引き続き、無い(七一)に関する文面⑭ をお伝えします。
今回は、補巻 月光の巻の文面1つになります。
今回のマンデラ・エフェクトは、奥山はありてなきもの、なくて有る存在、という事をお伝えしています。
奥山の記述は、最初からありましたが、その詳細は、当初より、全く伝えられていませんでした。
ですが、その奥山について、徐々にですが、その詳細を伝えられているように、変わってきています。
更には、今迄になかった奥山のあり方、判らんのも無理ないなれど、これが判らねば この度の大神業、判りはせんぞ。とまでお伝えされる事になってきました。
今回は、その奥山のあり方についてお伝えしていきます。
- 1.補巻 月光の巻 第七帖 今迄になかった奥山のあり方、この度の大神業の鍵となります
- Ⅰ.大奥山は、カミヒト交流の道の場です。まずは、行から始まります。
- Ⅱ.多数決とは、悪多数決となります。それは、悪不平等の為です。
- Ⅲ.多数決以外に、道はいくらでもあります。立体にアヤなせば、弥栄えて真実の道が判ります。
- Ⅳ.独裁ではなりません。神裁でないとならんようになっています。
- Ⅴ.区別すると力出ます。平等でなくてはなりませんが、区別なき平等は悪平等となります。
- Ⅵ.囚われ基軸の平面、早くやめて下さい。霊かかりもやめて下さい。
- Ⅶ.人民の絶対無は、絶対無ではありません。絶対の㋰としていく事が求められます。
- Ⅷ.空間、時間は、霊界にもあります。その標準が違う為、無いのと同じです。
- Ⅸ.奥山は、ありてなきもの、なくて有る存在です。
- Ⅹ.今迄になかった奥山のあり方、これが判らねば この度の大神業、判りはしないようになっています。
- 2.まとめ
1.補巻 月光の巻 第七帖 今迄になかった奥山のあり方、この度の大神業の鍵となります
Ⅰ.大奥山は、カミヒト交流の道の場です。まずは、行から始まります。
●大奥山は神人交流の道の場である。道は口で説くものではない。行ずるものである。教は説かねばならない。
大奥山は、神人交流の道の場、です。
総ては、ここから始まります。
それは、無限に拡がり、終わりなき喜びの道です。
その道とは口で説くものではありません。行ずるもの、とお伝えされています。
教は説かねばならない。とあります。
と言っても、此の道に進む事で、御神示も次々書き換わっていきますし、この事から説けるようになっていきます。
ですから、まずは、行ずるところから始まりです。
Ⅱ.多数決とは、悪多数決となります。それは、悪不平等の為です。
●多数決が悪多数決となるわけが何故に判らんのぢゃ。投票で代表を出すと殆んどが悪人か狂人であるぞ。世界が狂ひ、悪となり、人民も同様となっているから、その人民の多くが選べば選ぶ程、益々混乱してくるのであるぞ。
多数決が悪多数決となるわけが何故に判らんのぢゃ、と伝えられています。
そもそも多数決、という手法が、悪不平等ですし、弥栄基軸、とは必ずしもならないのです。
また、更には囚われの元となります。
この為、投票で代表を出しますと、殆どが悪人か狂人です。囚われがどんどん強くなる為です。
更には、囚われの強まりから、世界が狂ひ、悪となり、人民も同様ですから、その人民の多くが選べば選ぶ程、ますます混乱するのです。
その元は、11つの囚われ、6つの慢心にあるのですが、そこから変えるのは、中々なのです。
簡単ではありません。
Ⅲ.多数決以外に、道はいくらでもあります。立体にアヤなせば、弥栄えて真実の道が判ります。
●それより他に人民の得心出来る道はないと申してゐるが、道はいくらでもあるぞ。人民の申してゐるのは平面の道、平面のみでは乱れるばかり、立体にアヤなせば弥栄えて真実の道が判るのぢゃ。
多数決以外に、人民の得心出来る道はない、と申してゐますが、道はいくらでもあります。
人民の申しているのは、平面の道、3次元基軸での平面世界の決め事です。
平面のみでは乱れるばかりになります。
立体にアヤ(一八)なせば、弥栄えて真実の道が判るようになっています。
永劫の過去から、現存の神々様を、な(七)せばよいのです。
もう一段上の㋰へと生み出していけばよいのです。
このようにして、弥栄して真実の道が判るようになっています。
Ⅳ.独裁ではなりません。神裁でないとならんようになっています。
●ぢゃと申して独裁ではならん。結果から見れば神裁ぢゃ。神裁とは神人交流によることぞ。
ぢゃと申して、独裁ではならん、ようになっています。
結果から見ますと、神裁、です、神裁とは、カミヒト、交流によるコト(九十)です。
それには、あなはち、しきまきや、くにつつみ、を進めていきます。
弥栄実践、祓実践、まつり実践、をしていく事で、御自身の洗濯、掃除、改心をしていきます。
この事で、心・口・行一致によって、・につながる事で徐々に判っていきます。
その上での、祈り、行じ、省みる、で、神裁、が判っていきます。
神裁は、無理なく高飛びなく、一段一段進みます。
独裁、一人で進めてはなりません。
神裁、皆と共に、和して進めていきます。
神裁、というのも初めてと見ます。
Ⅴ.区別すると力出ます。平等でなくてはなりませんが、区別なき平等は悪平等となります。
●区別すると力出るぞ、同じであってはならん。平等でなくてはならんが、区別なき平等は悪平等である。
区別すると力出ます。(但し、分け隔てではありません)
同じであってはならん、のです。常々、一人一人は、別の存在です。
平等なく(七九)てはならんが、区別なき平等は、悪平等である。
とお伝えされています。
ですから、区別、していく事が大切です。
Ⅵ.囚われ基軸の平面、早くやめて下さい。霊かかりもやめて下さい。
●天に向って石を投げるようなことは、早くやめねばならん。霊かかりもやめて下されよ。
天(・)に向かって石を投げるようなこと(九十)は、早くやめねばならん、のです。
囚われ基軸になるのはやめねばならん、のです。
また、霊かかりもやめて下されよ。と伝えています。
霊も霊の我のままですと、我基軸ですから、囚われの元となります。
実は、霊かかり、だけでは、囚われの元となる事には注意が必要です。
霊と和し、神と和し、自分と自分と和し、周囲と和していく事が大切です。
カミヒト共に、一段一段、改心進めていく事が求められます。
Ⅶ.人民の絶対無は、絶対無ではありません。絶対の㋰としていく事が求められます。
●人民が絶対無と申してゐるところも、絶対無ではない。科学を更に浄化弥栄させねばならん。
人民が絶対無と申してゐるところも、絶対無ではありません。
概ね、完全なる無の事を伝えていると見ます。×0を意味している事が多いです。
此の道の無とは、㋰、です。元の元の、神の・、です。
÷0です。終わりがありません。
この事によって、科学を更に浄化弥栄させねばならん、のです。
そして、その弥栄、発展、は終わりなき、超完成、超未完成、へと進む事になっていきます。
Ⅷ.空間、時間は、霊界にもあります。その標準が違う為、無いのと同じです。
●空間、時間が霊界にないのではない。その標準が違うから無いと考えてよいのである。
空間、時間が、霊界にない訳ではありません。
その標準が違うから無いと考えてよいのです。
重要な所は、霊界の思念を変えていく事にあります。
すると、霊界では、死が起こり、新たな生へと進むのです。
私達三次元の世界からですと、思念が変わっていく事で、その霊は、成長したように見えます。
ですが、それは、間違っている訳ではありません。
それは、霊も改心している世界へと、この世界が移行していくからです。
そして、御自身の改心も合わせて重要です。
このようにして、心・口・行、の一致により新たな世界へと移行していく事になります。
Ⅸ.奥山は、ありてなきもの、なくて有る存在です。
●奥山は奥山と申してあろう。いろいろな団体をつくってもよいが、何れも分れ出た集団、一つにしてはならん。奥山はありてなきもの、なくて有る存在である。
奥山は奥山、です。いろいろな団体つくってもよいですが、いずれも分かれ出た集団です。
一つにしてはならん、とあります。
奥山はありてなきもの、なくて有る存在です。
Ⅹ.今迄になかった奥山のあり方、これが判らねば この度の大神業、判りはしないようになっています。
●奥山と他のものとまぜこぜまかりならん。大き一つではあるが別々ぞ。今迄になかった奥山のあり方、判らんのも無理ないなれど、これが判らねば この度の大神業、判りはせんぞ。
奥山と他のもの、まぜこぜまかりならん、とあります。
大き一つではありますが、別々です。
これが、今度の奥山の答えです。
今迄になかった奥山のあり方、判らんのも無理ありませんが、これが判らねば、この度の大神業、判りはしないのです。
ありとあらゆる存在と和し続けていく、は、簡単ではありません。特に対人が一番難しいです。
ですから、神学を起こし続けていく、マンデラ・エフェクトを起こし続ける以外ないのです。
2.まとめ
大奥山は、カミヒト交流の道の場です。まずは、行から始まります。
多数決とは、悪多数決となります。それは、悪不平等の為です。
多数決以外に、道はいくらでもあります。立体にアヤなせば、弥栄えて真実の道が判ります。
独裁ではなりません。神裁でないとならんようになっています。
神裁、皆と共に、和して進めていく事が求められます。
区別すると力出ます。
平等でなくてはなりませんが、区別なき平等は悪平等となります。
囚われ基軸の平面、早くやめて下さい。霊かかりもやめて下さい。
人民の申す所の絶対無は、絶対無ではありません。×0は絶対無ではありません。
絶対の㋰としていく事が求められます。÷0です。
空間、時間は、霊界にもあります。その標準が違う為、無いのと同じです。
奥山は、ありてなきもの、なくて有る存在です。
いろいろな団体つくってもよいですが、いずれも分かれ出た集団です。
今迄になかった奥山のあり方、これが判らねば この度の大神業、判りはしないようになっています。
大き一つではありますが、別々です。
これが、今度の奥山の答えです。
ですから、神様の申す通り、神学を起こし続けていく、マンデラ・エフェクトを起こし続ける以外、立体に進み続ける以外ないのです。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。
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