続いて、愛に関する文面を進めてまいります。
今、現在、愛に関する処で、結構重要な局面が起こっていますが、不思議と、周囲にも、そういった所の問題に向き合っている方も多く、愛について様々考えさせらる処があります。
今回は、その浄化手法的な所も書いてありますし、男女愛や、家族愛、の所で、様々考えてみてください。
直近、ずっと、愛の話が継続しているのもこういった経緯があるようです。
それでは引き続き、愛に関する文面、夏の巻~冬の巻に関するものを御伝えしていきます。
1.夏の巻~冬の巻 愛に関する文面
Ⅰ.与へられたもの、そのもの喜ぶようにし、生かせば、楽にゆけるよう、暮らしむきもたのしたのしで暮せます。
●与へられたもの、そのもの喜ぶようにすれば楽にゆけるよう、暮しむきもたのしたのしで暮せるようになってゐるぞ。あり余る程 与へてあるでないか。生かして使へよ。生活に何故アクセクするのぢゃ。与へてあるもの殺すから自分も死の苦しみするのぢゃ。有限でなければモノは顕われないぞ。モノに顕わすと有限となるのぢゃ。総てに感謝せよと申してあろうが。総てのものに、それ相当の意義あるぞ。全体的には喜びせねばならん。愛をもって接しなければならん。信をおかねばならん。ぢゃと申して局部々々に於ては、それぞれ、その時に応じて処理せねばならん。只その場合は、ゆとりをもって処理せよ。綱長くしておかねばならん。
与へられたもの、そのもの喜ぶようにすれば楽にゆけるよう、暮らし向きも、たのしたのしで暮せるようになってゐます。
これは、普段の生活で、食物、衣類、住居、等で、全て該当していくと思います。
普段の世界で頂いてゐるもの、に対して、総てが喜ぶようにすれば、楽にゆけるよう、暮らし向き、もどんどんたのしたのし、で暮せるようになっていますね。
実際、あり余る程 与へて頂いています。
物量的な所ではなく、喜びの世界から、次々と嬉しき質的なものが与へられている、という所ですね。
行が進めば、このようになってきます。
ですから、生かして使へよ。と伝えられています。
生活に何故アクセクするのぢゃ、と伝えられています。
与へてあるもの殺すから、自分も死の苦しみとなるのです。
環境破壊系の事については、日々、お詫びは大切でしょう。
全く加担せずに生きてゐる人ってまずいませんので。
それも、しませんと、生活アクセク、自身も死の苦しみとなります。
有限でなければ、モノ現れないようになっています。
また、モノに現すと有限になります。
総べてに感謝せよ。と申されています。
それは、総てのものに、それ相当の意義があるからです。
全体的には、喜びせねばならないようになっています。
愛をもって接しなければならん。とあります。
そこには、信をおかねばならん。とあります。
ですが、局部局部においては、それぞれ、その時に応じて処理が求められます。
ただ、その場合は、ゆとりをもって処理して下さい。
綱長くして、余裕をもって、行を進めて下さい。
最初は、中々かもしれませんが、段階が進むごとに、そのようになっていきます。
Ⅱ.自己愛と共に、一段奥のへそえへそえ(経そ得経そ得)と進めば、新しき広い世界が大きくひらけます。
●へその緒はつながってゐるのであるから、一段奥のへそえへそえと進んで行けば、其処に新しき広い世界、大きくひらけるのであるぞ。自分なくするのではなく高く深くするのであるぞ。無我でないぞ。判りたか。海の底にはキンはいくらでもあるぞ。幽界と霊線つなぐと自己愛となり、天国と霊線つなげば真愛と現れるぞ。よろこびも二つあるぞ。三つあるぞ。大歓喜は一つなれど、次の段階では二つとなるのであるぞ。
へその緒はつながってゐますので、一段奥のへそえへそえ(経そ得、経そ得)、と進んで行けば、其処に新しき広い世界、大きくひらけます。
御自身の中で、五三体の大神様に進んで行けばよいのです。
それは、自分なくするのではなく、御自身を高く深くするのです。
決して無我ではなく、御自身の我を、高く、深くしていく事が大切です。
海(生み)の底には、キン、はいくらでもあります。
実際の海の底もそうですし、生みの底にも、キン(菌)、から生み出さられるもの、はいくらでもあります。
キン(菌)とは、肉眼で捉えられません。ですから、変化起こしても、中々、人はその在り方が判らないです。
そこで、マンデラ・エフェクト、が起こりやすいのだと見ます。ですから、キンの世、とあるのです。
ですから、最近は、キン(菌)の語りかけから、思念界を変えていっています。
海の底にもキンありますし、生みの底までキンがあるのです。
それは、キ、から生み出す(ン)事から始まります。
幽界と霊線つなぐと自己愛となり、天国と霊線つなげば、真愛と現れます。
自己愛とは、自分にだけの愛、真愛は、他人に向けての愛、です。
よろこびも二つあります。三つあります。
この流れで言えば、霊界と御自身ですね。
幽界との霊線にするか、天国との霊線にするかで、それぞれ三つ目の喜びが生まれるという事です。
それが、歓喜なき愛、愛の悪か、歓喜、愛の善、の二つですね。
大歓喜は一つですが、次の段階では二つとなります。
これは、新たな世界を生み出す事で、変化が起こる、という意味もありますし、超完成から、超超完成までの事を伝えられている所もあります。
大歓喜も一段一段成長していくのです。
Ⅲ.自己愛を拡げて真愛(他を愛する)と合致させる事で、新しき理、ひらけます。
●他を愛するは真愛ぞ。己のみ愛するのは自己愛ぞ。自己愛を排してはならん。自己愛をひろげて、大きくして真愛と合致させねばならん。そこに新しき理(ミチ)ひらけるのであるぞ。自己愛を悪魔ととくは悪魔ぞ。無き悪魔つくり、生み出すでないぞ。一段昇らねば判らん。
他を愛するは真愛です。
己のみ愛するのは自己愛です。
自己愛を排してはなりません。
自己愛をひろげて、大きくして、真愛と合致させねばなりません。
そこに新しき理(ミチ)がひらけるのです。
ですから、自己愛が、まず大切なのです。
前世ヒーリングもそうですね。まず、自分と自分を和す所から始まりなのです。
ですから、自己愛を悪魔ととくは悪魔、となるのです。
それは、概ね自己犠牲、となるのでしょう。
無き悪魔つくって、自己犠牲の地獄の世界を生み出さないように、と伝えられています。
ですが、自己犠牲の地獄は、結構に此の世にあります。
これは、一段昇らねば判りません。
それは、悪を悪で無くす行が求められます。
此の事によりまして、立体に一段一段進む事になるのです。
Ⅳ.よろこびにも、正流、外流、とあります。正流は愛の善、真の信となり、外流は、愛の悪となります。
●神は愛と現はれ、真と現はれるのであるが、その根はよろこびであるぞ。神の子は皆よろこびぢゃ。よろこびは弥栄ぞ。ぢゃがよろこびにも正流と外流とあるぞ。間違へてならんぞ。正流の歓喜は愛の善となって現はれて、又 真の信と現はれるぞ。外流のよろこびは愛の悪となって現れるぞ。何れも大神の現れであること忘れるなよ。
神は愛と現はれ、真と現はれるのですが、その根はよろこび、です。
神の子は、皆よろこび、です。
よろこびは弥栄です。
また、マンデラ・エフェクト文面ですが、よろこびにも正流と外流とあります。
間違えてはなりません。
正流の歓喜は、愛の善となって、又真の信となって現れます。
一方で、外流のよろこびは、愛の悪となって現れます。
愛の悪、って過去1つしか無かった記憶があるのですが、今現在3か所になっていますね。
愛の悪は、歓喜なき愛。悲しみの愛、苦しみの愛。囚われの愛。です。
この、愛の悪に、今気を付けてほしい、という事のようです。
比較的平穏な現代だからこそ、囚われの愛の悪に進みやすいところがあります。
いずれも、大神様の現れです。
Ⅴ.悪抱き参らせて進むところにマコトの弥栄あります。これでよい、という事はなく、超大大完成に向かって弥栄していきます。
●悪抱き参らせて進むところにマコトの弥栄あるのであるぞ。神は弥栄ぞ。これでよいと申すことないのであるぞ。大完成から超大大完成に向って常に弥栄してゐるのであるぞよ。宇宙は総てに於ても、個々に於ても総てよろこびからよろこびに向って呼吸してゐるのぞ。よろこびによって創られてよろこんでゐるのであるぞ。故によろこびなくして生きないぞ。合一はないぞ。
悪抱き参らせて進むところにマコトの弥栄あるのです。
神様は弥栄なのです。
これでよい、と申す事もありません。
大完成から、超大大完成に、向かって常に弥栄しているのです。
(この超大代完成も初めて、と見ます)
宇宙は総てにおいても、個々においても、総てよろこびからよろこびに向かって呼吸しているのです。
このようにしまして、宇宙は、よろこびによって、創られてよろこんでゐるのです。
ですから、よろこびなくして生かされる事ありません。合一もないのです。
Ⅵ.愛と真と合一し、していくところに、陰と陽と合一、弥栄したところによろこびあります。
●愛は愛のみではよろこびでないぞと申してあろう。真は真のみでは喜びでないと申してあろうが。愛と真と合一し、するところに、陰と陽と合一、弥栄したところによろこびあるのぢゃぞ。
愛は愛のみではよろこびではありません。
真は真のみではよろこびではありません。
愛と真と合一し、するところに、陰と陽と合一、弥栄したところによろこびがあります。
2.まとめ
与へられたもの、そのもの喜ぶようにすれば楽にゆけるよう、暮らし向きも、たのしたのしで暮せるようになってゐます。
へその緒はつながってゐますので、一段奥のへそえへそえ(経そ得、経そ得)、と進んで行けば、其処に新しき広い世界、大きくひらけます。それは、五三体の大神様に繋がって下さい。
決して無我ではなく、御自身の我を、高く、深くしていく事が大切です。
海(生み)の底には、キン、はいくらでもあります。
大歓喜は一つですが、次の段階では二つとなります。
超完成から、超超完成へと、大歓喜も一段一段成長していくのです。
自己愛を拡げて真愛(他を愛する)と合致させる事で、新しき理、ひらけます。
まず、自分と自分を和す所から始まりなのです。
よろこびにも、正流、外流、とあります。
正流は愛の善、真の信となり、外流は、愛の悪となります。
悪抱き参らせて進むところにマコトの弥栄あります。
これでよい、という事はなく、超大大完成に向かって弥栄していきます。
愛と真と合一し、するところに、陰と陽と合一、弥栄したところによろこびがあります。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。
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