誠に関する文面14、に進みます。
今回の文面は、アメの巻 第十六帖、です。
今回の文面も、マンデラ・エフェクトはほぼ全面的に起こってゐます。
此の世は、臣民の世ばかりでなく、神の世界も引くるめています。とまず、此の世の説明から始まっています。その上で、勇んでやって下されよ、とお伝えされています。勇む所 此の方 力添え致す、とお伝えされています。
今の人民キリキリ舞しながら まだキリキリ舞する様もがいています。
という現状を改めて伝えていますが、このような伝え方も初めてと見ます。
つ(五三)千に返る事、早う気付けば、楽になる、とあり、
五三体の大神様、千人力の境地に進む事がまず求められます。
更に、人民の心さへ定まりましたら、此の方 自ら出て手柄立てさせて頂けます。
とあります。確かに此の道に進みますと、徐々に手柄を立てさせて頂けるようになります。
また、人民の苦しみは、此の方の苦しみです。此の方 人民の中に居ます。と、
此の方、人民の中に居る、という事も伝えられ始めました。此の方とは、御自身なのです。
何も彼も嬉し真から楽しき世ざぞよ。と、嬉し、更に、真から楽しき世へと生み出す事をお伝えされています。
誠(〇九十)が神であり、コト(九十)が神です。元(⦿)であり、道(三千)であり、日(一)であり月(二)である事。始めコトありと申してあろがな、キであるぞ、まつりであるぞ。
と伝えられてゐます。
このように、全面的にマンデラ・エフェクトが起こっている感じです。
アメの巻も、まだまだ、マンデラ・エフェクト引き続き起こってゐます。
それでは、誠に関する文面14をお伝えしますね。
- 1.アメの巻 第十六帖 勇む心、人民の心さへ定まりましたら、此の方 自ら出て手柄立てさせて頂けます
- Ⅰ.勇んでやって下されよ、として下さい。勇む所 此の方 力添え致す、とお伝えされています。
- Ⅱ.心配顔 此の方 嫌ひ、とあります。歌唄ひ下されよ、笑ひ下されよ、とし、笑へば岩戸開けます。
- Ⅲ.今の人民キリキリ舞しながら まだキリキリ舞する様もがいています。つ千に返る事、早う気付けば、楽になります。
- Ⅳ.判る様な守護は低い守護、悪神の守護、です。守護と申すものは人民からは判らず、悪神の守護も大将の守護なら、人民には判りません。
- Ⅴ.不足申すと、不足生みます。悪となります。皆人民のキからです。我の難儀、我が作ります。我恨む他ありません。
- Ⅵ.人民の心さへ定まりましたら、此の方 自ら出て手柄立てさせて頂きます。
- Ⅶ.此の世の物 一切 神の物で、一切取り上げられてから、成程と判ったのはで手遅れなので、くどう同じこと申してゐます。
- Ⅷ.人民の苦しみは、此の方の苦しみです。此の方 人民の中に居ます。
- Ⅸ.これからが褌(ふんどし)です。よき世となれば褌要りません。
- Ⅹ.風の間に間に雨の間に間に、何も彼も嬉し真から楽しき世、となります。
- ⅩⅠ.誠(〇九十)が神であり、コト(九十)が神です。元(⦿)であり、道(三千)であり、日(一)であり月(二)です。
- 2.まとめ
1.アメの巻 第十六帖 勇む心、人民の心さへ定まりましたら、此の方 自ら出て手柄立てさせて頂けます
Ⅰ.勇んでやって下されよ、として下さい。勇む所 此の方 力添え致す、とお伝えされています。
●此の世と申しても臣民の世ばかりでないぞ、神の世界も引くるめて申してゐるのぢゃぞ、勇んでやって下されよ、勇む所 此の方 力添え致すぞ。
早速マンデラ・エフェクト文面です。
此の世と申しても、臣民の世ばかりではないのです。
神の世界も引くるめて、申してゐるのです。
勇んでやって下され、とあります。
勇む所 此の方、力添え致させて頂けます。
ですから、御自身が、心から勇む所は、次々進めて頂ければ、と思います。
Ⅱ.心配顔 此の方 嫌ひ、とあります。歌唄ひ下されよ、笑ひ下されよ、とし、笑へば岩戸開けます。
●心配顔 此の方 嫌ひぞ、歌唄ひ下されよ、笑ひて下されよ、笑へば岩戸開けるぞ。
心配顔 此の方 嫌ひ、とあります。
歌(ウ多)(ウ田)唄ひ下されよ、とあります。
笑ひて下されよ、とあります。
笑へば岩戸開けます。
Ⅲ.今の人民キリキリ舞しながら まだキリキリ舞する様もがいています。つ千に返る事、早う気付けば、楽になります。
●今の人民キリキリ舞しながら まだキリキリ舞する様もがいて御座るぞ。つ千に返ると申してあろがな、早う気付いた臣民人民 楽になるぞ。
これも、マンデラ・エフェクト文面と見ます。
今の人民キリキリ舞しながら まだキリキリ舞する様もがいて御座る、とあります。
囚われからより囚われへの世界へと進み、その結果、キリキリ舞なのです。
その原因は、我よし、にあります。
そこで、つ千(五三、千)に返る事、早う気付いた臣民人民 楽になります。
五三体の大神様は、千人力に返る事、早う気付いた臣民人民は楽になるのです。
Ⅳ.判る様な守護は低い守護、悪神の守護、です。守護と申すものは人民からは判らず、悪神の守護も大将の守護なら、人民には判りません。
●守護と申すものは人民からはちっとも判らんのであるぞ、判る様な守護は低い神の守護ざぞ、悪神の守護ざぞ、悪神の守護でも大将の守護ともなれば人民には判らんのざぞ、心せよ、
守護と申すものは人民からはちっとも判らんようになっています。
判る様な守護は低い神の守護、とあります。
悪神の守護です。
すぐのおかげの守護は、低い神の守護です。
悪神の守護でも大将の守護ともなれば、人民には判らんようになっています。
悪神の大将の守護、それは、中々判りにくい守護ですし、働きの一部でもあるのですが、だからこそ、つ千、に返る事が求められるのです。
五三体の大神様の千人力に返る、それは三界和合、心・口・行、の一致にあります。
心して下さい。
Ⅴ.不足申すと、不足生みます。悪となります。皆人民のキからです。我の難儀、我が作ります。我恨む他ありません。
●何んな事あっても不足申すでないぞ、不足悪ざぞ、皆 人民の気からぞと くどう申してあろがな、人民キから起って来たのざぞ、我の難儀、我が作るのざぞ、我恨むより方法(ほか)ないぞ、
何んな事あっても不足申さないようにして下さい。
不足悪です。
皆 人民の気からと、くどう申してある通りです。
人民キから起こって来たのです。
我の難儀、我が作ります。
我恨むより方法(ほか)ありません。
不足を解決していく事が求められます。
Ⅵ.人民の心さへ定まりましたら、此の方 自ら出て手柄立てさせて頂きます。
●人民の心さへ定まったら、此の方 自ら出て手柄立てさすぞ、手柄結構ざぞ。
これは、初めての文面、と見ます。
人民の心さへ定まりましたら、此の方 自ら出て手柄立てさすようになっています。
手柄結構です。
手柄は、此の道一本に絞って三年、その後半辺りから徐々に出てきます。
Ⅶ.此の世の物 一切 神の物で、一切取り上げられてから、成程と判ったのはで手遅れなので、くどう同じこと申してゐます。
●此の世の物 一切 神の物と云ふ事まだ判らんのか、一切取り上げられてから成程なァと判ったのではおそいから嫌がられても、くどう同じ様な事申してゐるのざぞ、
此の世の物 一切 神の物と云ふ事、早う判って下さい。とお伝えされています。
一切取り上げられてから成程なァと判ったのではおそいので、嫌がられても、くどう(九土ウ)同じ様な事申されているのです。
ですから、くにつつみ、から五三体の大神様を生み出して下さい。
Ⅷ.人民の苦しみは、此の方の苦しみです。此の方 人民の中に居ます。
●人民の苦しみ此の方の苦しみざぞ、人民も此の方も同じものざぞ、此の道理判りたか、此の方 人民の中に居るのざぞ、別辞(ことわけ)て申してゐるのざぞ。
この文面も初めて、と見ます。
人民の苦しみ、此の方の苦しみでもあります。
人民も此の方も同じものです。
此の道理判りたか、とあります。
ですから、此の世の人民の苦しみがあるとすれば、此の方の苦しみ、ともなるのです。
次の表現も初めてと見ます。
このように、此の方 人民の中に居るのです。
ことわけて申されてゐる、とお伝えされています。
Ⅸ.これからが褌(ふんどし)です。よき世となれば褌要りません。
●まだまだ大き戦激しきぞ、是で世よくなると思ってゐると大間違ひとなるのざぞ、是からが褌(ふんどし)ざぞ、よき世となれば褌要らんのざぞ、
まだまだ大き戦 激しきなります。
是で世よくなると思ってゐると大間違ひとなります。
是からが褌(ふんどし)です。よき世となれば褌要りません。
という事は、現段階では、この後、やはり大き戦 激しいものが待っている、という事です。
戦争、も無くなった訳ではない、と見ます。
Ⅹ.風の間に間に雨の間に間に、何も彼も嬉し真から楽しき世、となります。
●フラリフラリと風に吹かれるヘチマぢゃ、ヘチマ愉快で嬉しひなあ、風の間に間に雨の間に間にユタリユタリと嬉しかろがな、何も彼も嬉し真から楽しき世ざぞよ。
一部マンデラ・エフェクトが起こってゐると見ます。
フラリフラリと風に吹かれるヘチマぢゃ、ヘチマ愉快で嬉しひなあ、風の間に間に雨の間に間にユタリユタリと嬉しかろがな、とあります。
風の間に間に、雨の間に間に、が新たに加わったと見ます。
雨の間に間に、という表現は初めてと見ます。
その後、何も彼も嬉し真から楽しき世、となる事。
これも初めての表現と見ます。
ⅩⅠ.誠(〇九十)が神であり、コト(九十)が神です。元(⦿)であり、道(三千)であり、日(一)であり月(二)です。
●誠が神であるぞ、コトが神であるぞ、元であるぞ、道であるぞ、日であるぞ月であるぞ。始めコトありと申してあろがな、キであるぞ、まつりであるぞ。
誠(〇九十)が神です。
コト(九十)が神です。
元(⦿)であり、道(三千)であり、日(一)であり月(二)です。
マコトとは、これら全てを含んだものです。
ここまで、具体的に御伝えされたのは初めてと見ます。
始めコト(九十)あり、と申されている通りです。
立体に進むには、始めコト(九十)あり、から始まるのです。
それは、キであり、まつり、です。
2.まとめ
此の世と申しても、臣民の世ばかりではありません。神の世界も引くるめて、申されています。
勇んでやって下されよ、として下さい。勇む所 此の方 力添え致す、とお伝えされています。
心配顔 此の方 嫌ひ、とあります。歌唄ひ下されよ、笑ひ下されよ、とし、笑へば岩戸開けます。
今の人民キリキリ舞しながら まだキリキリ舞する様もがいています。つ千に返る事、早う気付けば、楽になります。五三体の大神様の千人力に返る、それは三界和合、心・口・行、の一致にあります。
判る様な守護は低い守護、悪神の守護、です。守護と申すものは人民からは判らず、悪神の守護も大将の守護なら、人民には判りません。
不足申すと、不足生みます。悪となります。皆人民のキからです。我の難儀、我が作ります。我恨む他ありません。
人民の心さへ定まりましたら、此の方 自ら出て手柄立てさせて頂きます。
此の世の物 一切 神の物で、一切取り上げられてから、成程と判ったのはで手遅れなので、くどう同じこと申してゐます。
人民の苦しみは、此の方の苦しみです。此の方 人民の中に居ます。
これからが褌(ふんどし)です。よき世となれば褌要りません。
風の間に間に雨の間に間に、何も彼も嬉し真から楽しき世、となります。
誠(〇九十)が神であり、コト(九十)が神です。元(⦿)であり、道(三千)であり、日(一)であり月(二)です。始めコト(九十)あり、から始まり、それは、キであり、まつり、です。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。
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