弥栄、に関する文面13に進みます。
今回、は地震の巻 第八帖 その1です。
今回のマンデラ・エフェクト文面は、全般的に起こっている感じです。
内的・に向かっての弥栄、外的、地上的に進む・、交叉融和することによって更に生み出され弥栄する・、
これらは以前には無かったものです。
また、地獄にあらざる地獄的霊界、天国にあらざる天国的霊界、という表現も初めてですね。
また、新天新地新人、という単語も初めて、と見ます。
今回は、真の三千世界の実相について、それは、内奥の神智にめざめることによってのみ知り得る、
というものです。
内奥の神智にめざめることによって、新天新地新人はかくして、生れ、呼吸し、弥栄える。
とお伝えされています。
新人と進むには、内奥の神智にめざめる事が求められますが、それは、此の道に進む行が求められます。
それでは、弥栄、に関する文面13をお伝えしますね。
- 1.地震の巻 第八帖 その1 真の三千世界の実相は、内奥の神智にめざめることによってのみ知り得ます。
- Ⅰ.生前の世界にある霊人の生活環境は、最初からのものではありません。
- Ⅱ.元は・の歓喜から始まり、生後地上にうつされ生長し、死後の世界に移行し、生前世界に移行する、を繰り返します。
- Ⅲ.内的・に向かっての弥栄、外的地上的に進む・、交叉融和することに生み出され弥栄する・、この三つと共に全体も呼吸、脈打ち、生命します。
- Ⅳ.内的、外的、交叉融和、の弥栄の現れは、和せば和すほど相離れ、遠ざかり生長し、生命の大歓喜として湧き出ます。
- Ⅴ.地獄にあらざる地獄的霊界、天国にあらざる天国的霊界は、霊人により生み育てられると同時に、人々により生み、育てられ、歓喜します。
- Ⅵ.このような弥栄進展の為、人類、霊人類も、最後の審判的段階に入るまで、真の三千世界の実相は十分に知り得ないようになっています。
- Ⅶ.故に、新天新地の来る迄、真の天国を体得できませんし、自己を知り得ない。事が殆どとなります。
- Ⅷ.新天新地は幾度となく繰り返されていますが、同一形式のものではあっても同一ではありません。
- Ⅸ.あらゆる大小、新旧より、生れ弥栄し、一つが二つとなり、三つとなり、更には一つ、の境地は、此の道の理解、体験で可能です。
- Ⅹ.月より地球が生れ、地球より太陽が生れる境地の理解は、最後の審判に至れば自ら体得し得ます。
- ⅩⅠ.三千世界の実相、最後の審判の境地は、内奥の神智にめざめることによってのみ知り得ます。
- ⅩⅡ.新天新地新人はこのようにして生れ、呼吸し、弥栄します。
- 2.まとめ
1.地震の巻 第八帖 その1 真の三千世界の実相は、内奥の神智にめざめることによってのみ知り得ます。
Ⅰ.生前の世界にある霊人の生活環境は、最初からのものではありません。
●生前の世界に、霊人が生活している。山があり、川があり、住宅、衣類、食物がある。しかし、それは最初からのものではない。
生前の世界に、霊人が生活しています。
それには、山があり、川があり、住宅、衣類、食物、があります。
しかし、それは最初からのものではありません。
Ⅱ.元は・の歓喜から始まり、生後地上にうつされ生長し、死後の世界に移行し、生前世界に移行する、を繰り返します。
●それらの元をなす・が歓喜していた、その・が生後、地上世界にうつされて、地上的約束の下に生長し、秩序されたがため、その結果が、死後の世界につづき、死後の世界の様相は・の原理によって、生前世界に移行して、生前的に進展し、弥栄し、
長文の為、2つに分けます。前半部分です。
それらの元を為すは、・です。
その・が歓喜しますと、生後、地上世界にうつされて、地上的約束の下に生長していき、秩序されていきます。
その結果が、死後の世界につづき、死後の様相は・の原理によって、生前世界して、生前的に進展し、弥栄していきます。
このように、生前、生後、死後、又生前と弥栄と進展と共に進みます。
Ⅲ.内的・に向かっての弥栄、外的地上的に進む・、交叉融和することに生み出され弥栄する・、この三つと共に全体も呼吸、脈打ち、生命します。
●その・を幾度となく繰り返すうちに、漸次、内的・に向って弥栄する面と、外的、地上的に進む・と、その交叉融和することによって更に生み出され弥栄する・と、その各々が各々の立場に於て、すすみ、呼吸し、脈うち、生命していると同時に、全体的にも生命し、歓喜し、弥栄している。
この文面でも、マンデラ・エフェクトが起こっていますね。
総ての文面がほぼそうだと言ってよいでしょう。
その生前、死後、地上世界の弥栄の・を幾度となく繰り返す内に、漸次、
内的・に向かって弥栄する面、
外的、地上的に進む・、
その交叉融和することに更に生み出され弥栄する・。
それぞれ三つの各々の立場において、進み、呼吸し、脈うち、生命していると同時に、全体的にも生命し、歓喜し、弥栄していきます。
Ⅳ.内的、外的、交叉融和、の弥栄の現れは、和せば和すほど相離れ、遠ざかり生長し、生命の大歓喜として湧き出ます。
●而して、その現われとしては、和せば和するほど相離れ、遠ざかりつつ生長する。また、生命の大歓喜として湧き出ている。
しかして、その現われとしては、和せば和するほど、相離れ、遠ざかりつつ生長します。
また、生命の大歓喜として湧き出ています。
これは、此の道に進んで行きますと、この境地を体験していくかもしれません。
私に関しては、今現在、周囲の、水、大気、キン、辺りがこの世界へと移行し、それぞれ、生長し、また遠ざかっていると言えば遠ざかっています。
それが、また、新たな生命の大歓喜へとも進んでいます。
今、現在、ご縁深い方は、確かにズームで距離離れていますし、普段は一人の時間が長く、ですが、それは、周囲の、キン、水、大気、野菜、あらゆるモノ、と共に囲まれている、という感じですね。
そして、その周囲の存在が、深く、広く、弥栄していきます。
(お蔭様で、部屋内キン変化から、様々な弥栄変化が起こっています)
私のケースは、一例ですが、この道に進みますと、この通りの理解、体験ができるようになります。
Ⅴ.地獄にあらざる地獄的霊界、天国にあらざる天国的霊界は、霊人により生み育てられると同時に、人々により生み、育てられ、歓喜します。
●故に、地獄にあらざる地獄的霊界、天国にあらざる天国的霊界は、霊人により生み、霊人により育てられると同時に、人々により生み、人々により育てられ、歓喜されるのである。
この表現も初めてと思います。
地獄にあらざる地獄的霊界、天国にあらざる天国的霊界、ですね。
故に、地獄にあらざる地獄的霊界、天国にあらざる天国的霊界は、霊人により生み、霊人により育てられると同時に、人々により生み、人々により育てられ、歓喜されます。
Ⅵ.このような弥栄進展の為、人類、霊人類も、最後の審判的段階に入るまで、真の三千世界の実相は十分に知り得ないようになっています。
●かく弥栄進展するが故に、人類も霊人類も、各々その最後の審判的段階に入る迄は、真の三千世界の実相を十分に知り得ない。
このようにして、弥栄進展するが故に、人類も霊人類も、各々、その最後の審判的段階に入る迄は、真の三千世界の実相を十分に知り得ないのです。
Ⅶ.故に、新天新地の来る迄、真の天国を体得できませんし、自己を知り得ない。事が殆どとなります。
●故に、新天新地の来る迄、真の天国を体得し得ない。新天新地の新しき世界に生れ出づる自己を知り得ない。
また、マンデラ・エフェクト単語だと思います。
新天新地、ですね。
故に、新天地の来る迄、真の天国を体得し得ないのです。
新天新地の新しき世界に生れ出づる自己を知り得る事ができません。
Ⅷ.新天新地は幾度となく繰り返されていますが、同一形式のものではあっても同一ではありません。
●この新天新地は幾度となく繰り返されているのであるが、何れもの形に於けるが如く同一形式のものではあるが、同一のものではない。
ですが、この新天新地は幾度となく繰り返されています。
いずれもの形におけるが如く同一形式のものではありますが、同一のものではありません。
Ⅸ.あらゆる大小、新旧より、生れ弥栄し、一つが二つとなり、三つとなり、更には一つ、の境地は、此の道の理解、体験で可能です。
●より小なるものより、より大なるものが生れ、より大なるものより、より小なるものが生れ、より新しきものより、より古きものが生れ、より古きものより、より新しきものが生れ、弥栄し、一つの太陽が二つとなり、三つとなり、更には一つとなることを理解しない。
これも、全体的にマンデラ・エフェクト文面、と見ます。
より小なるものより、より大なるものが生れ、より大なるものより、より小なるものが生れます。
また、より新しきものより、より古きものが生れ、より古きものより、より新しきものが生まれます。
このようにして弥栄し、一つの太陽が二つとなり、三つとなり、更には一つになることを理解できない、
とあります。
ですが、これも、此の道の体験、思念界を変える行を進めていきますと、同じ存在が同じで無くなる、また、そこから新たな世界、存在、を生み出す、理解、体験ができます。
Ⅹ.月より地球が生れ、地球より太陽が生れる境地の理解は、最後の審判に至れば自ら体得し得ます。
●月より地球が生れ、地球より太陽が生れると云うことを理解するに苦しむものであるが、最後の審判に至れば自ら体得し得るのである。
この文面は以前からあったもの、と見ます。
月より地球が生れ、地球より太陽が生れると云うことを理解するのに苦しむものですが、最後の審判に至れば、自ら体得し得るのです。
大から小を生み出すのはまだ判っても、小から大を生み出す、この境地は、最後の審判に至れば、自ら体得し得るようになります。
ⅩⅠ.三千世界の実相、最後の審判の境地は、内奥の神智にめざめることによってのみ知り得ます。
●これは外部的なる智によらず、内奥の神智にめざめることによってのみ知り得る。
これら、三千世界の実相、最後の審判の境地は、外部的なる智によらず、内奥の神智にめざめる事によってのみ知り得ます。
それは、此の道に進み、内が変わる事で外が変わる体験を繰り返していけば判ってきます。
ⅩⅡ.新天新地新人はこのようにして生れ、呼吸し、弥栄します。
●新天新地新人はかくして、生れ、呼吸し、弥栄える。
新天新地新人はかくして、生れ、呼吸し、弥栄える。ようになっています。
内奥の神智にめざめることによってできますが、それは、此の道に進む行を体験していく事で可能です。
2.まとめ
生前の世界にある霊人の生活環境は、最初からのものではありません。
元は・の歓喜から始まり、生後地上にうつされ生長し、死後の世界に移行し、生前世界に移行する、を繰り返します。
内的・に向かっての弥栄、外的地上的に進む・、交叉融和することに生み出され弥栄する・、この三つと共に全体も呼吸、脈打ち、生命します。
内的、外的、交叉融和、の弥栄の現れは、和せば和すほど相離れ、遠ざかり生長し、生命の大歓喜として湧き出ます。
このようにして、地獄にあらざる地獄的霊界、天国にあらざる天国的霊界は、霊人により生み育てられると同時に、人々により生み、育てられ、歓喜します。
このような弥栄進展の為、人類、霊人類も、最後の審判的段階に入るまで、真の三千世界の実相は十分に知り得ないようになっています。
故に、新天新地の来る迄、真の天国を体得できませんし、自己を知り得ない。事が殆どとなります。
このように、新天新地は幾度となく繰り返されていますが、同一形式のものではあっても同一ではありません。
あらゆる大小、新旧より、生れ弥栄し、一つが二つとなり、三つとなり、更には一つ、の境地は、通常できないものですが、此の道の理解、体験で可能です。
月より地球が生れ、地球より太陽が生れる境地の理解は、最後の審判に至れば自ら体得し得ます。
その三千世界の実相、最後の審判の境地は、内奥の神智にめざめることによってのみ知り得ます。
新天新地新人はこのようにして生れ、呼吸し、弥栄します。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。