる、と申されていますが、神が変へる、のではなく、御自身で成り下がってしまうのです。
しかし、人の我の平面基軸では、最善でこの道になるのだと思います。
此の道の行をしない結果、我、11の囚われ、6つの慢心の洗濯から、滅亡加担(81)の道を選択するからです。
そこで、大難が小難として、草木になり下がる、という流れのようです。
その手法の一つとして、日々、草木、野菜達とのやり取りが、かなり重要である事も、判って来るのではないかと思います。
あらゆる存在を上に見立てていく事が千人力の元でもあるのですが、人だけではなく、今度は三千世界の和合、幽界、神界も、人間だけでなく、草木、他、キン達、総べての存在との和合が求められるのです。
Ⅵ.ひつくの民は神の光を愛の中に受け、みつくの民は智の中に受けます。二つの民の流れがあります。
●天災地変は人間の心のままと申してあらう。豊作、凶作 心のままぞ。今のままで行けば何うなるか、誰にも判らんであらうが、神示通りに出て来ること、未だうたがってゐるのか。ひつくとみつくの民あると申してあらう。ひつくの民は神の光を愛の中に受け、みつくの民は智の中に受ける。愛に受けると直ちに血となり、智に受けると直ちに神経と和して了ふのであるぞ。二つの民の流れ。
天変地変は、人間の心のまま、なのです。
豊作、凶作もその通りです。
今のままで行けばどうなるか、誰にも判らんであろが。と御伝えしますが、
これまでにない、五度の岩戸閉めを一度にしますし、判らなくて当たり前です。
といった事は、別の文面でもいくつかありますね。
単に81の世界は、想像はつきますが、今度は五度の岩戸閉めを一度に開けますが、その時になってからでは手遅れ、となるので、一刻も早く、洗濯、掃除、改心を進めて下さい。
御神示マンデラは次々起こってきていますが、
御神示に出て来る事。次々実現している方なら、それは、分かっていると思います。
もはや、疑っている段階でもないと思います。
それよりは、御神示と、御自身の行の合致率を上げて下さい。
合致率が上がらない、という事は、行じていない、もしくは、省みていない。という事です。
ですが、行じない、行じても省みない。どちらの方もかなり多いです。
為さねば後悔。間に合わん。と次々登場してきています。
早う、行を進めて下さい。
ひつく、とみつくの民あります。
ひつくの民は、神様の光を、愛の中に受けます。
みつくの民は、神様の光を、智の中に受けます。
愛に受けますと、直ちに血となり、智に受けますと、直ちに神経と和する流れとなります。
二つの民の流れ、があります。
できるところから早く進んで下さい。
Ⅶ.その時、その人間のキに相応した神様しか拝めません。悪いキならば悪神感応し、正しき愛、善き念なら、善き神様現れます。
●その時、その人間のキに相応した神より拝めん。悪いキで拝めば何んな立派な神前でも悪神が感応するのぢゃ。悪神拝んでも正しき愛と喜びあれば、善き念が通ずるならば、悪神引込んで、それぞれの善き神 現はれるのぢゃ。この道理よく心得よ。
その時、その人間のキに相応した神様しか拝めないようになっています。
悪いキで拝めば、どんな立派な神前でも、悪神が感応します。
同じ神様でも、その人その人のキ、で現れ方は違うのです。
ですが、悪神拝んでも、正しき愛と喜びあれば、善き念が通ずるならば、悪神引っ込んで、それぞれの善き神様現れるのです。
これは、普段の生活でも、前世ヒーリングでも、同じ事が言えます。
ですから、御自身の我の改心を進めていき、同じ人をより善き存在へと変えていく事が求められます。
同じく、善き神様をより善き神様へと進めていく事が求められます。
2.まとめ
どこで何してゐても、道さへふんで居れば、弥栄えます。
行き詰ったら省みて下さい。道を進むには、必ず改心が必要となります。
神から伸びた智と愛でないと、人民の智や学や愛はすぐペシャンコになります。
ですが、やってみても気付かない方が殆どで、それ位、11の囚われ、6つの慢心は強固ですし、道をふむとは、簡単ではないのです。
改心は一人では難しく、世界民の会、二人でする事が大切です。
みたまみがき、とは、善いと感じたこと、直ちに行う事です。
神に祈って愛させて頂くようにしますと弥栄します。
ですが、我のままですと、本と絶つのでわれよし自分愛になります。
獣の浄化、が最も大変ですが、それが、天国に行く鍵です。
智慧と愛が主の座になります。ウムのは愛、成るは智からです。
智恵と愛は、与へぱなしとしていきますと、無理なく受ける、流れが強まっていきます。
喜びは神から流れ、愛から流れますが、それは生命であり、キであり、その時のまことの姿です。
愛の人間は深く、智の人間は広く進みます。
二つが織りなされて、結んで弥栄える仕組です。
経(愛)(広さ)と緯(智)(深さ)です。
この世に生まれて、此(九)の世の行しませんと、生れた時より悪くなります。
草木に成り下がる原因を理解しておく事が大切です。
その時、その人間のキに相応した神様しか拝めません。
悪いキならば悪神感応し、正しき愛、善き念なら、善き神様現れます。
これは普段の生活、前世ヒーリング、どこにでも共通します。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。