まことに関する文面20に進みます。
今回の文面は、磐戸(一八十)の巻 第十三帖 その1です。第十三帖を二回に分けます。
今回のマンデラ・エフェクト文面も、かなり起こってゐます。
文面自体のマンデラ・エフェクトもありますが、流れそのものが、もう相当にマンデラ・エフェクトを起こしてゐます。
日本の国は元の神の血筋のまじりけのないミタマで、末代 世治めます。末代動かん様に定めるのですから、大望、とお伝えされています。末代の世の治めることを伝え始めました。
今度は規則きまりたら、昔より六ヶ敷くなり、まけられんことになります。神魂(カミタマシ)の臣民でないと神の国には住めんことになります。今度の規則きまりたら、昔より六ヶ敷くなり、まけられんこととなり、神魂の臣民でないと、神の国には住めない事、をお伝えされています。
この世治めるのは地の先祖の生神の光出さねば、この世治まりません。トコトンの掃除せねば、先になりて大きな間違ひとなるので、洗濯々々とくどう申してゐます。地の先祖の生き神様の光出す事が求められ、それには、トコトンの掃除、洗濯が求められます。
愈々、生神の性来現はして、バタバタにらちつけます。更には、大国常立尊大神と現はれて、一時は天もかまひ、地の世界は申すに及ばず、天へも昇り降りして、⦿(モト)の⦿(ニホン)の⦿(カミ)の光りクッキリ現はさなならん、とお伝えされています。以前は、そういった者が居るという程度でしたが、此の道進む役員は、皆そのようになっていくようです。
此の道の役員、吾は苦労して、人助けて下さい。と、吾が苦労する前提に変わってゐます。
また、その心でないと我出して、吾のこと思ふてゐますとグレン、とお伝えされています。
何もかもスカリと救ふ、それは、殺して救ふのと、生かして御用に使ふのとあります。今度はハッキリ区別します。昔からの因縁です。と、殺して救ふ、生かして御用に使ふ、ハッキリ区別すると伝えられてゐます。
この方のもとに参りて、昔からの因縁、この先のことよく聞いて得心出来ましたら、肚の底から改心して、マコトの御用、結構につとめあげてくれよ、とお伝えされています。
それでは、まことに関する文面20、をお伝えしますね。
- 1.磐戸(一八十)の巻 第十三帖 その1 此の道の役員、吾は苦労して、人助けて下さい。その心でないと我出して、吾のこと思ふてゐますとグレンです。
- Ⅰ.コト(言)(行動)違ふから、精神がちがふ事となり、ちがふことになります。コト正しくすれば、正しきこととなります。
- Ⅱ.日本の国は元の神の血筋のまじりけのないミタマで、末代 世治めます。末代動かん様に定めるのですから、大望、とお伝えされています。
- Ⅲ.上の臣民、このままでなんとかかんとかいける様に思ふてゐましたら、その心はわれよし、です。
- Ⅳ.今度は規則きまりたら、昔より六ヶ敷くなり、まけられんことになります。神魂(カミタマシ)の臣民でないと神の国には住めんことになります。
- Ⅴ.この世治めるのは地の先祖の生神の光出さねば、この世治まりません。トコトンの掃除せねば、先になりて大きな間違ひとなるので、洗濯々々とくどう申してゐます。
- Ⅵ.菩薩では治まりませんので、愈々、生神の性来現はして、バタバタにらちつけます。
- Ⅶ.大国常立尊大神と現はれて、一時は天もかまひ、地の世界は申すに及ばず、天へも昇り降りして、⦿(モト)の⦿(ニホン)の⦿(カミ)の光りクッキリ現はさなならん、とお伝えされています。
- Ⅷ.此の道の役員、吾は苦労して、人助けて下さい。その心でないと我出して、吾のこと思ふてゐますとグレンです。
- Ⅸ.何もかもスカリと救ふ、それは、殺して救ふのと、生かして御用に使ふのとあります。今度はハッキリ区別します。昔からの因縁です。
- Ⅹ.この方のもとに参りて、昔からの因縁、この先のこと、よく聞いて得心できましたら、肚の底からの改心して、マコトの御用、結構につとめあげてくれよ、と伝えられてゐます。
- 2.まとめ
1.磐戸(一八十)の巻 第十三帖 その1 此の道の役員、吾は苦労して、人助けて下さい。その心でないと我出して、吾のこと思ふてゐますとグレンです。
Ⅰ.コト(言)(行動)違ふから、精神がちがふ事となり、ちがふことになります。コト正しくすれば、正しきこととなります。
●コトちがふから、精神ちがふから、ちがふことになるのざぞ、コト正しくすれば、正しきこととなるのざぞ。
コト(九十)(言葉)(行動)がちがふから、精神(心)がちがふから、ちがふことになるのです。
ここでの、コトは、言葉、の意味が強いと思います。
言葉が違ふと、精神が違いますから、ちがふこととなります。
ですが、コト(言葉)(行動)正しくすれば、正しきこととなります。
心・口・行の一致を伝えられてゐます。
Ⅱ.日本の国は元の神の血筋のまじりけのないミタマで、末代 世治めます。末代動かん様に定めるのですから、大望、とお伝えされています。
●日本の国は元の神の血筋のまじりけのないミタマで、末代 世治めるのざ。何事も末代のことであるから、末代動かん様に定めるのざから、大望であるぞ。
これも、どこかからか現れたマンデラ・エフェクト文面です。
二本の九二は、元の神の血筋のまじりけのないミタマで、末代世治めます。
何事も末代のことですから、末代動かん様に定めますから、大望である、とお伝えされています。
何事(七二五十)も末代だからです。
それは、三次元的に留まる、という意味ではなく、無限に弥栄し続ける、それが末代動かん様に定まる、と見ます。
ですから、元の神の血筋のまじりけのないミタマとは、無限に弥栄し続ける存在である事、が求められます。
シチニの神様が五十人、かもしれません。
日々、弥栄実践、祓実践、まつり実践、です。
Ⅲ.上の臣民、このままでなんとかかんとかいける様に思ふてゐましたら、その心はわれよし、です。
●上の臣民この儘で何とか彼んとかいける様に思ふてゐるが、其の心われよしざぞ。
上の臣民、このままでなんとかかんとか、いける様に思ふてゐますが、その心がわれよし、とお伝えされています。
ここまで、やって来れているのは、思念界から何度も書き換えを起こしてゐるから、現在も変わり続けてゐる事が可能なのです。
そのわれよし、を変えていくには、他を生かす行、どこからでもよいので、始める事が大切です。
無理なく、弥栄で、進めて下さい。その行は、幾らでもあります。
Ⅳ.今度は規則きまりたら、昔より六ヶ敷くなり、まけられんことになります。神魂(カミタマシ)の臣民でないと神の国には住めんことになります。
●今度は手合して拝む許りでは駄目ざと申してあろが、今度は規則きまりたら、昔より六ヶ敷くなるのざぞ、まけられんことになるのざぞ、神魂(カミタマシ)の臣民でないと神の国には住めんことになるのざぞ。
今度は、手合して拝むばかりでは、ダメざと申してあります。
この後がマンデラ・エフェクト、と見ます。
今度は、規則きまりたら、昔より六ヶ敷くなります。
まけられんこと、になります。まけてかつ、のかはよく解りませんが、少なくとも、御自身の心の内には、まけられんこととなっていきます。
神魂(カミタマシ)の臣民でないと、神(十)の国(九二)には住めんことになります。
Ⅴ.この世治めるのは地の先祖の生神の光出さねば、この世治まりません。トコトンの掃除せねば、先になりて大きな間違ひとなるので、洗濯々々とくどう申してゐます。
●この世治めるのは地の先祖の生神の光出さねば、この世治まらんのざぞ、今度はトコトン掃除せねば、少しでもまぢり気(け)ありたら、先になりて また大きな間違ひとなるから、洗濯々々とくどう申してゐるのざ。
此の世治めるのは、地の先祖の生き神様の光出さねば、此の世治まらないのです。
今度は、トコトン(十九十ン)掃除(そウ事)せねば、少しでもまぢり気(け)ありましたら、先になりて また大きな間違ひとなりますので、洗濯々々とくどう申してゐるのです。
くにつつみより、五三体の大神様を生み出す事をしなくては、少しでもまぢり気ありましたら、先で大きな間違ひとなるので、洗濯、洗濯、とくどう(九土ウ)申されています。
Ⅵ.菩薩では治まりませんので、愈々、生神の性来現はして、バタバタにらちつけます。
●神は一時は菩薩とも現はれてゐたのざが、もう菩薩では治まらんから、愈々生神の性来現はしてバタバタにらちつけるのざぞ、今の学ある者 大き取り違ひいたしてゐるぞ。
これもどこかからか現れたマンデラ・エフェクト文面です。
神は、一時は菩薩とも現はれてゐたのですが、もう菩薩では治まりませんから、愈々生き神の性来現はして、バタバタにらちつけます。
生き神様の性来、まだまだ、沢山あると思いますが、その内の一つは、喜びの嬉しきビックリを次々現して行く事にあると見ます。
今の学ある者、大き取違ひ致してゐるとありますが、嬉しきビックリ、マンデラ・エフェクトそのものは、今の学では測れないようになってゐます。例えば、無理なく、債務残高が減っている世界への移行等が、そうです。学では判らないですし、神学は、人の学では判らないようになってゐます。
Ⅶ.大国常立尊大神と現はれて、一時は天もかまひ、地の世界は申すに及ばず、天へも昇り降りして、⦿(モト)の⦿(ニホン)の⦿(カミ)の光りクッキリ現はさなならん、とお伝えされています。
●大国常立尊大神と現はれて、一時は天もかまひ、地の世界は申すに及ばず、天へも昇り降りして、⦿(モト)の⦿(ニホン)の⦿(カミ)の光りクッキリ現はさなならんと仰せあるぞ、早う洗濯せんと間に合はんぞ。
これも、マンデラ・エフェクト文面ですね。大国常立尊大神の御働きが拡大してゐます。
大国常立尊大神と現はれて、一時は天もかまひ、地の世界は申すに及ばず、天へも昇り降りして、⦿(モト)の⦿(ニホン)の⦿(カミ)の光り、クッキリ現はさなならん、と仰っています。
早う洗濯せん(千)と間に合はん、とあります。
洗濯した上で、千人力です。
御自身は、大国常立尊大神と同化していく事が求められます。
それには、我の洗濯、掃除、改心、が求められます。
Ⅷ.此の道の役員、吾は苦労して、人助けて下さい。その心でないと我出して、吾のこと思ふてゐますとグレンです。
●この道の役員、吾は苦労して人助けるのざぞ、その心でないと我出して吾のこと思ふてゐるとグレンざぞ。
これも、マンデラ・エフェクト、と見ます。
此の道の役員、吾は苦労して人助けるのです。
苦労の文面は、御神示ではかなり多いですが(昔は90程、今現在は110に増えてゐます)、苦労の文面が、結構に増えて来てゐます。
吾は苦労して人を助ける、その心でないと、我出して、吾のこと思ふてゐる流れとなりますと、グレン、です。
苦労して人を助けなければ、グレン、は初めてと見ます。
Ⅸ.何もかもスカリと救ふ、それは、殺して救ふのと、生かして御用に使ふのとあります。今度はハッキリ区別します。昔からの因縁です。
●仏もキリストも何も彼もスカリと救はねばならんのざ、殺して救ふのと、生かして御用に使ふのとあるぞ、今度はハッキリ区別するのざぞ、昔からの因縁ざぞ。
仏もキリストも何も彼も、スカリと救はねばならんのです。
殺して救ふのと、生かして御用に使ふのとあります。
この後がマンデラ・エフェクト、と見ます。
今度は、ハッキリ区別するのです。殺して救ふのと、生かして御用に使ふ、と分かれます。
それは昔からの因縁です。
Ⅹ.この方のもとに参りて、昔からの因縁、この先のこと、よく聞いて得心できましたら、肚の底からの改心して、マコトの御用、結構につとめあげてくれよ、と伝えられてゐます。
●この方のもとに参りて、昔からの因縁、この先のこと克く聞いて得心出来たら、肚の底から改心してマコトの御用結構につとめあげてくれよ。
これもマンデラ・エフェクト、文面と見ます。
この方のもとに参りて、昔からの因縁、この先のことよく聞いて得心出来ましたら、肚の底から改心して、マコトの御用、結構につとめあげてくれよ、とお伝えされています。
昔からの因縁は、此の道に進み、我の改心と共に判ってきます。突き詰めますと、われよし、から始まった話ばかり、と言えます。
2.まとめ
コト(言)(行動)違ふから、精神がちがふ事となり、ちがふことになります。コト正しくすれば、正しきこととなります。心・口・行の一致を伝えられてゐます。
日本の国は元の神の血筋のまじりけのないミタマで、末代 世治めます。末代動かん様に定めるのですから、大望、とお伝えされています。無限に弥栄し続ける存在である事、が求められます。日々、弥栄実践、祓実践、まつり実践、です。
上の臣民、このままでなんとかかんとかいける様に思ふてゐましたら、その心はわれよし、です。
今度は規則きまりたら、昔より六ヶ敷くなり、まけられんことになります。神魂(カミタマシ)の臣民でないと神の国には住めんことになります。拝むばかりではダメ、です。
この世治めるのは地の先祖の生神の光出さねば、この世治まりません。トコトンの掃除せねば、先になりて大きな間違ひとなるので、洗濯々々とくどう申してゐます。
菩薩では治まりませんので、愈々、生神の性来現はして、バタバタにらちつけます。
大国常立尊大神と現はれて、一時は天もかまひ、地の世界は申すに及ばず、天へも昇り降りして、⦿(モト)の⦿(ニホン)の⦿(カミ)の光りクッキリ現はさなならん、とお伝えされています。
此の道の役員、吾は苦労して、人助けて下さい。その心でないと我出して、吾のこと思ふてゐますとグレンです。
何もかもスカリと救ふ、それは、殺して救ふのと、生かして御用に使ふのとあります。今度はハッキリ区別します。昔からの因縁です。
この方のもとに参りて、昔からの因縁、この先のこと、よく聞いて得心できましたら、肚の底からの改心して、マコトの御用、結構につとめあげてくれよ、と伝えられてゐます。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。
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