集団、に関する文面③に進みます。
今回の文面は、二日んの巻(ジシンの巻) 第十六帖 その1です。
2回に分けて御伝えします。
今回のマンデラ・エフェクト文面は、後半にあります。
思念は肺臓の動きとなり、情動が心臓の動きとなる事は以前からあった通りですが(ただ、これも途中からの結構最近のマンデラ・エフェクトと見ますが)、それが、生存中、死後だけでなく、生前にもその現れとなる事、一貫せる生命の現れである事を伝えられてゐます。
●生物 何んで息してゐるか、それさへ判らいで居て何でも判ってゐると思ってゐるが鼻高ぞと申すのざ、
という内容の直接的回答が、今回は伝えられてゐます。(当初は、どこにも書かれていなかったと見ます)
それでは、集団、に関する文面③をお伝えしますね。
- 1.二日んの巻(ジシンの巻) 第十六帖 その1 思念の肺、情動の心臓のうごきが、一貫せる生命の現れです。生前、生存中、死後、もまた同様です。
- Ⅰ.考えること、意志すること、行為することの根本は、霊的な内奥の御自身からです。内奥の御自身は神に繋がってゐます。
- Ⅱ.御自身が考え、意志し、行為しているのではなく、御自身を通じ、肉体を使って、現実界への営みを神がなし給うています。
- Ⅲ.地上人が死の関門をくぐった最初の世界は、地上にあった時と同様の意識、同様の感覚があります。
- Ⅳ.霊体のみとなりますと、霊界で活動するので、物質は衣にすぎない事が判ります。
- Ⅴ.地上人の場合、肺臓は想念の現れとなり呼吸します。霊界に入っても、同様の役目を果たします。
- Ⅵ.心臓は、その情動の現れとなって脈打ちます。霊界に入っても同様です。
- Ⅶ.思念の肺、情動の心臓のうごきが、一貫せる生命の現れです。生前、生存中、死後、もまた同様です。
- Ⅷ.肉体の呼吸と脈拍とは、新しき霊体の呼吸と脈拍に相通じ、死の直後に霊体が完全するまでは、肉体の呼吸脈拍は停止しません。
- Ⅸ.霊界に入った霊人たちは、総て生存時と同じ想念をもっています。
- Ⅹ.霊界においては、死後、も生存時と同一であり、生前の世界においても、これに対応する霊的事物と変じて現れます。
- 2.まとめ
1.二日んの巻(ジシンの巻) 第十六帖 その1 思念の肺、情動の心臓のうごきが、一貫せる生命の現れです。生前、生存中、死後、もまた同様です。
Ⅰ.考えること、意志すること、行為することの根本は、霊的な内奥の御自身からです。内奥の御自身は神に繋がってゐます。
●考えること、意志すること、行為することの根本は、肉体からではない。霊的な内奥の自分からである。この内奥の自分は、神につながっている。
考えること、意志すること、行為することの根本は、肉体からではありません。
霊的な内奥の御自身からです。
この内奥の御自身は、神につながってゐます。
(似たような内容は以前あったかもしれませんが、この伝え方も、初めての文面ではないか、と見ます。)
Ⅱ.御自身が考え、意志し、行為しているのではなく、御自身を通じ、肉体を使って、現実界への営みを神がなし給うています。
●故に、自分自身が考え、意志し、行為するのではなく、自分と云うものを通じ、肉体を使って、現実界への営みを神がなし給うているのである。其処に、人が地上に於ける司宰者たる、また、たり得る本質がある。
ですから、御自身が考え、意志し、行為するのではなく、御自身と云うものを通じ、肉体を使って、現実界への営みを神様がなし給うているのです。
御自身の、考え、意志、行為、は、常々、御自身の神と繋がり、神がなしているのが実際のところです。
其処に、人が地上における司宰者たる、また、たり得る本質がある、と伝えられています。
そして、それは、人の数だけの神様、世界があります。
Ⅲ.地上人が死の関門をくぐった最初の世界は、地上にあった時と同様の意識、同様の感覚があります。
●地上人が死の関門をくぐった最初の世界は、地上にあった時と同様に意識があり、同様の感覚がある。これによって、人の本体たる霊は、生前同様に、霊界でも見、聞き、味わい、嗅ぎ、感じ、生活することが出来るのである。
地上人が死の関門をくぐった最初の世界とは、地上にあった時と同様に意識があり、同様の感覚があります。
これによって、人の本体たる霊は、生前同様に、霊界でも、見て、聞き、味わい、嗅ぎ、感じ、生活することができます。
生前、も、死後もほぼ同じなのです。
ただ、初めての文面として、霊界でも、見、聞き、味わい、嗅ぎ、感じ、生活することが出来るのである。
がそうだと見ますし、特に臭い、に関しての記載は、地震の巻では初めてと見ます。
Ⅳ.霊体のみとなりますと、霊界で活動するので、物質は衣にすぎない事が判ります。
●しかし肉体をすてて、霊体のみとなり、霊界で活動するのであるから、物質は衣にすぎないことが判明する。
しかし、肉体をすてて、霊体のみとなり、霊界で活動するので、物質は衣にすぎないことが判明します。
この時以降に、霊として活動していく事になります。
Ⅴ.地上人の場合、肺臓は想念の現れとなり呼吸します。霊界に入っても、同様の役目を果たします。
●肉体をもっている地上人の場合は、その肺臓が想念の現われとなって呼吸する。霊界に入った時は、霊体の肺臓が同様の役目を果たすようになっている。
これも、初めて、の文面と見ます。
肉体をもっている地上人の場合は、その肺臓が想念の現れとなって呼吸します。
呼吸とは、思念と関係しています。
●生物 何んで息してゐるか、それさへ判らいで居て何でも判ってゐると思ってゐるが鼻高ぞと申すのざ、
この直接的回答を昔から探していたのですが、この内容が、その直接的回答ですよね。
他にも、弥栄する為、歓喜を味わう為、様々ありますが、想念の現れとして、呼吸するとあります。
もし、息苦しい時、呼吸が苦しい時は、思念の乱れがある、発生しているという事です。
霊界に入った時は、霊体の肺臓が同様の働きとなります。
Ⅵ.心臓は、その情動の現れとなって脈打ちます。霊界に入っても同様です。
●また、心臓は、その情動の現われとなって脈打つ。霊体となってもまた同様であることを知らねばならぬ。
心臓は、その情動の現れとなって脈打ちます。
心臓は感情と連動しているのです。
心臓の痛み、苦しみがある場合、概ね、負の想念、と繋がっています。
恨み、怒り、苦しみ、といった感情を、受けているのですね。
(良心の呵責による心臓の痛みもその1つです)
霊体となっても、また同様であることを知らねばなりません。
Ⅶ.思念の肺、情動の心臓のうごきが、一貫せる生命の現れです。生前、生存中、死後、もまた同様です。
●この二つのうごきが、一貫せる生命の現われであって、生前も、生存中も、死後も、また同様である。
この二つのうごき、思念の肺、情動の心臓のうごきが、一貫せる生命の現れであって、
生前も、生存中も、死後も、また同様です。
ですから、肺臓の呼吸、心臓の脈打ちは、生前、死後とそのまま繋がってゐるのです。
例えば、重い事象があったとしましょう。
大地震の後だったり、戦争による虐殺、大事故等の時は、肺臓の呼吸、心臓の脈打ちは乱れたり、苦しくなったりします。これは、現世だけでなく、生前死後、過去世、未来世、にも、繋がってゐるのです。
Ⅷ.肉体の呼吸と脈拍とは、新しき霊体の呼吸と脈拍に相通じ、死の直後に霊体が完全するまでは、肉体の呼吸脈拍は停止しません。
●肉体の呼吸と脈拍とは、新しき霊体の呼吸と脈拍に相通じ、死の直後に霊体が完全するまでは、肉体のそれは停止されないのである。
肉体の呼吸と、脈拍とは、新しき霊体の呼吸と脈拍に相通じ、死の直後に霊体が完全するまでは、肉体のそれは、停止されません。
ですから、呼吸、脈打ちがある間は、常に霊界と繋がっていて、亡くなる時、呼吸、脈打ちが泊まった時は、死の直後に霊体が完全化するという事になります。
Ⅸ.霊界に入った霊人たちは、総て生存時と同じ想念をもっています。
●かくて、霊界に入った霊人たちは、総て生存時と同じ想念をもっている。為に死後の最初の生活は生存時と殆ど同一であることが判明するであろう。故に、其処には地上と同様、あらゆる集団と、限りなき段階とが生じている。
このようにして、霊界に入った霊人達は、総て生存時と同じ想念をもってゐます。
為に死後の最初の生活は、生存時と殆ど同一であることが判明します。
故に、
其処には地上と同様、あらゆる集団と、限りなき段階とが生じています。
Ⅹ.霊界においては、死後、も生存時と同一であり、生前の世界においても、これに対応する霊的事物と変じて現れます。
●而して、霊界に於ては、先に述べた如き状態であるが故に、各人の歓喜は、死後の世界に於ても、生前の世界に於ても、これに対応する霊的の事物と変じて現われるものである。
霊界においては、このような状態であるが故に、それぞれの歓喜は、死後の世界においても、生前の世界においても、これに対応する霊的の事物と変化して現れるものです。
ですから、現在、世界にあります状態そのものが、霊界にもそのまま存在してゐるといってよいのです。
ですが、漸次、思念、情感に応じて、また、3次元世界では、行に応じて、霊界は無限に変わっていくのです。
2.まとめ
考えること、意志すること、行為することの根本は、霊的な内奥の御自身からです。
内奥の御自身は神に繋がってゐます。
御自身が考え、意志し、行為しているのではなく、御自身を通じ、肉体を使って、現実界への営みを神がなし給うています。御自身の、考え、意志、行為、は、常々、御自身の神と繋がり、神がなしているのが実際のところです。
地上人が死の関門をくぐった最初の世界は、地上にあった時と同様の意識、同様の感覚があります。
生前、も、死後もほぼ同じなのです。霊界でも、見、聞き、味わい、嗅ぎ、感じ、生活することが出来ます。
ですが、霊体のみとなりますと、霊界で活動するので、物質は衣にすぎない事が判ります。
地上人の場合、肺臓は想念の現れとなり呼吸します。霊界に入っても、同様の役目を果たします。
●生物 何んで息してゐるか、それさへ判らいで居て何でも判ってゐると思ってゐるが鼻高ぞと申すのざ、
この事の直接回答にあたります。
もし、息苦しい時、呼吸が苦しい時は、思念の乱れがある、発生しているという事です。
心臓は、その情動の現れとなって脈打ちます。霊界に入っても同様です。
心臓の痛み、苦しみがある場合、恨み、怒り、苦しみ、といった感情を、受けています。
(良心の呵責の心臓の痛みもその1つです)
思念の肺、情動の心臓のうごきが、一貫せる生命の現れです。
生前、生存中、死後、もまた同様です。
肺臓の呼吸、心臓の脈打ちは、生前、死後とそのまま繋がってゐるのです。
肉体の呼吸と脈拍とは、新しき霊体の呼吸と脈拍に相通じ、死の直後に霊体が完全するまでは、肉体の呼吸脈拍は停止しません。
霊界に入った霊人たちは、総て生存時と同じ想念をもっています。
其処には地上と同様、あらゆる集団と、限りなき段階とが生じています。
霊界においては、死後、も生存時と同一であり、生前の世界においても、これに対応する霊的事物と変じて現れます。
ですから、現在、世界にあります状態そのものが、霊界にもそのまま存在してゐるといってよいのです。
このように、現在の世界は、死後、生前の世界の現れでもありますので、漸次、思念、情感に応じ、また、3次元世界では、行に応じて、霊界は無限に変えていく事が可能です。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。
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