弥栄、に関する文面38に進みます。
今回は、白銀の巻(シロガネの巻)第五帖、です。
今回のマンデラ・エフェクトは途中から後半にかけてあります。
見た事ない文面が結構出てきています。
悪自由は、人間は自由と心得てゐますが、それは、自由ではなく、自分自身首くくる、というもの、と伝えられています。善自由こそ真の自由で、それは大神様から、喜びと共に人間に流れるもの。と、悪自由、善自由、という表現が始まりました。
また、世界とは、人間のことでもあるという事も伝えられてました。
これは、分かりやすいですね。人間一人一人が世界、という事です。
人間とは大宇宙の中の一つ、なのです。
他にも、+(陽)と-(陰)と〇と・であり、+の陰には-があり、-の陰には+がある、という事。
その和の状態が〇であり・(イノチ)する事。
㊉がぢきぢきの喜び、㊀が直接の喜びです。その二つが和し、・して、嬉し嬉しと栄えるという事。
最後に、天地の中間が中界、である事を伝えられています。
天の息吹、地の息吹の中間であり、天国に行く、行かんも、まず落ち着く死後の始めての世界です。
と、結構に初めて見る文面が多くありました。
それでは、弥栄、に関する文面38をお伝えしますね。
- 1.白銀の巻(シロガネの巻)第五帖 悪自由から善自由へ。世界の一つには、人間があります。+(陽)と-(陰)と〇と・であり、㊉が直々の喜び、和して、・して、嬉し嬉しです。
- Ⅰ.人間には自由なく、真の自由は大神様にのみあり、その一部が喜びと共に人間に入る為に、人間は自由をもってゐると信じます。
- Ⅱ.人間は自由の影、反影あり、自由と心得てゐます。自由の反影ある為に、悪、善、陽、陰、にも為し得、進歩、弥栄します。
- Ⅲ.悪自由は、人間は自由と心得てゐますが、それは、自由ではなく、自分自身首くくります。善自由こそ真の自由で、神から流れます。
- Ⅳ.世界とは、人間のことでもあります。人間が世界です。
- Ⅴ.+(陽)と-(陰)と〇と・であり、+の陰には-があり、-の陰には+があります。その和の状態が〇であり・(イノチ)します。
- Ⅵ.〇があって+-があり、+-があり・があって和があります。
- Ⅶ.㊉がぢきぢきの喜び、㊀が直接の喜びです。その二つが和し、・して、嬉し嬉しと栄えます。
- Ⅷ.天地の中間が中界です。天の息吹、地の息吹の中間であり、天国に行く、行かんも、まず落ち着く死後の始めての世界です。
- 2.まとめ
1.白銀の巻(シロガネの巻)第五帖 悪自由から善自由へ。世界の一つには、人間があります。+(陽)と-(陰)と〇と・であり、㊉が直々の喜び、和して、・して、嬉し嬉しです。
Ⅰ.人間には自由なく、真の自由は大神様にのみあり、その一部が喜びと共に人間に入る為に、人間は自由をもってゐると信じます。
●人間に自由はないのであるぞ。真の自由は、大神にのみあるものぞ。大神の自由の一部が御喜びと共に神に流れ入り、神に流れ入った自由は、又神の喜びとなって人間に流れ入るから、人間自身は自由をもってゐると信ずるのであるぞ。
人間に自由はなく、真の自由は、大神様にのみあります。
大神様の自由の一部が御喜びと共に、神様に流れ入り、神様に流れは行った自由は、又、神様の喜びとなって、人間に流れ入るので、人間自身は自由をもってゐると信ずる、とあります。
ただ、それは、人間自身の本質的自由ではありません。
Ⅱ.人間は自由の影、反影あり、自由と心得てゐます。自由の反影ある為に、悪、善、陽、陰、にも為し得、進歩、弥栄します。
●本質的には自由はないのであるぞ。人間には自由の影があり、反影あるのざ。それを人間は自由と心得てゐるのであるぞ。自由の反影あるから、悪にも善にも、陽にも陰にも為し得るのであるぞ。又進歩、弥栄するのであるぞ。
人間には、本質的には、自由はありません。
人間には、自由の影があり、反影があります。
それを人間は、自由と心得てゐるのです。
自由の反影がありますから、悪にも善にも、陽にも陰にも為し得るのです。
又進歩、弥栄するのです。
Ⅲ.悪自由は、人間は自由と心得てゐますが、それは、自由ではなく、自分自身首くくります。善自由こそ真の自由で、神から流れます。
●悪自由を、人間は自由と心得てゐるが、それは自由ではなく、自分自身首くくるものぞ。善自由こそ真の自由であるぞ。自由は神から流れ出ると申してあらう。
悪自由を、人間は自由と心得てゐる所がありますが、それは自由ではなく、自分自身首くくるものです。
それは、弥栄、喜びを伴わない自由です。簡単に言えば、囚われの自由です。
善自由こそ、真の自由です。自由は神様から流れ出ます。
喜び、弥栄を伴う自由です。
Ⅳ.世界とは、人間のことでもあります。人間が世界です。
●他の世界と交流するは、他の世界に住む人間を通じてするのであるぞ。世界とは人間のことでもあるぞ。人間が世界であるぞ。よく心得なされよ。
他の世界と交流するのは、他の世界に住む人間を通じてします。
世界とは人間のことでもあります。
人間が世界でもあります。
よく心得なされよ。(七三〇四)とあります。
一人一人が世界です。
Ⅴ.+(陽)と-(陰)と〇と・であり、+の陰には-があり、-の陰には+があります。その和の状態が〇であり・(イノチ)します。
●+(陽)と-(陰)と〇と・であるぞ。+の陰には-があり、-の陰には+がある。その和の状態が〇であり・(イノチ)するのであるぞ。
この辺りは、マンデラ・エフェクトの文面と見ます。
+の陰には-があり、-の陰には+があります。
その和の状態が〇であり・(イノチ)するのである、と伝えられています。
Ⅵ.〇があって+-があり、+-があり・があって和があります。
●+は+のみでは力ないぞ。-は-だけでは力ないぞ。+と-とだけでも動きないぞ。生命の喜びないのであるぞ。よく心得よ。〇があって+-があり、+-があり・があって和があるのであるぞ。ここの道理よく得心、合点せよ。
+は+のみでは力ありません。
-は-だけでは力ありません。
+と-とだけでも動きありません。
生命の喜びないのです。
〇があって+-があります。
+-があって、・があって和があります。
Ⅶ.㊉がぢきぢきの喜び、㊀が直接の喜びです。その二つが和し、・して、嬉し嬉しと栄えます。
●+は人間にとって直接の喜びでない。㊉がぢきぢきの喜びぞ。-も直接ではなく、㊀が直接の喜びであり、その二つが和し・して嬉し嬉しと弥栄えるのであるぞ。
+は人間にとって直接の喜びではありません。
㊉がぢきぢきの喜びです。
一も直接ではなく、㊀が直接の喜びで、その二つが和し、・して嬉し嬉し、と弥栄えます。
Ⅷ.天地の中間が中界です。天の息吹、地の息吹の中間であり、天国に行く、行かんも、まず落ち着く死後の始めての世界です。
●天地の中間を中界と申すぞ。天の息吹きと地の息吹きの中間ぞ。天国へ行くのも、行かんのも先づ落ちつく、死後の始めての世界であるぞ。
天地の中間を中界と申します。
天の息吹きと地の息吹きの中間です。
天国へ行くのも、行かんのも、先ず落ち着く、死後の始めての世界です。
そういう意味では、天国に行くのも行かんのも、当初その状態は同じなのですが、和し、弥栄していくか、・して、嬉し嬉し、弥栄していくかで、大きく差があります。
ですから、生きてゐる間に、和し、弥栄していく基軸。新たな世界を生み出す基軸で進む事が求められます。
2.まとめ
人間には自由なく、真の自由は大神様にのみあり、その一部が喜びと共に人間に入る為に、人間は自由をもってゐると信じます。
ただ、それは、人間自身の本質的自由ではありません。
人間は自由の影、反影あり、自由と心得てゐます。
自由の反影ある為に、悪、善、陽、陰、にも為し得ます。
また、進歩、弥栄します。
悪自由は、人間は自由と心得てゐますが、それは、自由ではなく、自分自身首くくります。
善自由こそ真の自由で、神から流れます。
他の世界と交流するのは、他の世界に住む人間を通じてします。
世界とは、人間のことでもあります。人間が世界です。
+(陽)と-(陰)と〇と・であり、+の陰には-があり、-の陰には+があります。その和の状態が〇であり・(イノチ)します。
〇があって+-があり、+-があり・があって和があります。
㊉がぢきぢきの喜び、㊀が直接の喜びです。その二つが和し、・して、嬉し嬉しと栄えます。
天地の中間が中界です。天の息吹、地の息吹の中間であり、天国に行く、行かんも、まず落ち着く死後の始めての世界です。
当初その状態は同じなのですが、和し、弥栄していくか、・して、嬉し嬉し、弥栄していくかで、大きく差があります。
ですから、生きてゐる間に、和し、弥栄していく基軸。新たな世界を生み出す基軸で進む事が求められます。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。
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