天つ巻 草木に関する文面 神世とは、草木の心に生き、御自身の病を直す事にあります

日月神示、道の生み出し方について

草木の文面、天つ巻に進んで参ります。

天つ巻での草木の文面は、神世の光かがやすく世の状況について。
それは草木の心に生きる世となっていく事にあります。

また、病の直し方、ヒックリ返る世の前にいるからこそ、御自身の病の苦しさを直していく事が求められている所に来ている事を御伝えしています。

その病は、身体の病だけでなく、心の病もです。
それには、お土を踏む事が求められます。

そして、いつでんぐり返ってもおかしくない処にきています。

それでは、天つ巻、草木に関する文面を御伝えしますね。

1.天つ巻 草木に関する文面

Ⅰ.神様の世と申すのは、お土からあがりたものが光りてきます。衣類、食べ物、家倉変わり、草木も喜ぶ政治です。

神の世と申すのは、今の臣民の思ふてゐるやうな世ではないぞ、金(きん)は要らぬのざぞ、お土からあがりたものが光りて来るのざぞ、衣類たべ物、家倉まで変るのざぞ。草木も喜ぶ政治と申してあらうがな、誰でもそれぞれに先の分る様になるのぞ。

神(上)の世と申すのは、今の臣民の思ふてゐるやうな世ではありません。

金(きん)は要らないのです。
お金、ゴールド、は元より、高次元の存在まで要りません。

まずは、お土からあがりたものが光りて来るのです。
既に、これを体感できていれば順調だと思います。

衣類、食べ物、家倉、全て変わります。

それは、草木も喜ぶ政治、なのです。

誰でも、それぞれ先の分る様になるのぞ。とありますが、それは、それぞれが、弥栄に進む道へと進む事になります。

Ⅱ.神様をたたえる声が、天地にみちみちて、うれしうれしの世となります。

お日様もお月様も海も山も野も光り輝いて水晶の様になるのぞ。悪はどこにもかくれること出来ん様になるのぞ、ばくち、しょうぎは無く致すぞ。雨も要るだけ降らしてやるぞ、風もよきやうに吹かしてやるぞ、神をたたえる声が天地にみちみちて うれしうれしの世となるのざぞ。

お日様もお月様も、海も山も野も光り輝いて水晶の様になるのです。
現在の世界からしますと、中々想像つきませんが、それなりに想像付く方もいるかもしれません。

悪はどこにもかくれること出来ん様になります。
囚われが悪、乱すが悪ですから、それが隠すことができないようになります。

ばくち、しょうぎ(娼妓)も無くなります。

雨も要るだけ降らして頂けます。
風もよきやうに吹かして頂けます。

神様(上)をたたえる声が天地にみちみちて、うれしうれしの世となります。

一切の存在を神様(上)に見立てる事で、それは、お日様、お月様、海、山、野、全てが光輝くようになっていき、うれしうれしの世となっていくのです。

Ⅲ.これからの世は、善一すじになります。土から草木生まれ、草木から動物、虫けら生まれます。上下ひっくり返ります。

おそし早しはあるなれど、一度申したこと必ず出て来るのざぞ。臣民は近慾で疑ひ深いから、何も分らんから疑ふ者もあるなれど、この神示一分一厘ちがはんのざぞ。世界ならすのざぞ、神の世にするのざぞ、善一すじにするのざぞ、誰れ彼れの分けへだてないのざぞ。土から草木生れるぞ、草木から動物、虫けら生れるぞ。上下ひっくり返るのざぞ。

おそし早しはあるのですが、一度申したことは必ず出て来ます。
臣民は、近慾で疑ひ深いから、何も判らない段階では、疑う者もありますが、
この御神示、一分一厘ちがはない、と御伝えされています。

実際、ここまで、此の道に進みますと、一つ一つ実現し続けてきていますし、周囲の現れも同様です。

それには、世界ならす(七、〇、⦿)のです。
神様の世にしていくのです。

善一筋にしていきます。和する、弥栄基軸になります。

ですから、誰れ彼れの分け隔てありません。

(カミヒト)から草木(九三キ)産まれます。

草木から動物、虫けら生まれます。

上下ひっくり返ります。
あらゆる存在を上に見立てる意識となる事で、思念界を変えていく事になりますと、逆の動きが起こっていきます。下の存在が上になっていくのです。

また、この事が、継続的千人力の基です。

Ⅳ.手(四四)(八五)はどこへでも、届くやうになっています。今の国々のみ姿は、手無し、足無しです。

この方オホカムツミノ神として書きしらすぞ。病あるかなきかは手廻はして見れば直ぐ分かるぞ、自分の身体中どこでも手届くのざぞ、手届かぬところありたら病のところ直ぐ分るであろうが。臣民の肉体の病ばかりでないぞ、心の病も同様ぞ、心と身体と一つであるからよく心得て置けよ、国の病も同様ぞ、頭は届いても手届かぬと病になるのぞ、手はどこへでも届くやうになりてゐると申してあろが、今の国々のみ姿見よ、み手届いて居るまいがな、手なし足なしぞ。

此の方も、よくよく考えますと、あらゆる神様と関係していきますね。
オホカムツミノ神様であれば、スサナルの神様とは少なくとも関係していますし、慈愛深い、天日月大神様とも関係しています。

此の方は、最後はあらゆる神々様と和していき、全ての大神様、神々様のお役割をしていくと見ます。

今回は、オホカムツミノ神様として御伝えされるのですが、
病あるかないかは、手廻してみればすぐ分かります。

元来、自分の身体中、どこでも、手は届くようになっています。

ですが、手届かないところありましたら、病のところすぐ分かるとあります。
臣民の肉体の病ばかりではありません。心の病も同様です。
心と身体と一つであるから、よく心得ておいて下さい。
(かと言って、届く人が、病が直っている訳ではありませんが。)

国の病も同様です。
頭は届いても手(四四)(八五)届かないと病になるのです。

手は、四四、八五、として、届いていないのです。
しきまきや、から動かせていませんし、神様の動きも届かないようになっています。
ですが、手(四四)(八五)は、どこへでも、届くやうになりてゐると申されています。

今の国々の姿を見てください。
み手届いていないのが分かると思います。

手(四四)(八五)無し、足(あ四)無し状態です。

このように、オホカムツミの神様として申されているのは、しきまきや、神の動き、をしていない事を伝えられていると見ます。

Ⅴ.足、地に着いていますと、病直ります。

手は手の思ふ様に、足は足ぞ、これでは病直らんぞ、臣民と病は、足、地に着いておらぬからぞ。足 地に着けよ、草木はもとより、犬猫もみなお土に足つけて居ろうがな。三尺上は神界ぞ、お土に足入れよ、青人草と申してあろうがな、草の心に生きねばならぬのざぞ。

手は手の思うように、足は足の思うようにならない。
これでは病が直りません。

臣民と病は、足、地に着いていないからです。

都心部では、中々難しいですが、足、地に着けてみてください。
病、直る流れ、となっていきます。

草木はもとより、犬猫もみな、お土に足つけています。
ですから、自然の中に居る動物達、草木は通常病はないのです。
あるとすれば、犬猫でもペットで、動物でもアスファルトばかり踏み、地に足付いてないと病になってきます。

三尺上は神界です。
お土足入れて下さい。

青人草です。
草の心に生きねばならないようになっています。

Ⅵ.一度は嫌でも応でも裸足でお土踏まなならんことになってきます。

臍の緒切れぬうちは、いつもお土の上を踏まして頂けよ、それほど大切なお土の上 堅めているが、今にみな除きて了ふぞ、一度はいやでも応でも裸足(はだし)でお土踏まなならんことになるのぞ、神の深い仕組ざから あり難い仕組ざから 喜んでお土拝めよ、土にまつろへと申してあろうがな、何事も一時に出て来るぞ、お土ほど結構なものないぞ、足のうら殊に綺麗にせなならんぞ。

神様との臍の緒が切れない間は、いつもお土の上を踏まして頂いて下さい。

それ程、大切なお土の上、堅めていますが、今にみな除きてもらうとあります。
アスファルト類は一旦無くなるのでしょうか。
もしくは、素材そのものが変わる、どちらかになると見ますが、後者が一番問題なく折り合えるのではと思います。

最近は、水に返る素材ですとか、自然に返る素材、結構増えてきていますので、その上で、尚、硬さも損なわない、そのようなものが、生れるかもしれません。

一度は、いやでも応でも裸足でお土踏まなならんことになってくるのですが、
アスファルトがそのまま、お土のお役割までなれるといいと思っています。

神様の深い仕組ですので、あり難い(あ理難い)仕組とありますが、永劫の過去から、道を生み出す、難しい仕組ですので、やがて、嬉しきビックリが起こりそうにも思っています。

ですから、まずは、喜んでお土拝んで下さい。
お土にまつろへ、と申されています。

何事も一時に出て来ます。

お土ほど結構なものありません。
足のうら、まことに綺麗にせななりません。

Ⅶ.神様の申すように素直に申す通りにして下さい。臣民、動物、草木、病直る様になり、岩戸開けます。

神の申すやう素直に致されよ、この方 病直してやるぞ、この神示よめば病直る様になってゐるのざぞ、読んで神の申す通りに致して下されよ、臣民も動物も草木も病なくなれば、世界一度に光るのぞ、岩戸開けるのぞ。

神様の申される通りに素直に致して下さい。
此の方、へと進みますと、病直して頂けます。

それは、この御神示読めば、病直るようになっています。

読んで神様の申す通りに致して下さい。

臣民も動物も草木も病なくなりますと、世界一度に光って来ます。
という事は、動物、草木の病直す行が求められる、という事と見ます。

このようにして、岩戸開けるのです。

Ⅷ.世界一どにゆさぶり、でんぐり返る時、迫りています。

上の守護神どの、下の守護神どの、中の守護神どの、みなの守護神どの改心して呉れよ。いよいよとなりては苦しくて間に合はんことになるから、くどう気つけておくのざぞ。病ほど苦しいものないであらうがな、それぞれの御役忘れるでないぞ。天地唸るぞ、でんぐり返るのざぞ、世界一どにゆするのざぞ。神はおどすのではないぞ、迫りて居るぞ。

上の守護神どの、下の守護神どの、中の守護神どの、みなの守護神どの、改心して呉れよ。(九〇四)と申されています。くにつつみ、しきまきや、から生み出して下さい。

人間だけでなく、神々様、草木、キン類、あらゆる存在全て、改心していくように進めて下さい。

いよいよとなりては苦しくて間に合はんことになりますから、くどう気つけているのです。

病程苦しいものないと申していますが、それぞれの御役を忘れないで下さい。
天地唸ります。でんぐり返るのです。

世界一度にゆするのです。

神様はおどすのではないのです。
御自身が、その状況に迫りている所にある、という事です。
油断すると、いつ81の世界に進んでもおかしくないのです。

ですから、一刻も早く、改心を進めて下さい。神様の申す通り、素直にして下さい。と申されているのです。

2.まとめ

神様の世となりますと、お土からあがりたものが光りてきます。
衣類、食べ物、家倉変わり、草木も喜ぶ政治、となります。
お日様もお月様も、海も山も野も光り輝いて水晶の様になるのです。

このようにして、神様(上)をたたえる声が天地にみちみちて、うれしうれしの世となります。
あらゆる存在を上にたたえる声となるのです。

おそし早しはあるのですが、御神示で一度申したことは必ず出て来ます。

草木から動物、虫けら生まれます。

上下ひっくり返ります。
あらゆる存在を上に見立てる意識となる事で、思念界を変えていく事になりますと、逆の動きが起こっていきます。下の存在が上になっていくのです。

今はまだ、臣民、国。
手は、四四、八五、として、届いていないのです。
しきまきや、から動かせていませんし、神様の動きも届かないようになっています。

足、地に着いていますと、病直ります。
草の心に生きねばならないようになっています。

一度は嫌でも応でも裸足でお土踏まなならんことになってきます。

まずは、喜んでお土拝んで下さい。
お土ほど結構なものありません。
足のうら、まことに綺麗にせな、ならないようになっています。

神様の申すように素直に申す通りにして下さい。
臣民、動物、草木、病直る様になり、岩戸開けます。

人間だけでなく、神々様、草木、キン類、あらゆる存在全て、改心していくように進めて下さい。
天地唸り、でんぐり返り、世界一度にゆする状況に迫りている所にあります。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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