弥栄、に関する文面42に進みます。
今回は、春の巻 第四十二帖、第四十七帖、第四十八帖、第五十帖、の四つです。
今回は、新しき武器は、念である事について、この事に関連する文面をお伝えしていきます。
この辺りの文面は、1~2年前には、マンデラ・エフェクトが既に起こっていたものでしたが、更に、微妙に追加、変化が起こってゐました。
第四十二帖、では、新しき霊界は、神人(カミヒト)共でつくり出されます。とより詳細化のマンデラ・エフェクトがあります。
第四十七帖、では、新しき武器は念であり、更に、順、と、時、の重要性を伝えられています。
四十八帖では、念とは、力であり、実在であり、喜びであり、神である事、を伝えられています。
第五十帖では、魂の風呂に行く人 少ないという話は以前からありましたが、より高い聖所へ参りて、神示読んで、魂のアカ落としてください。と、高い聖所、と新たな単語が追加になっています。
聖所とは、三次元マンデラ・エフェクトを愈々起こしていく、そのようなニュアンスにも捉えられます。
このように、新しき武器は、念であり、さらに詳細に伝えられています。
それでは、弥栄、に関する文面42をお伝えしていきますね。
- 1.春の巻 第四十二帖 新しき霊界は、神人(カミヒト)共でつくり出されます。それは大いなる喜び、神のみ旨の為です。
- Ⅰ.新しき御代が到来しても、いくさなくなりません。いくさも、歩み、弥栄です。
- Ⅱ.今のような外道のいくさ、でなく、正道のいくさ、人をいかすいくさ、が此の道のいくさです。やればやるほど進みます。
- Ⅲ.今の人民のいくさは、外道のいくさ、です。天国のいくさもあります。幽界のいくさ、もあります。
- Ⅳ.外道のいくさはなくしてください。抱き参らせて、正道に引き入れて下さい。
- Ⅴ.新しき霊界は、神人(カミヒト)共でつくり出されます。それは大いなる喜び、神のみ旨の為です。
- Ⅵ.新しき世(四)はあけてゐます。夜(四)明ければ、ヤミはなく(七九)なります。新しきカタはこ(九)の中からです。
- Ⅶ.外道の武器生かして、活かして、いのちを生かす弥栄の武器としてください。
- 2.春の巻 第四十七帖 念が新しき武器です。ものごとには、順、と、時、があります。もとのキから改めて下さい。
- 3.春の巻 第四十八帖 念とは、力であり、実在であり、喜びであり、神です。
- 4.春の巻 第五十帖 魂の風呂に行く人 少ないです。より高い聖所へ参りて、神示読んで、魂のアカ落としてください。
- 5.まとめ
1.春の巻 第四十二帖 新しき霊界は、神人(カミヒト)共でつくり出されます。それは大いなる喜び、神のみ旨の為です。
この文面は、かなり前に全般的にマンデラ・エフェクトがあったと見ます。当時と、そこまで変わっていませんが、カミヒト共で作り出される、とあります。
Ⅰ.新しき御代が到来しても、いくさなくなりません。いくさも、歩み、弥栄です。
●いくさは善にもあり、悪にもあり、右には右の、左には左の、上には上の、下には下の、中には中の、外には外のいくさあるぞ。新しき御代が到来しても いくさはなくならん。いくさも歩みぞ。弥栄ぞ。
いくさには善にもあり、悪にもあり、右には右の、左には左の、上には上の、下には下の、中には中の、外には外のいくさがあります。
新しき御代が到来しても いくさはなくならん、とあります。
いくさも歩みです。弥栄です。
Ⅱ.今のような外道のいくさ、でなく、正道のいくさ、人をいかすいくさ、が此の道のいくさです。やればやるほど進みます。
●ぢゃと申して今のような外道のいくさでないぞ。人殺し、生命殺すようないくさは外道。やればやる程はげしくなるぞ。正道のいくさは人を生かすいくさ、やればやるほど進むのぢゃ。
ですが、今のような外道のいくさ、ではありません。
人殺し、生命殺すようないくさは、外道のいくさ、です。
それは、やればやる程にはげしくなります。
正道のいくさは、人を生かすいくさ、です。一九三、ですので、くにつつみ、から三が道を生み出す事です。
やればやる程に進みます。
Ⅲ.今の人民のいくさは、外道のいくさ、です。天国のいくさもあります。幽界のいくさ、もあります。
●今の人民いくさと申せば、人の殺し合ひと早合点するが、それは外道のいくさ。天国へのいくさもあるぞ。幽界へのいくさもあるぞ。
今の人民いくさと申せば、人の殺し合ひと早合点しますが、それは外道のいくさ、です。
天国のいくさ、もあります。幽界へのいくさ、もあります。
天国のいくさ、は後述しますが、念から生み出すいくさ、です。思念界から変えていくいくさ、です。
同時に、幽界へのいくさも、念から、天国に生み出すことができます。
どのようないくさ、であっても、囚われ、慢心、基軸ですと、行きつく所、外道のいくさ、となります。
Ⅳ.外道のいくさはなくしてください。抱き参らせて、正道に引き入れて下さい。
●人民の云ふ今のいくさ、今の武器は、人殺す外道の道、それではならんのう。外道なくして下されよ。外道はないのであるから、外道 抱き参らせて、正道に引き入れて下されよ。
人民の云ふ今のいくさ、今の武器は、人殺す外道の道、です。
農薬、放射能、広くは森林伐採等、環境破壊も含むでしょう。
それではならん、とあります。
外道なく(七九)して下されよ、とあります。
外道はないのですから、外道 抱き参らせて、正道に引き入れて下されよ。としてください。
できる所から、くにつつみ、しきまきや、より一段一段進めて下さい。
Ⅴ.新しき霊界は、神人(カミヒト)共でつくり出されます。それは大いなる喜び、神のみ旨の為です。
●新しき霊界は神人(カミヒト)共でつくり出されるのざ。それは大いなる喜びであるからぞ。神のみ旨であるからぞ。
新しき霊界は神人(カミヒト)共でつくり出されるのです。
それは大いなる喜びだからです。
神のみ旨であるからです。
Ⅵ.新しき世(四)はあけてゐます。夜(四)明ければ、ヤミはなく(七九)なります。新しきカタはこ(九)の中からです。
●新しき世はあけてゐるぞ。夜明ければヤミはなくなるぞ。新しきカタはこの中からぞ。日本からぞ。日本よくならねば世界はよくならん。
新しき世(四)はあけてゐるのです。
夜(四)明ければ、ヤミ(八三)はなく(七九)なります。新しきカタはこ(九)の中からです。
くにつつみ、しきまきや、から、次々生み出されるのです。
それは、日本(二ほん)からです。
日本(二⦿ん)よく(四九)成らねば、世界はよく(四九)成らんのです。
世界は、御自身そのものでもあります。
Ⅶ.外道の武器生かして、活かして、いのちを生かす弥栄の武器としてください。
●外道の武器すてよ。外道の武器生かして、活かして、いのちを生かす弥栄の武器とせよ。かへられるでないか。
外道の武器すてて下さい。
外道の武器活かして、活かして、いのちを生かす弥栄の武器としてください。
かへられるでないか、と伝えられています。
それは、念、です。
2.春の巻 第四十七帖 念が新しき武器です。ものごとには、順、と、時、があります。もとのキから改めて下さい。
これも、1~2年程前に起こってゐるマンデラ・エフェクト文面です。その後、部分的に追加になったかもしれません。
Ⅰ.念が新しき武器です。
●念が新しき武器であるぞ。それでは人民まわりくどいと申すであろうなれど。
念が新しき武器です。
それでは人民まわりくどいと申すであろう、とお伝えされていますが、ねん(根ん)の事が判れば、神の御心から生み出すことが判っていれば、一つ一つ段階を進めていく事で、周囲の世界が変わっていきます。
Ⅱ.ものごとには、順、と、時、があります。もとのキから改めて下さい。
●ものごとには順と時あるぞ。もとのキから改めて下されよ。尊き御役。
ものごとには順と時、があります。
この二つが、此の道では重要な型です。
それには、もとのキから改めて下されよ。と伝えられています。
尊き御役、です。
3.春の巻 第四十八帖 念とは、力であり、実在であり、喜びであり、神です。
Ⅰ.今の人民申す思想は、マコトの念ではありません。取違ひしないようにしてください。
●念なりと、今の人民申す思想はマコトの念でないぞ。思想は思想ぞ。
念なりと、今の人民申す思想はマコトの念ではありません。
思想は思想です。
念、と思想、は違ったものと考えておく事が大切です。
Ⅱ.念とは、力であり、実在であり、喜びであり、神です。
●念とは力であるぞ。実在であるぞ。喜びであるぞ。喜びは神ぞ。弥栄。
念とは、力です。実在です。喜びです。喜びは神です。弥栄、とあります。
念が新しき武器というのは、昨年辺りから生まれてきた文面だと見ますが、
この中で、実在、は、また新たに追加された、と見ます。
此の道から、実在させていく事が求められます。
4.春の巻 第五十帖 魂の風呂に行く人 少ないです。より高い聖所へ参りて、神示読んで、魂のアカ落としてください。
Ⅰ.その人によってふさわしい行があります。身につかん行は、いくらしても何にもなりません。いらん苦労はいりません。
●その人によってふさわしい行がある。誰でも同じでない。一合食べる人もあれば一升食べる人もあるぞ。身につかんもの、身につかん行は、いくらしても何もならん。いらん苦労はいらんと申してあろう。
その人によってふさわしい行があります。
誰でも同じではありません。
一合食べる人もあれば、一升食べる人もあります。
身につかんもの、身につかん行は、いくらしても何もならん、ようになっています。
いらん苦労はいりません。
御自身のできる所から、進む所から行を始めて下さい。
Ⅱ.魂の風呂に行く人 少ないです。より高い聖所へ参りて、神示読んで、魂のアカ落としてください。
●風呂には時々入るが、魂の風呂に行く人 少ないぞ。より高い聖所へ参りて魂のアカ落せよ。神示よんで落して下されよ。
風呂には時々入るが、魂の風呂行く人 少ないです。(実際中々いません)
この後の文面は、新たに生まれたと見ます。
より高い聖所へ参りて魂のアカ落とせよ。としてください。より高い聖所、は初めて、と見ます。
高い聖所へ参る、とするには、場、地を変えていく事が求められます。
場、地のマンデラ・エフェクトが求められている、ところまで来てゐる、という事ですね。
御神示よんで落として下されよ。(九、裏十、三、〇、四)としてください。
Ⅲ.神の光を見るには、おかげを得るには、魂のアカを落とし、われよし、囚われを無くすことにあります。
●アカ落さずに神の光見えんと申して、おかげないと、われよし申して御座るなれど、風呂に入らずに、アカつくとは怪しからんと申すのと同じでないか。何故に判らんのぢゃ。
アカ落とさずに、神の光見えんと申して、おかげないと、われよし申してござるなれど、風呂に入らずに、アカつくとはけしからん、と申すのと同じです。
神の光を見るには、おかげを頂くには、御自身の我の改心を進め、アカを落として下さい。
Ⅳ.全体の為の奉仕は、自分すてて全体なく自分ありません。全体を生かし、全体と共に部分の自分が弥栄えることにあります。
●全体の為 奉仕するはよいが、自分すてて全体なく、自分ないぞ。全体を生かし、全体と共に部分の自分が弥栄えるのであるぞ。早合点 禁物。
全体の為 奉仕するはよいのですが、自分すてて全体なく、自分ありません。
全体を生かし、全体と共に部分の自分が弥栄していくのです。
早合点禁物です。
5.まとめ
新しき御代が到来しても、いくさなくなりません。
いくさも、歩み、弥栄です。
今のような外道のいくさ、でなく、正道のいくさ、人をいかすいくさ、が此の道のいくさです。やればやるほど進みます。
今の人民のいくさは、外道のいくさ、です。
ですが、天国のいくさもあります。幽界のいくさ、もあります。
いずれも、和する事は可能です。
また、どのようないくさ、であっても、囚われ、慢心、基軸ですと、行きつく所、外道のいくさ、となります。
外道のいくさはなくしてください。抱き参らせて、正道に引き入れて下さい。
新しき霊界は、神人(カミヒト)共でつくり出されます。それは大いなる喜び、神のみ旨の為です。
新しき世(四)はあけてゐます。夜(四)明ければ、ヤミはなく(七九)なります。
新しきカタはこ(九)の中からです。
外道の武器生かして、活かして、いのちを生かす弥栄の武器としてください。
念が新しき武器です。
それでは人民まわりくどいと申すであろう、とお伝えされていますが、ねん(根ん)の事が判れば、神の御心から生み出すことが判っていれば、一つ一つ段階を進めていく事で、周囲の世界が変わっていきます。
ものごとには順と時、があります。
今の人民申す思想は、マコトの念ではありません。思想は思想です。取違ひしないようにしてください。
念とは、力であり、実在であり、喜びであり、神です。それで、弥栄、となります。
その人によってふさわしい行があります。身につかん行は、いくらしても何にもなりません。いらん苦労はいりません。
魂の風呂に行く人 少ないです。より高い聖所へ参りて、神示読んで、魂のアカ落としてください。
神の光を見るには、おかげを得るには、魂のアカを落とし、われよし、囚われを無くすことにあります。
全体の為の奉仕は、自分すてて全体なく自分ありません。全体を生かし、全体と共に部分の自分が弥栄えることにあります。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。