春の巻 愛の関する文面②です。
春の巻の後半は、かなり重い文面が続きます。
愛と関係する、メグリ、ですが、又、神の試練もあり、非常に重いです。
ですが、今後に向けて、今現在、重要な局面に関するものと見ます。
それは、我良しと向き合う文面でもあります。
それでは、春の巻 愛に関する文面 後半を御伝えしていきますね。
1.春の巻 愛に関する文面② 愛とメグリと我良しについて
Ⅰ.その人民にメグリなくしてもメグリ負ふことあります。神様の大きな恵みであり試練でもあります。
●自分すてて他力なし。人民なくて此の世の仕事出来ん。人民は道具ぢゃ。神は心ぢゃ、元ぢゃ、元だけではならん。道具だけでならん。大神は一切を幸し、一切を救ひ給ふのであるぞ。一切が神であり一切が喜びであるぞ。その人民にメグリなくしてもメグリ負ふことあるぞ。人類のメグリは人類の誰かが負はねばならん。一家のメグリは一家の誰かが負はねばならん。果たさねばならん。善人が苦しむ一つの原因であるぞ。神の大きな恵みであり試練であるぞ。判りたか。愛するものほど、その度が濃い程、魂が入っているのぢゃ。先祖が大切していたものは大切せねばならんぞ。現界のみの理屈は通らんぞ。飛んだ目に会ふぞ。気つけおくぞ。念じてから行へ。
自分をすてての他力はありません。
人民なくてはこの世の仕事もできません。
必ず、御自身と共に他力と共にそれも人民と共にです。
これは、以前無かった表現ですが、人民は道具ぢゃ。という言い方ですね。
そして、神は心です。そして元です。
ですが、元だけではならん、のようになっています。道具だけでもなりません。
元と道具、双方和して成立します。
大神様は一切を幸し、一切を救ひ給ふのです。この事は常々、試されます。
一切が神様であり、一切が喜びです。
その人民にメグリなくしても、メグリ負ふことあります。
これは、結構な試練です。此の道に進みますと、器が大きい人程体験していくかもしれません。
人類のメグリは、人類の誰かが負はねばならん。ようになっています。
でないと、81の世界に進む事になります。
一家のメグリは一家の誰かが負はねばならん。ようになっています。
それは、果たさねばならん。ようになります。
それも、未然に問題を解決していくようにしていく行が求められます。
善人が苦しむ一つの原因です。
神の大きな恵みでもあり試練です。
ですが、この道も、改心、油断なく進めていけば、一段一段間違いなく進めていけるようになります。
それは一段一段体験していく以外ありません。
愛するものほど、その度が濃い程、魂が入っているのです。
先祖が大切していたものは大切にして下さい。
現界のみの理屈は通りません。
現界だけの理屈を選択しますと、飛んだ目に合います。
最後も初めての文面と見ます。
気つけおくぞ。念じてから行へ。とあります。
まず、念(ネん)じてから、それから、行を進めて行く事が求められます。
五三体の大神様から生み出してから行を進めていきます。
Ⅱ.むやみに腹が立ったり、悲しくなったり、くやしくなったりするのは、まだめぐりがあるからです。
●神にまかせきると申しても、それは自分で最善をつくして後のことぢゃ。努力なしにまかせるのは悪まかせぢゃ。悪おまかせ多いのう。魂の財産は金を得るより数倍六ヶ敷いぞ。ぬれ手で粟のやり方、カスつかむぞ。むやみに腹が立ったり、悲しくなったり、くやしくなったりするのは、まだめぐりあるからぢゃ。めぐりの霊界との因縁が切れて居らぬからぢゃ。愛は養はねばならん。夫婦はいのちがけで、お互にきづき合はねばならんぞ。夫婦愛はあるのではない。築き上げねばならんぞ。生み出すのぢゃ。つくり出すのぢゃ。そこに尊さあるぞ。喜びあるぞ。左には宗教、右には芸術。
神にまかせきると申しても、それは自分で最善をつくして後のことです。
努力なしにまかせるのは悪まかせです。
悪おまかせが多いのう。と御伝えされていますが、これも、行を進めていきますと、判ってきます。
悪を悪で無くすには、悪や苦を理解していく事が求められますが、人は苦に弱い為、逃げ出す者もとても多いです。
魂の財産は金を得るより数倍難しいです。
ぬれ手に粟のやり方、カスつかむ、事になります。
この辺りは、経験してきますと、分かると思います。
むやみに腹が立ったり、悲しくなったり、くやしくなったりするのは、まだめぐりがあるからです。
めぐりの霊界との因縁が切れていないからです。
愛は養わねばなりません。
夫婦(二二)はいのちがけで、お互いにきづき合わねばならんようになっています。
夫婦愛はあるのではありません。
築き上げねばなりません。
生み出すのです。
作り出すのです。そこに尊さがあります。喜びがあります。
これは、過去を省みる事で可能になっていきます。
左には宗教、右には芸術です。
此の道に進みますと、この状況には、なっていくと見てゐます。
Ⅲ.自分という事が強くなりますと、発展なくなります。行き止まり、われよし、となります。
●念じつつやれ。神の為と念じつつやれば神のためとなる。小さい行為でも霊的には大きはたらきするのぢゃ。自分と云ふことが強くなるから発展ないのぢゃ。行き止まるのぢゃ。われよしとなるのぢゃ。調和が神の現れであるぞ。霊と調和せよ。肉体と調和せよ。人と調和せよ。食物、住居と調和せよ。世界と調和せよ。うれしうれしぞ。一生かかってもよいぞ。おそくないのぢゃ。自分の中のケダモノのため直しにかからねばならん。悪いくせ直さねばならん。これが第一歩、土台ぢゃぞよ。
よきことは 人にゆづりて 人をほめ 人たてるこそ 人の人なる。
敬愛の まこと心に まことのり まこと行ふ 人ぞ人なる。
念じつつ行を進めて下さい。
神様の為、と念じつつやれば、神様の為、となります。
小さな行為でも、霊的には大きなはたらきするのです。
自分と云ふことが強くなると発展なくなるのです。
それは、行き詰り、となります。
われよし、となるのです。
調和が神様の現れ、です。
一生かかっても遅くない、のポジションが変わったと思います。
自分の中のケダモノのため直しかからねばならないの後、だったと思いますが、今回は手前になっています。
霊と調和して下さい。
肉体と調和して下さい。
人と調和して下さい。
食物、住居と調和して下さい。
世界と調和して下さい。
ケダモノのため直す事もです。
うれしうれし、です。
それは、一生かかってもおそくありません。
生前からの悪いくせ直さねばなりません。
これが、第一歩、土台です。
よきことは 人にゆづりて 人をほめて 人たてるこそ 人の人なる。
敬愛の まこと心に まことのり まこと行ふ 人ぞ人なる。
Ⅳ.外道の善の仕組。悪にくむ、から、外道の善となり、最終的に外道の悪となります。
●自由あればこそ動くぞ。自由とは弥栄のこと。光は神から人民に与へられてゐる。光に向かふから照らされる。光は、真、善、美、愛となり、又そのうらの、疑、悪、醜、憎となり現はれるぞ。御用の善となり、御用の悪となる。悪にくむは外道の善、外道とは上からの光が一度人民界にうつり、人民界の自由の範囲に於ける凸凹にうつり、それが再び霊界にうつる。それが幽界と申してあらう。その幽界から更に人民界にうつったものが外道の善となり、外道の悪となるのざ。善にも外道あるぞ。心得よ。光は天のみでなく、地からも人民からも、すべて生命あるものから出てゐるのであるが、その喜びの度に正比例してのものであるから、小さい生命からの光は判らんのであるぞ。
自由あればこそ動きます。
自由とは弥栄のこと、です。
光は神から人民に与へられています。
光に向かふから、照らされます。
光は、真、善、美、愛、となり、又そのうらの、疑、悪、醜、憎、となり現れます。
御用の善となり、御用の悪となります。
悪にくむは外道の善です。
外道とは、上からの光が一度人民界に映って、人民カイの自由の範囲における凸凹にうつり、それが再び霊界にうつります。
それが幽界です。
その幽界から、更に人民界にうつったものが、外道の善となり、外道の悪となります。
善にも外道があるのです。それは、囚われの善です。故に、外道の悪、となっていきます。
光は天のみではなく、地からも人民からも、全て生命あるものから出てゐるのですが、その喜びの度に正比例してのものですから、小さい生命からの光は判らないのです。
2.まとめ
その人民にメグリなくしてもメグリ負ふことあります。
人類のメグリは人類の誰かが負はねばなりません。
それは、神様の大きな恵みであり試練でもあります。
念じてから行ってください。
神にまかせきると申しても、それは自分で最善をつくして後のことです。
むやみに腹が立ったり、悲しくなったり、くやしくなったりするのは、まだめぐりがあるからです。
めぐりの霊界との因縁が切れていないからです。
愛は養わねばなりません。
夫婦(二二)はいのちがけで、お互いにきづき合わねばならんようになっています。
生み出すのです。
作り出すのです。そこに尊さがあります。喜びがあります。
これは、過去を省みる事で可能になっていきます。
自分と云ふことが強くなると発展なくなります。
それは、行き詰り、となります。
われよし、となるのです。
霊と調和して下さい。
肉体と調和して下さい。
人と調和して下さい。
食物、住居と調和して下さい。
世界と調和して下さい。
ケダモノのため直す事もです。
うれしうれし、です。
それは、一生かかってもおそくありません。
生前からの悪いくせ直さねばなりません。
これが、第一歩、土台です。
外道の善の仕組。悪にくむ、から、外道の善となり、最終的に外道の悪となります。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。
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