喜び、に関する文面⑩、最後になります。
今回は、秋の巻 第一帖、第十二帖、龍音之巻 第十四帖、の三つの文面です。
今回のマンデラ・エフェクト文面は、秋の巻 第一帖、第十二帖、に多く起こっています。
秋の巻 第一帖では、
三十年で世の立替いたします。とあります。
三年のたてかへ、もありますが、世の立替は三十年、でしていきます。
大神様は大歓喜ですから、大歓喜により、悪を抱き参らす人の心に、マコトの不動の天国きます。
とお伝えされています。
秋の巻 第十二帖では、人の本性は神様です。とお伝えされています。
神なればこそ天国に自づから行き、住みます。といった内容へと変化しています。
龍音之巻 第十四帖では、幽界霊、という伝え方がマンデラ・エフェクトと見ます。
ただ、龍音之巻 第十四帖では、殆どマンデラ・エフェクトは起こしてゐないと見ます。
それでは、喜び、に関する文面⑩、をお伝えしますね。
1.秋の巻 第一帖 大歓喜により、悪を抱き参らす人の心に、マコトの不動の天国きます。
Ⅰ.同じ神の子でも、本家は人間、分家は動植物、ですが、神の前では同じでも位置が変わると同じではありません。
●同じ神の子でも本家と分家とあるぞ。本家は人間ぢゃ。分家は動植物ぢゃ。本家と分家は神の前では同じであるが、位置をかへると同じでないぞ。
同じ神の子でも、本家と分家とあります。
本家は人間です。
分家は動植物です。
本家と分家は、神の前でも同じですが、位置を変えると同じではありません。
Ⅱ.三十年で世の立替いたします。これから、一日ましに世界に出て来るので、いかに強情な人民でも往生いたします。
●三十年で世の立替いたすぞ。これからは一日ましに世界から出て来るから、如何に強情な人民でも往生いたすぞ。
三十年で世の立替いたします。
三年のたてかへ、もありますが、三十年での世の立替もあります。
これからは、一日ましに世界から出てきますので、如何に強情な人民でも往生します。
以前は、如何に強情な人民でも、改心いたす、だった気がしていますが、
往生する、となりましたから、改心にまで至らない、そういった世界観にもなりそうです。
此の後、愈々の二極分化が迫ってきているようです。
Ⅲ.悪を取り除かねばならん教へ、とは、段階低い教であり、理屈の作り出した神様です。大道ではありません。
●神は喜びであるから、人の心から悪を取り除かねば神に通じないぞと教へてゐるが、それは段階の低い教であるぞ。大道でないぞ。理屈のつくり出した神であるぞ。
神は喜びであるから、人の心から悪を取り除かねば、神に通じない、と教へてゐますが、
それは段階の低い教です。
それが、囚われであり、制限で留まる教えであり、苦しみの道、悲しみの道です。
ですから、大道ではありません。
理屈のつくり出した神様なのです。
Ⅳ.大歓喜により、悪を抱き参らす人の心に、マコトの不動の天国きます。
●大神は大歓喜であるから悪をも抱き参らせてゐるのであるぞ。抱き参らす人の心に、マコトの不動の天国くるぞ。
悪を抱き参らせる話は、似た内容は以前にもありましたが、その内容は今では、マコトの不動の天国くるという結論にまで変わってきています。
大神様は、大歓喜であるので、悪をも抱き参らせてゐるのです。
抱き参らす人の心に、マコトの不動の天国きます。
ここが、日月神示の目標でもあります。
マコトの不動の天国が来るには、悪を抱き参らすことが求められます。
Ⅴ.抱き参らせますと、悪は悪にはならないようになります。
●抱き参らせば悪は悪ならずと申してあろうが。今迄の教は今迄の教。
抱き参らせた悪は悪ならず、となります。
これは、霊界の思念界浄化からよくよく解ります。
それは、この三次元世界でも元来同じです。
ですから、与へ続ける事で新たな世界を生み出し続けていけばよいのです。
今迄の教は今迄の教えです。
2.秋の巻 第十二帖 人の本性は神様です。神なればこそ天国に自づから行き、住みます。
Ⅰ.神について下さい。地獄ありません。人は神の喜びの子です。
●神について御座れよ。理屈申さず、ついて御座れよ。地獄ないと申してあろう。人は神の喜びの子と申してあらう。
神様についてきてください。
理屈申さず、ついてきてください。
地獄に行かないか、心配の方もいるかもしれませんが、此の道に進めばその心配がありません。
地獄は元来ないのです。人が感じる地獄は、人が自ら生み出してしまったものです。
そして、人の我、が如何に地獄を生み出してきたのか、がよく解ります。
人は神の喜びの子なのです。
とお伝えされています。
Ⅱ.人の本性は神様です。神なればこそ天国に自づから行き、住みます。
●人の本性は神であるぞ。神なればこそ天国へ自づから行くのぢゃ。住むのぢゃ。
この伝え方も初めて、と見ます。
人の本性は神様です。
神様なればこそ天国へ自づから行くのです。そして、天国に住むのです。
3.龍音之巻 第十四帖 幽界霊も時より正しく善なることを申しても、直ちに善神と思ってはなりません。真の善言真語は、心、言、行、一致であるので直ちに力します。
Ⅰ.幽界霊も時より正しく善なることを申しても、直ちに善神と思ってはなりません。
●幽界霊も時により正しく善なることを申すなれど、それは只申すだけであるぞ。悪人が口先だけで善を語るようなものであるぞ、よいことを語ったとて直ちに善神と思ってはならん。
幽界霊という表現は初めて、と見ます。
幽界霊も時により正しく善なることを申しますが、それは只申すだけです。
悪人が口先だけで善を語るようなものです。
よいことを語ったといっても直ちに善神と思ってはならん、のです。
何故なら、幽界では、この三次元世界の、心・口・行、の一致実現ができない所がある為です。
行、基軸が無くても成立する一面がある為です。
Ⅱ.良い言葉なら、たとへ悪神が語ってもよいではないか、と申しても、それは理屈であり、囚われの元となります。
●よい言葉ならば、たとへ悪神が語ってもよいではないかと申すものもあるなれど、それは理屈ぢゃ、甘ければ砂糖でなくサッカリンでもよいではないかと申すことぞ。
よい言葉ならば、たとへ悪神が語ってもよいではないか、と申すものもありますが、
それは理屈です。
甘ければ砂糖でなくサッカリンでもよいではないか、と申すことと同じです。
ですが、霊界では、この事は珍しくありません。
多くの悪神は、この三次元世界の行の重要性について、まず伝えませんので、ここで、悪神様、かそうでないかが判って来る事となります。
人間は、霊界の事、中々判らない事と同様、霊界も、三次元世界の事判らない方がとても多いのです。
Ⅲ.真の善言真語は、心、言、行、一致であるので直ちに力します。言葉の上で同一であっても、心、言、行一致しませんと力しません。
●真の善言真語は、心、言、行、一致であるから直ちに力する、言葉の上のみ同一であっても、心、言、行、が一致しておらぬと力せぬ。
真の善言真語は、心・言・行、一致であるから直ちに力します。
言葉の上のみ同一であっても、心・言・行、が一致していませんと、力しないのです。
実際、心・言・行、の中でも、特に、行、が抜けている方結構多いです。
すると、どうしても、囚われの宗教となることも多いです。
霊界は、心の世界であり、実質的には、心・言の世界です。行というのが、ある部分ではないのです。
霊界寄りの方、スピリチュアル寄りの方には、中々行が伴うケースが少ないのは、霊界の在り方に寄りすぎてゐる為でもあります。
Ⅳ.偽りの言葉は、落ち付いてきけばすぐ分かります。「理解」「体験」がそこに伴うかで判ります。
●偽りの言葉は、落ちついてきけばすぐ判るぞ、同じ「ハイ」と言ふ返事でも、不満をもつ時と喜びの時では違ふであろうがな。
偽りの言葉は、落ち付いてきけばすぐ分かります。
それは、言葉に体験を伴っていないからです。そこに伴う理解もない為です。
ですから、同じ言葉を言っても説得力も違います。詳細の説明も理解、体験が、無ければ伝える事ができません。相手を理解しようと思いましたら、この事が判ってきます。
同じ「ハイ」と言ふ返事であっても、不満を持つ時と喜びの時では違うのは、勿論判りやすい話ですが、
霊と相対する時は、その生前からの理解、を伴って進めていく事が求められます。
Ⅴ.われは天照太神、などと名乗る霊にロクなものありません。大言壮語する人民はマユツバもの、と伝えられてゐます。
●われは天照太神なり、などと名乗る霊にロクなものないぞ、大言壮語する人民はマユツバもの。
われは天照太神なり、などと名乗る霊にロクなものない、と伝えられてゐます。
大言壮語する人民はマユツバもの、と伝えられてゐます。
ですから、大言壮語する方には気を付けて下さい。
4.まとめ
同じ神の子でも、本家は人間、分家は動植物、ですが、神の前では同じでも位置が変わると同じではありません。
三十年で世の立替いたします。これから、一日ましに世界に出て来るので、いかに強情な人民でも往生いたします。
悪を取り除かねばならん教へ、とは、段階低い教であり、理屈の作り出した神様です。大道ではありません。
大神は大歓喜であるから悪をも抱き参らせてゐるのです。
大歓喜により、悪を抱き参らす人の心に、マコトの不動の天国きます。
抱き参らせますと、悪は悪にはならないようになります。
神について下さい。地獄ありません。人は神の喜びの子です。
人の本性は神様です。神なればこそ天国に自づから行き、住みます。
幽界霊も時より正しく善なることを申しても、直ちに善神と思ってはなりません。
良い言葉なら、たとへ悪神が語ってもよいではないか、と申しても、それは理屈であり、囚われの元となります。
真の善言真語は、心、言、行、一致であるので直ちに力します。言葉の上で同一であっても、心、言、行一致しませんと力しません。霊界には、この心、言、行、の内、行が無い部分もありますので、そこで、この三次元世界では、心、言、行、の一致が大切となるのです。
偽りの言葉は、落ち付いてきけばすぐ分かります。
「理解」「体験」がそこに伴うかで判ります。
われは天照太神、などと名乗る霊にロクなものありません。
大言壮語する人民はマユツバもの、と伝えられてゐます。
修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。
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