喜び、に関する文面②に進みます。
今回は、キの巻 第一帖と、黄金の巻(コガネの巻) 第二十二帖、第二十八帖、第三十二帖、
の4つの文面です。
今回のマンデラ・エフェクト文面は、
キの巻 第一帖では、
節分からは手打ち乍ら、ひふみ祝詞 宣(の)りて呉れよ、拍手は元の大神様の全き御働きぞ、タカミムスビ と カミムスビの御働きぞ、御音(おんおと)ぞ、和ぞ、大和(だいわ)のことぞ、言霊ぞ、喜びの御音ぞ、悪はらう御音ぞ。
と、拍手、祝詞についての意味を伝えられ、それは、節分から変わっていくと伝えられてゐます。
立春だけでなく、立夏、立秋、立冬も全て含むと見ます。
黄金の巻(コガネの巻) 第二十二帖、では、
神まつれ、祖先まつれ、子孫まつれ、心まつれ、言葉まつれ、行まつれ、食物まつれ、着るものまつれ、住居まつれ、土地まつれ、感謝感謝で喜び来るぞ。とあらゆる存在とまつる事で、喜びが来る事を伝えられてゐます。
第二十八帖、では、
しくじったらやり直して下さい。しくじりとは、火(一)と水(三)の違ひです。三が道から表(一)は無限に変わります。と伝えられてゐます。
第三十二帖、では、
神の道に進むために、罵られることは人民の喜びです。その喜び超えて神の喜び入れば罵られることありません。
と、一旦罵られた後、神の喜びに入れば罵られること無くなるとあります。
神敬ふ、はまだまだです。早うサ(三)トリて、神に融け入りて下さい。
と伝えられてゐます。
今回もそれぞれ、マンデラ・エフェクトを起こしてゐます。
それでは、喜び、に関する文面②をお伝えしますね。
- 1.キの巻 第一帖 節分から、手打ちながら、ひふみ祝詞のりてくれよ、としてください。節分境に何も彼も変りてきます。何事も掃除一番です。
- 2.黄金の巻(コガネの巻) 第二十二帖 奇跡では改心が出来ません。ですが、此の道を進みますと、嬉しきビックリが起こるようになります。
- 3.黄金の巻(コガネの巻) 第二十八帖 しくじったらやり直して下さい。しくじりとは、火(一)と水(三)の違ひです。三が道から表(一)は無限に変わります。
- Ⅰ.外が悪くて中がよい、といふことありません。外も中も同じ性をもってゐます。
- Ⅱ.時節は来てゐるので、このままにしておいても出来ますが、それでは人民可哀想なシナリオとなり、それはまだ消えていません。
- Ⅲ.三千年花咲きます。結構な花、三年、その後三年です。二(ツギ)の三年めでたやなあ めでたやなあ、となります。
- Ⅳ.ヒカリのふで、裏迄 読んで見なされ、としてください。よく(四九)解って、その通りになってきます。
- Ⅴ.こ(九)のほう(九七、生)念じてやりて下さい。この火(ほう)この水(ほう)、と成ります。火と水(ヒトミ)(一十三)です。
- Ⅵ.しくじったらやり直して下さい。しくじりとは、火(一)と水(三)の違ひです。三が道から表(一)は無限に変わります。
- Ⅶ.何も思案投首 が、一番罪深い。とお伝えされています。まず、行動に移す所から始まります。
- 4.黄金の巻(コガネの巻) 第三十二帖 神敬ふ、はまだまだです。早うサ(三)トリて、神に融け入りて下さい。
- 5.まとめ
1.キの巻 第一帖 節分から、手打ちながら、ひふみ祝詞のりてくれよ、としてください。節分境に何も彼も変りてきます。何事も掃除一番です。
Ⅰ.節分から、手打ちながら、ひふみ祝詞のりてくれよ、としてください。拍手は元の大神様の全き御働きです。
●節分からは手打ち乍ら、ひふみ祝詞 宣(の)りて呉れよ、拍手は元の大神様の全き御働きぞ、タカミムスビ と カミムスビの御働きぞ、御音(おんおと)ぞ、和ぞ、大和(だいわ)のことぞ、言霊ぞ、喜びの御音ぞ、悪はらう御音ぞ。
節分からは、手打ちながら、ひふみ祝詞、のりてくれよ、と伝えられてゐます。
柏手は元の大神様の全き御働きです。
タカミムスビ、カミムスビ、の御働き、です。
御音(おんおと)、です。
和、です。
大和(だいわ)、のことです。
言霊、です。
喜びの御音、です。
悪払う御音、です。
前半が、柏手について、後半が、祝詞です。途中は両方です。
Ⅱ.節分境に何も彼も変りてきます。何事も掃除一番です。
●節分境に何も彼も変りて来るぞ、何事も掃除一番ぞ。
節分境に何も彼も変りてきます。
今現在、2025年11月7日、立冬に入った所ですが、本節分が立春。
ですが、立夏、立秋、立冬、これも節分ですので、三か月置きに変わってくるとも言えます。
実際、この時を境に結構に動き出します。
此の道に進みますと、顕著ですね。私自身も、目先の立冬で大きく動き始めました。
何事も掃除一番です。
2.黄金の巻(コガネの巻) 第二十二帖 奇跡では改心が出来ません。ですが、此の道を進みますと、嬉しきビックリが起こるようになります。
Ⅰ.あらゆる存在にまつりますと、感謝感謝で喜び来ます。
●神まつれ、祖先まつれ、子孫まつれ、心まつれ、言葉まつれ、行まつれ、食物まつれ、着るものまつれ、住居まつれ、土地まつれ、感謝感謝で喜び来るぞ。
何事もまつりて下さい。まつりから総て始まります。
神様、祖先、子孫、心、言葉、行、食物、着るもの、住居、土地、
総てまつりて下さい。和して下さい。
感謝感謝で喜びが来ます。
Ⅱ.奇跡では改心が出来ません。ですが、此の道を進みますと、嬉しきビックリ、奇跡が起こるようになります。
●奇跡では改心出来んのであるぞ。
また、奇跡では改心できません。
奇跡を追う人が多いですが、奇跡を先に求めますと、おかしな道に進む流れとなります。
大抵、我の為、苦しむ流れ、となります。
ですが、実際には、行を進めて行った先に奇跡が起こります。
御自身でも、判らん奇跡、嬉しきビックリが起こるようになります。
3.黄金の巻(コガネの巻) 第二十八帖 しくじったらやり直して下さい。しくじりとは、火(一)と水(三)の違ひです。三が道から表(一)は無限に変わります。
Ⅰ.外が悪くて中がよい、といふことありません。外も中も同じ性をもってゐます。
●外が悪くて中がよいといふことないのぢゃ。外も中も同じ性もってゐるのぢゃ。
外が悪くて中がよいといふことありません。
外も中も同じ性をもってゐるのです。
外にあるものは、内にあります。
その内を変えていく事で外の世界が変わります。
ですが、内が変わらない事には、この後の大峠を超す事ができません。
Ⅱ.時節は来てゐるので、このままにしておいても出来ますが、それでは人民可哀想なシナリオとなり、それはまだ消えていません。
●時節来てゐるから、このままにしておいても出来るが、それでは人民 可哀さうなから、くどう申してゐるのぢゃ。
時節来てゐるので、このままにしておいても出来るのですが、それでは人民可哀さうなから、くどう申してゐる、とあります。
という事は、時節は来ているものの、人民可哀さうなシナリオはまだまだ無くなっていないのです。
ですから、くどう(九土ウ)申されているのです。
くにつつみ、から、カミヒトを生み出して下さい。
その為にも、弥栄実践、まつり実践、祓実践より、我の洗濯、掃除、改心を次々進めていく事が求められます。
Ⅲ.三千年花咲きます。結構な花、三年、その後三年です。二(ツギ)の三年めでたやなあ めでたやなあ、となります。
●三千年花咲くぞ。結構な花、三年、その後三年であるぞ。二(ツギ)の三年めでたやなあ めでたやなあ、
この文面は位置変化のマンデラ・エフェクトと見ます。以前は違った所にあったと見ます。(もっと後だったとみます)
三千年の花が咲きます。
結構な花、が三年、その後三年です。
二(ツギ)の三年がめでたやなあ めでたやなあ、となります。
Ⅳ.ヒカリのふで、裏迄 読んで見なされ、としてください。よく(四九)解って、その通りになってきます。
●ヒカリのふで裏迄 読んで見なされ、よく解ってビシビシその通りになっておろうがな。
ヒカリのふで裏迄 読んで見なされ、とあります。
よく(四九)解ってビシビシその通りになっています。
ですから、まずヒカリ(一一、火、理)の裏側の理解が大切です。
心の裏、心の内、が変わる事で、その表が変わる流れから、日月神示の意味が解ってきます。
そして、行じた通り、その通りになってきます。
Ⅴ.こ(九)のほう(九七、生)念じてやりて下さい。この火(ほう)この水(ほう)、と成ります。火と水(ヒトミ)(一十三)です。
●このほう念じてやれよ。この火(ほう)この水(ほう)ぞ。この火ばかりと思ふなよ。火と水(ヒトミ)ざぞ。善き火(ホー)に廻してやるぞ、良き水(ホー)の御用も回してやるぞ。
こ(九)のほう、念じてやれよ、とあります。
こ(九)は、くにつつにみ。ほう、は九七、から生み出す、ですね。
くにつつみ、からもう一段上の無を生み出す、です。
こ(九)の火(ほう)こ(九)の水(ほう)です。
この火(ほう)ばかりではありません。火と水(ヒトミ)一十三、です。
善き火(ホー)に廻して頂けます。
良き水(ホー)の御用も回して頂けます。
Ⅵ.しくじったらやり直して下さい。しくじりとは、火(一)と水(三)の違ひです。三が道から表(一)は無限に変わります。
●しくじりも人間にはあるぞ。しくじったらやり直せよ。しくじりは火と水の違ひぞ。このことよく心得てなされよ。しくじり、しくじりでなくなるぞ。
しくじりも人間にはあります。
しくじったらやり直して下さい。
しくじりは、火(一)と水(三)の違ひです。
一は表の現れです。三は三が道です。
このことよく(四九)心得なされよ、とあります。
どのような現れも、三が道からしくじりでなくなるところがあります。
その為には、しきまきや、くにつつみ、です。
この事によって、しくじり、しくじりで無くなります。
Ⅶ.何も思案投首 が、一番罪深い。とお伝えされています。まず、行動に移す所から始まります。
●何も思案投首 一番罪深い。皆それぞれに喜び与へられてゐるでないか。何不足申すのざ。
何も思案投首 一番罪深い。とお伝えされています。
考えているばかりで、何も行動しないのが一番罪深いのです。
まず、行動する処から始まります。
皆それぞれに喜び与へられてゐるのです。
何不足申すのざ、とお伝えされています。
喜び与へられてゐない人はいない、という事とも言えます。
4.黄金の巻(コガネの巻) 第三十二帖 神敬ふ、はまだまだです。早うサ(三)トリて、神に融け入りて下さい。
Ⅰ.神の道に進むために、罵られることは人民の喜びです。その喜び超えて神の喜び入れば罵られることありません。
●神の道に進むために罵られることは人民の喜びぞ。その喜び越えて神の喜びに入れば罵られることないぞ。
似たような内容はあったかもですが、この文面も初めてですね。
神の道に進むために罵られることは、人民の喜びです。
その喜び超えて、神の喜びに入れば、罵られることありません。
ちなみに、親兄弟、等親族関係からは、私については、様々言われ続けていますので、実現済みです。
Ⅱ.神敬ふ、はまだまだです。早うサ(三)トリて、神に融け入りて下さい。
●神敬ふはまだまだぢゃぞ。早うサトリて、神に融け入れよ。
神敬ふはまだまだです。
御自身が神として、行をして、カミヒト共に進んで下さい。
早うサ(三)トリて、神に融け入って下さい。
三が道より、次々受け取って下さい。
5.まとめ
節分から、手打ちながら、ひふみ祝詞のりてくれよ、としてください。
拍手は元の大神様の全き御働きです。
節分境に何も彼も変りてきます。何事も掃除一番です。
あらゆる存在にまつりますと、感謝感謝で喜び来ます。
奇跡では改心が出来ません。ですが、此の道を進みますと、嬉しきビックリ、奇跡が起こるようになります。
外が悪くて中がよい、といふことありません。
外も中も同じ性をもってゐます。
時節は来てゐるので、このままにしておいても出来ますが、それでは人民可哀想なシナリオとなり、それはまだ消えていません。
三千年花咲きます。結構な花、三年、その後三年です。二(ツギ)の三年めでたやなあ めでたやなあ、となります。
ヒカリのふで、裏迄 読んで見なされ、としてください。よく(四九)解って、その通りになってきます。
こ(九)のほう(九七、生)念じてやりて下さい。この火(ほう)この水(ほう)、と成ります。火と水(ヒトミ)(一十三)です。
しくじったらやり直して下さい。しくじりとは、火(一)と水(三)の違ひです。三が道から表(一)は無限に変わります。この事でしくじりを無くす事ができます。
何も思案投首 が、一番罪深い。とお伝えされています。まず、行動に移す所から始まります。
神の道に進むために、罵られることは人民の喜びです。その喜び超えて神の喜び入れば罵られることありません。
神敬ふ、はまだまだです。早うサ(三)トリて、神に融け入りて下さい。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。
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