弥栄、に関する文面37 神様が与へたものを処理するだけ、悠々と天地と共に天地に歩む段階です

マンデラ・エフェクト文面(2025年6月24日~

弥栄、に関する文面37に進みます。

今回は、黄金の巻(コガネの巻) 第九十帖、第九十八帖、の2つの文面です。

第九十帖は、マンデラ・エフェクトは起こってゐないと見ますが、第九十八帖は、微妙に起こってゐます。

大切なもの一切は、神様が人間に与へてあります。
人間は、それを処理するだけでよいのです。
このように軽やかな文面が出てきています。

悠々、天地と共に天地に歩んで下さい。とあります。
悠々と、天地と共に天地に歩むには、
千人力、しきまきや、くにつつみ、あなはち、と共にでないとできません。

このように悠々と、天地と共に、天地に歩む段階に入ってきています。

それでは、弥栄、に関する文面37をお伝えします。

1.黄金の巻(コガネの巻) 第九十帖 お金、理屈、神様、先ず求めて下さい。求めねばなりません。先ず捨てて求めて下さい。求めて行じて下さい。

マンデラ・エフェクトは起こってゐませんが、此の道に進むには、改めて重要な文面と見ます。

Ⅰ.肝腎の・が判っていなければ、世界中がいくら集まって、よき世にいたす相談しても、まとまりつきません。

世界中がいくら集まって、よき世にいたす相談いたしても、肝腎の・が判らんから、まとまりつかん。

世界中がいくら集まっても、よき世にいたす相談いたしても、肝腎の・が判りませんので、まとまりがつきません。

実際、神の御心、・とは、和す、事にあるので、その和し方も様々ありますが、
一つは、前世界から、和し続けていく事で、周囲に新たな世界を生み出し続けていく事があります。

その和し方、と、周囲に現れる変化によって、肝腎の・が、体験、と共に、徐々に判ってきます。

Ⅱ.悪いわがままの癖を直して行くのが、皮むき、改心、弥栄です。

たれ一人、悪いわがままの癖持たん人間ないぞ。その癖を直して行くのが、皮むくことぢゃ。改心ぢゃ。弥栄行くことぢゃ。

たれ一人、悪いわがままの癖持たない人間ありません。とあります。

その癖を直して行くのが、皮むくことです。
改心です。

弥栄行くことです。

実際、前世界でも生前の御自身を変えていく事で、周囲の世界も一つ一つ変わっていきます。

Ⅲ.金持つと金の地獄に理屈もつと理屈の地獄に、神に捉はれると神の地獄に落ちて苦しみます。持たねばならんし中々です。

金持つと金の地獄に理屈もつと理屈の地獄に、神に捉はれると神の地獄に落ちて苦しむぞ。持たねばならんし、中々ぢゃなあ。

この文面は、私は穴が空く位に何度も読みました。

金を持つと金の地獄に、理屈もつと理屈の地獄に、神に捉はれると、神の地獄の落ちて苦しみます

ですが、金、理屈、神様、持たない事には、次の世界へと進みません。
ですから、中々ぢゃなあ、と伝えられています。

Ⅳ.先ず求めて下さい。求めねばなりません。先ず捨てて求めて下さい。求めて行じて下さい。

先づ求めよ、求めねばならん。先づ捨てて求めよ、求めて行ぜよ。

先ず、お金、理屈、神様、を求めて下さい。
一旦求めねばならん、ようになっています。

先ず、お金、理屈、神様、捨てて求めて下さい。
囚われを無くすが最初です。

その上で、お金、理屈、神様、求めて行じて下さい。

これらは、かなりの段階まで、どうしても必要のようです。

2.黄金の巻(コガネの巻) 第九十八帖 悠々、天地と共に天地に歩んで下さい。千人力、しきまきや、くにつつみ、あなはち、と共にです。

Ⅰ.大切なもの一切は、神様が人間に与へてあります。人間は、それを処理するだけでよいです。

大切なもの一切は、神が人間に与へてあるでないか。人間はそれを処理するだけでよいのであるぞ。

出だしの文面は、初めてと見ます。

大切なもの一切は、神が人間に与へてあります。
人間は、それを処理するだけでよいのです。

実際、与へられたものを処理するだけでよい段階に入って来てゐます。

Ⅱ.悠々、天地と共に天地に歩んで下さい。千人力、しきまきや、くにつつみ、あなはち、と共にです。

何故に生活にあくせくするのぢゃ。悠々、天地と共に天地に歩め。嬉し嬉しぞ。

何故に生活にあくせくするのか、と伝えられています。

その後の、悠々、天地と共に天地に歩んで下さい。というのは初めて、と見ます。
悠々、天地(あめつち)と共に、天地(あめつち)に歩む。
というのは、もうその段階に来ている、という事です。

此の道に進んで下さい。
千人力、しきまきや、くにつつみ、あなはち、と共にです。

すると、周囲の現れが嬉し嬉し、となります。

Ⅲ.一日が千日となります。神を知ってからの一日は、知らぬ千日よりも尊いです。

一日が千日と申してあらう。神を知る前と、神を知ってからとのことを申してあるのぞ。神を知っての一日は、知らぬ千日よりも尊い。

一日が千日となります。
それは、一度に千人分を助ける行をしていく為です。
(ただし、必ずしも、それが千人力ではありません)

この事で、一挙手、一行動で、一言で万語、多くの存在を助けていく事となります。

一日が千日とは、神を知る前と、神を知ってからとのこと、です。

神を知っての一日は、知らぬ千日よりも尊い、とあります。
この千日とは、千人力の日々、という解釈もあると見ます。

一日が、長く感じ始めます。

Ⅳ.いつまでも自分本位の祈りではなりません。

始めは自分本位の祈りでもよいと申してあるなれども、何時までも自分本位ではならん。

初めは自分本位の祈りでもよいと申してあるなれども、いつまでも自分本位ではならん、ようになっています。

やがて、相手中心、周囲中心となっていきます。

Ⅴ.止まると悪となります。神の理(ミチ)は弥栄です。動き、働いて、行かなならんようになっています。

止まると悪となるぞ。神の理(ミチ)は弥栄ぞ。動き働いて行かなならん。

止まると、悪となります。
ですが、行じていっても、止まる方、とても多いです。
坂に車の例えのように戻されてしまいます。

神の理(ミチ)は弥栄、です。
動き働いて、行かなならんようになっています。

Ⅵ.善と悪の動き、心得て下さい。悪は悪ならず、悪にくむが悪となります。

善と悪との動き、心得なされよ。悪は悪ならず、悪にくむが悪。

善と悪との動き、心得なさりて下さい。
悪と和していきますと、善と成ります。

故に、如何なる悪も弥栄する為に存在している事が判ります。

また、あらゆる存在は、前の段階になると悪になりますが、和していく事で善となる繰り返しですので、
今とは、悪であり、悪でなく、最善を尽くしていけば、善であり、善でなく、という事も判ってきます。

悪は悪ならず、悪にくむが悪です。

ですが、悪にくむが悪に囚われている方もとても多いです。

3.まとめ

肝腎の・が判っていなければ、世界中がいくら集まって、よき世にいたす相談しても、まとまりつきません。悪いわがままの癖を直して行くのが、皮むき、改心、弥栄です。

金持つと金の地獄に理屈もつと理屈の地獄に、神に捉はれると神の地獄に落ちて苦しみます。
ですが、全て持たねばならんし中々です。

先ず求めて下さい。求めねばなりません。
先ず捨てて求めて下さい。
その上で、求めて行じて下さい。

大切なもの一切は、神様が人間に与へてあります。人間は、それを処理するだけでよいです。

悠々、天地と共に天地に歩んで下さい。
千人力、しきまきや、くにつつみ、あなはち、と共にです。

一日が千日となります神を知ってからの一日は、知らぬ千日よりも尊いです。

いつまでも自分本位の祈りではなりません。

止まると悪となります。神の理(ミチ)は弥栄です。
動き、働いて、行かなならんようになっています。

善と悪の動き、心得て下さい。
悪と和していきますと、善と成ります。

今とは、悪であり、悪でなく、最善を尽くしていけば、善であり、善でなく、という事も判ってきます。

悪は悪ならず、悪にくむが悪となります。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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