喜び、に関する文面⑤に進みます。
今回は、黒鉄の巻(クロガネの巻)、第三十六帖です。
最近、一文の長文化マンデラ・エフェクトが増えてきている、と思っています。
長文化マンデラ・エフェクトが顕著なのが、アメの巻、地震の巻、白銀の巻辺りから始まり、その後、カゼの巻、一八の巻、ヒカリの巻、補巻月光の巻にも増えだし、今回御伝えします。黒鉄の巻(クロガネ)の巻にも、長文が増えつつの感じがします。
一方短文化マンデラ・エフェクトは、黄金の巻、に多い気がしますが、全般的には長文化が目立つ印象です。
今回のマンデラ・エフェクト文面は、
天界に行く門は輝き、幽界に行く門は闇であり、闇の門はとざされ、光の門は開かれてゐる、と伝えられてゐます。
文面の主旨としては、神と金と共に仕へまつるとは、肉と霊と共に栄えて嬉し嬉しのことであり、神と金、二つとも得ることができる。神の理(ミチ)進むものは嫌でも金がたまります。という内容は以前よりありましたが、それが、更に詳細になってきました。
それには、霊の霊とも共に仕へまつりて下さい。これが、まことの正しき理(ミチ)、とお伝えされています。
遂に、闇の門はとざされ、光の門はひらかれている時節に入ることとなりました。
それでは、喜び、に関する文面⑤をお伝えしていきますね。
- 1.黒鉄の巻(クロガネの巻) 第三十六帖 天界に行く門は輝き、幽界に行く門は闇です。闇の門はとざされ、光の門は開かれてゐる段階です。
- Ⅰ.天界に行く門は輝き、幽界に行く門は闇です。闇の門はとざされ、光の門は開かれてゐます。
- Ⅱ.神と金と二つに仕へることは出来ん、そのどちらかに仕へねばならん、というのは、段階の低い信仰です。
- Ⅲ.これまでは、影しか判らず、時節が来ていなかったのですが、時節到来したので、マコトの道理 説いてきかして頂けます。
- Ⅳ.神と金と共に仕へまつるとは、肉と霊と共に栄えて嬉し嬉しのことです。神と金、二つとも得れます。
- Ⅴ.その次には、霊の霊とも共に仕へまつりて下さい。これが、まことの正しき理(ミチ)です。
- Ⅵ.今迄の信仰が、どこかさびしき、物足りなかったのは、片親がなかった為です。此の道は、アメツチの道です。
- Ⅶ.清くして富むのがまことです。天だけでなく地も富まねばならん、とあります。
- Ⅷ.これから先は、金もうけばかりもできません。今迄のやうな神信心ばかりもできません。
- Ⅸ.神の理(ミチ)進むものは嫌でも金がたまります。金がたまらねば深く省みて下さい。理から外れてゐます。
- 2.まとめ
1.黒鉄の巻(クロガネの巻) 第三十六帖 天界に行く門は輝き、幽界に行く門は闇です。闇の門はとざされ、光の門は開かれてゐる段階です。
Ⅰ.天界に行く門は輝き、幽界に行く門は闇です。闇の門はとざされ、光の門は開かれてゐます。
●天界に行く門は輝き、幽界に行く門は闇であるぞ。闇の門はとざされ、光の門は開かれてゐるぞ。天界は昇り易く、幽界にはおちにくいぞ。
天界に行く門は輝き、幽界に行く門は闇です。
この次の内容もマンデラ・エフェクト、と見ますが、
闇の門はとざされ、光の門は開かれてゐるのです。
光の門は開かれ、闇の門はとざされ、という段階に来ています。
天界は昇り易く、幽界には落ちにくくあります。
Ⅱ.神と金と二つに仕へることは出来ん、そのどちらかに仕へねばならん、というのは、段階の低い信仰です。
●神と金と二つに仕へることは出来ん、そのどちらかに仕へねばならんと、今迄は説かしてゐたのであるが、それは段階の低い信仰であるぞ。
神と金と二つに仕へることはできない。
そのどちらかに仕へねばならん、と今迄は説かしてゐたのですが、それは段階の低い信仰です。
Ⅲ.これまでは、影しか判らず、時節が来ていなかったのですが、時節到来したので、マコトの道理 説いてきかして頂けます。
●影しか判らんから、時節が来て居らんから、さう説かしてゐたのであるが、この度、時節到来したので、マコトの道理 説いてきかすのぢゃ。
これまでは、影しか判らないので、また時節が来ていなかったから、さう説かしてゐたのですが、この度、時節到来しているので、マコトの道理を説いてきかせて頂く段階となっています。
Ⅳ.神と金と共に仕へまつるとは、肉と霊と共に栄えて嬉し嬉しのことです。神と金、二つとも得れます。
●神と金と共に仕へまつるとは、肉と霊と共に栄えて嬉し嬉しとなることぞ。嬉し嬉しとはそのことであるぞ。神と金と二つとも得ること嬉しいであろうがな。
神と金と共に仕へまつるとは、肉と霊と共に栄えて嬉し嬉しとなることです。
嬉し嬉しとは、そのことです。
神様と金と二つとも得ること嬉しいと思いますが、時節到来したので、この事がマコトの道理となっていきます。
Ⅴ.その次には、霊の霊とも共に仕へまつりて下さい。これが、まことの正しき理(ミチ)です。
●その次には霊の霊とも共に仕へまつれよ。まつれるのであるぞ。これが、まことの正しき理(ミチ)であるぞ。
これは、新たな文面です。
その次には霊の霊とも共に仕へまつりて下さい。
霊の霊が主です。それは、まつれるのです。
これが、まことの正しき理(ミチ)です。
神様と金をまつり、その次に霊の霊をまつります。
Ⅵ.今迄の信仰が、どこかさびしき、物足りなかったのは、片親がなかった為です。此の道は、アメツチの道です。
●今迄の信仰は何処かにさびしき、もの足りなさかあったであらうが。片親がなかったからぞ。天に仕へるか、地に仕へるかであったからぞ。この道はアメツチの道ざと知らしてあらうがな。
今迄の信仰はどこかにさびしき、もの足りなさが、あったであらうが。とあります。
(ちなみに、ネット上では、物足りなさか、となっていますが、書籍では、物足りなさが、とあるので、が、が自然なので、が、として伝えています)
それは、片親がなかった為です。
天に仕へるか、地に仕へるか、どちらかだった為です。
此の道は、アメツチの道、と知らしてある通り、天地共に仕へる道です。
Ⅶ.清くして富むのがまことです。天だけでなく地も富まねばならん、とあります。
●清くして富むのがまことぢゃ。地も富まねばならんのぢゃと申してあらうが。
清くして富むのがまことです。
地も富まねばならんのです。
天だけ富むのは、あめつちの道ではないのです。
地だけ富むのも、勿論、違っており、
天と地、清くして富むのが、あめつちの道です。
Ⅷ.これから先は、金もうけばかりもできません。今迄のやうな神信心ばかりもできません。
●これから先は金もうけばかりも出来ん。今迄のやうな神信心ばかりも出来ん。
これから先は金もうけばかりも出来ません。
今迄のやうな、神信心ばかりも出来ません。
金もうけだけ、神信心だけ、は出来なくなります。
ただ、後述もしますが、お金は増える道は存在しているかもです。
Ⅸ.神の理(ミチ)進むものは嫌でも金がたまります。金がたまらねば深く省みて下さい。理から外れてゐます。
●神の理(ミチ)を進むものは嫌でも金がたまるのぢゃ。金がたまらねば深く省みよ。理に外れて御座るぞ。人は罪の子でない、喜びの子ぞ。
神の理(ミチ)を進むものは、嫌でも金がたまるのです。
金がたまねらば深く省みて下さい。理から外れています。
ただし、金がたまるだけでも勿論天地の理ではなく、天も地も、双方富む事が求められます。
人は罪の子ではなく、喜びの子です。
2.まとめ
天界に行く門は輝き、幽界に行く門は闇です。闇の門はとざされ、光の門は開かれてゐます。
光の門は開かれ、闇の門はとざされ、という段階に来ています。
天界は昇り易く、幽界には落ちにくくあります。
神と金と二つに仕へることは出来ん、そのどちらかに仕へねばならん、というのは、段階の低い信仰です。
これまでは、影しか判らず、時節が来ていなかったのですが、時節到来したので、マコトの道理 説いてきかして頂けます。
それは、神と金と共に仕へまつるとは、肉と霊と共に栄えて嬉し嬉しのことです。神と金、二つとも得れます。その次には、霊の霊とも共に仕へまつりて下さい。これが、まことの正しき理(ミチ)です。
今迄の信仰が、どこかさびしき、物足りなかったのは、片親がなかった為です。此の道は、アメツチの道です。清くして富むのがまことです。天だけでなく地も富まねばならん、とあります。
これから先は、金もうけばかりもできません。今迄のやうな神信心ばかりもできません。
神の理(ミチ)進むものは嫌でも金がたまります。金がたまらねば深く省みて下さい。理から外れてゐます。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

