富士の巻~地つ巻 鼻に関する文面 此の道、まつりの妨げが、鼻高、慢心、我良し、です

日月神示、道の生み出し方について

鼻に関する文面、今回は、富士の巻~地(九二)つ巻 です。

富士の巻では、まつり合う事が大切で、神ばかり拝むのは我良しであり、鼻高、慢心、が此の道で、まつり(調和)の邪魔になる事。

天つ巻では、近慾ですと、此の世の事、身体の事、此の世の大難が小難のまつりかへ、臣民のつとめ、が判らなくなり、この御道は鼻高と取りちがひが一番邪魔になる事、事を伝えています。

地(九二)つ巻では、御神示は無限に出て来る事、今の事、先の事、三千世界の事、全てが判るようになり、てんし様(・四様)拝めば、楽に行けるようになっている事を伝えていますが、我、が出ますと、鼻ポキリと折れる事を御伝えしています。

今回は、此の世の事全て、まつり、まつりかへ、を御伝えしていますが、常々、鼻高、鼻ポキン、慢心が恐い事を御伝えされています。

それでは順に御伝えしますね。

1.富士の巻 第二十二帖 此の道では、鼻高、慢心がまつり合わす事で、一番邪魔になります。

Ⅰ.まつり(調和)合はしさへすれば、悪も善もなくなり、悪も善となります。まつらねば善も無くなります。

まつりまつりと、くどく申して知らしてあるが、まつり合はしさへすれば、何もかも、うれしうれしと栄える仕組で、悪も善もないのぞ、まつれば悪も善ぞ、まつらねば善もないのぞ、この道理分りたか、

まつりまつりと、くどく申して知らしてあるのですが、まつり合わしさへしますと、何もかも、うれしうれし、と栄える仕組です。

そこには、悪も善もありません。
まつれば、悪も善となっていきますし、まつらねば、善も悪となっていきます。

まつり(調和)は、先にこちらより理解していく事から始まります。

この道理(土、ウ、八三)判りたか。とあります。
道理、とは、御三体の大神様を闇から生み出す事から始ます。

Ⅱ.神ばかり拝んでゐるようでは、何も判りません。それは我良しであり、神の臣民ではありません。

祭典と申して神ばかり拝んでゐるやうでは何も分らんぞ。そんな我れよしでは神の臣民とは申せんぞ、早うまつりて呉れと申すこと、よくきき分けて呉れよ。

祭典(まつり)と申して、神ばかり拝んでゐるやうでは、何も判りません。
神ばかり拝んでいるのは、我良し、と御伝えされていますし、神の臣民と申せないようです。

実際には、心・口・行の一致、弥栄実践、祓実践、まつり実践をしていく事。
この上で、最初の祈りは、行じていく事。その次は、省みる事。
その上で、また祈る事によって、ようやく、立体に進み始める事が判っていきます。

早う(八四ウ)まつりてくれ(九〇)と申すこと、よく(四九)きき分けて呉れよ。(九〇四)と御伝えされています。

しきまきや、から神様を生み出し、くにつつみから生み出し、四の行、九の行、聞き分けて、また、くにつつみ、しきまきや、から生み出して下さい。と御伝えされています。

Ⅲ.此の道で、鼻高、取ちがひが一番邪魔なのは、慢心と取違ひが調和(まつり)の邪魔になる為です。

われがわれがと思ふてゐるのは調和(まつり)てゐぬ証拠ぞ、鼻高となればポキンと折れると申してある道理よく分らうがな、この御道は鼻高と取りちがひが一番邪魔になるのぞと申すのは、慢心と取りちがひは調和(まつり)の邪魔になるからぞ。ここまでわけて申さばよく分かるであろう、何事も真通理(まつり)が第一ぞ。

われがわれが、と思ふてゐるのは、調和(まつり)てゐぬ証拠です。
鼻高、となりましたら、ポキンと折れる、と申されている道理、がよく(四九)分かると思います。

この御道は、鼻高、と取りちがひ、が一番邪魔になる、と申すのは、慢心と取違ひが調和(まつり)の邪魔になる為です。

それには、慢心、鼻高、を省み、改心を進めていく事も求められます。

このようにしまして、まつり、を第一、としていきます。

2.天つ巻 第二十四帖 近慾、鼻高ですと、此の世の大難が小難のまつりかへ、臣民のつとめ、判りません。

Ⅰ.今の臣民、此の世はおろか、御自身の身体のことさへ、分かりて居らんと御伝えされています。

今の臣民めくら聾ばかりと申してあるが、その通りでないか、この世はおろか自分の身体のことさへ分りては居らんのざぞ、それでこの世をもちて行く積りか、分らんと申しても余りでないか。

今の臣民、めくら聾ばかりと申して居ますが、その通りでないか、と御伝えされています。
神の声を聴く耳持てないのは、11の囚われ、6つの慢心が大きく影響しています。

この世は、おろか、自分の身体のことさへ分かりてはおらん、と御伝えされています。
それぞれの身体の器官は、宇宙とも対応していますし、生前の御自身とも対応しています。

それで、此の世をもちて行く積もりであるか、分からんと申しても、余りでないか。
と御伝えされています。この状況をかなり危惧されています。

Ⅱ.神様は、大難を小難にまつりかへている事、えらいむごいこと出来るのを小難にしてあることに気付いてください。

神の申すこと違ったではないかと申す臣民も今に出て来るぞ、神は大難を小難にまつりかへてゐるのに分らんか、えらいむごいこと出来るのを小難にしてあること分らんか、ひどいこと出て来ること待ちてゐるのは邪(じゃ)のみたまぞ、そんなことでは神の臣民とは申されんぞ。

神様の申すこと違ったではないか、と申す臣民も今に出てきます。
神様は、大難を小難にまつりかへてゐるのに分からないのか。と御伝えされています。
えらいむごいこと出来るのを小難にしてあること分からないのか。と御伝えされています。

ここまで、何度も、ハルマゲドンはおろか、大地震、大噴火、疫病まで、えらいむぎこと出来ているのを小難してして頂いています。それは、昭和19年からずっと繰り返されてきた事は、御伝えしてきた通りです。

参考:日月神示誕生昭和19年から、ずっとマンデラ・エフェクトを起こし続けてきた

人の生前からの状況、その人の心を理解しますと、それは当たり前という事が判ります。
ですが、一段一段思念界の書き換えで、ようやく、現在にまで至り、回避し続けているのが実際の所です。

ひどいこと出て来ること待ちてゐるのは、人の環境破壊の度合いから頭で考えても、それで自然な所もあります。

ですが、それでは、邪のみたまなのです。
それでは、神の臣民とは申されない、と御伝えされています。
なんとしてでも、その大難を無くしたい、と強い思いをもってこそ、初めて神の・、と繋がれるのです。

そして、誰が何と云っても、その大難を回避し続けよう、とするキ、が大切です。
それは、三千世界和合、神様の御心、・、です。

Ⅲ.臣民は、神様に、わるい事は小さくして呉れとお願いするのが務めです。近慾ですと判りません。取違ひ、鼻高、が一番恐いです。

臣民は、神に、わるい事は小さくして呉れと毎日お願ひするのが務めぞ、臣民 近慾(ちかよく)なから分らんのぞ、慾もなくてはならんのざぞ、取違ひと鼻高とが一番恐いのぞ。神は生れ赤子のこころを喜ぶぞ、みがけば赤子となるのぞ、いよいよが来たぞ。

臣民は、神様に、わるい事は、小さくして下さい。と毎日お願ひするのが務めです。
これを、日々されていますでしょうか。
この事で、日々の大難を回避させて頂けるのです。
臣民、人民が日々、犯しました、罪、穢れ、過ちは、神なほひ、大なほひに、見直し聞き直し下さいまして、この上ながらの御守護願い挙げます。

ここに常々返ってきます。
そして、これ以外まずない事も判ってきます。

近慾ですと、こういった事も分からなくなります。

ですが、一方で慾もなくてはなりません。
神様の御心、・、と人の慾が合致すればいいのです。
それが、まつり、です。

それには、取違ひ、と鼻高が一番恐いのです。

確かに、取違ひ、をする元は、慢心であり、それは、鼻高、でもあります。
この事が、臣民人民を、一番に苦しめてきた、とも言えます。ですから、改心していく以外ありません。

神様は生まれ赤子のこころを喜ぶのです。
みがけば、赤子となるのです。

愈々が来ています。

3.地(九二)つ巻 第四帖 この御神示いくらでも出て来ますが、我がと思うと鼻ポキリと折れます。

Ⅰ.この御神示、此の道進みますと、いくらでも出て来ます。今現在、先、三千世界、何もかも分かります。

この神示いくらでも出て来るのざぞ、今の事と先の事と、三千世界、何も彼も分るのざから、よく読みて腹に入れておいて呉れよ、この神示 盗まれぬ様になされよ、神示とりに来る人あるから気つけて置くぞ。

この神示いくらでも、出て来るのです。
これは、行をしていき、御神示を読んでいきますと判りますよね。
次々、新たな文面、マンデラ・エフェクトで、生まれて来るのです。

更には、今の事と先の事、三千世界、何も彼も分かるのです。

ですから、よく読みて腹(八〇)に入れておいて呉れよ。(九〇四)として下さい。
くにつつみ、しきまきや、から産み出して下さい。

この御神示、盗まれぬ様にして下さい。
これは、ネットの無かった時代、で書籍の事かもしれません。
今ですと、ネットにあるなら、ネットそのものが破壊されない限りは、盗みようがない所がありますが、
そのネットが破壊されるような、そのような時空間に移行しないように気を付けて下さい。とあります。

御神示とりに来る人、それは、書籍だけでなく、ネット上もありますので、気をつけて下さい。

ですが、御神示を、とり(十理)に来(九)る人もありますから、そちらにも気を付けて下さい。
盗む事をまつりかへる事で、十里(とり)を九の道へと進めて下さい。

Ⅱ.いつも心にてんし様拝みていますと、何もかも楽に行けるようになっています。我が出ますと、鼻ポキリ、折れます。

この道は中行く道ぞ、左も右りも偏ってはならんぞ、いつも心にてんし様拝みておれば、何もかも楽にゆける様になりてゐるのざぞ、我れが我れがと思うてゐると、鼻ポキリと折れるぞ。

此の道は、中行く道です。
左も右りも偏ってはなりません。

いつも心にてんし様拝みておれば、何もかも楽にゆける様にになっています。

我れが我れがと思うてゐますと、鼻ポキリ、折れます。

4.まとめ

まつり(調和)合はしさへすれば、悪も善もなくなり、悪も善となります。まつらねば善も無くなります。まつり(調和)は、先にこちらより理解していく事から始まります。

神ばかり拝んでゐるようでは、何も判りません。
それは我良しであり、神の臣民ではありません。

此の道で、鼻高、取違が一番邪魔なのは、慢心と取違ひが調和(まつり)の邪魔になる為です。

それには、慢心、鼻高、を省み、改心を進めていく事も求められます。
このようにしまして、まつり、を第一、としていきます。

今の臣民、此の世はおろか、御自身の身体のことさへ、分かりて居らん。
それでこの世をもちて行く積りであるのか、と危惧されています。

神様は、大難を小難にまつりかへている事、えらいむごいこと出来るのを小難にしてあることに気付いてください。

ひどいこと出て来ること待ちてゐるのは邪(じゃ)のみたまですし、そのようなことでは神の臣民とは申されんぞ。と御伝えされています。

臣民は、神様に、わるい事は、小さくして下さい。と毎日お願ひするのが務めです。
近慾ですと、こういった事も分からなくなります。

一方で慾もなくてはなりません。
神様の御心、・、と人の慾が合致すればいいのです。それが、まつり、です。

それには、取違ひ、と鼻高が一番恐いのです。

取違ひ、をする元は、慢心であり、それは、鼻高、でもあります。
この事が、臣民人民を、一番に苦しめてきた、とも言えます。ですから、改心していく以外ありません。

この御神示、此の道進みますと、いくらでも出て来ます。今現在、先、三千世界、何もかも分かります。
それは、御自身の心・口・行に応じてマンデラ・エフェクトで、生まれて来るのです。

いつも心にてんし様拝みていますと、何もかも楽に行けるようになっています。
我が出ますと、鼻ポキリ、折れます。

修業守護の神々様、役員守護の神々様、天の日月の大神様、五柱十柱の神々様、地の日月の大神様、世の元からの生き神様、百々諸々の神々様、いつも御守護頂き、ありがとうございます。

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