弥栄、に関する文面24に進みます。
今回は、〇つりの巻(マツリの巻)の文面2つをお伝えします。
今回もマンデラ・エフェクトを起こしてゐます。
1つ目は、第三帖の 誓の言葉ですが、もう、礼拝で、4年近く唱えてきましたので、マンデラ・エフェクトはさすがに無いと思っていましたが・・・それが起こってゐました。
願い上げます、が、祈り上げます。に変わっています。
それは、大神様に任せる段階から、御自身で、行じ、省み、実現していく段階に入った、という事です。
2つ目は、第五帖、です。こちらは、ほぼ全面マンデラ・エフェクトを起こしてゐます。
三千世界の迷ふミタマにところ得さして嬉し嬉しに、コトで慰め弥栄へして下さい。と、
三千世界の、迷ふミタマを、具体的に、導くように伝えられて始めています。
それも、慰め、という単語は間違いなく初めてで、迷ふミタマを、もう慰める前提になっているのです。
更にですが、邪はらふとは邪無くすることではないぞ、邪を正しく導くことざぞ、追払ふでないぞ、まつろへよ。引寄せて抱き参らせよ、取違ひならん大切事ぞ。
と、邪を引き寄せて、抱き参らせよ。と、
かなり肯定的に、積極的に邪とやり取りをするように、そして抱き参らせよ。
そのような所まで来ました。
当方の前世ヒーリングをしていれば、受けられた方。これらの事は、既に実現してきているのですが、
ですが、もう愈々ですね。これらの事、邪を引き寄せて抱き参らせる事は、今後当たり前となるのです。
それでは、〇つりの巻(マツリの巻) の2つの文面をお伝えしますね。
1.〇つりの巻(マツリの巻) 第三帖 旧九月八日からの誓(ちかひ)の言葉、願いあげますから祈りあげます、に変わっています。
●旧九月八日からの誓(ちかひ)の言葉知らすぞ。五三体の大神様 五三体の大神様、天之日月の大神様、雨の神様、風の神様、岩の神様、荒の神様、地震の神様、地(クニ)の日月の大神様、世の元からの生神様、百々(もも)の神様の大前に、日々弥栄の大息吹、御守護弥栄に御礼申し上げます。この度の三千世界の御神業、弥が上にも、千万弥栄の御働き祈り上げます。三千世界の神々様、臣民人民一時も早く改心いたし大神様の御心に添ひ奉り、地(くに)の日月の神と成りなりて、全き務め果たします様 何卒(なにとぞ)御守護願ひ上げます。そがためこの身この霊(タマ)はいか様にでも御使ひ下さいませ、何卒三千世界の神々様、臣民人民が知らず知らずに犯しました罪、穢、過(あやまち)は、神直日大直日に見直し聞き直し下さいます様、特にお願ひ申し上げます。元つ神えみためえみため。
Ⅰ.願いあげます、から、祈り上げます、に変わってゐます。
これは、大神様に向けての誓の言葉です。
私は、誓の言葉は、2021年10月15日(旧九月八日)から、声に出し始めました。
ですから、そう簡単には変わらない、とは思っていましたが・・・、
それが一カ所だけマンデラ・エフェクトがありました。
千万弥栄の御働き祈り上げます。は、以前は、千万弥栄の御働き願い上げます。でした。
ですから、今現在では、祈り上げます。ですので、随分と能動的になった感じですね。
祈りは、御自身が、行じ、省みる事にある為です。
以前は、大神様にお願いする境地だったのが、今では、御自身が、祈り上げる段階に入った、という事です。
カミヒト共にの境地です。
Ⅱ.誓の言葉で求められるのは覚悟、です。この身、この霊(タマ)はいか様にでもお使ひ下さいませ。を毎日、声に出し礼拝する覚悟です。
続いて重要なのは、覚悟のところですよね。
そがためこの身この霊(タマ)はいか様にでも御使ひ下さいませ、
これを、誓として、声に出して、立てる覚悟が持てるかどうかです。
ご家族いる方は、様々考えるでしょう。
ですから、私は、ある意味、独身、に居られる方は独身をお勧めするのですが、それでも、最後は、この覚悟が持てるかどうか、です。
その覚悟が持てないのは、11の囚われが原因ですし、突き詰めますと、我よし、だからです。
神に任せきれていませんし、任せきれるところまで行が進んでいないとも言えます。
そして、後述もしますが、人とは、どうやっても、平面世界である間は、我で進む間は、罪、穢れ、誤ちを犯す事しかできない存在に気づけてゐない、という事もあります。
ですが、遅かれ早かれ、此の道に進まない事には、最終的に大峠と対峙しますから、その時になってからでは手遅れですから、この事が判っていましたら、早い内に、覚悟を決めて進める事をお勧めします。
Ⅲ.御自身でも誓を立てる段階に、やがて進みます。
また、御自身でも別に誓の言葉を立てる事がやがて求められます。(ソラの巻、第十三帖 旧五月五日の礼拝を参考)
これも、覚悟があってこそ、誓を立てられますから、一刻も早く、覚悟をもって、
そがためこの身この霊(タマ)はいか様にでも御使ひ下さいませ、
と毎日唱えられる境地に早く来て下さい。
そこまでの境地になるにも、日月神示に書かれています事は、次々実行していく事が求められます。
好きにして、得心と共に改心を進めるのに七年要する方がやはり多いです。
(もっと多いのは、一度読んで終了、そこまでにも到達もしない方ですが)
Ⅳ.神々様への誓と共通するのは、臣民人民が知らず知らずに犯しました罪、穢、過(あやまち)は、神直日大直日に見直し聞き直し下さいます様、特にお願ひ申し上げます、と伝えている所です。
また、まつりの巻、第二十帖には、神様に向けての誓の言葉がありますが(当初は無かったように思っています)、共通して言えますのが、
臣民人民が知らず知らずに犯しました罪、穢、過(あやまち)は、神直日大直日に見直し聞き直し下さいます様、特にお願ひ申し上げます。
と、臣民、人民が、罪、穢、過ちを犯してゐる事に気付き、その上で、我の改心を進め、神直日大直日に見直し、効き直し、を求める事、
が誓として重要なのです。
この事に共感できるからこそ、覚悟が決まって、誓の言葉を声に出して読み上げる事ができるようになるのですが、まず、この事に共感できる境地、まで、行を進めていく以外ありません。
ですが、これは、そう簡単ではないとも言えます。
それだけ11の囚われ、その原因となる6つの慢心は非常に強固だからです。
Ⅴ.旧九月八日から、覚悟が決まった方は、礼拝を始めて下さい。
ですから、如何に我の改心を進めていく事が重要なのかが求められます。
これを、旧九月八日から、覚悟が出来た方から始めて下さい。(2025年は10月28日)
ですが、油断せず、我の改心を進めていきますと、此の道に進むようになっていきます。
そして、我の改心を進め、神の御心を入れていき、心・口・行を一致させていきます。
2.〇つりの巻(マツリの巻) 第五帖 三千世界の迷ふミタマにところ得さして嬉し嬉しに、コトで慰め弥栄へして下さい。
Ⅰ.肉体を苦しめますと、見せしめせなならん事になるので、肉体大切にして下さい。
●肉体 先づ苦しめたら、今度その守護神にはそれだけの見せしめせなならんことになってゐるのざぞ。
肉体、先ず苦しめましたら、今度その守護神にはそれだけの見せしめせなならん事になってゐます。
肉体を、まず、大切にする事が大切です。
Ⅱ.神がかりで、まだ世界の事何でも判ると思ふてゐる人民 気の毒となります。
●神がかりで まだ世界の事何でも判ると思ふてゐる人民 気の毒出来るぞ。
この文面も初めて、と見ます。
神がかりで、まだ世界の事何でも判ると思ふてゐる人民 気の毒が出来ます。
ですが、確かに、神がかりで、 世界の事何でも判る、と思ふてゐる人民、結構多いですよね。
その殆どの方は、祈り地獄と化しています。
神がかりだけでは、此の世は変わりません。まず、五人分仕事をしていく事から始まります。
此の道一本に絞っての三年の行です。真剣で進めて下さい。
そして、御自身の普段、神の御心を入れた行を伴って変わっていきます。
周囲に、嬉しきビックリ、喜びを起こしていく事から始まっていきます。
それは、御自身の行に応じたものが現れるようになっています。
Ⅲ.八百八光の金神殿、愈々にかかりなされています。(既に入っていると見ます)
●八百八光の金神殿、愈々にかかりなされたぞ。
これも、初めての文面、と見ます。
八百八光の金神殿が、愈々にかかりなされているのです。
この事は、此の道に進んでいる方なら判っているかもしれません。
八百八光の金神様は沢山いますからね。
総ての存在が神様だからです。
神様は人だけではないので、此の道に進んでいる方なら、周囲にそれが現れ始めていると見ます。
Ⅳ.出雲の大神様 此の世かまひなさる大神様、心得て下さい。三千世界の迷ふミタマにところ得さして嬉し嬉しに、コトで慰め弥栄へして下さい。
●出雲の大神様 此の世かまひなさる大神様なり、其の処得ないもの、人民ばかりでないぞ、三千世界の迷ふミタマに所得さして嬉し嬉しにまつりてやれよ、コトで慰め弥栄へしめよ、コトまつりて神の列(つら)に入らしめよ。
出雲の大神様 此の世かまひなさる大神様です。
ここまでは以前あったと思いますが(途中から生まれたかもしれませんが)、
そのところ、得ないもの人民ばかりでなく、三千世界の迷ふミタマにところ、得さして、嬉し嬉しにまつりてやれよ、とあります。
三千世界の、迷ふミタマにところ得さして、嬉し嬉しにまつりて下さい。
一番よいのは、前世ヒーリングによって、思念界から霊が変わることによりて、三次元世界が変わる体験を
水、大気、キン、辺りに、次々御伝え頂ければよいのです。
このような文面が現れている以上、もう、そういった事をしていく段階に入ってゐます。
コト(九十)で慰め、弥栄へしめよ、とあります。
慰め(なぐさめ)という単語は初登場ですね。そのような事をしていく段階に入って来てゐます。
コト(九十)まつりて、神の列(つら)、に入らしめよ。とあります。
神の列(つら)、も初めてですが、御自身、周囲の方々、神の一員として入る時が来ていますね。
Ⅴ.邪はらふとは、邪無くすることではなく、正しく導くことです。追い払ふでなく、まつろひ、引き寄せて抱き参らせて下さい。
●その国々ぞ、あたまあたまで、まつり結構ぞ、まつり呉れよ。邪はらふとは邪無くすることではないぞ、邪を正しく導くことざぞ、追払ふでないぞ、まつろへよ。引寄せて抱き参らせよ、取違ひならん大切事ぞ。
その国々で、あたまあたまで、まつり結構です。
まつり呉れよ(九〇四)と伝えられています。
邪はらふとは、邪無くすることではありません。
邪を正しく導くことです。
追払ふ、としないで下さい。
まつろひて下さい。
この単語も初登場ですが、引き寄せて、抱き参らせよ。とあります。
その昔、引き寄せの法則って流行った時期がありましたが、あれは、分け隔て色の強い話でした。
日月神示で伝えられる、引き寄せ、の対象とは、邪、です。
世の多くの書、価値観とは大きく違っています。
その邪、を引き寄せる段階にも入ってきているようです。
取違ひならん、大切事です。
ですが、此の道に進みますと、この邪、を引き寄せる事となります。
そして、相手を意志し理解し、悪を悪で無くしていく、苦を苦で無くしていく、といった和する処から、邪を邪で無くす事に変えていく事が可能です。
ただ、これも前世ヒーラーさん、その他霊媒師系の方でも大きな差異があるようですが、それ位、和する事は、簡単なようで簡単ではありません。
3.まとめ
〇つりの巻(マツリの巻)の第三帖、の大神様に向けての旧九月八日からの誓(ちかひ)の言葉、願いあげますから祈りあげます、に変わっています。
以前は、大神様にお願いする境地だったのが、今では、御自身が、祈り上げる段階に入った、という事です。
行じ、省み、我の洗濯、掃除、改心を進め、弥栄と共に、カミヒト共にの境地です。
誓の言葉で求められるのは覚悟、です。
この身、この霊(タマ)はいか様にでもお使ひ下さいませ。を毎日、声に出し礼拝する覚悟です。
それには、まず、行を進めていかないとできませんし、七年要する方がやはり多いです。
やがて、御自身でも誓を立てる段階に、進みます。
また、神々様への誓と共通するのは、臣民人民が知らず知らずに犯しました罪、穢、過(あやまち)は、神直日大直日に見直し聞き直し下さいます様、特にお願ひ申し上げます、と伝えている所です。
この事に共感できるからこそ、覚悟が決まって、誓の言葉を声に出して読み上げる事ができるようになるのですが、まず、この事に共感できる境地、まで、行を進めていく以外ありません。
ですが、これは、そう簡単ではないのです。
それだけ11の囚われ、その原因となる6つの慢心は非常に強固だからです。
旧九月八日から、覚悟が決まった方は、礼拝を始めて下さい。
そして、我の改心を進め、神の御心を入れていき、心・口・行を一致させていきます。
肉体を苦しめますと、見せしめせなならん事になるので、肉体大切にして下さい。
神がかりで、まだ世界の事何でも判ると思ふてゐる人民 気の毒となります。
確かに、神がかりで、 世界の事何でも判る、と思ふてゐる人民、結構多いですが、
その殆どの方は、祈り地獄と化しています。
八百八光の金神殿、愈々にかかりなされています。(既に入っていると見ます)
出雲の大神様 此の世かまひなさる大神様、心得て下さい。三千世界の迷ふミタマにところ得さして嬉し嬉しに、コトで慰め弥栄へして下さい。
邪はらふとは、邪無くすることではなく、正しく導くことです。追い払ふでなく、まつろひ、引寄せて抱き参らせて下さい。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。