集団、に関する文面⑨に進みます。
今回の文面は、補巻 月光の巻 第二十帖、第二十一帖、五葉之巻 第十四帖の三つの文面です。
今回のマンデラ・エフェクト文面は、第二十帖、第二十一帖、については、大奥山の詳細についてお伝えされています。
第二十帖、では、大奥山とは、この度の大御神業にゆかりある神、人、とを引き寄せ、ねり直し、御用に使う仕組み、と仕組みである事を伝えています。
また、第二十一帖では、大奥山から流れ出た宗団は、ひかり教会のみではなく、いくらもあり、出て来ることを伝えており、大奥山に集まったものが皆ひかり教会員ではない事を伝えられてゐます。
この状況そのものは、今回、初めて御伝えされたのではないか、と見ます。
大奥山は、ありてなき存在、人間の頭で消化されるような小さなしぐみではないことを伝えられています。
五葉之巻 第十四帖では、マンデラ・エフェクトは起こってゐないと見ますが、
流行病(はやりやまい)は、邪霊集団のしわざ、です。今にわからん病、世界中の病はげしくなる、とあります。
もう油断ならない時が来ています。此の後、愈々の世に向けて、進んで行くでしょう。
それでは、集団、に関する文面⑨をお伝えしますね。
1.補巻 月光の巻 第二十帖 大奥山は、この度の大御神業にゆかりある神、人、とを引き寄せ、ねり直し、御用に使う仕組みです。
Ⅰ.大奥山と教会とまぜこぜにしてはならんようになってゐます。教会、その他の集団は現れの一つ、大奥山は隠れです。
●大奥山と教会とをまぜこぜしてはならん。教会や其の他の集団は現われ、大奥山はかくれぢゃ。
大奥山と教会とをまぜこぜしてはならんようになってゐます。
教会や、その他の集団は現れの一つです。
大奥山はかくれ、です。
Ⅱ.大奥山は、この度の大御神業にゆかりある神、人、とを引き寄せ、ねり直し、御用に使う仕組みです。
●大奥山はこの度の大御神業にゆかりのある神と人とを引きよせてねり直し、御用に使う仕組。
これは、どこかからか現れたマンデラ・エフェクト文面、と見ます。
大奥山の詳細が、伝えられてゐます。
大奥山は、この度の大御神業にゆかりのある神と、人とを引きよせてねり直し、御用に使う仕組みです。
大奥山は、仕組み、なのです。
後述しますが、大奥山に向かう道、大御神業、神、人、ねり直し、御用、については、様々、無限にあるようです。
Ⅲ.人民には見当とれんことになります。
●みて御座れ、人民には見当とれんことになるぞ。
みて御座れ、人民には、見当とれんことになる、とあります。
確かに、ここまでの理解、体験から、本当にそのように思います。
2.補巻 月光の巻 第二十一帖 大奥山から流れ出た宗団は、ひかり教会のみではなく、いくらもあり、出てきます。
Ⅰ.大奥山から流れ出た宗団は、ひかり教会のみではありません。いくらもあります。出てきます。
●大奥山から流れ出た宗団はひかり教会のみでないぞ。いくらもあるのぢゃ。出てくるぞ。
この文面は、初めて、と見ます。
大奥山から流れ出た宗団は、ひかり教会のみではありません。
宗団、という単語は初めて、です。宗教の団体、とも言えます。
それはいくらもあり、出てきます。
Ⅱ.大奥山に集まったものが、皆ひかり教会員ではありません。それぞれのミタマの因縁によって色々な集団に属します。
●故に大奥山に集まったものが皆ひかり教会員ではない。それぞれのミタマの因縁によって色々な集団に属する。この点よく心得なされよ。
大奥山に集まったものが、皆ひかり教会員ではありません。
それぞれの、ミタマの因縁によって色々な集団に属します。
この点よく心得て下さい。
では、その大奥山とはどのような仕組みなのか、返って詳細ではなくなった一面もあるかもしれませんが、
現在の世の現れ、と言ってもよいのではないでしょうか。
次々、新たな集団が生れてくる感じですね。
それは、此の道に進み、行を進めていかない事には現れないようになってゐます。
Ⅲ.大奥山は、ありてなき存在、人間の頭で消化されるような小さなしぐみではありません。
●大奥山はありてなき存在、人間の頭で消化されるような小さいしぐみしてないぞ。
大奥山はありてなき存在、人間の頭で消化されるような小さなしぐみ、ではありません。
何か、無限に出て来る仕組み、とも言えそうです。
Ⅳ.大奥山だけに関係もつ人もあります。三千世界を一つにまるめるのが、この度の大神業です。
●大奥山だけに関係もつ人もあるのぢゃ、囚われてはならん。三千世界を一つにまるめるのが この度の大神業ぞ。
この文面は以前からありました。
大奥山だけに関係もつ人あります。
囚われてはならん、ようになっています。
三千世界を一つにまるめるのが この度の大神業です。
Ⅴ.世界一家は目の前です。判らなければ、邪魔せず見物して下さい。神の経綸 間違ひありません。
●世界一家は目の前、判らんものは邪魔せずに見物して御座れ。神の経綸 間違ひなし。
世界一家は目の前、とあります。
判らんものは邪魔せず見物して御座れ、とありますが、現段階の私もよく判りません。
いつも、想定外で現れる為です。
ですが、徐々にその型出しは進んでいるのは判ります。
神の経綸 間違ひありません。
3.五葉之巻 第十四帖 流行病(はやりやまい)は、邪霊集団のしわざ、です。今にわからん病、世界中の病はげしくなります。
Ⅰ.腹一杯食べてはならんようになってゐます。二分をまず神にささげて下さい。
●一升マスには一升入ると思ってゐるなれど、一升入れるとこぼれるのであるぞ、腹一杯食べてはならん、死に行く道ぞ、二分を先づ神にささげよ。
一升マスには一升入ると思ってゐるかもしれませんが、一升入れるとこぼれます。
腹一杯食べてはならん、ように成ってゐます。
死に行く道となります。
二分を、まず、神様にささげて下さい。
Ⅱ.流行病(はやりやまい)は、邪霊集団のしわざ、です。今にわからん病、世界中の病はげしくなります。
●流行病(はやりやまい)は邪霊集団のしわざ、今にわからん病、世界中の病はげしくなるぞ。
流行病(はやりやまい)は、邪霊集団のしわざ、です。
今にわからん病、世界中の病はげしくなります。
これは、様々な可能性があります。コロナ、は環境破壊系の色合いが強かったと思いますが、
人の我由来の病は、無限にあります。憑依系、人格障害初め、様々出て来る、と見ます。
4.まとめ
大奥山と教会とまぜこぜにしてはならんようになってゐます。
教会、その他の集団は現れの一つ、大奥山は隠れです。
大奥山は、この度の大御神業にゆかりある神、人、とを引き寄せ、ねり直し、御用に使う仕組みです。
人民には見当とれんことになります。
大奥山から流れ出た宗団は、ひかり教会のみではありません。いくらもあります。出てきます。
ですから、大奥山に集まったものが、皆ひかり教会員ではありません。それぞれのミタマの因縁によって色々な集団に属します。
大奥山は、ありてなき存在、人間の頭で消化されるような小さなしぐみではありません。
大奥山だけに関係もつ人もあります。三千世界を一つにまるめるのが、この度の大神業です。
世界一家は目の前です。判らなければ、邪魔せず見物して下さい。
神の経綸 間違ひありません。
腹一杯食べてはならんようになってゐます。二分をまず神にささげて下さい。
流行病(はやりやまい)は、邪霊集団のしわざ、です。今にわからん病、世界中の病はげしくなります。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。
<<前に戻る
>>次に進む
カテゴリートップへ戻る
トップに戻る
